長安の都門を出てから百余里、行ったり止まったりしながら、ようやく馬嵬<バカイ>駅の関所に一行は着きます。「やれやれ、ようやくこの地まで」と胸をなでおろしたと思っていた矢先のことです。
”六軍不發無奈何<六軍 発タズ イカントモスルナシ>”
六軍とは天子の軍隊のことです。都から百余里の所にある馬嵬駅に着いた途端に、どうしたことか、玄宗皇帝たちを守って来た玄宗皇帝の兵隊、が先へ進すもうとしません。「発たず」だけです。その理由については詩人は何も書いていませんが、「古文前集」には、註釈として、小字で次のように説明しております。
「我々は飢え、その上、非常に疲れ果ててしまっております。それは、皆、あの「楊国忠」の為です。だから、我々は彼を殺します」
と、叫んで、槍で突き殺し、その首を駅門に掲げます。そして、更に、楊貴妃の姉妹である秦国、韓国、虢国の三夫人も殺してしまいます。その騒ぎを聞きつけた玄宗皇帝は、その門に出てきて、それまでの軍人の労を讃えますが、兵士の騒ぎが治まろうとはしません。そこで、重臣の高力士をして、その騒ぎの指導者である陳玄禮に、どうしたら騒ぎが収まるだろうかと尋ねさせます。すると、陳玄禮は言います。
「禍は尚あります、陛下は、どうぞ、恩を割きて 法を正していただきたうございます。妃の楊貴妃のお命もいただきとうございます。」
と。それを高力士から伝え聞いた玄宗皇帝は、驚いて
「楊貴妃は常に深宮にいて、政治向きのことには一切係ってはおらぬ。だから楊国忠の政治については一切知らないのだ」
と。しかし、高力士はいいます。
「でも、兵士たちは、既に、楊国忠たちを殺して、息まくっております。もし、楊貴妃がこのまま長らえておれば、兵士たちは、その矛先を、必ず、陛下に向けるでしょう。どうぞ、楊貴妃様は、何もご存じではなく、無罪でしょうが、致し方ありません。兵士たちの前に連れて行かなければなりません。お許しくださいますよう、お願い申し上げます」
じっと聞いておいででしたが、玄宗皇帝は「上乃命力士<ウエハ イマシ リキシニ メイジテ>」「乃」は「かくて、そこで、しぶしぶながら」という意味です。そこで、高力士は、既に、覚悟はできていたと思われますが楊貴妃を陳玄禮達軍士の集まっている仏堂の前に連れて行きます。そこには大きな楡の木が生えていました。その木の枝に楊貴妃を首を懸けて縊殺します。そして、その亡骸を輿に載せ、駅庭に置き、兵士たちに見せます。
それから陳玄禮は鎧を脱いで玄宗皇帝の前に進み出て、それまでの非礼な行いをあやまり、万歳を叫んで部隊を整え馬嵬駅を出発します。
楊貴妃の最期は、これだけの大変長い物語があるのですが、その場を白居易は、たった7つの字で以って、歌っております。
”宛轉蛾眉馬前死” と。
「 宛轉<エンテン>たる 蛾眉<ガビ> 馬前に死す」
「宛轉蛾眉」とは、「大変美しい人」という意味です。稀に見る大変な美人が、馬嵬の地で虚しく亡くなって、亡骸を無残にも駅庭に置かれ、大勢の兵士や馬たちの前に曝されていることよ!!!!!
最後の3文字が、美しく哀れな姿を切々と歌い上げております。声に出して読んでみてください。(今日書いた字数は1500字にもなりました)