僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ゾクッ

2015-07-29 | Weblog
素晴らしさを例える言葉は数多けれど、私にとっての最高の称賛の言葉は「ゾクッ」である。
ゾクッとする表情、ゾクッとするギタープレイ、ゾクッとする歌声、ゾクッとする試合・・・ゾクッは魂のGスポットが刺激された時にしか出ない恍惚の声である。
おまけに、ゾクッには背中の寒気もついてくる。
猛暑をこれで乗り切れたら文句ないね。

60歳を前に自分新発見

2015-07-27 | Weblog
孟子はこう言った。
「為さざるあり、しかる後、以て為すあるべし」
「自分はこれこれこういうことは絶対にしない、という自制心があってこそ、初めて本当に自分のなすべきことが見えてくる」という意味である。

57年間、私はそうしてきたつもりだった。冗談めいたことは別にして、人の悪口は言ってこなかった。武士は食わねど高楊枝、男はやせ我慢だと突っ張ってきた。自制心を持っているつもり―だった。けれどそれは違っていた。この間、しょせん私は「やせ我慢できる程度のこと」にしか遭遇してこなかっただけだったのである。

ちょっとブログには書けないが、最近、自分自身初めて経験する精神的な苦痛に襲われた。結果、私は、矜持をなくし、常識をなくし、例えはまずいが、犯罪を起こす人の気持ちが痛いほど分かるようになるまで自分を抑制できなくなっていた。人の悪口をいい、我慢などまるでできず、男などと呼べる部分はどこかに捨て去り、女々しく、口だけは一人前の最低な人間になっていた。

私は酒が飲めない。宗教を信じている訳でもない。が、一人酒を飲みに行って飲めない酒を一気飲みした。何度も教会に駆け込もうかと思った。酒も宗教もダメなことを恨みさえした。それでもなんとか首の皮一枚残った「やせ我慢」がかろうじてギリギリのところでそれを抑えていた。

あまりの辛さにフラフラになりながらも、今はやっとの思いで、一旦、不安定な精神状態を脱することができたが、それはやはり「生涯の友二人※」の力なくしてはあり得なかった。※7/15ブログ「生涯の友二人」参照

道を示し、方向を示し、叱り、本来(という言葉が適切かどうかは難しいが)の私の姿を示し、自分の経験を語り、女々しい私を肯定し、いつも離れずにいて、見守っていてくれた。最後は自分自身の力で解決するしかない、という当たり前のことをあえて口にせず、とにかく私を信じて側にいてくれた。

私はとにかく自分中心でしか物事を考えない人間である。それは、他人のことは絶対に分からないからだし、自分を見つめることなくして人を見つめることなどできないからである。しかし、今回、「自分自身を見つめられないところまで追い込まれる」ということを経験して、自分自身に分からない部分を見てくれる人の大切さを痛感した。人は一人では生きていけないことを痛感した。自分中心の考え方が間違っているとは思わないが、人が私を見てくれていることをありがたさを知らずにいては絶対にいけないと思った。

こんな私が、二人の友の相談に乗ったこともあることを思い出すと、申し訳ないやら恥ずかしいやらで赤面してしまうが、二人の友にも、自身で分からない部分があり、それを見つけられるのは、私しかいないのかも知れない、と思うと、なんとか申し訳が立つ。

友たちよ、あなた達が私にしてくれたように、私も同じように生涯離れずあなた達の側にいます。
60歳を前に、お互い、知らなかった自分を教え合えるなんてことができたら、最高に素敵だね。




引っ越しの副産物

2015-07-23 | Weblog
友人夫妻が引っ越しをして、昨日、その新居の片付けを手伝ってきた。
その際に、友人の奥さんから想像もしない評価をもらった。それは「片付け上手」という称号?である。自分では片付けが上手なんて考えもしなかっただけに、これはとても意外だった。そう言われてもピンとこないが、せっかくそう言ってもらったので、理由を考えてみることに。概ね以下のようなことやないのかな。

1.「じっとしていられない」から。
考えるより先に動いてしまう性格なので、してからよく考えたらよかったと思うことも多いが、引っ越しの荷物を新たに配置するような、「本人たちもどこに何をどう収納したらいいのか分からない」ようなシチュエーション下では、とにかく考えるより、手を動かしモノを動したほうが結果が出やすかったから、というのはあるかもね。

2.「(思考の)スタート位置をすぐ決める」から。
友人の奥さんは、最初のベッドやタンスの配置がピンとこないと悩んでいた。で、奥さんの希望通りにタンスとベッドを入れ替えたのだが何かスッキリしない。結果的には元の位置に戻すことになった。実は、私は最初に配置してあったタンスの位置は動かしようがないと思っていた。それは、前方の空間、上部の空間がまさしく「それ用」のようにぴったり収まっていて、全くムダがなかったからだ。奥さんは寝る時にスッキリしないのが気になって、タンスとベッドを入れ替えようとしたみたいだが、私なら、全くタンスを動かすことを考えずに違う方法を取っていたと思う。とにかく、これしかない、と思ったらすぐにそれを決定する、ということも片付けには、いい方向に働いたのかも知れない。

