この時期、どこの誰も皆とても忙しい。俺も例外ではなく、毎年11月中旬から1月中旬までは
1年で最も忙しい時期にあたり、その忙しさは1月の中旬が近づくほどますます加速していく。
こういう時によく起こるのが「凡ミス」。この凡ミス、普段ならなんとか取り返しがつくけど、とんでも
なく忙しい時にやってしまうと、これはもう命取りになる。サラリーマンとして20年以上働いてきて、
そのことは肝に銘じているつもりなんやけど、時間に追われて手を抜かざると得ない状況下にな
ると、どうしてもこの凡ミスが避けられない時があるのよね。
でも、でも、でも、ここでミスが起こりそうという時にとにかくどんな無理をしてでも、そのミスを未然
にふせぐ為にジタバタしながらも時間をかける以外にそのミスを防ぐ手立てはない訳で、この葛藤
に勝利することが何より難しいわけや。
しかし、俺も48歳、もうええかげんにそのくらいのことができるようになってもええ歳な訳で、今日
の仕事ではなんとかそれを実行した。
1分1秒を惜しまんと行き詰まるこの時期、用件はできるだけメールや電話で済ませて、効率よ
く仕事を進めるのが通例やねんけど、ちょっと気になることがあって、電話とメールではなんとなく
意思の疎通ができそうになかったので、車で往復1時間30分かけて走って直接担当者と会い
打ち合わせ。そうするとやっぱりわずかではあるけれど、行き違いがあり、未然にミスを防ぐことが
できた。
まぁよかったと言えばよかったんやけど、その2時間弱の時間、他の仕事が止まってしまっている
ので、またそっちにしわ寄せがくる。そうするとそのしわ寄せが来た方にまたミスが起こりそうにな
り、そのミスを防ぐためにさらに時間をかけ・・・もう際限なくこの悪循環が続くことになってくる訳
で、ますます時間がなくなりさらに忙しくなり、やっぱりミスが起こるような気がする。おまけにそう
いう「気」がミスを誘発する要因にもなるわけでね。
なんかイヤな気分やね、これって。家に帰ってもなんか残るわ。年賀状もまだ作ってないのにそっ
ちにも影響しそう。
ということで今年の年賀状は間違い探しにしようかな。
※ほんとにそんなことを言ってる場合じゃなく、年賀状はまだ全くの手つかず。間違いなく1日に
着くようには作れそうにないので、毎年年賀状のやり取りをさせていただいている皆様には
何卒ご容赦を。
他人がとてもいいものを持っていると、それと同じものが欲しくなるというのはごく
普通の感情。でも同じものは絶対欲しくない他人が持ってるいいものというのも
あって、それがギター。まぁ、この場合の他人というのは、全く見ず知らずの他人
ではなく、バンドメンバーのように近い存在の他人のことやけど。
ギターの場合、「いい音」というのに絶対的な判断基準なんかなくて、ギターに
よって音が違って、それぞれのギターが“それしか出せない”音を持っている。だか
ら、いくらいい音がするギターでも、自分の近くに1台あればそれ以上にあっても
仕方ないので、どうせ持つのなら、他人のギターにはないそのギターだけが出せ
る音のするギターが欲しいということやねんな。
だから俺の中でいい音がするギターといのは、バイオリンのストラディバリウスみた
いにそれ一台でどんな楽曲も弾きこなせるというものじゃなくて、何台も“いい音”
がするギターが存在するわけよ。
そうすると、今欲しいギターを買ったところで、また次のギターが欲しくなることは
目に見えている訳で、この欲望はギターを引き続けていられる限りずっと続く。
贅沢は敵だというが、自分を輝かせたいのなら、贅沢をしたいという欲を失った
ら終わり。
ということで、どうぞお嫁さま、せめて欲を持ち続けられるようにほんの一台だけ
でも買ってみてやろうというふうにお考えいだだけませんでしょうか。
12/20に書いたピックアップのことで評価がどえらく変わったのでご報告を。
