僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

波長

2007-06-25 | Weblog

次女の結婚にまつわる話がもうひとつある。
すぐブログに書きたくなるようないい話がいくつも出てくるということでも、結婚するというのは
ものすごいことなんやと感じつつ。

俺にはもう何をどうしても絶対に頭の上がらない、最も尊敬する先輩がいる。この人は俺の
親友のお兄さんで、
高校時代はラグビーで花園で活躍し、日本高校代表にも選ばれた。
昨今の教育の難しさが叫ばれる中、今は現役の社会科教師として奮闘し、時にラグビー
の審判をしたり、時にフルマラソンに出場したりと、相変わらず文武両道で活躍されている。
ラグビーではもちろん、俺の人生に最も影響を与えてくれた人である。

学校の先生、ということもあるが、その人間性を深く尊敬していた俺は、子供の教育につい
てよく相談に乗ってもらったことがある。その時に言われたことで一番印象に残っているのが、
「親が子供のことを必死で考えて出した結論に間違いなどない。」という言葉。
もちろんこれには条件があって、子供の年齢や親の基本的な考え方などを踏まえた上での
言葉やろう。つまり、
「考えて、放っておくことにしました」などと答えそうな親にはこんなこと
は言われなかったと思うけど。

この言葉を聞いて、俺達夫婦は自分達を信じ、必死で子育てをした。結果(これは本人
が生きてる間には出ないが)、紆余曲折があったものの、二人の娘達はスクスクと成長し、
長女は就職、次女は結婚するまでになった。

この間、次女の結婚に際してこれまでのお礼と報告をさせてもらった。次女には何度も話
しているけど、ほんとにこの方の存在がなかったら、今の俺達も子供達もなかった訳で、そ
う言った意味のお礼を申し上げたたら、兄さん(と呼ばせてもらっている)曰く。

「人生には波長があるのよ。親子それぞれの波が大きく離れる時もあれば、必ず交わる時
もくる。その時というのが結婚であったり、出産であったりする。だからその交わる時まで人は
ひたすら頑張るしかないんやな。つまり君達が頑張ったから波長が合わさっただけで、俺は
何もしてないよ。」

子供のことを必死で考えて育てた結果、間違いはなかった。そして兄さんをずっと尊敬し
続けていることにもやはり間違いはなかったんだと、しみじみ感じ入った一言でありました。


結婚式後記

2007-06-20 | Weblog
先日書いた結婚式のことで、式が終わったあと次女から聞かされた話にとても
いい話があるのでひとつご紹介しようと思います。

それは俺達のサプライズ演奏でのこと。
お色直し入場を前に、扉の向こうでスタンバイしていた二人はなんか流れてくる
曲が違う、と思ったらしい。お色直しを含め、式で流す曲は全部自分達で選ん
ではいたけれど、曲数が多いので、色直しの曲が何だったかまではよく覚えてい
なかった二人はそこにいる式場スタッフの方に「これって曲合ってますか?」と聞
いた。そしたら、スタッフの方が、「はい、これで合っております。」と答えたらしい
のよね。

これで二人は、なんかおかしいなぁ・・・こんなんやったかなぁ・・・と思いながらも、
俺達が演奏していることに気づかず入場してくることになったわけ。

これって見事なスタッフへの指示徹底やと思ったね。きっとナースの朝のカンファ
レンスみたいに、今日のだれそれの式での注意事項、みたいなのがスタッフ全
員に徹底的に行き渡っていて、スタッフ間からは絶対にサプライズ企画が漏れ
ないようにされていたわけよ。いやー、これはホントに見事やと思ったわ。

昨日も書いたけど、ほんとにここの式場の人たちは気持ちのいい対応をしてく
れたけど、こういう隠れたところまで気配りできているからこそ、いつも誰に対して
もどんな時でも思いやりのある対応ができるんやと思った。

人の喜び事を生業にする職業には万が一のミスも許されない。そういう厳しさ
の中、完璧に式を終わらせてくださった式場の方々には頭が下がる思いがする。

ほんとうに何もかもに恵まれた結婚式だったと改めて感謝している次第です。

手紙

2007-06-19 | Weblog

一昨日、6月17日(日)、皆さんのおかげで、次女の結婚式が無事終わった。
梅雨入り直後にも関わらず当日は快晴。絶好の結婚式日和になり、二人に
とっても来賓の方々にとってもとてもラッキーだったと思う。

