場の盛り上がる音楽って何を連想します?ロックとか、ラテンとか、色々あるけど、大体がアップテンポでいわゆる「ノリ」のいい曲が思い浮かぶ人がほとんどやと思うんやけど。
昨晩、バンドメンバーと行きつけのお店でいつものようにギターを弾いて歌ってました。お店にいた人はおおよそが団塊の世代の人。その中の一人のお客さんが唄った曲がその日一番盛り上がった曲。それは、「神田川」
いわゆるフォーク世代なら知らない人はおらん名曲けど、内容はそれはもう暗い唄(笑)。でも、その曲が始まるとほぼ全員で大合唱がはじまり、なんかその雰囲気はもう「縦ノリ」。なんでこんな曲調の暗い唄でこんな盛り上がるのか、なんか不思議になった。
尊敬する松任谷由実さんがこう言うてた。「変わらないということは変わり続けることだ」
団塊の世代の皆さんはまぎれもなく日本を支えてこられた。その皆さんのほとんどが「働くことがアイデンティティー」やったと思う。でも、皆さんはそのアイデンティティーを貫くために、きっと変わり続けてきたのよ。
変わる時代に遅れまいとした人もいれば、時代を待たせてきた人もいたやろう。家族のために自分を犠牲にした人もいれば、出世だけに全てをかけた人もいたやろう。皆、激流に飲まれ流され、でも生きるためには自分の姿が何なのか分からなくくらい変わらざるを得なかったはずなんや。でも彼らはどんな姿になろうとも、決して「俺は俺」という姿勢だけは変えなかった。信じるものを変えたりしなかった。それがきっと「変わらない」ということなんやと考える余裕もなく、変わり続けて自分を貫き通してきたんや。
つまり、「時代が変わろうとも」神田川は変わらない、ではなく「変わり続けた人」には神田川は変わらない。
あの日の夜、あの店には、激動の時代に自分を貫き通した戦士達の「変わらない神田川」があった。それがあの、恐ろしくテンポが悪くて泥臭い、でも突上げてくるような迫力のある大合唱になったんやろね。俺みたいな若僧が偉そうに言えんけど、そんなことを考えるともう、なんとも偉大な先輩達に、ただただ頭が下がる思いがする。
この店に来る前の高級イタ飯屋さんで、食事をしながらさんざんエロ話に花を咲かせて、お店の人の顰蹙を買った俺たちやけど、最後には、大切なことを教えられた北新地の夜でございました。
昨晩、バンドメンバーと行きつけのお店でいつものようにギターを弾いて歌ってました。お店にいた人はおおよそが団塊の世代の人。その中の一人のお客さんが唄った曲がその日一番盛り上がった曲。それは、「神田川」
いわゆるフォーク世代なら知らない人はおらん名曲けど、内容はそれはもう暗い唄(笑)。でも、その曲が始まるとほぼ全員で大合唱がはじまり、なんかその雰囲気はもう「縦ノリ」。なんでこんな曲調の暗い唄でこんな盛り上がるのか、なんか不思議になった。
尊敬する松任谷由実さんがこう言うてた。「変わらないということは変わり続けることだ」
団塊の世代の皆さんはまぎれもなく日本を支えてこられた。その皆さんのほとんどが「働くことがアイデンティティー」やったと思う。でも、皆さんはそのアイデンティティーを貫くために、きっと変わり続けてきたのよ。
変わる時代に遅れまいとした人もいれば、時代を待たせてきた人もいたやろう。家族のために自分を犠牲にした人もいれば、出世だけに全てをかけた人もいたやろう。皆、激流に飲まれ流され、でも生きるためには自分の姿が何なのか分からなくくらい変わらざるを得なかったはずなんや。でも彼らはどんな姿になろうとも、決して「俺は俺」という姿勢だけは変えなかった。信じるものを変えたりしなかった。それがきっと「変わらない」ということなんやと考える余裕もなく、変わり続けて自分を貫き通してきたんや。
つまり、「時代が変わろうとも」神田川は変わらない、ではなく「変わり続けた人」には神田川は変わらない。
あの日の夜、あの店には、激動の時代に自分を貫き通した戦士達の「変わらない神田川」があった。それがあの、恐ろしくテンポが悪くて泥臭い、でも突上げてくるような迫力のある大合唱になったんやろね。俺みたいな若僧が偉そうに言えんけど、そんなことを考えるともう、なんとも偉大な先輩達に、ただただ頭が下がる思いがする。
この店に来る前の高級イタ飯屋さんで、食事をしながらさんざんエロ話に花を咲かせて、お店の人の顰蹙を買った俺たちやけど、最後には、大切なことを教えられた北新地の夜でございました。