前はこのLR BAGGSのM1というピックアップ、可もなく不可もなく、みたいな感じやと
書いてたと思うねんけど、それは会社から帰って深夜に小さな音で試した状態で
の話。ところが昨日の昼間、ごく普通の大きさの音で鳴らしてみると、これがとって
もいい!友達のマーチンと比べても音域によっては俺のギターのほうがいい音がす
るくらい素晴らしい音がでる!(好みの問題やけど) 昔6万円で買ったギターが十
分レコーディングに使えるくらいのギターに大変身したのだ。
昔はこんな素晴らしいピックアップはなかった。俺がそのギターをい続けてきた30
年以上の月日の中で、格段にピックアップは進化し、俺のギターを蘇らせてくれ
た訳や。
そうするとやっぱり気に入ったものを長く大切に使い続けていると、いつかそれが
新しい価値を持つ道具に変身する機会が訪れるということやな。
俺もあちこちでだいぶ長い間使われてるけど、なんぞ新しい価値を持つ人間に
なれるのかね。あっ、でも“気に入ったもの”という定義から外れてるか・・・。
もしも2億円が当たったら何に使う?というこの時期ノロウィルスと同じくらい流行っている
質問。我が家も例にもれず、嫁から皆にその質問があった。
で、その答え。
俺は当然ギター。それと書斎も一緒になった自宅スタジオ。それ以上は思いつかなかった。
嫁は海外旅行。それとできることなら健康な体が欲しいと言っていた。
まぁ、二人とも普通の大人の見る夢なんてこんなもんや、という感じ。
ここから先は子供達(といっても大人やけど)の夢。これがまぁ姉妹の性格の差を表してて
おもしろい。
まず長女。真っ先に口から出たのが「みたらし小餅を食べたい」。この餅をご存知ない人
のために説明しておくと、これは、みたらし団子の“アン”が外につけてあるんじゃなくて、餅
の中に入っているというだけの珍しいもんでも高いもんでもない。まぁこれを2億円分食べ
ようとしたらたぶん10万円くらい使った時点でもう二度と見たくもないくらい嫌いになるや
ろね。他にないんか?と聞くと次にやっとこさ出てきたのが天体望遠鏡。これはピンキリあ
るけど、それでも素人が覗くものなら3万~せいぜい10万くらいのもんやろ。ホンマに欲
がないというか、ボーとしてるというか・・・。
次に次女。こっちも間髪入れずに口からでたのが「マンション」。俺が「へー、家欲しかった
んや」と言うと、「ううん、住むんやなくて、賃貸料を取るための不動産。2億円使ってあと
もうお金がない、というより、ちょっとづつでもずーとお金が入ってくるほうがええねん」やって。
こっちは、夢見ることより現実を見据えた答え。しっかり者(長女と比べて)の次女らしい。
そして、2億円を全部すぐに使ってしまう豪快さがまたしっかりさと反比例しててこれもまた
面白い。
まぁ、2億円が当たる確率は限りなくゼロに近いわけやけど、家族みんながそれぞれに
「夢を見るという行為」を続けるなら、それだけで、2億円以上の価値があるような気が
するなぁ。
ちょっと前から考えてはいたんやけど、12/14に書いたYAIRIのギターにピックアップを
つけることにした。
ギターを知らない人のために一応ピックアップというのを説明しておくと、これは簡単に
言うとスピーカーから音を出すために使う「マイク」みたいなもの。本来ならギターの前
にボーカルマイクのようなものを立てて音を拾えばそれが一番ええんやけど、その方法
だと弾き手がちょっと動いただけでマイクとの距離が変化して音が入らなかったり、ハウ
リング(キーンというような共鳴音)を起こしたり、と、音はいいけど結構問題が多いの
で、それを解決するためにギターに仕込む小型マイクをピックアップと呼ぶ。このピック
アップにも様々な種類があるんやけど、とりあえずそこまではええとして。
今回、何を買うかさんざん悩んだ挙句、購入したのは「LR BAGGS/M1」というもの。
後輩の音響屋さんに教えてもらったプロの音楽関係の人がよく利用しているという、
