僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

よーい、ドン

2011-10-26 | Weblog
先日、孫のもっくんの運動会があった。平日で行けなかったので、そのビデオを見せてもらうことに。

カメラは徒競争のスタートラインに並ぶもっくんをしっかり捉えている。

「よーい」 もっくんの目じりが下がる。
「ドン」 うぇーん、と泣き出し座り込んでしまった。

全員がゴールしても、彼はひたすら泣きつづけている。
先生たちは、彼を皆でよってたかってなだめすかし、なんとかゴールまで連れて行ってくださったが、このような園児はもっくん以外誰もいなかった。

幼稚園一の泣き虫の面目躍如、泣き虫チャンピオンの座を渡してたまるか!といったところなので、私が大満足していたら、もっくんは自分の映像を見て「かっこいい!」と言いながら大喜びしていた。

今後、彼の人生で何度となく繰り返される「よーい、ドン」
その時、自分自身のスタートラインが見えていればそれでいい。そう思うのだ。

日本料理

2011-10-20 | Weblog
バンド仲間が経営する日本料理店で食事をしていた時の話。
カウンターで食事をしていた私からは、厨房の様子が見える。そこでの、師匠(バンド仲間)が弟子を躾ける様子に痛く感動したので、それをご紹介しようと思う。

師匠:「お湯でえへんぞ!」
弟子:「ハイッ、すいません」と、すぐにお湯を出そうと動きだした瞬間、
師匠:「焼き物どうなっとんねん!」
弟子:「ハイッ、すぐに」と、今度は焼き物を見に行こうとした、またその瞬間、
師匠:「手ぶらで動くな!」
弟子:「ハイッ」

とにかく、弟子にしてみれば、「一体どないせえちゅうねん!」と言いたくなるような命令が続く。しかし、彼は一切口応えすることなく、師匠の言うことを全てこなそうと懸命に考え、動く。
師匠は分かっている。そんなこと一度にできるわけがないことを。でもあえてそれを命じるのは、理不尽をどう生きるかを問われる世の中を生き抜くための力をつけさせるためであり、狭義においては、自店に来て下さるありとあらゆるお客さまに、対応できる力をつけさせるためなんだろうと私は思う。師匠もまた己の師匠に、そのようにして育ててもらったからこそ、今の自分があることを何よりも分かっているはずだから。

この会話は、教育者とは名ばかりの教育者が増え、なよなよした男子がどんどん増えていく世の中において、最高の教育見本だ。
もちろんこの店の料理の味は最高である。しかし、この会話がさらにそれを味わい深いものにしてくれている。
「“日本”料理」はかくあるべし、と思うのだ。

「漕ぎ手」の方へ

2011-10-19 | Weblog
このブログで、母が書いた小豆島の押し込み祭りの句をご紹介したところ、その祭りでの舟の漕ぎ手の方からコメントを頂戴しました。その際、その祭りに合わせ、母を連れて帰りたい、とお伝えしておりましたが、あいにく母の体調・体力が芳しくなく、行くことができませんでした。漕ぎ手の方と是非お会いしたい、と考えておりましので非常に残念です。
今後も母を連れて帰ることは厳しいかも分かりませんが、いつか私たち夫婦や子供たちを連れて祭りに行きたいと考えています。どうぞそれまでお元気で舟を漕いでいただき、母が愛した小豆島の素晴らしい文化を今後も残していただきたいと思います。では、いつかきっとお会いしましょう。

失言で済んでるうちに

2011-10-19 | Weblog
「落ちたら自分で這い上がってもらうからな!」
「落ちて頭が○○(ひどい言葉で書けない)になっても知らんぞ!」

さてこれ、誰が誰に向かって言った言葉だと思われますか?
実はこれ、幼稚園の先生(男性)が園児達に言った言葉なのです。
場所は電車のホーム。この先生は、遠足に行く園児達を引率していました。ホームの端を歩く彼らに、ホームに落ちないよう注意をしたのでしょうが、まだ言葉の意味もよく分からない幼稚園児に向かって、先生が言う言葉とはおよそ考えられません。

ここまでくるとこれはもはや「失言」ではなく、「資質」の問題です。この先生はきっと、「ちょっと考えたら分かるでしょう」と言われても理解できない人だと思います。

国のトップのみならず、巷にもそれ相当の資質をもった人がいなくなってきました。
かろうじて失言で済んでいるうちになんとかしなければ、「言葉を失う事態」になってしまうのではないでしょうか?
様々な問題を抱える日本ですが、やはり「(教育者も含めて)教育」こそが、最も早急で重要な課題だと思います。


たまらんわ

2011-10-06 | Weblog
先日このブログで「犬の十戒」を紹介させてもらった際、それを読んでくださった我が社のM相談役が、「人にもそれに良く似たものがある」、と、以下を教えてくださった。
年老いたご両親をお持ちの皆さまにはとりあえずティッシュをご用意いただいた上お読みいただき、泣き顔を人に見られたくない方は、自宅でこっそりお読みください。ちなみに、80歳になる母を持つ私のティッシュケースはほぼ空になりました。

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『手紙』 ~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
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一緒に写真に写りでもしたら、暴力団との付き合いがある、と言われそうなほど、見た目の怖さでは、大阪府下でも10本の指に入るであろうM相談役だが、私にこの文章を手渡してくださる時に一言。

「たまらんわ」

この話も、M相談役の優しさも、たまらんわ。