僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

紅白

2015-03-25 | Weblog
「信用」ということについて書きたい。

何度かこのブログに書いた、紅白歌合戦にも出演した元ミュージシャンが面白いと思う。
とにかく出会った頃は、まぁ酒癖が悪く、うっとうしくて仕方なく、どちらかというと信用できない人だと思っていた。今もあまり変わってはないようだが、それでも印象が強く、何かと話題にも上るし、ふと思い出すことが多い。

彼は、とにかく人のことなんか知ったことではない。人の顔色なんか見ないし、人のご機嫌を取ることもない。ひたすら自分を主張し、自分の思いのまま体当たりをしてくる人である。よって、彼をよく思わない人も多い。

でも彼は、私の大好きなラグビーに例えると、「縦をつく」人なのだ。
ラグビーでは時に相手に捕まらないように横に逃げてしまう選手がいる。足に自信のある人に多いのだか、これは華麗なプレーに見えて1センチも相手ゴールに近づいていない、という、ラグビーでは最もしてはいけないプレーだ。とにかく1センチでもいいから、縦に、前に進もうとする。そこに相手がいたら思い切りぶつかる。相手が強ければ、時には数メートル以上下げられてしまうこともあるだろう。それでも相手に当たり前に進むことを諦めない。自らが犠牲になり1センチでもボールを相手ゴールに近づける。これを繰り返すのがラグビーの基本精神である。

彼は何度も私に当たってきた。私以外にも色々な人に当たっている。そこで自分の力のなさを知ったことだろう。頼りない自分に嫌になったことだろう。それでも彼は当たり続けている。

相手の強さなんか関係ない。自分の信じた道をただただ前へ進もうとする。押し戻されても押し戻されても前へ進もうとする。

うまく立ち回り、誰もに愛想よく接し、調子のいい人は、華麗に格好よく見えて、横にばかり走る、自分を犠牲にしない人だ。
倒れても倒れても起き上がり、また倒れて起き上がる人は、怪我ばかりしているが自分を犠牲にしながらも自分を信じている人だ。
どちらが信用できる人かは、もう明白だろう。

我儘で酒癖が悪く、周りに迷惑をかけてばかりいる彼とは、私も正直、好んでお付き合いをしたいとは思わない。でも、そんな生き様から生まれる「信用度」では、彼は私の中で突出した人である。

好き嫌いなんかはどうでもいい。信用こそが人間としての指標なのである。

さすが紅白歌合戦に出ただけのことはある。
見事に紅か白かで生きているではないか。




うん、頑張った

2015-03-19 | Weblog
二番目の孫が卒園した。

「3年間頑張ったな」と声をかけたら、いつもは何かと茶化してばかりいる孫から「うん、頑張った」という返事が。その瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。

小さい子は小さいなりに、自分と戦い、他人と戦い、親と戦い、懸命に生きている。だからこそ懸命に甘えもする。

「うん、頑張った」

彼は頑張って生きている。小さな子には小さな世界がある。

そんなことは分かっていたはずなのに、目の前で生きている孫の言葉を聞くと、まるで自分が何も分かってなかったのようだ。

小さな子供の力はとてつもなく大きい。

大阪の役所仕事

2015-03-18 | Weblog
義父が入院した。
恐らくそんなに長くはならないであろうが、とりあえず入院を要する病状であることは確かだ。

義父はひとり暮らしなので、たちまち困ることがある。そのひとつが郵便物。
不在の家にどんどん届いたものには、あっという間にポストが溢れかえる。

ということで、私の妻=義父の娘を代理人として、妻の自宅、つまり私の自宅宛てに郵便物を転送してもらうにはどうしたらいいか、郵便局に問い合わせたところ、以下の返事が返ってきた。

