僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ギターのようでギターでない、ベンベン。(続)

2012-08-30 | Weblog
先日購入したギターようで…(まだ命名していない)には、当然のことながらピックアップがついていないので、それをどうするか頭を悩ませていた。

なにせとても小さい楽器なのに恐ろしくいい音がするのはすさまじく精巧に造られた個体の質であることに間違いない。とすると、本体に何らかの加工して、現状のバランスを少しでも狂わせてしまうことは避けたい。と、考えるとマイクで拾うしかなく、いいマイクはないものか、と探していたのだが。

ありましたよ。これが。オーディオテクニカのATM35という商品。
とにかく小さい。それにグースネックとクリップがついていて簡単に本体に固定できる。しかもほとんどの高音質マイクに必要なファンタム電源を電池で供給できるから、自宅はもちろん、ファンタム電源がないライブ会場でも使える。
そして肝心の音は。やや低音が持ち上がる感じがするけど、これはたぶんマイクの位置の問題だし、少しアンプ側で低音をカットしてやれば、全く問題のない範囲。高温に関しては全く問題なく、特に高い音が魅力であるこの楽器の特性を見事に再現してくれる。しかも非常に感度が高いので、バンドで使ってもウチのようなアコースティックバンドならまずハウリングの心配もなさそうだ。
ユーザーレビューを見ても、皆さん一様に素晴らしいという感想を書いておられたが、私も全くそれに同感である。

「玩物哀志」は尊敬する司馬遼太郎さんの言葉である。物ばかりを大切にしていると人の心を失ってしまう、ということの戒めだろうが、本当に好きで必要として買った「もの」は、その範囲を超え、もはや伴侶というべき位置に立っている。

とにかく「機材のバンド」と言われて久しいが、「機材のバンドが創り出す人間性」がそろそろ出てくるはずなのだ。

さて、それにはどんな機材が必要になるのだろう・・・

ギターのようでギターでない、ベンベン。

2012-08-28 | Weblog
このところ、昼休みに、会社に不在のことが多く、なかなかブログを書くヒマがありませんでした。

今日はやっとこさ時間ができたけれど、世の中どうにも面白くない話ばかりで、それを書いたらなんか愚痴っぽくなってしまいそう。そうなると、やはり話題は音楽や孫たちのことになってくるわけでして。

ということで先週の日曜日、ギターのようでギターではなく、ウクレレのようでウクレレでなく、マンドリンのようでマンドリンでない、というなんとも不思議な楽器を購入いたしました。

日本のギタールシアー戸田さんが作られた楽器なんですが、もうそれはそれは素晴らしい音がします。その音は先に述べたギター・ウクレレ・マンドリンにオルゴールを足したようなサウンド。その小さいボディーからは想像もできないサスティーンがあり、夜静かな時にソファーに座って弾いていると、涙があふれそうになるくらい癒されます。

間もなく、いきつけのライブバーでデビューを飾ることになります。
バンドはともかく、この素晴らしい楽器の音は一聴の価値あり。
このブログで話が理解できる方は是非お越しくださいませ。





お盆休み

2012-08-08 | Weblog
お盆。
桶に水を酌み、長い石の階段を登る。
手を引くのは、年老いた母であったり、ようやく歩き始めた孫であったりする。
花筒の水を入れ換え線香に火をつけ、お墓のまわりを掃除し始めた頃、やぶ蚊がうようよと集まり始め、あちこちがかゆくなる。
そんな中、私は先祖に心から感謝する。私を見てきた子供たちは自然とその所作を身に付けていて、自分の子供にも手を合わせて拝むように促す。

私の知っているお墓まいりとは、こういうものだ。合理的な説明など一切できない。ただ自分を育ててくれた先祖に感謝する人の心だけがそこにある。

ネットでお墓まいりができるシステムがあるらしい。
もちろん、私のようにお墓が近く、いつでも行ける状況にある人ばかりではないだろうから、そのような人にとってはとてもありがたいシステムなのかも知れないが、そこまでするのなら、「行けなくて申し訳ない」という心を持って、ただ心の中で拝めばそれで十分ではなかろうか。

もう少ししたらお盆休み。
弱い人を食い物にする商業主義、合理主義に振り回されることなく、心豊かに過ごしたいと思う。