この写しも、やはり江戸期に出版された本から取り出しました。レ点などは付いていて、なかなか読みずらいものですが、これを使って当時の人達は中国の書物を読破していたのかと思うと、その努力に頭が下がる思いがします。とまあ、そのぐらいにして「長恨歌」の次に・・・・
天生麗質難自棄
一朝選在君王側
回眸一笑百媚生、
六宮粉黛無顏色
楊家の奥深く人目につかず育てられら楊貴妃ですが、その生まれながらの麗質、即ち、美貌は隠しようもなく、たちまちに人の噂に上り、ある日見出されて皇帝の側で仕えることになります。
その愛らしい目のほほ笑みは、何とも云われないような艶めかしさが辺り一面に漂います。
この「媚」という字は「こびる」「へつらう」などの意味に、日本では一般に、女性のマイナス面に使われることが多いのでますが、この場合は楊貴妃の気品あふれた笑いの中に見える人を何となく引き付けずにはおかないような自然の美しさを「媚」という言葉で白居易は言い表わしたのではないかと思います。その辺りの文字の選定一語にも留意した素晴らしさが伺えるように思われます。
そのような楊貴妃の居たたずまいは、後宮の美女たちも、只の平凡な一女性にしか見えないような雰囲気を作り出してしまうほどだった。
と、歌っているのです。
なお、この本の中に小字で書かれている説明によりますと、楊貴妃は 開元十一年に壽王の妃になっとりますが、その後、特別に召されて皇帝の女官になっており、その名も「太真 」と号されていたのだそうです。まあ、下世話に言う、「息子の嫁を取り上げて自分のものにしてしまった」ということです。こんな話、日本でもありますよね。中大兄皇子と額田王のお話にね。こんな話を見るにつけても、ほんとうに人間って不思議な生き物ですね。生き物としか言いようがない様にね。