僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

いろんな眼

2011-09-30 | Weblog
養老孟司さんと宮崎駿さんの対談、「虫眼とアニ眼」を読んだ。

養老:毎日手入れして育てても、結局は子供がどうなるかなんてわかるわけないんです。それを忘れちゃって、さも一定の手続きを踏めば、こういう子供になるみたいなことばかり言われすぎちゃっている。そんな中で育てられたら子供だってたまりませんよ。人間の周囲から自然を消しちゃうとそんなことすら分からなくなってくるんだ。

宮崎:本当にその通りですね。先はどうなるかわからない。それこそが生きているってことですね。まあ、人生そう大したことは起こらないって決めて生きれば、ずいぶん気が楽ですよ。それでも生きるに値することってあるんです。ワクワクすることも出てくる。そんなに先のことが見えないと生きられないのか問いたいですね。これまでだって先なんか見えてた例(ため)しないじゃない。

養老:「お先真っ暗」でいいじゃないですか。だからこの世は面白いんですよ。

さすが、「近眼」には見えない世界でありました。

温存

2011-09-28 | Weblog
ラグビーワールドカップに出場していた日本代表。
2勝を目標に挑んだ大会だったが、結果は1分3敗に終わってしまった。
監督・選手・関係者の方はもちろん落胆されているだろうが、あらゆるスポーツの中でラグビーを一番愛している私にとっても非常に残念な結果だった。

ラグビー好きで知られる写真家の浅井慎平さんはテレビでこう言っている。
「今回の大会は勝ち試合と負け試合を完全に分けて臨んだ。負け試合であるニュージーランド戦では主力を温存し、次戦の勝ち試合と位置づけたトンガ戦に万全のメンバーで臨む、というような作戦だったが、結果、勝ち試合にも負けてしまった。日本人にはこのような作戦は合わない。どんな相手であれ全力で勝ちに行く、というのが日本のスタイルであるべきだし、そうしないことには、未来永劫、絶対世界で勝てない」と。

私も全く同感である。

数年前、社会人ラグビーをしている友人から聞いた。
「チームでフランス遠征に行ったが、相手はグランドにも来てくれなかった。完全になめられていた」

試合を『温存』されるような状況では、温存作戦はまだ100年早いのかも知れない。

正直者

2011-09-26 | Weblog
いつも可愛がっていただいているバンド(S・P)が、結成10周年を迎えて、この10月にパーティーを催す。
大変光栄なことに、その記念パーティーにウチのバンドがゲストとして招かれることになった。
もちろん喜んでお引き受けした訳だが、その背景にはちょっとしたオチがあり、思わず笑ってしまったので、その話をご紹介しようと思う。

パーティーは5時間。出演が決まっているのは主宰バンドのSPとウチだけ、という状況下。
S・Pの中心メンバーであるNさんが、「もう1バンド欲しいとこやけど、どこ呼ぼうかなぁ」、と、おっしゃっていたので、私は「最近素晴らしいJAGバンドに知り合ったので、よかったらその人たちに出演交渉してみましょうか?間違いなく盛り上げてくれますよ。演奏はYOUTUBEで見れますので、一度確認してみてください」と伝えた。

数日後、きた返事はこうだった。
「確かに素晴らしいバンドやねぇ。でも、すごすぎて俺たちのバンド食われてしまうし、今回はやめとくわ」

「分かりました」と返事してから数秒してふと気がついたこと。
「ウチのバンドには食われる心配がない」ってことなのね(笑)。

S・Pの皆さまへ。
そんな調子でいつまでも可愛がってください。私はいつも正直で楽しいNさんをはじめ、S・Pの皆さんが大好きです。

夏の終わりに思う

2011-09-21 | Weblog
ようやく夏が終わろうとしている。
真っ黒に日焼けした孫たちを見ていると、夏を満喫したんだなぁ、と微笑ましく思う。

ところがウチの場合、真っ黒に日焼けしているのは孫たちだけではない。その孫たちの親である私の娘も同様なのである。
炎天下、自転車の前と後に子供を乗せ、毎日公園やプールへ連れていくから当然と言えば当然だが、あまり当然じゃないのは、ウチの娘は11月に3人目の子供を生む予定の妊婦さんであること。
同じ条件の人は安静にしてることが多いのに、日焼けで背中の皮がむけている妊婦さんなんてみたことがない。

