楊貴妃を迎えて「玄宗皇帝」の生活に変化が現れます。それを白居易は歌っております。
”春宵苦短日高起” 春宵は苦<ハナハダ>短く 日高<タケ>て起く。
この場合「苦」を、「春の宵が短いのを苦しく思う」というぐらいに解釈している本もありますが、やはり、これは「はなはだ」と読んだ方か良いのではと思われます。
楊貴妃と玄宗がたった二人で過ごす春の宵です。“芙蓉帳暖度春宵”です。二人を取り囲んでいる薄絹に描かれている帳には、蓮の花が美しいピンク色で輝いております。その上に、美しい楊貴妃の胸の金の歩揺(首飾り)は幽かな音色たたて部屋の中に流れます。
この時、玄宗は五十五歳、楊貴妃は二十二歳です。しかし、考えてみれば、いくら春の宵が短くても1時間や2時間という短時間ではありません。相当長い時間があります。それすら「苦短<ハナハダミジカ>い」のです。何をしていたとお思いでしょうか。そこら辺りの楊貴妃の時の使い方の巧さがあったのではないかと思われます。
まあ、時の経つのを忘れるぐらいゆっくりと春の宵を過ごされて、それから起きるのですから、何時も目覚めは日が高くなってから、午前10時か、それくらいのころからだと思われますが起きられます。勿論、お二人共です。そうすると、どうしても
“從此君王不早朝<コレヨ クンオウハ アサノマツリゴトヲセズ>”
中国では、皇帝の仕事は、朝はやく朝廷に出て、大臣と会見し、政治上の諸問題について聞き、その采配を振るうのが役目でした。その皇帝の任務がないがしろにされたのです。それを白居易は「不早朝」と歌ったのです。大中国「唐」の皇帝として、しなくてなならない政務もほっちのけに遊び呆けたのです。それも楊貴妃と二人だけです。そんな女性がこの世にいたのです。美人だけだった云う他に、考えてみますと、人を引き付けるだけの大きな魅力がその身に備わっていたのではないでしょうか。
{毎日、「長恨歌」を、おおよそですが、ほんの2~3行ずつ説明しておると、何時、私の話が終わるのかさえわからなくなりますが、し始めたら途中で止めにするわけにもゆかず、私のつまらない独り言に、今しばらく、お付き合いくださいますようお願い申上げます。}