僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

自分を選択

2012-06-22 | Weblog
人生の岐路に立ったり、大きな問題を抱えた時はいつも頼りにさせていただいている大先輩がいる。

その方は、まず、状況を把握する洞察力が驚異的で、ある程度話をさせていただいた時点でほぼ100%近く、こちらの状況を把握しておられる。そして恐ろしく早い頭の回転で、今何をするべきかと、将来を見据えて何をするべきかを同時にご教授くださるのである。
そして何より驚くべきは、今まで何度となく相談させてもらった中で、アドバイスに従って行動してうまくいかなかったことがただの一度もないことだ。もちろん強制など一切されないから、最終的な責任は当然私がとらなければいけないようにしてくださっている。
最近も、ひとつ相談をさせていただいたが、アドバイスを聞いたとたん、目の前がパッと開け、自分の歩むべき道がはっきり見えるくらいに問題が解決した。

まったく、ここまでその人の教え通り動いて何もかもがうまくいったら、オウムの高橋容疑者が今だに麻原を信じている、という心境がわからなくもないな、なんて思えてくる。

私には、「人を、いくらどんなに頼りにして信頼していても、最後は自分しか信じない。どんな時も冷徹でいる」という信念があるから、おかしい、と思うことを信じたり、そういう人についていったりすることが絶対にないが、それができない人は、きっとそのまま、わけの分からない宗教にでも陶酔してしまうのだろう。

この先輩も、自分しか信じていないだろうし、そういう人の相談しか、受けておられないはずである。
自分に陶酔するか、他人に陶酔するか。前者以外の答えなんかあるはずがないのに、どうしてこんな単純な選択を間違える人がいるのか。

問題の最初の岐路で、自分を選ぶ。人を頼るのはそれからだと思う。

恥を考える

2012-06-19 | Weblog
「恥を知れ」という言葉を最近聞かなくなった。

なにやら、AKBメンバーの過去をばらした男がいるらしいね。
考えられる理由は、ネタを売ってお金儲けをした、というのが衆目の一致するところ。
あとは妬みや恨みやら色々考えられるんやろうけど、いかなる理由があったとしても、男として絶対に許されない最低の行為であったことは間違いない。ネット上でもそれに対する怒りを表している識者がいるけど、全く同感やね。

恥は、プライドが前提だと思う。プライドは、自信であることはもちろん、時にはやせ我慢でもある。そして、やせ我慢はちょっと格好つけてみることだ。「男の子」はそういう単純な強がりの要素の積み重ねでできている。
でも今の若者には、土台もない。積み重ねるものもない。

「恥を知れ!」

それってどういうことなんですか?と聞かれる世の中が来るのが何より恐ろしい。

魔法の言葉

2012-06-14 | Weblog
どんなことがあっても、何事もなかったように振舞いたい、というか、そういうのが好きである。
みんなさまざまに辛いことを抱えている。すぐそばで笑っている人もきっと皆、耐えがたきを耐えて生きている。

「ふーん」「そーなん」「べつに」「そんなもん」「それもよし」

ベタな単語ばかりだが、私にとっては、理想の生き方を貫くための魔法の言葉である。
無料で貸し出しているので、辛いなぁ、と思っている人は一度お試しあれ。



生き方

2012-06-11 | Weblog
先日、東心斎橋で通り魔事件が起きた。
被害に遭われた方には、ただただご冥福をお祈りするばかりだし、残されたご家族にはかける言葉もない。

それにしても、数年前の秋葉原に代表されるように、このテの事件は珍しいものではなくなった。いくら治安のいい日本とはいえ、さっきまで普通に歩いていた人が、急に包丁を持って襲ってくる、なんて事態を想定している訳ではないし、想定したところで防ぎようもないわけで、あとは「自己責任」で身を守るしかないのが現状だ。

あの日、ウチの娘家族は、アメリカ村にいたらしい。御堂筋を隔てただけの、「すぐそば」といえる距離で事件が起きていたわけで、場合によっては被害に遭う可能性だってあった。

でも、誰もが「もう外に出ません」というわけには行かない。
解決法は、たとえ遠回りでも「こんな人間を極力生み出さない社会づくり」これしかないように思う。けれど、今の日本はどうだろう。

AKBの選挙に日本中の大人が熱狂する。幼稚園時が英語を話し、男は草食動物になり、情報は汗ひとつかかずに手に入れることができる。毎日、自分も家族も国のために命がけで生きた時代には、こんなくだらないことに夢中になってる時間などなかった。現代人はあまりにだらしなく生き続けているから、このようなおかしな輩がいっぱい出てくるのではないのか。

