安禄山の「霓裳羽衣の曲を驚かし破りぬ」で、始皇帝は
“九重城闕煙塵生
千乘萬騎西南行”
「九重城闕」とは、天子のいる正殿を取り囲むように作られている九重の門(ここに衛士がいて、常に、王宮を守っている)がことごとく打ち破られ、正殿に押し迫ろうとしています
そこで、玄宗は一千の乗馬と一萬の兵士を伴って西南、即ち、成都を目指して都落ちしていきます。ここでも詩人は、この時の玄宗皇帝の従者は「千乗万騎」もあるはずがありませんが、中国的な表現で以って数字を並べております。
玄宗皇帝が長安を出たのは、歴史は「天宝14年(756年)6月13日」だとしております。
“翠華搖搖行復止”
「翠華とは玄宗皇帝の旗です。「搖々」とは頼る所がなくて不安なさまを表現する言葉です。 そして、此の中国の大詩人は「行復止」と、たった3字の中に、そのどうしようもない、落伸びて行く玄宗皇帝や楊貴妃等そこにいるすべての人々の心を、これ以上の言葉では、決して、言い表せない言葉を使って書き表しております。まことに見事というほかはありません。だからこそ、この詩人が、今でも、日本人に最も愛される中国の詩人の一人に数えられているのだと思うのですが
”西出都門百餘里”
そのようにして ようやく都から西へ百余里の所にある「馬嵬駅<バカイエキ>」に辿り着いた