宮殿の奥にある国民の目からも届かない「西宮」に玄宗は幽閉されます。そこでの生活は
“梨園子弟白髮新”
です。
かつて玄宗皇帝が楊貴妃と共にその演奏を楽しんだ楽団員達のことについて詩人は歌います。「その人達も、早、白髪が目立つようになり成ってしまった」と。
「梨園」とは、玄宗が権力をまだ有していた時に、宮殿の梨の木の植えてある場所に、音楽を奏でる楽士達を養成するために、皇帝が学校を開いていました。そこで育った人たちを「梨園弟子」といったのです。その中から演奏する楽団員を「立部伎」と「坐部伎」 に分けて、宮殿で、毎日、演奏させていたのです。この内の「坐部伎」は、特に優秀なる楽団員で、演奏する宮殿でも、常に、皇帝や楊貴妃のすぐ近くの宮殿内で、座って楽器を演奏しておりました。定員は3人から12人程度の優れた演奏者でなくては「坐部技」には入れなかったのだそうです。
そんな何時も皇帝のお側に侍っていた全国から選ばれた最優秀の「坐部技」は、往時、2、3百人はいたのですが、今の「西宮」には、人数だけでなく、それらの人も随分と年老いてしまって、その演奏も何処となく弱々しく、かってのような迫力も見られなくなってしまってているのです。特に、その人達が演奏する最も得意とする曲は「法曲」と呼ばれている曲です。その曲は、既に、隋の煬帝の時分からあったようで、誠に「雅<ミヤビ>で清新<セイシン>で、聞く人を何処か幻想の世界までに引き込むような美しい曲で、特に、玄宗皇帝が「酷<ハナハ>愛」した曲でしたが、その曲すら、今は、めったに聞くことが出来なくなてしまったし、聞けたとしても、昔ほどの曲の美しさやその迫力は完全に消え失せてしまっているのです。
なお、この「坐部技」の奏でる曲は、ある本によりますと、『内容は皇帝の功徳を讃えるもので、永久の清明をもつ、華美で、技巧は「很<ハナハ>だ高きを求め、難度は較高であることが求められた。』と書かれております。
“椒房阿監娥老”
「椒房<ショウボウ>」とは皇后のことで、この椒<ショウ>とは「山椒」のことで、その実を部屋の壁に塗り込めておくと暖房の効果もあり、その他、部屋の悪臭を取り去る効果もあるので、楊貴妃の部屋に取り入れられていたために、その部屋を「椒房」と呼んだ居たのです。「阿監<アカン>」とは、そこを取り締まる女官のことで、また、「娥」とは、青く美しかった眉です。それら皇帝の周りにいる人達も皆も老いが目立ったのです。
この時、玄宗は、既に、73歳です。そこには、もう昔の華美な清新の影は完全に消え失しなってしまっております。
そのような西宮での年老い老いぼれた玄宗の姿を、直接、歌うのではなく、周りの人達の姿を写すことによって、間接的に、皇帝の老いの姿を歌いだしているのです。誠に技巧的な詩です。改めてその詩人のすごさに心を打たれておるのす。もう何回となくこの詩に目を通したのですが、読むたびに、詩人の偉大さに目を奪われます。