僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

疲れ知らずが一番疲れる

2006-06-30 | Weblog
こう言った友達がいる。

「人が好き、という感情は疲れ知らず。だから恋をするとボロボロ
になるまで疲れてしまうんよ。」

これは恋の話やけど、疲れ知らずの行動が一番疲れる、という
論にはなるほどと思う。

世の中、疲れ知らずの人なんかおらんねんな。

肩書き

2006-06-29 | Weblog

名刺には「肩書き」が書いてある。
それは本来、「ああそうですか」程度のものでしかないはずやねんけど、
日本では、俺みたいな一介のサラリーマンじゃなく、それなりのステー
タスを持った人の肩書きは、「こういうもんや、文句あるか」みたいなこ
とがまかり通るカードゲームの切り札みたいな役目をする時がある。

当然、それは名刺を出した本人がそのように意識させなければ、何の
問題もないんやけど、それを意図的に武器として使われるとこれは性
質がわるく、切り札を持たない普通の人にとっては、まるで首筋に刃
物を突きつけられて話をさせられているような状態になってしまう。でも、
ホンモノの刃物を持っているわけやないから罪にはならない。

こういう人には、その名刺を踏んづけながら、とにか
く「参りました」と言
っておけば、とりあえず首筋の刃物は外してくれる。

こんな人の名刺はカードゲーム程度に扱うことが大切なのだ。


こんな人が好き〈VOL12〉

2006-06-28 | Weblog
最近、「ええなぁ、この人は」という人になかなかめぐり合えな
かったんやけど、今日久しぶりに、そんな人に会った。
ということで、今回のこんな人が好きは、

「富士山」で笑える人。

富士山を見て感動して涙がでた、とか富士山と聞くだけで心
が和むとかいう話はたまに聞くけど、富士山と聞いただけで笑
える人っていうのは聞いたことないでしょ?

ところがいました、そんな人が。またどうせ電車の中やろ、と思
っている人は甘い。この人とは帰り道の途中、淀屋橋あたりの
路上で会いました。(最近、健康とダイエットを兼ねて会社か
ら梅田まで30分弱、歩いて帰ってます)

今日も暑いなーと思いながらダラダラと歩いていたら、俺の前
を歩いている二人組の女の人達の会話が耳にはいってきた。

女性A:「静岡県にある日本一高い山はなーんだ?」

女性B:「富士さーん!キャハハハ」

Aの"静岡県にある"という補足が必要な問題なのかというツッ
コミはおいといて、なんでこの富士山という答えがおもしろいのか
さっぱり分からない。

頭によぎる「ハの字」が面白いのか?
知り合いの「富士さん」が面白いのか?
てっぺんだけ白いのが面白いのか?
夏が似合わないのが面白いのか?
静岡県にあるのが面白いのか?
バカみたいに高いから面白いのか?

まぁ、分かると面白くなくなる気もするので、このままでええねん
けど、とにかく、そのバカバカしいまでの飛びぬけ方は、まさに
富士山レベルでした。

今日の発見:
淀屋橋の路上はディズニーランドより面白いかも。

ホーン人間

2006-06-27 | Weblog

車に乗っていると、他の車に乗っている人とは車を降りるか、窓を
開けて大声で話さない限りは、話ができないので、「あぶないよ」
とか「退いてください」とか「ありがとう」という言葉を伝える代わりに
ホーンを軽く鳴らすというのがドライバーの通例。
でも、時には怒りを表現することもあり、その場合はホーンの音を
比較的大きく長く鳴らす人が多い。

