さて、そのように楊貴妃だけをお側に、常に、置いて政務を怠り、供宴に耽る玄宗皇帝です。その間に何が起きたでしょうか、詩人は歌います。
”金屋粧成嬌侍夜 玉樓宴罷醉如春”
と。その結果、中国の政治の世界では
”姉妹弟兄皆列土 可憐光彩生門戸”
です。楊貴妃一族の者は、総て、大名など高い地位を与えられ裕福な暮らしをして、その壮大な門は立派で、美しく輝いているように見えたのです。その結果、
”遂令天下父母心” 繁栄の源が楊貴妃によるものであることを知っている国中の人間は、
”不重生男重生女”
「男を生むことを重んぜずして 女を生むことを重んぜしむ」という風潮が、いつの間にか、中国全土に広がったというのです。それまでの中国でもやはり「男尊女卑]の考え方が社会風潮として強かったのですが、この“重生女”は、中国のそれまでの社会生活の根本を変えるような大きなショッキング的な出来事だったのです。それを詩的に白氏が歌いあげたのです。
なお、「可憐」<アワレムベシ>と読みますが、「かわいそうに」という意味ではなく、感嘆を意味する詞で、「ああ何と」ぐらいに訳したらと思います。
この“重生女“については、あの杜甫も、次のように歌い上げております。
“生女尤可稼 此鄰生男埋没随百艸”と>
「女はいい所にお嫁に行けばいい、しかし、男はそんな事も出来なくて、一般の中に混じっていつの間にか消えてしまうのだ。女がいい」というぐらいの意味ですが。杜甫も、大体、白居易と同時代頃の詩人ですから、この楊貴妃の事実を知って詩に賦したのではないでしょうか??
この詩の出所は分かりません誰か教えてください。