楊貴妃を失った玄宗皇帝の一行はようやくその目的地、蜀の国「成都」に到着します。その成都は、当時でも、相当な繁華街であったはずなのですが、詩人は書いております。
峨嵋山下少人行
峨嵋山麓の成都へと着いたが行く人少なり。[道を行きかう人も少なく]
旌旗無光日色薄
旌旗(皇帝の御旗)は光なく、日の色も薄し。[あせて威光は感じられなかった。]
蜀江水碧蜀山
蜀の国を流れ下る揚子江の川の水は碧で滔々と流れており、辺りの山々は青々と精気に満ちております。
聖主朝朝暮暮情
しかしながら、そのようなの蜀の雄大なる自然の中に居ても、玄宗は朝も夕も楊貴 妃 のことを思い浮かべて悲しんだ。
その忘れようとしても、決して、忘れることができな玄宗の心を、白居易は”朝々暮々情”と歌ったのです。その哀愁の心を。そして、その後、この成都における玄宗の生活について
行宮見月傷心色
成都での仮の御所で月を見れば、心を痛ましむる色がその月影の中にくっきりと見えるようであり
、
夜雨聞鈴腸斷聲
特に、雨の夜は、遠くで鳴る駅馬車の鈴の音が、その行宮の中にまで届き、楊貴妃の事がより一層思い出され、益々、断腸の思いにさせるのです。
なお、「蜀江水碧蜀山」については、長くなりますので、明日、また、ご説明します。