思ったよりとても早く過ぎた一日だった。
挙式が15時、披露宴が16時からと比較的遅い時間から始まる式やったけど、
結婚する次女はもちろん、長女の着付け等があるので2時間半前には式場に
着くようにと、家族全員で家を出たのが12時頃。予定通り12時30分には
式場に着いて、特に着替えの時間がかからない俺はかなり時間を持て余すや
ろなぁ、と思ってたんやけど、13時30分には着替えてください、と言われ、着
替えたと思ったら親族紹介だの挙式のリハーサルだのが始まり、アッと言う間に
挙式の時間がきた。

教会式の挙式だったので、参列者全員が見守ってくださる中、俺と次女が腕
を組んでバージンロードを歩くんやけど、これをすると聞いた時には考えただけ
で涙が止まらなかったのに、なんか本番は不思議と落ち着いた気分になってい
たね。でも、その前にちょっとグっときた時があった。それは次女が、式場の方に
顔に“ベール”をかけられた時。あのベールに何の意味があるのかは知らないけど、
急にそのベールを境に娘が遠くへ行ってしまったような気になってしまうのよ。た
だの白
い布一枚やけど、微妙に透けて顔が見えるあのシュチュエーションが、
なんか神聖な雰囲気を出すからからなぁ・・・なんやよう分からんけど、なんとか
泣かずに済んだものの、あれにはやられてしもたわ。
まぁ、それでも歩く時はまた落ち着いて幸せな気分になっていて、無事にバー
ジンロードを歩き、自分の席に着いた。そして横の席を見た時。長女が泣きじ
ゃくっていた。嫁も泣いている。ここまではなんとか涙を流さずにこれたのに、こ
れでもうアウトやった。もうしばらくはどうにもならんかったね。でも俺達両親・祖
母・兄弟の席は一番前やったので、その涙を家族以外の誰かに見られること
はなかったけど。

そして、式が無事終わり、次は披露宴へ。
乾杯の挨拶に始まり、主賓の方々の挨拶はどれも長すぎることなく、心を込
めて言って下さっていて、素晴らしかった。その中でも次女の友人代表として
スピーチしてくれたM子の話には感動した。彼女は娘の高校時代からの友人
で、その頃から、しょっちゅう家に遊びにきてくれていたので、もう今では家族の
ような存在。次女は彼女が遊びに来てる時でも平気で彼女をほったらかしに
して風呂に入ったりするし、また彼女もそういう時に何の違和感もなく、居間に
一人でいて俺達と話をしたりテレビを見たりしているような人だ。
その彼女は緊張でしゃべれなくなるから、と前もって自分で書いた手紙を読ん
でくれた。ここには書かないがそれは二人が結婚するまでには色々なことがあっ
た。親の俺達が知っていることだけでも、苦難の連続だったと思うけど、親友で
ある彼女は俺達両親が知らない苦労も知っていたはずで、その感情を押さえ
ることができなったんやろう、やがて涙で話ができなくなってしまった。俺も、彼
女がきっと今日までのことを思い出して感極まっているんやろう、と思ったら、涙
が止まらなくなってしまった

彼女の挨拶の前に、遠い所から式に参列してくれ、次女を小さい頃から可愛
がってくれたKが言ってくれた。「二人には友達が多いね、素晴らしい」と。ほん
とにその通りだと思った。人生において友達はある意味、家族より大切な存在。
それをほんとにそう感じた瞬間やったね。

実はそのM子の挨拶の前に俺達両親が計画したサプライズがひとつ入ってる。
それは、一度目のお色直しの入場曲(確かエアロスミスのI Don't Want to Miss
a Thingだったと思う
)をジャックして俺達夫婦と友達夫婦が生演奏する入場曲
にすり替えてしまおう、というもの。曲は色々考えたけど、娘がよく聞いていた浜
崎あゆみの「TO BE」。50前のおっさんおばさん4人で歌うにはちょっと歌うほ
うも聞くほうも、無理があったけど、娘達やその友達が知らんような曲じゃ盛り上
がらへんからね。
ギター2本、ボーカル2人で歌い始め、やっぱり4人では盛り上がりに欠けるので、
途中から、次女の友達
12人が入って歌うという構成にして、演奏が始まると同
時に入場してくる二人の驚いた顔を見て楽しもう、という単純な企画やったけど、
まぁ、予定通り二人は驚き、そして喜びもしてくれたみたいで一応成功したとい
えるかな。
それより、びっくり&感激したのは、この式をプロディースしてくれた式場のTさん
(女性)が、演奏が終わり席に戻った俺達の横にきて、「うまくいってよかったで
すねー、感動しました!」といいながら涙を流してくれていたこと。確かに俺達
もうまくいってよかった、とは思っていたけど、そないに涙を流してもらうほど感動
的なことをしたとは思っていなかったので、これにはほんとにビックリで、俺達の
ほうがサプライズやった。でもこういうことにいちいち感動したと言ってたら務まら
ない仕事をしている人が、涙を流して感動してくれていた訳で、ほんとにいい
人にプロディースしてもらえてよかったなぁ、と思ったわ。