私:「一人暮らしの義父が入院したので、郵便物を実の娘の自宅に転送してほしいのですが」
〒:「転送手続は可能ですが“本人”に本局に来ていただく必要があります」
私:「あのー、入院してるので本人は伺えないですよね」
〒:「おっしゃる通りです」
私:「本人の委任状を持って実の娘が行けば問題ないのではないですか」
〒:「それがダメなんです。本人でないと。」
私:「あのー、入院してので本人は伺いようがないですよね」
〒:「おっしゃる通りです」
私:「どうしたら転送してもらえるんですか」
〒:「ご本人にきていただくしか・・・」
私:「分かりましたもういいです」
私の心の音:「分かった、じゃあ本人を病院から出して無理やり連れていくから、それで病状が悪くなったら全責任を郵便局で見るんやな!ほんならそうするから責任者とそこで待ってろ!あほボケカス!」

ま、国の「決まり」なんで一社員にどうしようもないことは理解できるから、心の声は言葉にしなかった。
それにしてもなんらかの方策を検討してみようとか、例外処置を考えてみようとか、「対案」が一切示されない、頭の固さには、さすがにあきれ返ってしまった。

結局、定期的に義父の家に郵便物を取りにいくことにしたが、これはそれが可能な距離であり、それができる人がいるから。もっと条件の悪い人は一体どうなるのだろう?

様々な改革が行われているのだろうが、こんな調子では、根本のところで、私たちの生きている間に日本が変わることはないだろう。

そういう意味では、大阪都構想なんかはホントに面白いと思う。メリット・デメリットはあるだろう。でも日本は「大きく変える」方向に舵を取るひとがいないときっといつまでも変わらない。

同じ役所仕事なら、せめて、「変わる・面白い」ほうに賭けてみるのが大阪人ではあるまいか。



じゃがいも

2015-03-13 | Weblog
じゃがいもが届いた。

友は、年老いたおかあさんの面倒をみるために、大阪の生活を捨て、故郷の島で未経験の農業を始めた。57歳。同い歳である。
年老いたお母さんの面倒、初めての農業、初めての人、初めての大自然の脅威。
長い間、「初めて」を経験してこなかった57歳に初めての試練がこれでもかと襲い掛かる。
それに耐え、友が懸命に作ってくれたじゃがいもが届いた。

みずみずしくもちもちしていて、生でも食べられた。
蒸してバターや塩で食べればもっとおいしく食べられた。
なによりそこに見えた友と友の奥さんの顔がおいしかった。

私は今流行りのフェイスブックやツイッターといったSNSが嫌いなので、そういうことは一切しない。
いちいち人に関わるのも関わられるのもめんどくさいし、頼みもしないことが拡散するし、どうでもいいようなことをコメントしてあるし、うわべすらあるかないかもわからない温度感やし、なにがいいのか楽しいのかさっぱり分からないからである。

じゃがいもが届いた。
友は元気である。奥さんも元気である。
儲かっているかどうかはしらないが仕事をしている。
汗をかいているだろう。
泣いているだろう。
たまには笑っているだろう。
近所の人と話をしているだろう。
小さい子供が畑をかけているだろう。

じゃがいもが届いた。
友は懸命に生きている。生かされている。それでいい。

フェイスブック、ツイッターくそくらえ!
じゃがいも万歳!


一日プロ

2015-03-12 | Weblog
ワンマンライブまであと4日。
こちらからお誘いした人が多い上、ブッキングライブとは違い、私たちだけを見に来てくださる方ばかりだ。
休日の昼間、そう高くないとはいえ、入場料を払ってまで。

ということは、少なくともこのライブにおいては、私たちはプロでなければいけない。
もちろん音楽で食べていけるだけのスキルがあるわけではない。
しかし、だからこそ、とにかく貴重な休日の貴重な時間を犠牲にしてきてくださる方に喜んでもらえるよう、できる限りのことを死にもの狂いでやらないといけない。
いつもは週末が待ち遠しくて仕方がないのに、今は練習時間が刻々と減っていくことへの恐怖感のほうが大きい。

平原綾香さんが言っていた。好きなことを仕事にすると本当に辛いことばかりだ、と。

好きなことをやるのは楽しい。でもお金は楽しいだけではもらえない。
プレッシャーを楽しむ、だとか、やるだけやったら後は気楽に、とか色々な心構えがあるけれど、それより前に「とことん重圧を受けきる」ことが何より肝要であることを忘れずにいたい。

一日プロが果たして重圧を克服し、責任を完遂できるのか。個人的にもバンドとしてもそっちが楽しみなライブである。