”宛転蛾眉馬前死”と、ただ、それだけで、詩人は楊貴妃と玄宗皇帝との別れを歌いあげました。
この時、玄宗皇帝は71歳、楊貴妃は38歳でした。”一朝選在君主側≪一朝 選ばれて在り 君主の側”は 開元10年の事でした。それ以来、天宝14年までの16年間も、この二人の愛は冷めることなく続いていたのです。ですが、その「16年」という長い年月を、ただ時間的だけに注視して、人の心の如何を問わずして、いちゃもん、難癖を付ける学者も大勢のいる中には、面白いことですが、出て来るのです。
「楊貴妃は嫉妬深く、いつも夫を見守っていて、女性を近づけさせなかった。」
「誰が、そんなに一人の女性を16年間も、一心に愛し続けることができる男性がこの世にいると思う。???余程、楊貴妃が嫉妬深っかただからだ。そうに違いない。」
と、このように楊貴妃の大いなるその嫉妬が16年間も二人だけの生活が出来たのだと揶揄する者もいたようです。しかし、そのような戯言などに、全く、聞く耳持たずとばかりに、白居易は、この二人の愛は永遠の絆で繋がれていたのだと、この詩を綴ています。
そのようなことはどうでもいいのですが、玄宗皇帝という人は、文化的にも非常に優れた能力を秘めていた唐代切っての政治家だったということが分かります。音楽を始め詩歌の世界でも相当な力を持って居た実力者だったようです。
まだまだ「長恨歌」は続きますが、玄宗皇帝の詩をご紹介します。この詩はあの{唐詩選」にも選ばれております。”幸蜀西至剣門”と題する詩です。
”剣閣横雲峻 鑾輿出狩回 翠屏千仭合
丹嶂五丁開 灌木縈旗転 仙雲拂馬来
乗時方在徳 嗟爾勒銘才 ”