そうして涙あり、笑いありで、式は滞りなく進み、いよいよクライマックスへと近
づいてくる。

そして最後の花束贈呈。ふと前を見ると、なんや俺達の前にいる二人がミッキ
ーとミニーを持っている。俺達はそんなものを受け取るとは聞いてなかったので、
夫婦で顔を見合わせていたら、
司会の方が、それは、二人が生まれた時の体
重と同じ重さのミッキー&ミニーで、二人からのサプライズプレゼントです、という。
これにはびっくりはしたものの、それでもここまでは、へぇ、二人も色々考えとった
んやなぁ、と嫁と笑っていた。
で、最後の最後。次女が花束を渡してくれたと同時に、司会の方が、「今日
は父の日で娘さんからお父さまにプレゼントが・・・」と話始めた瞬間、何かが
一気に込み上げてきた。そして、次女が花束と一緒に、「手紙書いたから後
で読んどいて。ここで読まれるのは嫌なんやろ?」と言って、手紙を渡してくれ
た。さすがにここまではなんとか人前ではこらえていた涙がどうにも止まらんよう
になってしもたね。

俺は、自然に感動して泣くのはいいけれど、「わざと簡単に」泣かせるような
演出は大嫌いな
ので、娘には絶対に披露宴の最後に手紙を読んだりするよ
うなことはするな、と言っていた。それは、親子間での感謝の気持ちなんての
は手紙にするのはいいとしても、わざわざ人前で読むもんじゃないと思うし、お
互い、分かっていて当たり前だとも思うし、何より俺達親子はそれまでに、式
場の簡単な仕掛け※1に引っかかって流すような安っぽい涙※2の何千倍も涙
を流してきたから。
花束ももういい、と言っていたのだけれど、まぁこれがないとどうも式の終わりが
まとまらないらしく、まぁそれだけは受け取ることにしていたんやけれど。

泣き所は“つかれる”と簡単に安っぽく涙がでる。でも“はずそう”としてくれると、
その思いやりが渦を巻いて押し寄せてきて、心の底から涙が自然とあふれてく
る。

俺はそうしてくれた次女を我が娘ながら誇りに思う。

手紙の内容は書けない。思い出すだけでも涙が止まらなくなるから。
どうぞ、全世界中の幸せが彼女に与えられますように。


※1式場を批判しているのではなく、あくまでも私個人の好みです。事実この
    式場の方々は皆さんとても親切・丁寧で、気持ちのよい対応をしていただ
    き、最高の式ができたと感謝しています。
※2これもあくまでも私の娘の式でのことです。他の方が流される涙がそうであ
  るとは全く思っておりません。

PS:式に参列してくださった方々、それまでに祝辞をくださった方々、その他
   関係者の皆さまのおかげで滞りなく式を終えることができました。この場
   をお借りして厚く御礼申し上げます。


誇るべき後輩たち

2007-06-15 | Weblog

いつも俺は周りの人達に恵まれてると思うねんけど、その中でも特に後輩には
尊敬すべき人たちが多い。

次女の結婚報告とお世話になったお礼を言うために、次女の小さい頃からを
知ってくれている友知人、先輩後輩にメールを一斉送信したら、ありがたいこ
とに、皆丁寧に祝辞をくれたり、わざわざお祝いに家に来てくれたり、と次々
にコンタクトあった。今日はその中の何人かの後輩達のことを紹介したいと思
います。

