昨日、『開元十一年に、楊貴妃は玄宗皇帝の息子「寿王」の妃になっています。』と書いたのですが、この「開元」という字に、随分前から、私は関心を持っておりました。
というのは、私は中国の古銭を集めておりますが、その中に「開元通宝」が数枚あります。写真をどうぞ。
「開元通宝」というのですから、楊貴妃の時代(玄宗皇帝の時代)に作られた貨幣だとばかり思っていました。だから、私のこれも、「ひょっとしたら」という言葉を使われて頂けるなら、あの楊貴妃も一度は手にしたことがあるお金かもしれないと、内心で、大変高価なお宝になるのではと、常々、思っておりました 。
そこで、改めて、此の通宝についてネットで調べてみました。すると、この貨幣は唐の初年頃(625年頃)から10世紀の半ばまで300年間もの間作られ続け、一般に広く使われていたという事が分かりました。本当の名は「開通元宝」と呼ばれていたことも分かりました。すると、この私が持っているお金をあの楊貴妃が目にすることなんて有る筈がありません。珍しくも何でもない普通の貨幣なのだということが分かり、がっかりしております。
でも、なぜ「開元通宝」が「開通元宝」なのでしょうかね。なお、この貨幣を真似て作られたと言われる日本の最初の貨幣「和同開珎」の字の配列は「和」が上で、「同」が右、「開」が下、「珎」が左に並べてあります。
なお、私の持っている「永楽通宝」の字の配列は「永」は上に、「楽」は下に配されております。