とまぁ、ここまでは誰が聞いても正常な範囲やと思うねんけどね、
たまにその怒りのホーンを5分以上も鳴らし続ける人がおるよね。

このホーン人間がその牙をむくのは、たとえば、自分のガレージの
前に知らない車が止まってて、退いてくれないと車がだせない、
とかいうシュチュエーションの時。

そんなところに車を置くヤツの非常識さに腹を立てる気持ちは
分かるけど、だからといって5分も10分もホーンを鳴らし続けるほう
もまた恐ろしく非常識。

実はこういう人がおれの知ってる人にひとりおる。前述のシュチュ
エーションで、その人がクラクションを鳴らし続けている様子を一部
始終見てたんやけど、もう近づいて止めるもの恥ずかしいほど情
けなかった。それまでもあまり信用できる人じゃないな、とは思って
たけど、その一件依頼、俺はその人を全く信用しなくなった。

もう口もききたくないんやけど、事情があってたまに口をきかざるを
得ない。

仕方がないので、今度はホーンで口をきいてやろうと思っている。


名づけ親

2006-06-27 | Weblog

自分の名前が、自分以外の何かを表すようになるということがある。
たとえば、

自然・科学部門では、
星は最初に見つけた人の名前がつくらしいし、新しい元素を見つ
けた人にもその人の名前がつく。

文化部門では、
将棋の戦法などに升田流とか大山流とかがある。

スポーツ部門では、
フィギュアスケートでビールマンスピンや新しいところではイナバウアー。
体操では塚原飛びとか、鉄棒や吊り輪のなんとかホフ。

こんなふうに自分の名前がつく場合は、新しい発見とか、発案とか
がほとんど。それとは違って、いかに目立たせて覚えてもらいやすくす
るか、という意味で名前を付けるというのがいわゆるネーミングという
やつ。

これって、結構あちこちで公募してたりするんやけど、
でかいところでは、施設で、

新潟県の
●Mt.グランビュースキー場
●新潟スタジアム
東京都の
●渋谷公会堂
あたりがある。

ここで、どうにも気になるのが渋谷公会堂。一度も行ったことはない
が、なんどもそのステージに立つ夢はみたので、音楽の聖地みたいな
イメージができあがってて、「渋谷公会堂」以上も以下もないような
気がするのよね。

ネーミングの意味からして、こんなステータスのしっかり出来上がって
いる渋谷公会堂になぜ違った名前が必要なのか理解できない。

「シブヤコウカイドウ」に勝るネーミングはないと思うねんけど。


ささいな喜び

2006-06-26 | Weblog

今日、取引先のK君が会社に来て、嬉しそうにこう話していた。

「今日、音波歯ブラシ買ったんですよぉ」

なんでも、K君は今までいわゆる手動歯ブラシでTVを見ながら
10分以上歯ミガキをするはみがきおたくらしく、どうもこの買い物
は俺達がベンツを手に入れたくらいの、どえらい感動があったらし
い。

でも、実は俺も音波歯ブラシを使ってるねんけど、これって最初は
なんか頼りない。なんかブラシが動いてるのがよく分からんし、何よ
り今まで動かしていた手を動かさずにじっと保持せんとあかんのが、
忙しい日本人には、なんかサボっている感があってどうもしっくりこ
ないのだ。

だから俺が思うに、K君はその音波歯ブラシを持ちながらも、しば
らくはせこせこと手動歯ブラシのように使うであろうことは目に見え
ている。

そう簡単にベンツ並の感動も手に入なない代わりに、このように
色々な使い方で楽しんだ後、歯ミガキおたくもノーマル歯ブラシ人
も愛用するようになる
のがこの音波歯ブラシという代物。

その素晴らしさは歯ミガキがきれいにできるということよりも、ありきた
りの日常を、ひとつの物語に変えてしまうところにある、といえばあま
りに無理やりな喜び方やろか。


深夜の電話

2006-06-24 | Weblog

いつやったか忘れたけど、深夜の1時頃に携帯が鳴った。画面を
見ると会社の上司でもあり、バンド仲間でもあるN氏。

こんな時間にどうしたのかな、と思って電話をとると、N氏の若干
ろれつの回ってないゴキゲンな声。新地のいきつけのお店で、もう
一人のバンドメンバーであるM女史やお店の仲間達と飲んでると
こや、とのこと。それからは、次々と一緒にいる人たちが電話に出
てきて、何してんねん?とか最近あっちはどうやねんとか、もういつ
も店にいる時と変わらないバカな質問攻めが始まった。深夜の1
時に家にいる訳やねんから何してるもなけりゃあ、あっちもこっちも
あるかいな、とかいいながら、俺もどんどん楽しくなってくる。