SOUND HOUSEというインターネットショップで16,500で購入。なんとそこらの楽器店より
9000円近くも安い。そのかわり直輸入やから説明書から何から全部英語で、理解
するのにちょっと苦労するけど。
で、昨日、早速取り付けて弾いてみた、その感想。
「うーん、ボチボチ」
低音には結構満足するところがあるけど、7フレットから10フレットくらいまでのの1、2
弦の音がちょっとエレキっぽい音がする。12フレットを超えたあたりからはまたよくなるん
やけど。弦の問題もあるかもしれんし、まあ全体的にはええ感じやけどね。
ピックアップには高いものでは18万円ほどするものから、下は3000円までピンキリある
ので、価格、音、取り付けやすさ等を総合した購入基準と、限られた機種しか試奏
できなかった非購入基準(リスク)の両方を合わせて判断した結果、このくらいの値
段ならもしダメでも諦めがつくやろうというのがこのピックアップやったので、予想通りと
いえば予想通りやったけど、6万円のギターが数十万クラスのギターに化けるかも、と
えらく期待していたことも事実で、そういう面ではあつかましい期待外れでもあった。
ただ、ギターの「いい音」というのは好みや演奏ジャンルの問題で個々に判断が違う
わけで、客観的に何をもっていい音というのか、というのは難しいところ。だから結局
ギターが好きな人はさまざまな種類・メーカーのギターを持つようになるんやね。
そういう意味ではまぁ、また音の違うギターが一台増えたというのは、うれしいことや
ねんけど。
いづれにしても、年末に1万7千円程度で夢をみようと考えたのはちょいと甘かった。
来年も新しいギターが欲しいと夢は続きそうであります。
こないだの日曜日、さんまのからくりテレビを見てたら、ギター少年竜之介があの
Charに作曲を依頼してるシーンがあった。
そのシーンに関してさんまが子供やないと頼めんよなぁ、とか言うて笑てたんやけど、
その後のゲストのYOUのコメントがとても良かった。そのコメントは、
「Charさんは喜んでると思いますよ。だってギターヒーローっていうのは布袋さん以
来まったくいないから彼はこういう子を待っていたんだと思います」というもの。
芸能人にあまり興味のない俺やけど、その少ない知ってる芸能人の中でもYOU
は俺のとても好きな人で、その笑いのセンスにはいつも感心してたし、アイドルっぽ
いのに芸人に徹してるところがとてもいいな、と思ってた。それが、このコメントでます
ます好きになったね。いいとこ見てるなぁ、と。
確かにCharのしぐさも仕事で子供の相手をしている、という感じやなくて、真剣に
向き合ってる気がしたし、子供相手に丁寧に指導もしてた。何より一緒に楽しん
でたもんな。
このあたり、ちょっと話が横にずれるけど、Charといいさんまといい、子供相手でも
決して手を抜くことなく、そこに音楽や笑いを求めてるところはすごいね。一流とは
そういうもんなんやろね。
で、YOUのコメントに話を戻すと、そう言われればその通りで、俺はCharはもちろ
ん、布袋も大好きなので、日本にも素晴らしいギタリストがいるがな、とは思ってい
たけど、“ギターヒーロー”というジャンルの人だとは考えたことがなかったので、YOU
のコメントで改めて彼らはヒーローであり、その後のヒーローはいないことに気づいた。
そして彼らが自分たちに続く人を待ち望んでいるであろうことも。
彼らはただ、ミュージシャンに徹していたから、ただものではないミュージシャンになり
ヒーローになった。お笑い芸人であれサラリーマンであれその理屈は同じことやと思う。
ただのちょっとしたファンでいたYOUはただものではなかった。
ご存知のようにアメリカは訴訟社会。
バナナの皮を踏んで転んだといっては訴訟、マクドのハンバーガーを食べて太ったと
言っては訴訟、ちょっと例えが違うけど、雰囲気で言うと、ゆりかごから墓場までとに
