“漁陽鞁鼓動地來”
天宝十四年 「漁陽」にいた安禄山が兵十余萬を率いて天子のいる宮城に攻め入ります。
「鼙鼓<ヘイコ>」は馬上で奏でる鼓のことです。この時の様子を「古文前集」には、安禄山が「漁陽」で、「楊国忠」を誅するという名目で決起し、宮城の城門めがけて、怒濤の如く攻め込みます。その様子を「鼙鼓の声 地を動かす」と説明しております。その時、宮城では、そのような不穏な動きが宮城の門外で起きているなどということは全く知らず、玄宗皇帝や楊貴妃は楽団が演奏する音楽に聴き惚れておりました。その時に演奏していた曲が「霓裳羽衣曲」です。
「霓裳羽衣曲」について、前述の「古文前集」には、此の曲が作られた経緯について、次のような説明がしてあります。
・「ある時、玄宗皇帝は、葉法善という道士に案内されて月の宮殿に入りま、そこで聞いた天界の妙なる音楽を覚えており、帰ってから、その曲を記した。」と。。
又、次のような説明もありますので、併せて、ご紹介しておきます。
・「ある時、西宮府の楊敬達という人が玄宗皇帝に“婆羅門の曲”を紹介しますが、その曲が、かって聞いた月宮での曲とよく似ておったため、その二つを合わせてこの曲を作った。」 と。
このように、この曲は玄宗皇帝がお作りになられた、特に、お気に入りの曲で、毎日のように演奏されていたのです。今もこの曲が、むせぶように、宮殿に流れています。その時です。
“驚破霓裳羽衣曲”
そうです。突如として、「動地来」、馬のいななき、馬上で奏でる太古の響き、怒濤のような武人の荒々しい叫び声が、宮殿の中に聞こえて来て、霓裳羽衣曲を“驚破”します。
「何事だ」と皇帝。