僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

母の歌

2011-02-28 | Weblog
私の家には宮内庁長官の印が捺された表彰状がある。
宮内庁主催の歌会始めで、母の短歌が預選歌に次ぐ佳作に選ばれた時のものである。
賞状には、昭和五十年一月十日とあるから、もう36年も前、母は44歳、私が17歳の頃のことだ。
17歳と言えば遊び盛りの高校生。確か母が、宮内庁から何か届いただの、選ばれただの言ってたことは覚えているのだが、歌の内容を聞いてもよく分からなかったし、その時は「そうなんや」くらいのことしか感じていなかったと思う。
しかし、最近この賞状をまじまじと見つめていて、「考えたらすごいな、これ」と思うようになった。
なんたってあの宮内庁(当時の長官は宇佐美毅氏)の印鑑が捺してあるんだもの。
そんな思いから、今朝出勤前に改めて母にその句を読んでもらった。

「軽がると、舳先に人の踊りつつ、光る海面を祭り舟くる」

母の故郷は小豆島。海での祭りを思い出して書いたという。
説明はあえて聞かなかったが、島の方々が祭りを愛し人を愛していることも、海を生きる糧としていることも、素朴で実直な人柄も、質素な生活の中にも十分な豊かさがあることも、母がこの歌を書いている様子も、何もかもが手に取るように分かる。

母は、小豆島から高槻の旧家に嫁いできて、姑母小姑や夫の兄弟等、多くの人の理不尽や、貧乏に耐えながら私たちを育て、この歌を書いた。そして80歳になった今は、ひ孫達に囲まれて歌を書き続けている。

節約の癖が染み付いた、机に転がる両端が削られた短い鉛筆と、広告の裏を使ったメモ書きを見ていると涙が止まらなくなった。

あれから歌会始めの賞を上回る句はないようだ。
でも母よ、あなたの人生に勝る歌などありません。


※会社のブログの更新が忙しくこのブログをなかなか更新できていません。
せっかく読んでいただいている方には申し訳ありません。
落ち着きましたらこちらのほうへも転記するようにいたしますので、お許しください。

10人で出来た私

2011-02-10 | Weblog
「自分は、自分を含めた周りにいる10人の10分の1で出来ている」
友達が、本で読んだ言葉だと言って教えてくれた。
自ら身の置き場を選ぶというケースと自然とその場の中にいたというケースの2つがあるだろうが、大枠では自然・人全てを含めた環境の大切さを表している。もう少し掘り下げると、支えてくれる人たちの大切さはしかり、自分らしくいることこそが支えてくれる人のために一番大切なんだ、ということも見事に表現されている。教えてくれた友達とこの表現を考えた人にまたまた感動した次第である。

私の1割を持ってくれている人が9人いるというのは何か想像がつかないが、私の9割を作ってくれている人と考えると、数十人の顔と名前がすぐ浮かんできた。なんと私は恵まれているのか。ぞくぞくするほどありがたいことだと思う。

もちろんそれはいいのだが、この言葉、もっと早く教えてくれたら少しは人の顔と名前を忘れるのがマシだったろうに。

過程が結果

2011-02-08 | Weblog
『結果がでるまでのドキドキが大好きです。落選したときのガックリも、当選した時のビックリも。素敵な時間をありがとうございました。』

これは、私があるアマチュアミュージシャン(以下Aさん)に返送したメールである。
尊敬するAさんから、自分のライブでギターを弾いてくれないか、と依頼があったのは昨年末のこと。そして、今年の1月29日(土)に、一緒にステージに立たせてもらった。Aさんとは、行きつけの店で何度かご一緒したことがあり、その個性の素晴らしさに、どこかで共演できたらいいな、と思っていただけに、とても嬉しかったし勉強にもなって感謝しきりなのだが、その後、さらにもうひとつ嬉しいお話を頂戴した。
それは、毎年5月に高槻で行なわれるジャズストリートへのエントリー。このジャズストリート、市内のあちこちにステージが設置され、毎年何万人という人が訪れる、今年で13回目を数える市を上げての一大イベントである。そこへ出場しないか、というのだ。
もちろん予選がある。しかも、毎年見に行っているが出場バンドはどこも非常にレベルが高く、そこを突破するのは簡単ではないことはAさんも私も分かっていた。しかし、Aさんの行動はとても素早く、エントリーの話があった翌日にはデモテープから何から全ての提出が終わっていて、その行動力のものすごさにビックリしていたのだが、その後Aさんがおっしゃった言葉に私は感動してしまった。
『とりあえずエントリー済ませました。結果はどうなるか分かりませんがここまでとても楽しく進めることができました。あとは待つだけです。いろいろありがとう』
これに対する私の返事が冒頭の文である。

素晴らしい音楽を奏でる人はやはり人間も素晴らしい。結果も大切だが、過程を全て楽しめる余裕があるからこそ、ためらいなく行動もできるし、音楽も人生も楽しむことができるのだろう。

結果は分からない。が、結論は出ている。過程が結果。それだけでいいこともあるのだ。