道路除雪体制の無かった頃は、雪の深みにはまり、友達の肩を借りて片足づつ靴の中に入った雪を靴底を持って、たたき出していた。ふっくらした足の人は隙間が無いので羨ましかった。
昭和34年~42年、職員アパート生活の時だった。大雪の朝は、3人づつ交替で幹線道路まで約50メートの間を「かんじき」で雪を踏みしめて、すれ違い出来る道幅を確保したもの。
大雪の朝の早い時間帯は一列縦隊で歩くしかない。すれ違い時には「どうぞ」と道を譲り合う、譲られた大人は「すみません」、子供たちは「ありがとう」と言う、豪雪地でのマナーがあった。
大勢の人が歩いた後の雪道は滑りやすいので、歩幅を小さくして、ペンギンのような歩き方になって、あちこちで滑って転んでいた。起き上がるのに誰となく手を貸している情景が懐かしく思いだされる。
大勢の人が歩いた後の雪道は滑りやすいので、歩幅を小さくして、ペンギンのような歩き方になって、あちこちで滑って転んでいた。起き上がるのに誰となく手を貸している情景が懐かしく思いだされる。