僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

遅まきながら阪神

2008-10-29 | Weblog

我が阪神タイガースが世にも屈辱的な大逆転をされて優勝を逃してから、
数週間が経った。逆転優勝が決まってから3~4日は新聞のスポーツ欄は
もちろん、テレビもスポーツニュースになったら見ない、という日が続いて
たんやけど、最近やっと落ち着いてきた。

すると考えを巡らせるのは、来期のこと。でも、来年こそは、と思う反面、
今年優勝したどっかのチームのように、金にモノを言わせて補強しまくり、
誰が監督をしても優勝―というか、他の人が監督なら(たとえば落合)もっ
と早くに優勝を決めていたやろう―するようなチームになってまで、優勝
して欲しいとは思わない。やっぱりコツコツと人を育て、「金では勝てんの
や」ということを示すことこそ、我が阪神の生きる道のような気がするな。

そこでいつも思うのが広島のこと。このチームはなんたって市民球団。
ホントに金がない中、大した補強もままならず、コツコツの自軍の選手を
育て今年はもう少しでAクラス、というところまできた。
ファンもそんな球団を心から愛し、阪神ファンも尊敬するほど、熱く、礼儀
正しい応援をする。

なんか、いいよなぁ、こういう球団って。阪神はそんな球団から金本、新井
と立て続けに生え抜きの主砲をもらってここまで強くなった訳で、俺達は
広島球団・ファンに足を向けて寝ることはできない。

とにかく、「金で優勝を買う」チームがある限り、どんどん野球はつまらなく
なっていくことは間違いない。

来期は、広島をリスペクトしつつ、生え抜き選手で戦う阪神の優勝を願う、
というややこしい年になりそうであります。


バカ親

2008-10-20 | Weblog

タイトルのこと、人のことを偉そうに言えた親でもないが、少なくとも俺なら絶対に
こんなことはせん、というようなバカ親の話があるので今日はその話を。

昨日やったかな?ニュースで、今、65歳位の人の集団お見合いがある、ってのを
やっていた。実はこれ、参加者は年頃の息子・娘を持つ親たちばかりで、晩婚気
味の子供に代わって親がお見合いをする、というシステムやそうな。

大体からして適齢期(以降)の子供の親が当人の結婚にしゃしゃり出てくるこの時
点で、すでに大バカ親やというのを露呈してる訳やけど、その中のひとりに、こら
あかんわ、と思った親がいた。

その親曰く。
「なんで一部上場の一流企業に勤めてる自分の息子に嫁の来てがないのか、理
解できない」
ですと。

まぁ、こんなこと考えてる親やから、厚顔無恥にのことお見合いにやってきて、テ
レビの前でずけずけとアホ丸出しの話をできるんやろけど、社会的地位とかそん
なもんで嫁をもらえる、と本気で考えて、しかもそれを自分の子供に押し付ける人
が、おるんや、と思ったら、なんか空恐ろしい感じがしたわ。

自分が生きてたら65歳まであと15年、とにかく「襟を正して」生きていくことを再度
考えんとあかん、という気がしました。


スタートとラインとゴールライン

2008-10-14 | Weblog

ちょっと前のテレビで千原ジュニアが瀕死の大怪我から見事カムバックするまでの
ドキュメントをやっていた。

その中で、これはすごいなぁ、と思ったことがある。それは、芸人仲間達のお見舞い。
そこそこ面会できるようになった頃、何人もの仲間達が見舞いに訪れる。でもその
芸人達は皆、いわゆる“普通の”お見舞いなどしない。
ある者は「何しとんねん、はよ帰ってこんかい!」とだけ言って帰ったり、ある者は、
コンパでどの子が可愛かったなぁ、みたいな話ばっかりしたり、また、絶食で何も食べ
られないジュニアの下へグルメ雑誌を置いて帰ったり。

