僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

欠けて見えるものは何?

2012-05-31 | Weblog
先日、というかしばらく前になるけれど、日食では大騒ぎだったねぇ。

でも、私はどうにも、大勢の人が興味を持つことには興味がない、ということは、もう皆さんご存知のことでしょう。

つまり、世紀の天体ショーと言われても、私が興味を持ってしまうのは、「世紀の天体ショーを見つめる人たち」なのであって。

朝の出勤途中、やや暗くなり始めた頃、私は、駅前で固まり、日食グラスをやらを持ち、同じ方向を見つめる大勢の人たちをしばらく見つめていた。

でも誰も皆同じ人にしか見えない。言葉もほとんど同じ。踊り始める人がいるわけでも、脱ぎ始めめる人がいるわけでもなく、まして私のように人を見つめている人など皆無。

私は思う。こんなことでいいのだろうか?みんな行動が一緒だなんて。

結局、日食で欠けていたのは、個性ではなかったか。

拡声機

2012-05-15 | Weblog
通勤帰りの駅前、マイク(拡声機)から聞こえてきたのはこんな声だった。

「難病の○○ちゃんを救うための募金をお願いしま~す」

まず初めに、私は絶対に信用できて、自分自身に必然性を感じない限り、募金はしない主義である、ということをお伝えした上で、次の話である。

今回の募金は、“それが本当なら”可哀そうだと思う。我が子・孫に例えて考えると、なんとかして救ってやりたい、と思うのが人情だし。でも、私がそれより先に感じたのは、ヘッドセットというのか、DJがよく使っているようなマイクをつけて、募金をお願いとはなんやねん!ということである。

尊い命を救うための募金活動。必死であるはずだし、必死になれる人にしかやる資格がない。でも拡声機はまず「小さな声」でのアナウンスを可能にしてしまう。大きな声を出せば必死だということは成立しない場合もあるだろうが、必死になれば大きな声になる、ということはほぼ成立する条件だろう。それを考えると、「小さな声でアナウンス」することを選んだ時点でそこに必死さが感じられないし、連鎖的に信用性も感じられなくなるのはごく自然なことだ。

皆苦労して必死に生きている。募金は、そんな人たちからお金を集めようとする行為である。悪いと言っているのではない。それだけの覚悟と努力をしろ、ということだ。

「そんなバカな募金ならやめてしまえ」と拡声機を使って言ってやりたい。

365日以上

2012-05-11 | Weblog
「屋久島では、365日以上雨が降る」

「365日以上」というあり得ない数字を使い、屋久島ではどれほど雨が降るかを見事に表現した秀逸なコピーだと思う。

きっと屋久島の人たちは、「今年は365日以上生きた」と言える人たちに違いない。
薬漬けで長生きするより、短い人生でもこう言える一年を過ごしたいものである。

世界に一人と一台

2012-05-10 | Weblog
1年ほど前になるだろうか、ジェームス・グッダールというハワイのルシアー(ギター職人)が作った中古ギターを購入した。前オーナーのオーダーメイドなので、この時点で既に世界に一台しかないギターである。横並びが嫌いな私にとっては、「世界で自分しか持っていない」ということが、何より自分を満足させるのだが、それに加えてもちろん音もビジュアルも素晴らしく、今、最も弾くことが多いギターになった。当然のごとく価格も素晴らしいけれど。

このテのギターは、ある種芸術的な価値もあって、オリジナルは全くのアコースティックで、いわゆるピックアップ(ギターに埋めこむマイクのようなもの)等は付けないのが当たり前。だから音は素晴らしいが、ステージ上で使おうという人には、ちょいと不便な面もある。じゃあ、あとからピックアップをつければいいじゃない、と思うわけだが、これにはかなりのリスクを伴う。

まず、売る時の値段がぐんと下がる。でも、私は生涯手放すつもりはないので、これは問題にならない。
私の場合大きな問題になるのは、ギターの命である「音」である。ルシアーが「これが最高」と思うところまで選び抜いた材料、誰にも真似のできない工法、で作られているわけであるから、どこか一部でもいじると、その音は間違いなく変わる。今の音が気に入って購入したわけだから、どこかをいじくって音が変わってしまうことはどうしても避けたい。だから、このようなギターは「いじる」ということはほとんどしないのが常識とされている。

でもピックアップがないとステージでは使えない・・・なんとかしたい・・・そこで私はこう考えた。
音はあくまで「好み」の問題。今いいと思っている音が最上とは限らないし、ギターをいじくることで音が変わっても、今よりもっといい音になった、という可能性だってある。それに付けようと考えているピックアップは、ギターを加工する部分はほとんどなく、万が一失敗でも95%以上は元の状態に復元できる。とにかくやってみなければ分からない。誰もやらないことをしてみるのが俺だ!えーい、やってしまえ!

ということで付けました。MISI(マイサイ)のアンダーサドル型ピックアップ。
結果は「すんばらしい」の一言。
原音は全くと言っていいほど変わらず、ピックアップの音はほとんど原音と差がない。歌モノの伴奏でギター1台になった時、高音部がやや立ちすぎて、演奏の難しさがあるが、それ以外は全く文句なし!

無茶ばかりで失敗も多い私だが、無茶は時に無茶な喜びも与えてくれる。
自分は世界に一人、楽器は世界に一台。

まぁ、とりあえずは、自分を大切にしてきてよかったと思う。

猫に思う

2012-05-09 | Weblog
全くもってこれが当然だと思うわけだが、猫ひろしさんのオリンピック出場がなくなった。

それはそれでいいのだが、巷の話題については好き嫌いを度外視してコピーを書くのが私のライフワーク。

オリンピック出場決定時にはこう書いた。
「猫に出番」

で、今回の出場取り消しを受けて。
「猫に終盤」

今後は、カンボジアで人生を駆けて、カンボジア国民にせめて小判程度の恩返しくらいはして欲しいものである。