茶畑(ちゃばたけ)と田畑(たはた)という言葉。
同じ畑なのに、茶は濁って田は濁らないのは何故か、ということについて、故井上ひさしさんが著書の中で以下のように語っている。
茶畑の場合は「茶の畑」であって、畑が主、茶が副という主従関係が成り立ち、このような場合は濁る。
田畑は「田と畑」なので同等。主従関係が成り立たないのでこういう場合は濁らない。
なるほど、と納得したが、こと人名についてはこの理屈が成り立たない場合があることに気がついた。
たとえば、荒田(あらた)さん。これは荒れた田やから主従が成り立ち、濁るはずなのに濁らない。
また、木田(きだ)さん。これは「木と田」だから同等、だから濁らないはずなのに濁る。
この著書のタイトルは「日本語教室」。
教えるということは、疑問を抱かせるということだ。
氏は、教室という日本語の意味を教えるのに、わざとこのような疑問を残したのかも知れない。
同じ畑なのに、茶は濁って田は濁らないのは何故か、ということについて、故井上ひさしさんが著書の中で以下のように語っている。
茶畑の場合は「茶の畑」であって、畑が主、茶が副という主従関係が成り立ち、このような場合は濁る。
田畑は「田と畑」なので同等。主従関係が成り立たないのでこういう場合は濁らない。
なるほど、と納得したが、こと人名についてはこの理屈が成り立たない場合があることに気がついた。
たとえば、荒田(あらた)さん。これは荒れた田やから主従が成り立ち、濁るはずなのに濁らない。
また、木田(きだ)さん。これは「木と田」だから同等、だから濁らないはずなのに濁る。
この著書のタイトルは「日本語教室」。
教えるということは、疑問を抱かせるということだ。
氏は、教室という日本語の意味を教えるのに、わざとこのような疑問を残したのかも知れない。