このN氏に代表される人たち、普通なら深夜やから電話したらあ
かんとか、考えたりする訳やけど、みんな、あいつのことやからどう
せ起きとるで、というノリで電話してくれたらしい。そしてこの人たち
は平気で俺のことを"ハゲ"と呼んでくれる。
なんていうねやろう、そういうふうに遠慮なく接してくれるということが、
ものすごく大切に扱われているような気がして、なんかもう最後の
方にはその電話が嬉しくて嬉しくて仕方なくて、電話を切りたくな
くなってた。

訳のわからないことがやたら多い世の中、深夜に電話がなったら
ロクなことがないことのほうが圧倒的に多いのに、この電話の、新
地の笑顔まで浮かぶような暖かさがいつまでも忘れられない。

そんな最高の先輩達に敬意を払いながらも、ひとつ注文が。

たまにはあっちやなくてこっちのことも聞いてくださいよ。


国家の顰蹙

2006-06-23 | Weblog

日本のワールドカップが終わった。というより、まだ始まりもしてなかった
と言うほうが正しいと思えるほど、力の差は歴然としていたように俺は
思う。

でも、でもよ、そもそもサッカーが弱いからってそれがどうしてん、という
話のような気がするのよ。

ブラジルの選手のような優れたサッカーのDNAはその国の長い歴史の
中で生まれ備わるものやし、欧州の選手達のレベルも世界のトップ
リーグで何十年と揉まれてきた歴史が作
りあげたもの。
それに比べ日本では、Jリーグが始まってまだ数年、J2を含めるとJ
リーグ入りしたほとんどの選手がレギュラーを獲得し(個人調べ)、今だ
に天皇杯(やったっけ?正月にするやつ)では、たまに
大学生に負けた
り、高校生とさえ、ええ勝負をしてるようなレベルやのに、一応はプロと
名乗る。
こんなんで、いくら試合を強くなれる訳がない。
また、もっと基本的なことでは、子供の運動会で順位をつけないという
競争意識を奪うような教育。

これほど恵まれない環境で無理し
て強くなる必要があるのか、と思う
わけよ。これは何もサッカーに限ったことじゃなく。

競争心や勝ち負けは大切やと思う。でもなんでそんなかないっこない
フィールドで勝負する必要があるのかな?誰も勝負なんか仕掛けてこ
ない日本にしかできんものをひたすらやり続けるほうがええんとちゃうん?

日本人にしかできへんこといっぱいあるで。
お茶、お花、わびさびの心、芸者遊び、賄賂、過労死、アニータの豪
邸建築、金魚の糞状態、猿真似・・・これらは、敏感にして繊細な感
性がなし得るワザであって、他国の人には絶対真似できへん。顰蹙だ
って文化的にみればある意味誇りや。

そういうことをひたすら続け・・・と、今書いてて、なんかどっかで聞いたこ
とある話やな、と思ったら藤原正彦さんの「国家の品格」に似たような
ことが書いてあった。

ほーら、やっぱり日本人には自然と猿真似ができるという素晴らしい能
力があるやん。


脱歯車感

2006-06-22 | Weblog

最近、定年を迎えられた会社の上司が二人、続けざまに倒れられた。

原因はそれぞれ脳梗塞と脳溢血。幸いお二人とも命に別状はないが、
おひとりは左半身に麻痺が残り、おひとりは、今入院中だ。

そういう方々を続けざまに目の当たりにして思う。今まで一生懸命働い
てきて、定年となり、ようやくこれから好きなことを始めようようかという矢
先に病魔に襲われてしまうなんて、人生はあまりにも理不尽やないの
か、と。

