蜀の都「成都 」での皇帝の生活は 1年2カ月になり、ようやく安禄山の反乱も平定されます。それを詩人は
“天旋地轉迴龍馭”
<天は旋(メグ)り、地は転じて>天下の情勢が一変して反乱軍破れ、<龍馭(リュウギョ)を回らす>天子の車が、再び、都「長安」に向けて出発していったのです。来た道を帰ります。すると、どうしてもあの楊貴妃が亡くなった馬嵬駅に至ります。
”到此躊躇不能去”
「到此」とは、楊貴妃の死んだ馬嵬です。此処まで来て、玄宗皇帝は、どうしても、楊貴妃のことが忘れ難く躊躇して立ち去る事が出来なかったのです。
“馬嵬坡下泥土中”
「坡下<ハカ>」とは簡単に土を盛り上げて作った塚には楊貴妃が葬られており、
“不見玉顏空死處”
玉のような愛らしい楊貴妃の顔は、再び、見ることはできないのだ。虚しく死んでいったであろう楊貴妃のことが無性に思い出されて仕方ない。立ち去り難い
気持ちが誰の心にも自然とわき出るようでした
“君臣相顧盡霑衣”
玄宗もその臣下の者も、尽<コトゴト>衣をう沾<ウルオ>す。楊貴妃の事を思って涙を流してやまなかった、
”東望門信馬歸”
去りがたい思いながら、東にある都を目指して力無く馬を進めていった。「信」は「まかせて」です。