都に帰ってからの皇帝の実質的な生活は、その復権を疑った新帝の側近たちによって幽閉された場所”西宮<セイキュウ>”でです。それを受けて
“西宮南内多秋草”
と、詩人は歌います。
南内<ナンダイ>とは、天子の政務する内裏のすぐ南側にある比較的国民の眼に触れやすい場所です。成都から帰国されてから玄宗は、しばらく、その「南内」に住まわれます。それ以来、そこは国民の何時も注目の的になっていました。そこで、「南内」にいる玄宗皇帝が、再び、国民の人気者になりはしないかと新帝を慮った側近たちによって、宮殿の一番奥まった国民の目に届かない場所にある「西宮<セイキュウ>」に居を移されます。
秋になって、その西宮は秋草が茫々と生い茂るままになっています。そればかりではありません。前のお住まいになっていた「南内」も、やはり、『多秋草』です
この「南内」という字を、特に、詩に挿入することによって、白居易は、あの強大な実権を持つ絶対的な存在としての有の皇帝と、人の噂にも登らないまでに完全に忘れ去られてしまった無の皇帝を画くことによって、人間の摩訶不思議な宿命を強調しております。
続けて、詩人は、これでもか、これでもかと、必要に落ちぶれた人間の権力の虚しさ書き綴っております。
”落葉滿階紅不掃”
と。 <落葉 階に満ちるも 紅を掃らわず> 階段に落葉が一杯に積もっているのに誰も掃こうともしない。
なお、私の持つ「古文前集」には、この「落葉」が「宮葉」となっておりますが、それだと、新しく幽閉された「西宮」にある階段付近に落ち葉のことになり、「西宮南内多秋草」の詩と少々意を異にするようになるのではないかと考えられ、「落葉」の方がいいのではないかと、私は一人思っております、どうでしょうか???。
また、「紅」ですが、ある本によりますと、『紅(あか)けれど』と読増しており、『落ち葉がつもり、くさって、紅くなっても』と説明しておりますが、「落葉」は「紅葉」のことで、そんなに腐ったりすることによって紅(アカ)くなったりはしないと思います。腐ると「紅く」でなく、むしろ、「黒く」なりますもの。枝葉末節論ですが