僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

センチメント

2012-10-31 | Weblog
尊敬する石原慎太郎氏が国政に出るそうな。

任期半ばだの、オリンピックが招致できそうにないから逃げ出しただの、暴走老人だの、あちこちから批判の声がたくさんある。が、そんな声を発した人が日本のためにしたことは恐らく石原氏の数百分の一、数万分の一程度のことだろう。
氏は以前ネットのインタビュー記事でこう話している。

『人間の理念理想なるものが価値あるものとして許容される範囲には当然限りがある。オウム信者の狂気は社会的には理念としてとても許容され得ないし、キリスト教での魔女狩りなども同断だろう。それらが表出しての行為は理性をはみだし奇矯で独善排他的で時には有害でもある。しかしなお当事者たちはそれがある種の理念に依(よ)るものゆえに、理の通ったものと確信してやまない。この種の逸脱は大小こと欠かないが、それが淘汰されない訳は、それらの逸脱が人間だけに共通な情念(センチメント)に依るものだからに他ならない。そしてこのセンチメントほど実は厄介なものはない。それは理性をも超えて優に人間を左右してしまう。』

都政を変えた実績。都民の信頼の厚さ。国を憂う気持ち。そして、御年80歳にしてお国のために最後の奉公をしたいという姿勢。理性で判断すれば、どれも他の人は足元にも及ばないではないか。

批判を繰り返されている方よ、くだらないセンチメントに流された批判が通用するお方かどうか、よく考えてみたらどうか。


塩分控えめ

2012-10-30 | Weblog
最近、音楽仲間が増えて、ライブを見る機会も増えてきた。
そこで、教えられたことが、54歳の自分をまた変えようとしている。

アマチュアミュージシャン達は皆、自分なりの音楽を自分のスタイルを貫いて楽しんでいる。もちろん好みもあれば、受け入れられるものとそうでないものがあるけれど、ライブを見る度、とにかく皆尊敬に値すべき人だ、いう思いにいつも納得させられる。そうすると、上手い下手、良し悪し、好き嫌いと言った感情が湧かなくなってくるし、そんな判断基準を持つことがバカバカしいと思えてくる。

好き嫌いはあって当然だし、その感情がなくては人間ではない。またそれが自分や社会の成長に欠かせないものであることも確かだろう。でも、「嫌い」が生み出すものは、創造性に欠けるし、プラスエネルギーにも欠ける。やはり「好き・楽しい」という気持ちから生まれるものを大切に、「嫌い」は、スイカにかける塩のように、好きと組み合わせることで、対象の良さを引出し、自らは違う味に変化するものとして利用するのが適当だろう。

60歳の若さで亡くなった私の先輩は、自分の長所を「嫌いな人がいないこと」と言っておれれた。あと、6年で私もその先輩と同じ歳になる。

「塩分控えめ」は人生に於いても重要なことのようだ。





自分哀歌

2012-10-25 | Weblog
法務大臣がまた変わった。
理由は外国人献金を受けて“いた”からとのこと。

禁止されていることをしてはいけない。これは政治家であれ子供であれ全く同じことである。でも、それをし(てい)たから、与えられた職務を全うできない、というのであれば別だが、今回の話はそうでないだろう。
ひょっとしたら辞めさせられた大臣は法務大臣として今までで最も優れた仕事をしたかも分からない。なのに、能力に何の関係もないことで辞めさせた、ではあまりにくだらないと思う。それこそ橋下さんのいう血脈主義に近い思想で、過去になにかしでかした人は未来永劫立ち直れない、と言っていることに等しいではないか。

原発、東北、中国、韓国、沖縄、拉致…ちょっと思いつくだけでも、今の日本には、ものすごく重要な問題が山積である。献金がどうしただの、政権だの、選挙だの、言ったの言わないだの、こんなことはもういいではないか。

献金は数知れず、愛人は数え切れず、失言・暴言もやりたい放題。でも、国民を守るための正しい対局観と信念と情熱を持った人物。こういう人こそが今の日本に必要なのだ。

「そんな人いるわけない」

結局ここに至ってしまう日本と自分が哀しい。

天使の羽

2012-10-16 | Weblog
このブログでお知らせしていた、孫たちの運動会が先日あった。

中でも、もっくんは、よその幼稚園の親御さんが、「今年のもっくんはどうなるか楽しみで見に来た」という人がいるほどの運動会のスター?だったらしい。
娘は、ありがたいやら、情けないやら、なんとも複雑な気持ちで、しかも、どういう結果が皆の期待に応えることになるのかよく分からない、てな状況だっようだが、とにもかくにも運動会は始まった。

