僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

年末のご挨拶

2010-12-29 | Weblog
今日、いつも行くパン屋さんでレジ待ちをしていたら、女性の大きな声が聞こえてきた。
「え~!?なんで?○○パンは今日ないの?何時頃にやったら入る?あ~!え~?なんでぇ!?」

どんなパンなのかは知るよしもないが、とにかく、パンごときでこれだけ残念がることができるのは、このお方、とっても幸せな一年を過ごされてきたからに違いない。体型もとっても幸せそうだったし。

今年も今日で仕事収め。スネてやると思うくらい好きではない家の大掃除が待ってるのが憂鬱だが、この1年、大掃除ができる精神と健康を維持できたことは、パンで喜ぶことができる人のことを思えばこの上ない幸福である。

社内外を含め、私のつたないブログの愛読者がいてくださると聞いた。
私を支え、幸福をくださったその方たちに心からお礼を申し上げると共に皆様の健康と幸福を祈念して年末のご挨拶に代えさせていただきたいと思う。

本年は誠にありがとうございました。また来年毛よろしくお願い申し上げます。

中年のプライド

2010-12-15 | Weblog
「最近の若者は・・・」と嘆き出すと老化が始まっているらしい。
でも、でもである。以下の若者たちの話を嘆かない中年同士たちはいないだろう。

ではまず最初の若者に登場していただこう。
彼はコンビニ店員である。私は98円の買い物をした。103円渡したらもちろん5円お釣りをくれた。でもそれは全部1円玉だった。5円玉がなかったわけではないだろう。彼は、きっと私を意味もなく3円を出すヘンなおじさんだと思ったのよん。

この程度でくじけてはいけない。気を取り直して二人目の若者の話を聞いておくれ。
彼はちらしを配るアルバイトである。私は片手にカバン、片手に傘。彼はためらうことなく「今日オープンでぇーす」とちらしを渡してきた。一体どうして欲しい?キミならきっと口で受け取るんだろうね。

いいかげんにしろ!と?いやいやそうおっしゃられず最後の若者もよろしく。
彼女は飲食店で働くウェイトレスである。私は食事を注文をするために彼女を呼んだ。彼女は振り向きざまこう言った。「“ウチ”のことですかぁ?・・・」。ウチも外もあるか。キミの場合は節分でも福は外だ。

まったくもってこれを嘆かずして何を嘆くのか。
老化が始まってようがなんだろうが構わないじゃないか!誇り高き中年同士たちよ、もっと嘆こう!叫ぼう!
そしてもっと若者に嫌われておくれ!私だけがいい人に見えるように。

ホンモノとニセモノ

2010-12-14 | Weblog
「ひどい!ニセモノを売りつけるなんて!」
大金をはたいて有名ブランドバッグを買ったつもりが、ニセモノだったと分かった時のオバサマたちの反応である。でも、騙すほうも悪いが、ホンモノとニセモノの見分けもつかないのに「有名ブランドだから」という判断基準だけで高い買い物をして文句を言うあなたたちはもっとひどいでしょ、と言いたいのは私だけではないだろう。

先日ノーベル化学賞を受賞して帰国した鈴木章教授は、授与されたメダルをスーパーの袋に入れて持って帰ってこられた。記者会見で、メダルをがさがさと袋から取り出し、ケースから引っ張り出す様がとてもぞんざいで、思わず笑ってしまったが、その様子は研究に全てを捧げてこられた氏の生き様を表していて、すぐに感動へと変わった。

ブランドとは自分自身の価値である。
「有名ブランドで高いものなら満足」「機能を果たせばスーパーの袋で十分」という前者と後者は比べる価値さえもない。

改めて、実を取る生き方を貫かなければと思いながら次の瞬間私は気がついた。
私の持っているギターは有名ブランドでとっても高い・・・

笑いの現場

2010-12-13 | Weblog
「ロマンチストにロマンは描けない」
誰だったか忘れたが確か著名なコピーライターの言葉だったと思う。

漫才で、面白いネタを笑いながら考えているコンビは一組もいなかっただろう。ホントの天才同士でもない限り、一番面白いコンビは相方と過ごした面白くない時間が一番長いコンビであるはずだ。

漫才のコンテストとして10年続き、確固たる地位を築いてきたM-1グランプリが今年で終わるそうな。
この10年間、笑ってはいられなかった番組製作者の汗と涙を思うと、まさに潮時だっただろう。

僭越ではあるが、スタッフの方々には本当にお疲れ様と言いたい。
来年から、どうぞゆっくり笑ってください。

竜馬は必要な時いなくなる

2010-12-02 | Weblog
電車の中での同じような出来事を2つ。

まずは数日前。
帰りの電車、車両の真ん中辺りで立っていた私の横を杖をついたおばあさんが通り過ぎた。見ていると明らかに席を譲ってくれそうな人を探して歩いてことが分かる。しかし、何人もの若い人たちの前を過ぎるが誰ひとり席を譲る気配がない。そしておばあさんがこの車両の端まで行き着こうかという時、ようやく席を譲った男性がいた。
でも、その人はおばあさんとほとんど年の頃が変わらないお年寄りだった。

そして昨日。
同じく帰りの電車で立っていたら、今度は外人の妊婦さんが乗ってきた。例によってまた誰も席を譲ろうとしない。またこの間と同じようなことが起こるのかと思いながら見ていたらさすが外人さんは違う。この方は若い男の人の前に立ってはっきりと、「ニンシンデス。セキアケテクダサイ」とおっしゃった。
もちろん、若い人はすぐに席を立ち、この妊婦さんは無事に席を譲ってもらった。

でもどちらも、最終的に席は譲ってもらったものの、若い人が譲らない、言われるまで譲らない、という、私達が「お年寄りや体の不自由な方、妊婦さんには席を譲りましょう」と親や学校から教わってきた常識的な行動とは正反対の状況から起こったことだ。

こんな時代だから、今の日本では、言いたいことを言わなければ自分が損をする。かといって、お年寄りや妊婦さんという他人から見てもはっきりと分かるある意味のアドバンテージがなければ、常識的なことでもはっきり言うと逆恨みされる。加えて、日本人はこの外人さんのように自分の意思をはっきり伝えることをためらう。私も第三者ではあるが例外ではなく、おばあさんに席を譲ってあげてはどうか、と言うことはできなかった。

そうすると、今の日本できちんと自分の意思を相手に伝えるには、「相手の気分を害さぬよう、平和的な雰囲気をかもし出し、押し引きしながら少しだけ本心を言う」という、俳優並みの表現力と「危ないと思ったら即諦める」というポイとプライドを捨てられる決断力が必要ということになる。

昨今、諸外国はこの日本人の国民性を知っていて、我が国と外交を仕掛けてきているのは明らかだ。
歴史上でも現実でも必要な時に竜馬が逝ってしまった。