どの見舞いの方法もこれからの社会復帰を考えた時、ここを乗り切れんようなヤツは
芸人としてはもちろん、人間として立ち直られへん、ということを考えた上での行動で
あって、これこそが本当の優しさであり、見舞いなわけで、実に理に適ってる。
でもその中でも一番すごいと思ったのは、単車で生死の境を漂う事故を起こしたジュ
ニアに単車の雑誌を置いて帰ったというヤツ。

社会復帰をした時に単車を見ずに生活するなんて不可能。でも単車を見る度に事故を
思い出してしまうようでは、到底生きていけない。だからあえて単車の雑誌を持ってい
ったんやろうけど、持っていくほうも並の根性やないし、それを受け取ったジュニアのほ
うもまた並やない器やわな。
いやぁ、一流になる芸人ちゅうのはホンマにすごいわ。

この間例のJR尼崎駅での脱線事故に遭われた方がおひとり自殺された、というニュー
スが流れていた。不慮の事故に遭われ、どうもニュースの内容からすると、非常にお
気の毒なことにもう電車を見ることもできない状態になっておられたみたいや。

でもあえて誤解を恐れずに言うと、この方にこの芸人仲間のような励ましがあったら
同じ結果だっただろうか?そのような予期しない重大な被害に遭っていない俺がいう
のは、不適切なのかも知れないが、いかなる理不尽なことに襲われても、最終的に
生きていなければ何もできない。
ジュニアのお見舞いに行っていたひとりである、ダウンタウンの松本さんが「怒」という
本に書いていたけど、「自殺に追い込む方はもちろん悪いが、最終的には自殺するの
が一番悪いことなんや、とちゃんと言わなあかん」と。

死ぬほど辛い目に遭ったら生きて取り返すしか道はない。スタートラインもゴールライ
ンも、それは常に
「生」にあるであるべきではないのだろうか。


ノーベル賞から得たもの

2008-10-08 | Weblog

「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」

これは、先日ノーベル物理学賞を受賞された日本人3名のうちのおひとり、益川教授の言葉。
専門知識に優れるのはもちろん、バランス感覚が優れている人にしかいいアイデアは生まれ
ない、ということをこちらは“非科学的”ではあるけれど見事に証明されたように思う。
それに加え、コミュニケーション能力
の素晴らしさ。
「(大先輩である)南部先生が受賞されたことが何よりも嬉しい」と言っておられたのを聞いて、
この人は何と謙虚で人に対する感謝の念を大切にしてる人なんだろう、と感心した。

視野を広く持ち、先人への感謝を忘れない。さらに後進を育て、必要な時に道を譲ることまで
考えておられる。こういう人こそ「先生」「師匠」と呼ばれるにふさわしい。


なんや選挙の時にだけ都合のええこと言うて、議員になったら無駄遣いばっかり、という人も
先生と呼ばれるみたいやけど、そらどう考えてもオカシイよな。

近くに先生や師匠と呼べる人がいればそれは何より。でもいなくてもいつも世の中に目を向け
ていれば自分のお手本になる人はいくらでもいるということを今回の受賞は教えてくれた。

ノーベル賞おめでとう!だけではもったいないと思うのだ。


ボランティア考

2008-10-07 | Weblog

いきなりやけど、「ボランティアが“したい”」という人はそれは“好きで”やってる訳で、
あくまで“趣味”
。他人から見たら、「ええ趣味お持ちですなぁ」くらいのもんで、別に
人に褒められたもんやないと思う。
本当のボランティアというのは“したくもないことを無理やり無償でやらされる”という
ことで、たとえばアメリカみたいに、懲罰としてボランティア行為を命じられる、という
ようなことがそれに当たる


北京オリンピック後の会場が一般に公開され、開催中にボランティアで協力した人
が、俺達から金を取るのはどういうことだ、とクレームをつけてるらしいが、俺の考え
方からするとそれは正しいと思う。だって何も悪いことしてないのに、やりたくもない
ことを無理やりやらされて、まだ金まで取るんかいっ!ちゅうね。

好きですることには何も求めてはいけないけど、仕方なくやらされたことには報いが
あってもいい。

今回はこの“ボランティア”に関わった中国国民を応援したい、と思います。