「よーい、ドン!」
おお、今年は座り込んで砂遊びをしていない。とりあえず一歩前へ出た!
「走れ」「いや皆の期待に応えろ」複雑な願いに娘の気持ちは揺れる。

そして…もっくんは、ただ悠々とまるで散歩のようにゴールまで「歩いた」。
もっくんを見に来た人たちに、「さすがもっくんは期待を裏切らへんなぁ」という喜びを与えて。

考え方は色々あるだろう。
でも、私たち夫婦も娘たち夫婦も「まぁ去年よりは成長したな」ということで一致した。

彼は、亀の歩みであれ、少しずつ確実に成長している。
自分で飛べず、巣の中でエサをもらう立場にあるものは、とにかく愛情に包まれて、少しずつ成長すればよい。

なぜ天使には自分で飛べる羽があるんだろう。
羽が生えたら天使だと呼べない気がする。

天使たち

2012-10-11 | Weblog
今日は孫たちの幼稚園で運動会がある。

昨年の運動会では、一番上の孫のもっくんが、ただ一人スタートの合図と同時に立ちすくんだまま、走らずにいたことを書いた。今年もここまでは昨年と同じく「極めて順調」で、リハーサルや家での練習では何の問題もないらしいが、果たしてどうなることか。またまた立ちすくむのも、もっくんらしいし、今度は走るのも成長したもっくんらしさである。

「♪駆け回る天使たちの声がする♪…」

孫たちの通っている幼稚園は私と、娘たち二人の出身園でもある。
20数年前、娘たちが通っていた時に園歌として応募した私の書いた曲が今もなお、父兄の歌として歌い続けれられているらしい。

昔はずいぶんとこっ恥ずかしい詩を書いたもんだと思っていたが、今も昔も子供たちはやっぱり天使でしかない。
願わくば、孫たちが大人になった時にも私の歌が歌い継がれ、天使たちが駆け回り、親が優しく見守る運動会が続いていることを。


実験室に戻らなければならない

2012-10-10 | Weblog
iPS細胞の研究で山中教授とガードン博士がノーベル賞を受賞された。

華々しい結果の裏にはいつもとんでもない苦労話や美談が隠されているもので、今回はどんなことかな、と思っていたら、お二人共つい最近までは無名で失敗ばかり繰り返し、指導してくださる方々からは邪魔者扱いされたり、見捨てられたりするほどの、落ちこぼれだったという。

それでもお二人は、道を選びながら、ずっと前に歩き続けて、世界の頂点に立った。
どう見られようが、何と言われようが、決して諦めず、地を這うような努力を続けることがいかに大切なことか、54歳にして今回ほど身に沁みて教わったことはない。

山中教授は受賞後こうおっしゃっている。

「来週実験室に戻らなければならない。それがノーベル賞受賞者がすべきこと」

この世を去る前、人として一人前であった、と言われることが私のノーベル賞である。
絶対に諦めず、ただただひたすら努力することを自分に誓う。

さぁ、仕事に戻らなければならない。

かばん

2012-10-03 | Weblog
どうも、今東京にいる長女にカレシとやらができたらしい。
父親としては、うれしいような寂しいような、なんだかなぁ、という気持ちであるが。

でもそんな複雑な気持ちの中でもとても嬉しいことがひとつある。
先日東京で娘とそのカレシに会ってきた嫁の話によると、娘は「女性のカバンを持つようなオトコは大嫌い」と言っていたらしい。
かくいう私も、そんな何が男の優しさなのかもわからないようなオトコも、自分で持てるカバンも持たないようなあつかましいオンナも大嫌い。
ということで、娘がなんか私の思いを分かってくれていたような気がしたし、カレシもそんなオトコじゃないこともはっきりしたし、えらく上機嫌なのであーる。

人の縁とは、ほんの小さな方向性の一致であることが多い。
二人は何がきっかけで付き合いだしたのかは知らないが、とても大切な価値感をすでにひとつ共有できている。今後の二人にとってのプラスになることは間違いないだろう。

ギターの次に、と言っていいくらい、カバンが大好きな私。
娘とカレシのおかげで、カバンはモノを入れるだけではなく、とても大切なものが出てくるものだ、ということが分かった。
娘も、しまい込んでしまいたいような気持ちもあるだろうが、前に進む力をそのかばんから引っ張りだして欲しい。

私はとりあえず、ややこしい気持ちをかばんにしまっておくことにしますよって。