かく訴訟。
こんな文化は俺たち日本人にはとても理解できんとこやねんけど、でもこないだふと、
ちょっと待てよ?と思った。よく考えると訴訟というのはつまり「客観的判断を仰ぐ」と
いうことであって、自分の考え方が世の中で通用するのかしないのかを確かめるとい
う行為やんか、と。
自分ひとりではいくら相手のことや環境を考えても自己中心的になるのは当然やし
相手がある以上収まりがつかないということはよくある話。なら、他人に判断してもら
おうという理屈は極めて論理的で、とかく、個人主義と言われるアメリカやけど、個
人主義であるからこそ、その弊害を埋めるシステムとして訴訟というツールをうまく使っ
てる、という気がするな。
一回ちょっとした訴訟をしてみる、されてみる、なんてのも悪くないような気がするな。
犬も食わない話でも、むしゃむしゃ食べる人だっておるんやろしねぇ。
今週は金・土と連チャンで朝方まで起きてた。
金曜日は、東京にいるバンドメンバーが帰ってきて久しぶりのバンド全員勢ぞろい。
俺は、先に飲んでいた皆に遅れて10時30頃から加わり、いつもの店で深夜まで
唄三昧。
土曜日は朝の10時から2回目のレコーディング。夕方から別の友達家族が加わっ
て8人で忘年会。忘年会が終わってから編集をしてそれが済んだのが深夜2時過
ぎ。
ということで、日曜でも大体8時までには起きてる俺が、今日は10時過ぎまで寝て
しまい、とにかく休みの日に寝てるほどもったいないことはないと思うので、朝、目が
覚めたらまず「しもた!」と思ってしまった。
で、朝飯を食べ、昨日の残りのかたずけ等をして今お昼の12時半すぎ、もう昼飯
の時間。今日もあと残すところ12時間を切ってる。
うーん、しもたと思ってる時間がもったいないな。しもたと思ったことがしもた。
愛用のギターの1本にYAIRI(ヤイリ、矢入)というメーカーのアコースティックギターが
ある。これは高校2年か3年の頃にアルバイトをして買ったもの。価格は当時6万円
やった。
その頃からYAIRIといえば国産のギターメーカーとしては有名で、ギターを弾く人なら
誰でも知ってたんやけど、ここの社長で職人でもある矢入一男さんがこないだ現代の
名工の一人に選ばれて、一躍その名は一般にまで広がった。
もちろん、俺の持っているギターもいい音がしたし、値段もなんとか手の届く範囲やっ
たので手に入れた訳やけど、それから30数年、このギターがますますいい音を出すよ
うになってきた。
ギターというのは弾きこめば弾き込むほどいい音がするようになる、というのは常識。
YAIRIではギターが完成してユーザーに渡す前に大音量の音楽をギターに“聞かせ”
て、音に馴染ませてから出荷するという。こうしないといくらいい素材でギターを作って
もいい音はでないということ。ただ、それはあくまでの「出荷標準」であって、それ以上
の音はユーザーが弾き込むことでその潜在能力を引き出して、手に入れるわけや。
そういうことでいくと、いつも手の届くところにおいて、ヒマさえあればつまびいてきた歴
史の積み重ねが今の俺のギターの音を作り出したといえる訳やけど、30年以上経
っても、弦を張り放しやのにネックが曲がることもなく、他にも何の不具合もないギタ
ーのほうがやはりすごい。しかも何十万とするギターならまだしも、6万円というアコギ
にしては安い部類に入るギターやのに。さすがに現代の名工に選ばれた矢入さん
製作のギターだけのことはある。
日本には名工という素晴らしい表現があり、それを体現する人が数多くいる。パソ
コンをいじって金儲けを考えることが悪いことやとは思わないけど、やはり日本人は
「ものづくり」をしているのが一番似合うような気がするなあ。
12月1日と4日で書いた心霊現象については、大変お騒がせ?しましたが、本日、
プロのカメラマンにその写真を見てもらい、その回答をいただきました。それでは発表
しまーす!