ラグビーの後輩であるSは、若い頃から海外、特にアメリカに憧れていて、高
校を卒業後すぐに単身カナダに渡り、牧場やレストランで働きながら語学を
習得。数年してから帰国した時にはなんや国連に勤めているという才色兼備
な女性を連れて帰ってきよった。
ちょっと横道に逸れるが、
この女性、Maryという。その後輩とMaryが家に遊び
にきた時に「趣味は何ですか?」と聞いたことがある。そしたら彼女の答え。
「Yuki(後輩のあだ名)を愛することです」やて。ったく、アホらしくなるような話や
ね。まぁその話は余談やけど、そのYukiは、
そういう素晴らしい彼女を連れて
帰ってきてしばらくの間日本で色々な仕事をしてたみたいやけど、この間の話
では、2~3ヶ月後にニューヨークに移住することが決まったという。彼女が一
緒なのかどうかは近々会うときに聞くつもりやけど、いずれにしても、昔からの、
いつかアメリカに住みたい、という夢をついに実現しよる訳で、もうただただ尊
敬する、としか言えない。ほんまに大した奴やと思う。

次に、前の会社の後輩であるMは、音楽業界に進みたい、といって、俺より
5~6年前に会社を辞めた。それからしばらくの間PAの世界で下積みを重ね
て、数年前には個人事業としてM音響を設立。こちらもこないだ祝辞をくれた
時、「この間法人化し、長岡京市に事務所を構えました」という。
彼とのエピソードがひとつある。彼の下積み時代、俺が親戚の結婚披露宴に
出席してたら何やら後ろから俺に声をかける人がいる。誰かと思って振り向い
たらそこにMがいた。その頃は披露宴で流す曲をカセットで再生するだけの単
純な仕事しかさせてもらえてなかったんやね。
その彼が苦節10数年、株式会社を設立し社長になった。地道に真面目に
努力を重ねたら報われるという当たり前のことがとんでもなく難しい今の日本で、
これもただただ頭が下がる思いがする。

まだまだいる。俺の友達の弟であるH・K。彼は友達の弟やし、結婚して伏見
に住んでいる
ので、それこそ滅多に会うことなんかない。年賀状のやり取りはあ
るもののたぶん3~4年は会ってなかったやろう。その彼がこないだわざわざ家に
お祝いを持ってきてくれた。
これじゃあ、まるで俺がメールで祝儀を催促したみた
いになってしまう
ので、きてくれた時俺か嫁のどっちかがいたら、ほんとに気持ち
だけで十分
なので、そんなのは持って帰ってくれ、と言えたのに、たまたま俺と
嫁がいない時にきて、おふくろに祝いを預けてくれていたのでどうしようもなく、
それは結局好意に甘えさせていただくことにしたんやけど。 
その彼は自分の子供さんが小さい頃の病気でそれは苦しんでいた。それでも
夫婦で子供に少しづつ運動をさせ、なんとか子供が健康になるようにと地道
な努力を続けてきた結果、今その子供さんはテニスで全国大会に出るまでに
っている。
先の見えない病気と闘い、健康という何よりも大切な財産を子供に取り戻し
てやったこの彼と奥さんもまた、尊敬に値する人たちだ。

そして昨日、これも前の会社の後輩のTとOが二人で家にくるという。この後輩
たちとも数ヶ月会ってなかったし、俺がメールを送ってからこの時期に二人で揃っ
てくるということは、前述の友達の弟H・Kの例もあり、これは間違いなく祝儀を
持ってきてくれるつもりやなと思ったので、俺はすぐTに電話して、「もし祝儀を
持ってくるつもりなんやったら家にくるなよ、メールしたのはほんとにお世話になっ
たお礼と報告だけで、祝いは気持ちだけで十分やから
」とクギを刺し、Tも分か
りました、と言ってくれたので家にきてもらうことに。
で、やってきた二人。俺は玄関前で「祝儀は持ってきてないやろな?持ってきて
たら家にいれんぞ」と念を押したら、持ってきてません!というので、ほな上がれ、
ということでひさしぶりにバカ話を楽しませてもらっていたのだけれど。
それから2時間くらい居てくれたと思うけど、その二人が帰り際にいきなり「お祝
いです」と祝儀袋を
差し出すじゃあーりませんか!だから要らんっていうてるやろ
う、と言うたら、「ほんとにおめでたいからおめでたい気持ちを表しただけで、何の
大意もありません。だから受け取ってください。」と言うてくれる。まぁ、たぶん俺
が逆の立場でも、祝儀は持っていったやろうから、これも結局ありがたく頂戴す
ることにした。
この心優しい後輩達ともエピソードがたくさんある。その中からひとつづつを紹介
する。

