来年の話をすると鬼が笑うというが、これから書くのは笑えない話で。
当たり前ではあるが、子供の頃の私は、お年玉が楽しみだった。
ただ、その中で唯一不満だったのが、いつも極端にお年玉の額の少ないおじさんがいることだった。
親戚中が集まり、十人以上にお年玉をもらう中で、そのおじさんの額は皆の平均の5分の1程度だったように思う。
両親に「なんであのおっちゃんだけはいつもちょっとしかお年玉くれはらへんの?」と聞くと、「あそこのおっちゃんは貧乏でえらい苦労してはんねん、もらえるだけでもありがたいと思い!」といつも叱られていたが、所詮は子供、そうは言われても少ないものは少ないので、なんかそのおじちゃんだけはあまり好きになれなかったのである。
あれから40年以上の時が経ち、ウルトラ甘ちゃんの私でも、お金を稼ぐということがいかに厳しく、生きていくことがいかに辛いか、ようやく分かり始めてきた。
そのおじさんの仕事は自営業。細々とした三ちゃん家業で、売り上げはわずかだったそうな。でもおじさんは、決して休まず、決して手を抜かず、そしてただの一言も愚痴を言わず、戦後の何もない時代に家族と自分を守るために働いた。
正月に兄弟、親戚が集まる場には来たかっただろうが、お年玉を渡すなんてのは、できれば避けたかったに違いない。
今思う。
金額なんて全くどうでもよかったのに、なんと自分は恥知らずだったことか。
一番少ないお年玉こそ、一番ありがたく、一番大切なことを教えてくれるものだった。
一番少ないお年玉を毎年欠かさずくれたおじさんこそ、最も尊敬できる人だった。
もう亡くなられたが、おじさんにはホントに申し訳ない気持ちである。
せめて新年を迎える前に、おじさんに最大限の敬意を払いたい。
鬼が泣く話があってもよいではないか。
当たり前ではあるが、子供の頃の私は、お年玉が楽しみだった。
ただ、その中で唯一不満だったのが、いつも極端にお年玉の額の少ないおじさんがいることだった。
親戚中が集まり、十人以上にお年玉をもらう中で、そのおじさんの額は皆の平均の5分の1程度だったように思う。
両親に「なんであのおっちゃんだけはいつもちょっとしかお年玉くれはらへんの?」と聞くと、「あそこのおっちゃんは貧乏でえらい苦労してはんねん、もらえるだけでもありがたいと思い!」といつも叱られていたが、所詮は子供、そうは言われても少ないものは少ないので、なんかそのおじちゃんだけはあまり好きになれなかったのである。
あれから40年以上の時が経ち、ウルトラ甘ちゃんの私でも、お金を稼ぐということがいかに厳しく、生きていくことがいかに辛いか、ようやく分かり始めてきた。
そのおじさんの仕事は自営業。細々とした三ちゃん家業で、売り上げはわずかだったそうな。でもおじさんは、決して休まず、決して手を抜かず、そしてただの一言も愚痴を言わず、戦後の何もない時代に家族と自分を守るために働いた。
正月に兄弟、親戚が集まる場には来たかっただろうが、お年玉を渡すなんてのは、できれば避けたかったに違いない。
今思う。
金額なんて全くどうでもよかったのに、なんと自分は恥知らずだったことか。
一番少ないお年玉こそ、一番ありがたく、一番大切なことを教えてくれるものだった。
一番少ないお年玉を毎年欠かさずくれたおじさんこそ、最も尊敬できる人だった。
もう亡くなられたが、おじさんにはホントに申し訳ない気持ちである。
せめて新年を迎える前に、おじさんに最大限の敬意を払いたい。
鬼が泣く話があってもよいではないか。