カメラマンいわく、
「シャッター、6秒間開いてるよ。シャッター切れ終わるまでに動いてるから背景が映っ
てるねん」ですと。このあたりデジカメなので詳細な撮影データが全部記録されている
らしく、それを見たらすぐに分かったとのこと。
まぁ、予想していた通り、思ってたよりもシャッタースピードが遅かっただけということやっ
た訳やけど、それでもまだ分からんのが何故俺が一番透けてて、嫁はほんの少し、
娘にいたっては全く透けていないという差ができたのか?ということ。
それも聞いてみたら、誰よりも皆に動くなよと言うてた俺が、一番初めにカメラの方向
へ動き出してるらしい。確かに、3人一緒に写すために3脚にカメラを立てて、俺がリ
モコンでシャッターを切った訳やけど、3人の中でカメラの方に戻る必要があるのは俺
だけで、つまり最初に動く可能性があるのは俺ということになる。
よーく見るとその俺の動きの痕跡があるみたいで、このあたりのプロの眼はさすがにすご
いよな。
じゃあ、次に何で嫁が透けたのか?これは至極単純、俺よりは早く動いていなかった
ものの、娘よりは早く動いていた、ということみたいや。つまり3人の中では娘が一番、
指示通りじっとしていて、親達は我慢が足らんかった、ということ。
結果としてこの写真はやはり心霊現象なんて非科学的なものじゃなく、明らかに物
理的に証明できる撮影状況がもたらした、ただの「変な写真」。どうせ世に出回って
いる心霊写真なんてのもこのたぐいに違いないわけで。
科学で証明できないものは99.9%信じない俺としては、まぁ当然の答えではあった
けれど、“面白味”という点ではつまらないことになってしまったこの騒動?なんか面白
いオチはないものかと考えていたら、ひとつ発見した。
確かに娘はほんとにおっとりしているし、親たちはせっかちまではいかないものの、バタ
バタしている。写真にそういうことが映っていたのは、写真の魅力というものを最もよく
表現していると思う。
「目に見えないものが写る」ということを心霊写真というのなら、今回の写真は心霊
写真だと言われても納得やけどね。
途中からカメラマンの車に乗り換えて後は爆睡してたんやけど、その前に、
変なことに気がついた。
それは、車のラジオから流れてきた、何十年ぶりかに聞いたたラジオ体操の
歌のこと。そう、例の♪新しい朝が来た、希望の朝が~♪という歌い出しの。
で、この歌の何に気がついたかというと、この歌を聞くとものすごい疲れると
いうこと。まずこの歌い出しで嫌になるよなぁ。朝が来て希望が見えるんなら
誰も苦労なんかせえへんがな。ただでさえ眠いのに、よけいに疲れて眠くなっ
てしまうような歌い出しや。
まぁ、♪喜びに~♪あたりからはしまいに腹が立ってくるので目が覚めて、お
かげで自分の心の不健康さに気がつくんやけど、ラジオ体操の歌ってそうい
う意図で作られた訳やないやろからね、ちょっと時代遅れの歌詞やないのか
なぁ。
今日は結局早起きしたからといって、何も得もせずただ眠くて疲れただけ。
ラジオ体操の歌も諺も憲法も見直しの時期でござりましょう。
来年の話をすると鬼が笑うという。
何故鬼が笑うというかについては色々な言い伝えがあるようなので、ここでは省いて、
とりあえず来年の話をひとつ。
2~3ヶ月前から左ひじが痛くて、1ヶ月ほど前に近くの整形外科2件で見てもらって
レントゲンを撮ってもらったりしたんやけど、特に異常はなさそうとのことやったので、ず
っと放ってたら、最近それがどんどんひどくなってきた。
ひどい時には痛くて夜中に目が覚めることもあるので、大抵なことに無頓着な俺もち
ょっと気になって、今日は近くの大学病院で診察してもらった。
結果はレントゲンではやはり異常は見られないけど、ひじの精密検査をする必要が
あるのでMRI検査をしましょう、とのこと。ついてはMRIの予約をとって、その結果を
みて再度診察することにします、という話やった。
で、MRIの予約を取りにいったら、検査予約が一杯で最短でも来年の1月5日以
降になります。とのこと。仕方がないので正月明け早々病院なんてハメになるけど、
その日の予約をとって帰ってきた。