ということで、「たまたま私の性格が友人夫妻の引っ越しの片付け体系に合っていた」というだけのことで、とても片付け上手とは言えないとは思うが、そんなことより強く思ったのは、大変な作業がまだまだ残っている中、そんなことには全く囚われずに、とにかく一度入れ替えてみようとした奥さんの感性の豊かさである。片付け上手なんかより、囚われないことのほうがよっぽど大切だから。

引っ越しの片付けを手伝っただけで、褒めてもらい、豊かな感性に触れさせてももらえるとはなんとありがたい。
どうか次もまた、よく理解できない配置換えや片付けを依頼して欲しいものである。


生涯の友二人

2015-07-15 | Weblog
私には心から愛する友が二人いる。どんなことがあっても生涯この人たちと離れることはないだろうという友だ。
昨日のブログ「人生の1センチ」についても、私の二人の友は、それぞれ違う立場・観点から助けてくれた。その友が私を助けてくれた言葉のひとつに、

「根性で口数減らして悪口言おう」という言葉がある。

私はつい自分が嫌いな人の悪口をその嫌いな人と付き合いのある人に言ってしまった。それも人格を否定するような結構度が過ぎたことを。そんなつもりはなかったが、私の表現手法としてコントラストをはっきりさせるということがあるので、結果的には相手に人格まで否定してしまったように解釈された。言ってはいけないと分かっていたし、今までの57年間、そんなことはしたことがなかったのに、色々と悩みがあり、精神が不安定になっていたことで、抑えが効かなくなっていたのだと思う。
友にはこの話のまま相談した。言葉が戻る訳ではなく、友としても相談されても困る話だったろうが、それに対して答えてくれた言葉がこれである。
やや精神的に安定を取り戻しつつ私は、もう二度とそのような悪口は言うまい、と誓っていたのだが、「口数減らして悪口言おう」にはハッとさせられた。私は嫌いなものは嫌いである。これは直しようがない。そんな私が“絶対に”悪口を言わないと誓うと、それがまたストレスになり、私の精神状態が不安定になると思ってのアドバイスだろう。でもやはり度が過ぎてはいけない。言いたいところはグッと堪えながらちょっとだけは言うてもええんとちゃう、ということだが、それをするには、確かに「根性」以外何もない。さすがは尊敬する友である。言ってくれることが簡潔でしかも深い。

最近「根性」はあまり聞かない言葉である。がやはり何かを乗り越えていくには根性しかないこともたくさんある。
好きなことは、少々のことがあってもやり通すが、それ以外のことを、グッと堪えて、物事をあくまでやりとおす、という根性は私に欠けているもののひとつだ。

だからとにかく、一日一度はグッと堪えてみようと思う。次に友の助けを借りる時も、一度は堪えてからにしようと思う。
ただ、二人の友を愛し続けることには何があっても堪えないけれど。

人生の1センチ

2015-07-14 | Weblog
ラグビーをしている頃、先輩に厳しく教えられた。

「たとえ1センチでもいい、縦に前に進め」と。

これは特に、走力のある選手が横に走って相手を振り切ろうとすることに対する苦言である。横に走ってもボールは1センチも前に進まない。私は、走力に自信があった訳ではないが、つい、同じようにしてしまった時に厳しく叱られた。

人生も同じである。逃げていては1センチも前に進まない。
しかし、自分ではっきりと認識できることや理屈で分かることにはなんとか向かっていけても、説明のつかない不安や苦しさにはどう立ち向かったらいいのか分からないこともある。つまり、どちらが縦(前)か分からないのである。1センチが、方向が分からなくなると100メートルにも1キロメートルにも感じられる。

そんな時、一番頼りになるのは、やはり私をよく知っていてくれていて、尚且つ心から信頼できる友である。友は「君が向く方向はこっちなんだ」と教えてくれる。闇の中、方向が分からなくなった私に方向を示してくれる。そして、その後、方向を確かめて歩き出した私を、それでいいんだよ、と後押ししてくれる。

最近、私は信頼する友に、人間としての生き方の危機を助けてもらった。それは、ある意味人生の危機でもあった。

助けてもらってから思うと、たかが1センチのことだったのかも知れない。でも、それは間違いなく私の一生分の距離でもあった。

友には、感謝などと生易しい言葉を贈っても全く足らない。
次には必ず、私が君を1センチ前に進ませてあげるから、と誓うのみである。


モラルのありか

2015-07-07 | Weblog
帰りの電車の中。
すし詰めとまではいかないが、普通の通勤ラッシュ。ベテラン(部下を持つ)OLが携帯電話で話をしていた。どうも新人教育についてらしい。

