今日は、主人の母親の1周忌でした。
光慶寺の鐘釣堂をお借りして、法要をさせていただきました。
光慶寺(浄土真宗のお西)は本当に有難い!法要をするからと座敷や家の中を大掃除しなくても身体一つで行けば、そこで法要が執り行われる。
ただ、県外(沖縄や東京)から来られる親族さんは富山駅までお迎えにいかなければならない。
が、今は新幹線が走ってるので、2時間チョイで東京から来れるのも有難い!
で、無事法要が終わってから、住職さんのお話がありました。
お参りのマナーをお話しされました。
まず、お経を唱えられている間に、親族が焼香する時のマナー
挨拶は、お寺さんにだけ挨拶する、喪主にはしなくてもいい。
お香は、みなさん、つまんで頭の方へ持って行って拝んでからやりますが、拝む必要はない、お東もお西もそういうしきたりはない
お西は1回だけする、お東は2回と決まってる。
お数珠は左手に親指を外に出して房を下にして持っている、拝むときはそれに右手を入れて合掌する。
お東は、房を上にする。
お坊さんが持ってる経本は床や畳の上にじかに置いては行けない、棚か机の上に置く、その場に机などが無い場合はいつも
右手に持ってる扇子(中には懐に差してるお坊さんもいる)を床や畳の上に置いて、その上に経本を置くことになってる。
お東とお西はどう違うか?というと・・・・・
昔、豊臣秀吉の時代、浄土真宗のお寺があった場所が、見晴らしが良いため、秀吉が欲しがって戦争を始めた。
お寺側も勢力があったのだが、次第に負けてきて、お寺を明け渡す考えを息子らに話す(息子は3人いて、真ん中の子は養子に行き
おてらを継ぐのは、昔から長男と決まっていたが、父親がお寺を明け渡す話に反対して最後まで戦うというった長男。三男は父親が
決めたことに従うという意見を述べた、そうこうしてると、住職(父親)が無くなって父親が、遺言を残して、寺の跡取りは三男とすると。
で、長男に付いて行く者と三男に付く者とに別れて、長男はお東、三男がお西となった。
東と西は京都駅から見て本山寺が東がわにあるから、お東、西側にあるからお西と言うようになった。
お経もそんなに違わないが、節が微妙に違う。
お寺さんが着てる着物。色がいろいろあるけど、身分が違うのか?と言う質問に、試験とかあるわけじゃあ無く、本寺に納めるお金の
金額で、あなたはこの色とこの袈裟を着ても良いという許しが出るのだそうです。
赤紫色に、黄色か金色の袈裟が一番位の高い服装だそうです。
光慶寺さんはこの色でした。
お食事は、岩瀬の「松月」で行いました。
今日は、心のこもったお勤めをしていただき有難うございました。義母も喜んでいることでしょう。