ご指摘がありました『朗詠集』の「王昭君」に、また、楊貴妃から離れて、少々触れてみます。
先ず、私が持っている「和漢朗詠集」(天保年間に出版された古書です)を見てください。
写真でお分かりのように、ここで白居易は王昭君の晩年の年老いた姿を想像して歌っております。
”愁苦辛勤<シュウクシンキン>して顦顇<セウスイ>し尽きぬ。如今<イマ>却って画図の中に似たり。”
《王昭君は匃奴に入って愁い悲しみ辛苦を重ねて、すっかり元々あったその稀なる美貌を失い、昔、画工が宮中で偽って描たような醜い女性のような姿になってしまった。》
と、彼女の人生のはかなさを書き表しております。
なお、この他、もう一つ、直接、王昭君の美しさを云い表したものではないのですが、「柳」と題して、此の集の撰者、藤原公任は、白居易の次の歌を挙げております。
”昭君村柳翠於眉”
≪王昭君が住んでいた村に芽を出す柳は、一般の美人と呼ばれている人の眉よりも、一層細やで美しいこの村独特の緑色を呈している≫と。
まあ、このように美女についてのお話は、誰もが、それについて見てきたように大げさに語ったとしても、それをにくにくしく思って聞く人は皆無です。だから、話が話を呼んで、益々、絶対的な美人になってしまうのだろと思いますが。