僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

変わらなくても、変わっちゃいけない

2013-07-24 | Weblog
「投票もせずに政治に何かを求めるのは間違っている」ことは重々分かっている。

でも、大志を抱き、理想を掲げ政治家を目指して当選したほとんどの人は、いつの間にか「正しいことより、生きること」を選ばざるを得なくなり、選挙公約などどこふく風で、ただただ登庁するだけのまさしく「公務員」になってしまう。

それでも一票を投じなければ「絶対に」何も変わらないから、暑さが大の苦手な私でも投票に行く。
いくら変わらない政治が続いても、選挙に行く、という姿勢は絶対に変えちゃいけない。

「衆参のねじれ」が解消され、良くも悪くも何かが決まるだろう。

まだ幼い孫たちにも選挙へ行くことの大切さは教えておきたい。
次の選挙には、いくら暑くても、孫を抱いていき、「投票とは暑くても我慢してこないといけないくらい大切なことなんだよ」と言えるくらい、政治が躍動することを祈るのみである。

精神分析の価値

2013-07-18 | Weblog
「宅間守精神鑑定書」という本を読んだ。

あれだけの犯罪を犯した彼は、やはり幼少時からやはり特異な人格を持っていた。それに加えてやはり家族にもかなりの問題があったようである。
これに関しては、一概には言えないが、かなり高い確率で、「両親にちゃんと愛情を注いでもらっていない人がみんな犯罪者になるかというと、そうではないが、犯罪者のほとんどはきちんと両親に愛情を注いでもらっていない」とは言えるように思う。

精神分析は、分析というくらいで、当然結果からの逆算だ。
でも、人の“精神状態の結果”というのは、数学と違って、そこに至るまでの行程が同じであっても、必ず同じ結果になるとは限らない。つまり、人によって分析された性格がこうであるから、この人は必ず人殺しをする人になる、とは言えない。この人はちょっとアブナそうだから、なんらかの対策をしましょう、なんてことは倫理的に許されないし、無意味なのである。
加えて、人間であり感情を持っている以上、誰にも宅間が持っているような一面があるわけで、凶悪な犯罪者になるか否かは、結局、これ以上のことは絶対にしてはいけない、という「最後の砦」となる理性があるかないかだけの差で決まると言っても過言ではない。

では、その最後の砦を作るにはどうするのか?「このような精神状態の子供はこのように育てれば健全に育つ」なんて公式はないし、あっても公式通り答えがでないわけだから、残されたものはもうたったひとつ、「信念」しかないのではないだろうか。

時には跳ねのけ、時には背中を押し、叱り、褒め、人生で使う愛情のほとんどを子供に注ぎ込んだ時にだけ、子供は自分の「砦」を作ることができる。

子供の手が離れた今、自分自身が子供に果たして十分な愛情を注いでやれたのか、と考えたら、私ももう、精神がまいってしまいそうになってしまうのである。