Tは俺が工場の責任者だった時に新人として入ってきた。まず一番初めの教
育をする前のオリエンで、Tの人の話を聞く態度がだらけて見えたので一喝した
ことがある。まったく最近の若いもんは・・・などと思っていたなぁ、その時は。
その後、研修が終わったあとに報告書を書かせたら、この研修、早く終わらな
いかなぁ・・・みたいなことが書いてあり、俺はそこで、もうこいつはどうにもならん、
どうせすぐやめるか、やめんかったらやめさせてやろう、くらいに考えていた。
ところがどっこい。仕事をさせるとこれがけっこうやる。相変わらず態度はだらしな
くは見えたけど、仕事にだらしなさはないし、頭の回転がよくて要領がいい。
いつしかTは仕事では工場の戦力として欠かせない人員になり、また、その頭
の柔らかさで俺のプライベートな後輩としても欠かせない人材になった。人を
判断する難しさっていうのをこの時改めて感じたね。
その彼も俺が辞めた後会社を辞め、さまざまな仕事を経験した後、数ヶ月前
にお父さんの事業を引き継いで青年社長として働いている。仕事大変やろう、
と言うと、「それが楽チンなんですよねぇ」と笑う。ここが彼のなんとも素晴らしい
ところでそれは前の会社にいた時から何も変わることがない。楽な仕事なんて
あるはずないのは、彼も重々分かってて、きっと辛いことはたくさんあるに違いな
いのに、いつもこう言ってのけるTもまた俺の自慢の後輩だ。


Oは転勤してきて、Tの後に俺の部下になった。別の店にいた彼の噂は既に
聞いていて、仕事に関することでは何の不安もなかったし、噂通り仕事はでき
るし、客当たりもよく、即戦力になってくれた。しかもOもユーモアのセンスがあっ
たので、Tともすぐ仲良くなり、この二人がいると現場がいつも明るくなったことを
思い出す。
このOにもおもしろい話がある。ボーナスの時期、つまり7月と12月にはボーナ
ス査定というものがあり、この時、俺は彼らの業務成績査定、つまりランク付け
をしなければいけない。その時俺は必ず一人一人と面談を行い、「俺は君を
こう評価しているがこれについて言いたいことはあるか?」と確認するようにして
いた。その席での話。Oを俺の前の席に呼び、「まぁ、座れ」と言うたら、彼が
思いもよらぬ行動をとりよった。なんと、彼は俺のひざの上に座りよったのよ!
俺はこの行動に思わず大笑い。きっと何かおもろいことしたれ、とずっと考えと
ったんやろね。上司に対してふざけてる、と見る向きもあるかも知れないが、俺
はこういうジョークを飛ばすくらいの余裕のある奴が大好きなもんやから、これで
一気にボーナス評価を上げたろかと思うくらいやったね。
そのOもTに続き会社を辞め(ホンマに皆辞めていく会社やねぇ(笑
))、今は大
型二種免許を取って、マイクロバスの運転手をしながら将来は観光バスか市
バスの運転手になると言って頑張っている。彼もTと一緒でどんな辛い時でも
落ち込んだ所を決して人には見せない見上げた奴だ。


まだまだいる。逆にここに書くのが憚られるくらい尊敬してる先輩・後輩・友知
人がまだまだたくさん。もっともっと書きたいけれど、あまりに長くなるので、このあ
たりで筆をおくことにする。

結婚式が迫ってきた。その日は、ここに書いた人達をはじめ、娘を、俺達を祝っ
てくれる人たちに、必ず恩返しができるように娘の父親として精一杯努めたい。
皆さん、ほんとに感謝に耐えません。ありがとうございます!!


ひとつ屋根の「上」

2007-06-08 | Weblog

最近の昼間、ちょっと前に流行った江口洋介主演の「ひとつ屋根の下」というドラマの
再放送をやっている。俺はもちろん昼間は見れないけど、次女が好きでビデオに録画
しているので、空いた時間にそれを見ることが多い。

で、ドラマの内容には何の関係もないんやけど、このドラマについて、次女が言ったケッ
サクなひとことあるのでご紹介を。

「ひとつ屋根の“上(じょう)”はいつやってたん?」

上巻、下巻があって、どうも今は「げ」を放映してたと思っておられたようです。ほんなら
「ひとつ屋根の」というタイトルのドラマやと思ってたんかい!

ホンマにこんなんで嫁に行けるんかなぁ。