さて、長恨歌に戻ります。「宛転蛾眉馬前死」の後です
”、翠翹金雀玉搔頭 ”」
「鈿<デン>」とは女性の額を飾るかんざしです。「委」てられて、地に落ちて居てもそれを誰も拾い上げる者もいません。翠翹はカワセミの羽で作った緑色のかんざし、金雀は黄金の雀の形をしたかんざし、玉搔頭は、玉でできた髪かんざしです。楊貴妃がそれまでいかに皇帝の愛を一人占めしたか、それほど高貴な大変な美女であったか、そんな高貴な女性が使っていたものです。大変な高価な品物であることには違いありません。それなのに、此の地の人は誰一人としてそれを拾おうとはしないのです。ということは、この地では楊貴妃の事について知る人がいなかったさびしい土地であったということです。
そのような傾国の美女ですら、人知れず偏狭な地で死んで行ってしまったのだ、人生とは誠に不可思議で無常なものだということを、「無人収」の3字の中に、詩人は歌いこんでいるようでもあります。「収むる人も無し」と、日本語では読ませております。哀れさが深く胸打つ感じがする読み方です。
そのような楊貴妃の死体を残して馬嵬駅を後にする皇帝です。それを、
”君王掩面救不得、回看血涙相和流”
「君王は面を掩い 救わんとして得ず」-顔を覆うばかりで助けることもできず、振り返る目からは血の涙が流れた。「血と涙が相「和」<マジリテ>流れる」と歌っております。
そのようにして、馬嵬駅を出発してい、よいいよ道中で一番の難所「剣閣山」を越えて行かねばなりません。
黄埃散漫風蕭索、雲棧縈紆登劍閣 - 黄色い砂塵が舞い、風がものさびしく吹きすさぶ。雲にかかるほどの険しい道を剣閣へと登る。
峨嵋山下少人行、旌旗無光日色薄 - 峨嵋山のふもとには道行く人も少ない。天子の御旗も今は光なく、日の光さえ弱々しい。
「散漫」とは一面に広がることです。「蕭索」とはものさびしことで、黄塵は舞い、風はひゅうひゅうとものさびしげに吹きまくります。そして、「雲棧」、峰々に横たわる雲は「縈<ウネリ>紆<クネリ>」しながら剣閣山を覆い尽くしております。ちょうど楊貴妃を失った翌日のことです。それからしばらく進むと目的地「成都」まではすぐ近くす。蛾嵋山もすぐ近くに見えます。