共働きしながら二人の息子を社会に送り出すまでの子育て時代も、今では懐かしい思いだけ、お金と体が忙しかった無我夢中の時代であり、また親子4人が最も一体感のあった時代でも。
国の子育て支援政策など無かった時代、息子たちの成長を支援してくれた育ての親、今で言う保育ママと、大学卒業まで所属していたボーイスカウト指導者の皆さんへの感謝の気持ちは続いている。
昭和33年の結婚当時、職員アパートでも18世帯のうち共働きは4世帯、絶対的に数少なかった共働き家庭に対する周囲からの視線は色々、温かいものも、たまに冷たいものも。
小学生の頃は学校から自宅に帰れる友達が羨ましかったと、何時だったか次男が口走った言葉に心を打たれたことがある、孫たちが親と同じ思いをしなかったのが、心の救いに。