この二人の先輩方が俺と同じ考え方をされてれるのかどうかは分からな
い。でも、自分に当てはめてみて考えてみると、果たして自分の持てる
時間のほとんどを仕事に費やしてていいのか、と考えたくもなる。

ついこないだ、「超」がつく一流企業に勤めていた友達二人が会社を
やめた。二人共俺と同い年で、定年まであと十数年を残して。
一人はその後関連企業に契約社員として入社し、責任の重さや様々
な会社や人間関係の縛りから解き放たれ、今、伸び伸びと人生を謳
歌している。
もう一人は、以前からやりたかったという福祉関係の仕事に7月から就く。
この友達も、最近の電話で以前と見違えるほどの元気な声を発してい
た。

二人に共通していた退職理由は、「今自分のやりたいことをやらずにい
つするんや」ということやった。至極単純な理屈やけど、大多数の人は
理屈は納得できても現状が許さないという事情があって、それができな
い。


でも、この二人も世間一般のサラリーマン平均よりは高い給料をもらっ
てたみたいやけど、決して大金持ちという訳じゃない。まだ、家のローン
や教育費にも金がいる皆と同じ状況をかかえながら、それでも辞める決
心をしたのは、前述の「今自分の・・・」と「なんとかなるで」という気持ち
やったらしい。

もっと働きたいのにリストラに合って辞めざるを得なくなる人もまだまだ多
い世の中、贅沢な話やとか、甘い考えやとか、という向きは多いやろう。
事実、俺もそう思ってた。

でもいくら気をつけていても、自分がいつまで心身共に健康でいられるか
なんて、分らない。「退屈」という文字が辞書にない俺にとって、自由な
時間というのは、のどから手がでるくらい大切なもの。先輩方の病気を
きっかけにして申し訳ないが、今はその友達みたいな生き方もええなぁ、
思っている。

何にもしばられないことが自由や
とは思わんけど、今彼らに、「お前の考
え方のほうが甘いんとちゃうか」と言われるのが一
番怖いわ。


歯車感

2006-06-21 | Weblog

ほぼ毎朝、うちの会社が入っているビルの階段を俺と同じ時間に
登り始める人がいる。同じ電車に乗り合わせるのは、サラリーマン
の常やけど、駅から5分位歩いてなお、まだ一緒というのはなんか
不気味な気さえする。

俺は、毎朝決まった時間の電車に乗り、決まったコースを歩いて
会社へ行く。おそらく、その人も同じようにしているからそういうこと
になるんやろけど。

寸分狂わず会社に行く俺、俺と同じような他人。合わせるつも
りのない人と、それこそ歩調があってしまうことも珍しくない毎日。
そんなことが繰り返されると、ものすごいシステム感というか、組み
込まれた感というのか。不気味な上にものすごく歯車になってる
気がするねん。

確かにサラリーマンは歯車やと思うねんけどね、社会でうまく回る
ことが目的になってて、何のために回ってるのか、忘れそうになっ
てしまうから、歯車のくせに気持ちのほうの歯車は噛み合わん。
それがまた輪をかけて気持ち悪いのよ。

その人はどないなんやろかな?「おたくさんも、俺としょっちゅう俺
と一緒になって気持ち悪いとこおまへんか?」とか聞いてみたい
気もするけど、朝から話の歯車が噛み合わんなんてオチがついて
も疲れるだけやしなぁ。

どうせ歯車なら、せめて空回りだけはせんようにしたいもんやね。


尊厳

2006-06-20 | Weblog

今日20日のニュースで、光市母子殺害事件の最高裁判決で
死刑を求めた検察側の上告が認められ、被告に死刑が言い渡
される公算がでてきた、とあった。


その内容の残虐さから考えて、この犯人は麻原並みに死刑が当
然の人間だと思ってたんやけど、なかなか日本の司法ではそう

単に進まなかったのはテレビで放映されている通り。

それにしても、被害者の方の心情を考えたら、こんなにもひどい
事件の懲罰がなんで今まで何度も無期懲役などと訳の分から
ない判決になったのか、そして今日、死刑判決が先延ばしされ
たのか全く理解できかねる。