こんな訳のわからない人間に命を絶たれるなんてまっぴらごめんだが、方や、こんなおかしな世の中を、薬漬けになって長生きして一体何がいいのかも正直よく分からない。すぐに時代を巻き戻す訳にもいかない。

「数分後の自分が、今の自分より少しでも成長できるように」
子供や孫たちのために、正しいことを毎日続けながら、生きるのみである。

お年寄りの交差点

2012-06-08 | Weblog
御堂筋の交差点でおじいさんが携帯電話を片手に大きな声で話していた。
会話を聞いていると、どうも待ち合わせのようだ。
「左にな、エーユーがあるわ。ほんで右には宝ぶね。向かいに何やろな、宿みたいなんも見える。」
「おーおー、分かるか!ほなここで待ってるで」

私がこのおじいさんに代わって電話をするとこうなる。
「左にな、ドコモがあるわ。ほんで右には宝くじ。向かいには、スタバみたいな大きな喫茶店も見える。」

ホントに会えるのかにも興味があったが、おーおー、と、分かってくれた相手はどんな人なのか、しばらく待っていたい気がした。

アイスクリーム

2012-06-07 | Weblog
トップになれば、センターポジションに立てる。
16番目までに入れば、テレビに出られる。

あるとは知っていたし、会社でもその話題で持ち切りだったAKB総選挙。
でも私は最初に書いた、選ばれたらどうなるのか、ということさえ、知らなかった。

とりあえず、「順位を当てたからアイスクリームを奢って」という会社の女の子のはしゃぎぶりのほうが、身近でいいな、と思う、今日この頃であります。

懸賞金

2012-06-06 | Weblog
オウムの菊池(さん)―犯罪者やけど、ウェディングドレス姿の写真があったとかという話を聞くとなんか敬称をつけてしまう―が捕まり、1000万ともいわれる懸賞金が話題になっている。

そりゃまぁ、人を見つけて通報しただけで1000万くれるとなりゃぁ、確かに魅力的ではある。でも、テレビのインタビューで見た、それで儲けようとしている人は、携帯に写真を取りこんで、常々それを見返しては、街ゆくひとを疑いの目で見ているのである。いわばどんな時も脇目を振りまくりなのである。

「あ、今の人ひょっとして・・・でもあごのあたりが違うかな、でも体型が変わってるかも知れないし・・・うーん、一応通報してみよ」。なーんてことを四六時中やっているのだ。

1000万もらえるのだろう。犯人が捕まれば立派な社会貢献なんだろう。

でも、私は、毎日毎日、下手すれば数百円しか儲からないような仕事に全力投球する人が好きである。
もちろん、脇目も振らずにね。

汚名返上

2012-06-05 | Weblog
まぁ、考えさせられることが多い今日この頃である。

ちょうど2週間前の5月22日、母が脳梗塞で倒れた。幸い一命は取りとめたものの、左半身にマヒが残り、現在も意識混濁状態である。82歳。心臓に病気も抱えていたので、いつどうなってもおかしくない、と覚悟は決めていたものの、いざこのような状態になると、やはりとても辛い。

私は、間違いなく親不幸な人間である。中・高は登校拒否児だったし、大学は中退するし、社会人になってからもなんやかやと心配をかけっ放し。最近は、老人特有のいわゆる「ボケ」に腹を立て、口の聞き方もなっていなかった。今思うと、なんでその位のことを簡単に受け流してやれなかったのだろう、とただただ後悔が残るのみだ。

そんな自分のいたらなさと、混濁した意識の中でも必死に家族の声を聞き、話そうとし、手を握る母のけなげさが重なり、病室ではいたたまれなくなる。でも、母は家族が来てくれてきっと喜んでいる、と思うと、この辛さは当然乗り越えなければいけない。
たぶんこれから、54年の人生で最も辛く長い時間を過ごすことになるのだろう。でもそれは母の教えである。

二人の娘たちが、どうしてそこまで優しく献身的になれるんだ、と思うくらいの優しさを持っていてくれたことを教えてくれた。
母を心の底から愛していてくれていたことを教えてくれた。また、母が娘たちを本当に可愛がっていたことも教えてくれた。
そして、母は私にきっとこう言っている。

「どんな辛いことがあっても絶対に目を背けず、それを自分の人生の糧にしなさい」と。

ここで「心配ばかりかけている息子」という汚名を返上しなくては、ホントに母に申し訳が立たない。
母よ、私は絶対に逃げません。