まぁ、それだけ後になるということは病状に緊急性がないということやから、逆に安心
な面もあるんやけど、そないに“流行”の検査なのならどうしてもっとその機械を導入
せえへんねやろね。当然莫大な費用がかかるんやろし、巨大なシステムやから、ス
ペースの問題も、安全の問題ももちろんあるんやろうけど、まさに“行列”ができる店
状態なんやから、すぐ元を取れるんちゃうんかなぁ。「MRIが待たずに撮れる病院」
なんてコピー付けといたらなんぼでも“客”が来そうな気がするもんね。
まぁ、そのことは俺がとやかく言うても始まらん。とにもかくにも言いたいのは、ひじに
ついては、鬼が笑ってくれるような話やったらそれでええやん、ということなので。
ちょっと前、ネット環境をEO光に変える、という話を書きました。
それは、内容もさることながら、工期が申し込みから1ヶ月とこのテの工期に
してはかなり早かったことも申し込んだ理由のひとつやった訳なんやけど。
ところが、もうそろそろ3週間が経つのに宅内調査が済んだだけで、工期に
関してはまったく何の音沙汰もない。で、EOに電話してみたら、条件によ
っては1ヶ月とお伝えしてましても2ヶ月になることもございまして・・・だのな
んだという。
ここで今までの俺ならプッツンときて、責任者出させてぼろくそに言うとこや
ねんけど、なんやもうさすがにこのテのやり方には疲れてしもて、「あのー、
工期が1ヶ月やっていうから申し込んだ訳でね、ちょっと話が違うんじゃなー
い?」みたいなことをやんわりと言ってもうやめにした。
今のフレッツに申し込んだ時もそうやった。もっともフレッツはもっとひどくて、
3ヶ月だのいつになるか分からんだの言うたので、こっちは相手が約束を守
るというまで、とことん文句いうたけど、EOも結局の所は大して変わらん。
それはどこもそうやけど、業務が細分化されていて、実務は全て下請け会
社がするのに、横の連携がまったく取れていないということが大きな原因。
ほんで、その連携がまったく取れていないという現象の裏には意外と携帯
電話の普及というのが大きな要因としてあるような気がするねんな。
自分達もそうやけど、今仕事でも遊びでも約束っていうのはかなりアバウト
になってきてると思うねん。特に待ち合わせ場所なんかでいうと、大体この
あたりであとは電話で、みたいなことがとても多いと思う。
携帯のない頃にはそんなええかげんな約束なんて考えられなかった。場所
間違えたら、下手すると会えないなんてこともあった訳でね。
なんか今のネット環境の工事に関しても、こういう「なんとかなるさ感」が蔓
延してるような気がするねんな。つまり受注さえ取ればあとはなんとかなる、
みたいなね。だって今光ケーブルを引けるのは大きくは関西電力とNTTだ
けなわけで、客は逃げようにも逃げられんねんから。
だから今回のEOの件では、もちろん納得はしてないけど、約束をちゃんと
守れと言っている自分が間違っているんやと思うようにしてる。でないとホン
マに文句ばっかり言うてなあかんことになるもん。
ということで今回は、EOの言う、来週の水曜日までに連絡します。(なん
で水曜日までかかるのかもあきれる話でしょ)という条件で納得した。
当然、その返事は“携帯”にしてもらうんやけど。
俺はとにかく怪我の多い人や(った)。
中学生の頃からよう怪我をするようになって、社会人になってからもしばらく
はそれが続いていた。ずっと運動系のクラブ活動をしてたせいもあるけど、怪
我は決まって骨折か強度のねんざ、もしくは強度の打撲のどれかやったな。
そういう大きな怪我の延べ回数だけでも、50回は超えてると思うし、その内
骨折で2回手術をして入院し、頭部打撲でも2回入院してるというスーパー
怪我人。もちろん、その頭部打撲は今の冴えない頭脳や薄い毛髪と無縁
ではない訳で。
最近やっと怪我もしなくなってきたんやけど、武士の一分という映画の宣伝
を見て、俺の怪我の多さに関するエピソードをひとつ思い出したので今日は
それを書くことにします。
俺の何代か前のおじいさんは、高槻城で殿様の横で刀を持って座ってる人