弁護側が死刑に反対する論点は大きく3つ。

1.殺害に計画性がない
2.反省の情は不十分だが生まれている
3.犯行時は18歳になったばかりの未成年で、不遇な家庭環
 境が性格に影響しており、更生の可能性がある

どれも?と思う理由ばっかり。はっきり言ってそんなこと知るか!
で済む話やん。

まず、[1]の計画性
これって、計画性がない殺人は罪が軽いってことになるよね。
つまり成り行きで、殺すつもりはなかったけど殺してしまった、
ならそれは過失なので罪を軽減してあげましょ、と言う訳。

あのね、車で運転を誤って人を轢いてしまったのとワケがちゃう
ねん。車の場合は一瞬の油断で1t以上の鉄の塊が人に当た
る訳やから、殺意が介在しなかったという理由は分かる。ただし、
これも飲酒などで油断を引き起こす要素を自ら作りだした場合
は別として。けどこの事件のように生身の人間が人間を殺すに
は、殺意
という塊をもたないと不可能。何が計画性がうんぬん、
じゃい。ふざけるなっちゅうの。

次に、[2]の反省の情
ここは反省の情についてさらに考える必要がある。
1)反省していると証明できるか
2)反省して済む問題か

まず1)
この少年はご存知のように、刑務所内から友人に宛ててとんで
もない手紙を書いている。もし、それが猛反省している手紙であ
っても許されるはずもない犯罪やのに。今はその手紙を書いたこ
とを悔いている、という手紙をまた書いているらしいけど、どう考え
ても言い逃れ目的としか考えられない。

2)
何人もの人の人生を奪っておいて、反省しています、で許される
訳がない。あまりに単純な話でこれ以上書くこともないほど、分か
りきった話。

しかも、反省の情は"不十分だが"生まれている、とある。この期に
及んで不十分、ってあんた。こんなヤツがもし猛反省したとしても、
そんなものはこの被害者の方の苦しみに比べたら、鼻くそほどのも
んや。どこまでふざけたら気が済むのか。
その上まだこれに輪をかけてふざけた話が、「被害者から奪った地
域振興券6000円分と硬貨300円を全額弁済したいと申し出
た」やて。これってアホほど難しい司法試験に通った弁護士さんが、
真剣に考えて弁護の理由に挙げることなん?しめて6300円返し
ますから、情状酌量の足しにしてください、って言うてるの?そうや
ったらその弁護士さんの精神状態のほうがこの少年よりまだおかし
いんとちゃうか。遺族の方にしてみれば、6300円はもうあげるから、
命を返してくれ、と言いたいところやろう。腹が立つのも通り越して、
あきれるのも通り越して、ただただバカバカしい。

最後に[3]について
当時は18になったばっかりの未成年、については、昨今の犯罪の
低年齢化から考えたら、考えなくてもええこと。たとえ考慮したとし
ても、年齢がいくつだろうが、被害者にとっては何の関係もない話。

で、最後に不遇な家庭環境、やて。あのね、家庭環境なんてみ
んな不遇やし、みんな幸せやねん。この少年には親が離婚したり
自殺したりとかがあったらしいけど、それは健全な家庭で暮らす、
という表向きなことと単純比較した場合に不遇と言えるだけで、健
全な家庭内の
不遇な面には全く触れられていない。どんなに健全
に見える家庭にもとんでもなく不遇な環境はあるし、またとんでもな
く不遇な環境に見える家庭にだって、幸せはあるはず。

確かに、一般的に家庭環境に恵まれない人の犯罪率は高いらし
いけど、そこから立派になった人もたくさんいる。誤解を恐れずに言
えば、結局は「自分が悪い」だけの話やん。