「あの子、常識力がないのよね、今度モラル研修を受けさせるつもり」

あんたが先に受けなはれ。

夜逃げ

2015-07-04 | Weblog
学生時代のこと。同じ大学に通う友達が京都で下宿していた。
昭和の時代の学生、しかも貧乏人が多いと有名なR大の学生である。とにかくお金がない。
お酒を買うお金がないので、1本のビールを数人で分けて飲み、これでは酔えないからと走りに行って酒を回そうとしていたなぁ(私は飲めないが何故か一緒に走っていた)。盆地である京都は夏が異常に暑いのだけれど、もちろんエアコンなんかない。トイレは共同、お風呂なんかなければシャワーなんて気の利いたものはもちろんない。だから、同じ下宿の2階の住人に2階から“じょうろ”で水をかけてもらい、シャワーができた、なんて喜んでもいたっけ。下宿に泊り、朝起きたら友達がプールから上がった時によくする“耳の水抜き”をしたので、何をしているんだと尋ねたら、汗が耳に溜まったのでそれを抜いているやと言われた時には、もうただただ笑うしかなかった。その友達は、下宿の部屋をラブホテル代わりに貸してたりもしてた。しかもそれを外から覗かせて覗き料も取るという荒稼ぎだ(ちなみに私ももちろん学生にとっては高額な覗き料を払い覗かせていただいた(笑))。お金はないが豊かな時間ばかりだった。

ある時、その下宿で仕事(報酬はない)を手伝ってくれるように頼まれた。それは「夜逃げ」である。夜逃げがあるとは聞いていたが、実際にみたことはない。とにかく、下宿代を払えない学生が彼女とどこかへ逃げるのを手伝うらしい。どうするのか分からないまま、夜逃げ決行日の深夜、それを手助けする仲間たち(よく覚えていないが7~8人いたのかな)が下宿に集合した。
皆が寝静まった丑三つ時(くらいやったように思う)、いよいよそれは始まった。2階の部屋から家具(といってもわずかな数)を運び出す。狭い急な階段をバケツリレーで降ろす。皆押し殺した声でやり取りする。時間にして恐らく30分位だったのではないか、軽自動車の荷台が余る位のわずかな荷物の積み込みが終った。逃げる二人が乗り込む。何を言ったのかは分からない。泣いていたのか笑っていたのかも覚えていない。ただ仲間たちは霊柩車を見送る人たちのようにただ粛々と彼らを見送り、彼らは淡々と去っていった。

逃げた二人、手伝った仲間たち、そして家賃を踏み倒して逃げた二人をきっと追いかけなかったであろう家主。
とにかくそこには人がいた。人と人が触れ合い、関わり、渦を巻いていた。人の摩擦で温かかった。

インターネットやライン、フェイスブック等で簡単に人が繋がったり切れたりする昨今。
あの日、夜逃げに関わった人たちはきっと今頃、そんな馬鹿馬鹿しいツールからも逃げているに違いない。

俺が聞かな誰が聞くねん

2015-07-01 | Weblog
先日、遠く徳之島に暮らす友に悩み事を聞いて欲しくて電話した。
彼はこのブログのタイトルにもなった「僕たちは一生子供だ」という名言を残した人物で、私が最も信頼し尊敬する友である。
このブログでも以前紹介したが、今年、57歳にして、故郷の徳之島に帰り、まったく経験のない農業を一から始めた。
それは、故郷で一人暮らしをしている年老いたお母さんの面倒を見るためだ。
経験のない仕事、弱っていくお母さんの面倒、人一倍どころか人百倍友達の多かった彼が別れてきた人の数、どれもこれも私ごときが想像できるようなことではなく、まさしくその辛さは想像を絶するものに違いない。

彼はかような状態であるからして、私は何度も何度も電話することを躊躇した。人の悩みなんて聞いていられるほど余裕があるわけがない、彼をこれ以上困らせる訳にはいかないから、と。でも私の悩みは私が最も信頼する彼にしか打ち明けられないことだったから、結局自分に負けて電話してしまった。

最初に私は彼にこう言った。「聞いて欲しいことがある。お前が大変な時に申し訳ない」
彼はこう答えた。「俺が聞かな誰が聞くねん」と。

最初のこの一言で私の気持ちは半分以上楽になっていた。
そのあともちろん、色々な話をしたが、お互いおせっかいが何よりも嫌いな二人であるから、ああしろこうしろはもちろんない。彼は自分の経験から、自分自身と私を語ってくれるだけである。

最後に彼はこう言ってくれた。「俺のことよりお前のその悩みのほうが苦しいよ」

どう考えても生きることに精一杯の彼より苦しいことが私にあるはずがない。それでも彼はそう言ってくれた。

自分より苦しい人が私のことを苦しいだろう、と理解してくれる。尊敬する友はやはり今だに子供のように成長を続けている。
私もとりあえず子供に戻って考えてみるのもいい。なにかそう思えるのである。