おまけに、日焼けもそうだが、彼女は他にも、とても妊婦とは思えない行動をしている。
山のように買い物をして自転車のあちこちにぶら下げて帰ってくる。いきつけのお寿司屋のおかみさんが、子供を片手に抱え、もう片手に買い物袋をいっぱい下げている娘を見て、しばらく見とれていた、というほどの力技だ。
そして、家に帰ってきたらその買い物袋と子供たちを抱えて階段を登る。休む間もなく晩御飯の支度を始め、朝は誰よりも早く起きて食事・洗濯・掃除をテキパキこなす。

そんな彼女に、次は待望の女の子が生まれる。彼女のDNAを受け継いだその子は、きっと母親に似てたくましく生きていくのだろう。

数十年後もきっと、私たちに家族には、真っ黒に日焼けした妊婦と子供たちがいる。
彼女達が笑って生きていける国であるように、微力ながらも社会貢献をしたいと思う今日頃であります。

フムフム

2011-09-09 | Weblog
再び、井上ひさしさんの日本語教室より、擬声語・擬態語について。

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小さな太鼓はトントントン、大きな太鼓はドンドンドン。
大きな太鼓がトントントンだとふざけるなと言いたくなる。

「三味線をベンベン」だとプロが弾いているが、
「三味線をペンペン」だと角付けのイメージ。

コソコソ、ゴソゴソ。

(汗が)タラタラ、ダラダラ。ポタポタ、ボタボタ。

つまり、擬声語・擬態語は澄んだ音は優しく弱い音を模写していて、濁音になると力感が出てくる。
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フムフム、さすが井上ひさしさん、と感心しているが、確かにあまり感心してる感じがしませんね。

端数

2011-09-07 | Weblog
「まけてーや」
大阪人は、スーパーでの食材の買い物等、絶対に値引きしてくれないと分かっているところ以外では必ずこう言ってからお金を払う。
値切り方は人それぞれだと思うが、「端数を切っといて」というのが一番多いのではないだろうか。

さて、この端数、考え方が地方や人によって差があって面白い。
友人から聞いた話では、例えば36、750円の商品があったとすると、その場合の値切り額は、

関東の人は50円。
おとなしい大阪人だと750円。
普通の大阪人なら1,750円。
大阪のおばちゃんとなると6,750円。

大阪のおばちゃんはさすがやなぁ、と思って聞いていたら、やっぱり上には上がいるもので。
なんと、最強の大阪人と呼ばれる人は、最初の「3」を取って、6,750円にしてくれというらしいのだ!そしてこの場合は「750円の端数はしゃあないから払たる」と一言付け加えるのがマナーだとか。

思わず「どんなマナーやねん!」とツッコミたくなるが、“一番大きな桁でも端数”という発想ができることが、さすが大阪人というべきところで、他府県の人との大きな違いだろう。しかも、「ユーモアがマナー」になっているから、結局は笑い話で済んでしまう、というオチをちゃんと作っているし。

どこかでこのネタを使ってやろう、と考えながらサイフを見ていたら、今買い物できそうなのは左端が「3,000」の単位がせいぜい。3,890円の「「3」切っといてよ」って言ったら、下手すると真剣に言ってると思われてしまってユーモアにならない。

値切りのユーモアを使うためにもある程度のお金がいるなんて、なんだかなぁ・・・。

赤い靴(底)

2011-09-05 | Weblog
今朝、私の前を、赤い底の靴を履いた男性が歩いていた。
傘の下、歩くたび光る路面に交互に見える赤い色は、何かのシグナルのようで、まるで私に話しかけているようだった。
金子みすずさんならこの靴底の声をどんなふうに聞くのだろう、と考えながら歩いていたら、「結構(価格が)するんですよ」なんて声が聞こえてきた。
大阪人が詩人になるのはとっても難しい、と感じた朝のひとときでありました。