やったらしく、それは専門用語で「○○持ち」というらしいんやけど、名称は
忘れた。たぶん○○はお金でもなければ大福でもないのは確かやろうけど。
まぁとにかく、そんな仕事の方やったので一応身分は武士であり、仕事柄、
人を何人も切ってきたみたいやね。
で、この話がなんで俺の怪我の多さに関係あるのかと言うと、おふくろが、
あんたが怪我が多いのは、その武士の先祖の「ばち」が当たってるからや、
なんてことを言うから。
俺にしてみりゃあ、なんで俺なん?そんなアホな、ちゅう話やねんけど、人一
倍先祖を敬っているおふくろにしてみると、俺みたいなバカ息子は、偉大な
先祖のばちを代わりに受けるくらいがちょうどええと思ってるんやろね。まぁ悔
しいかな、分かるような気もするし。
それは、子供が生まれてからも、たとえばガラスの破片を踏んづけたりとか、
7/23の「蛍」で書いたように、何メートルか下に落下したりという怪我が
あったけど、それは全部子供が側にいて、俺が怪我をしなければきっと子
供が怪我をしてたというものやったから。
先祖はダメ子孫の俺やその子供達を守るために、俺にばちを与えてくれて
いるというふうに捕らえれば納得はできんけど分かるということ。
まぁ、正月も近いことやし、とりあえずご先祖には逆らず、そういうことにしとこ。
ちなみに今もたまに怪我をする。でも種類は昔とは違って、ほとんどが火遊
びによる“やけど”。
俺も一応は武士の末裔やのに、この性の悪さ。そら先祖も「ばち」くらい与
えたくなるわなぁ。
亡くなった尾崎豊の曲に「BOW」というのがあって、その詩の一部に、
「鉄を食え飢えた狼よ、決してブタには食いつくな」というくだりがある。
俺は数ある尾崎の名曲の中でもこの詩のこの部分が一番好きや。
ブタ=「世の中のモラル」、狼=「自由な人間」、鉄=「社会の虚像」
のメタファーで、誰もがやすやすと食べられるブタを食べて、ちっぽけな
自由を手に入れ、本当の自由を失っていく。本来人間はもっと自由で
あるべきで、それを手に入れるためには、社会の虚像と戦い、人間とし
てのプライドを守らなければいけない、と尾崎は言っているように思う。
そういえば、以前勤めていた会社で初めて社会人になってしばらくは
俺もずっとこうやったような気がするな。自分が正しいと思ったことは絶
対に押し通したし、意見の合わない上司にはたてついてばかりいた。
仕事さえすれば文句ないんやろという態度で、うぬぼれも強かったな。
一番ひどいうぬぼれはこういうのがあった。
あまりに上司のいうことが納得できなかったので俺はその上司をバカ呼
ばわりしまった。しかもそれは上司といえば上司やけど、会社の専務。
そのあと、直属の上司を通じて、専務が本社までくるようにとおっしゃら
れてるから行くようにという指示を受けたんやけど、その時の俺ときたら、
やっと専務も俺の言うことを理解して、こないだはよく意見してくれたと
褒めてやろうというつもりやな、と思ってて、本社に意気揚々とでかけ
ていった。その時、専務に「誰に物を言ってるんだお前は!!」と言わ
れて始めて、あれ、この人怒るために俺を呼んだんかいって、気がつい
たくらい。
それでも、正しいことを言った俺には何の落ち度もないと思ってたから、
まったく謝りなんかしなかったしね。
まぁ、でもその後あまりの態度のデカさに進退伺いをつきつけられてね、
子供もいたし、家族を守る責任もあったから、色々な人に相談して
結局その専務に頭を下げて謝った。俺、悔し涙を流したのはその時
が初めてやったわ。
結局それからも十年近くその会社でお世話になったんやけど、その専
務は俺の在職中に定年を迎えられて、先に会社を去って行かれたな。
でも仕事を変わり、年を重ねて日本の社会の仕組みを知れば知るほ
ど、ようそんな無茶してたなぁと思うようになってくる。もちろんその時の
ことを後悔なんかしてないけど、やっぱり若気の至りやったなぁとは思う。
それでもやっぱり今でも俺の心の片隅にはBOWがあり、それを貫き
通した尾崎を尊敬してる。だからとことん不自由を感じたら俺はやっ
ぱり鉄を食うつもりや。
そう、ブタなんか食べてたまるか。だってダイエット中なんだもん。