成都から安禄山の死後、再び、玄宗皇帝は都「成都」に、馬に信(マカセ>て帰り着きます。さて、帰り着いた都「成都」は
歸來池苑皆依舊
都に帰ってみれば池も庭も、昔と同じで、「皆依舊<ミナキュウニヨリ>」何一つ変わってはい。
太液芙蓉未央柳
太液池の「芙蓉」蓮の花も、「未央<ミオウ>」宮殿の前に植えられていた柳も、何も変わってはいない。
芙蓉如面柳如眉
蓮の花は楊貴妃の顔、柳の葉は楊貴妃の眉のようであり、
對此如何不涙垂
これら蓮や柳を見ていると、「如何<イカ>んぞ 涙の垂れざらん」涙がこぼれおちない事があろうか。自然にこぼれてきた。
春風桃李花開日
春の風に吹かれて桃や李の花が咲く時にも、
秋雨梧桐葉落時
また、秋の雨で桐の葉が落ちる時にも、いつでも、
「校本古文前集」には、此の部分について、次のような小字で解説を施しております。「対此景物使人傷悲」と。玄宗が桃の花が咲く春は、勿論の事き、桐の葉が落ちる秋でも、成都から、この長安に帰って来てから、今までずっと、この風景を見て楊貴妃と過ごした日々の事を思い出しては心を深く悩ませるのである。人をして傷悲させむ。
はるばる成都から帰り着いたのですが、その時はもう皇帝ではなく、上皇で実権は息子の新帝にあったのです。その新帝の側近たちは玄宗の権限がまた復活するのではと疑い、実質的な隠居に幽閉したのです。だから、玄宗は、何でも今までのように自由に動きまわることはできず、何か、今の自分の境遇に随分と悲哀を感じていたのです。それが、猶更に、「使人傷悲」したのです。