全くの他人のことなのに、これだけ怒りがこみ上げてくる事件というの
は、そうない。もっともあっても困るんやけど、
いつも一生懸命生きて
る人が、訳のわからない理由で殺されてしまう、ということが少しでも
減り、被害者の尊厳が守られるように、そしてこの事件の被害者の
方がほんの少しでも気が休まるように、死刑判決が下されることを
祈る。


いるべき場所にいること

2006-06-19 | Weblog

昨日の柳沢には落胆、という声が多い。もちろん俺も例外じゃなく、
ガックリきた。あんなもん、目つむってても入れれる、とか、俺でも入
れれるで、とか好き勝手にいう人もおる(←俺です)。

でも、そんな声が多いからこそ、民主主義の精神に則って少し彼の
弁護をしてみようと思う。

そう、あのシュートを外したことには弁解
の余地はないけど、あのポジ
ションにいた、ということは評価できるんとちゃうやろか?
あそこに彼がいなければ、あのようにシュートを外すこともなく、ど素人
の俺たちにボロクソに言われることはなかったはず。

でも、そこはさすがに日本FWのレギュラーだけあって、きちんと相手の
穴をついたスペースに彼は走りこんでいた。シュートを失敗するより、
その場所にいない、ということはもっと大きな失敗のはずやねんけど、
それは俺たち素人には分かりにくいし、ましてテレビで見てたら、どこ
からどこまでを彼が走って、あのポジションに来てたのかも分からない。

つまり、見えない失敗が一番責められてしかりなんやけど
、実際には
見えた失敗だけが責められる訳や。

だから、柳沢は一番大きな失敗はしてなかった。ただ、一番目立つ
失敗をしただけやねん。

結局、決定的な場面を作りだすということにおいて、日本では柳沢
や高原の右にでるもんがおらんかったということで、皮肉にもあのシー
ンで決定したのは、日本チームのレベルがまだそこまでやったということ。

サッカー選手に限らず、皆いるべき場所がある。
会社であれ家庭であれ、学校や刑務所であれ。そこで自分のいるべ
き場所でそれぞれの役割を果たしている。誰もがその場所から逃げ
出して役割を放棄したいと思ったことだってあるはず。

そうして考えてみると、いるべき場所で役割を果たせない時があっても、
そこにいるということだけで、それはものすごいことなんよ。

だから柳沢よ、胸を張って帰ってこい。まぁ、俺に許してもらいたくはな
いやろけど、許したるわ。


文句の続き

2006-06-18 | Weblog
昨日書いたHDDレコーダーの件、結局新品に交換してもらった
んやけど、やっぱり症状は同じで、特定の局が受信できない。
結局、機械に原因はなくて、アンテナの不良やった。
だから俺は設定とかの問題じゃないの?とわざわざ言うてるのに、
案の定。

設定がうまくいかないおかげで、何度も設定を確認する時間を
要した上、電気店まで又往復し、結線をやり直し、土日の休
日の貴重な時間を大量に消費してしまった。

おまけに家のPCの調子が悪く、その修理にも多くの時間がかか
った。

ようやく、HDDレコーダーとPCが正常に戻った時、日本の引き分
けが決まった。

もうアホほど疲れた土日でした。

文句

2006-06-17 | Weblog

HDD&DVDレコーダーなるものを人より何年も遅れて買った。

もう生産中止になった展示機を安くで買ったんやけど、これが
どうも不良品ぽくて特定の放送が受信できない。

もちろん、展示機とはいえ保証がついてる訳で早速、購入した
店に電話。
俺が殊勝にも、「こうこうこうで受信できない放送局があるんで
すが、設定のやり方が悪いかも分からないんで、ちょっと教えて
もらいますか」と言ったら、店員さん、「ああ、それはたぶん本体
の不良ですねぇ」やて。

もういちいち説明するまでもない。かなり腹立ててるよ、俺は。
明日その電気屋に思いっきり文句言いにいくので、そのあとの
話はまた明日。