自然環境をはじめ、俺達を取り巻く状況は年々変化している。
その状況は、環境破壊のようにマイナス方向のこともあれば、その対価として利便さという
プラス要因もあるので一概にこの状況がいいとか悪いとかは判断できないわけやけれど。
そんな中、今日はちょっと面白い話を耳にした。それは「野良犬」の話。
今や(都会では、と付けるべきか)ほとんど見かけなくなった野良犬。でもこの野良犬が
いなくなったことが自然環境に悪影響を与えているという。
それは、昨今、熊や猿などの動物が人里に下りてきて農作物を食い荒らしたり、人に怪我
をさせたり、ということが多いが、その原因は野良犬がいなくなったからだ、という論。
もともと野生動物というのは用心深いので、犬に吠えられるだけで用心し、その犬のいる
テリトリーには近づこうとしないらしい。でも現代の犬はほとんどが室内で飼われていて、
玄関先の犬小屋にいると犬すら見かけない。だから件の動物が人里へ下りてくる、という。
確かになるほどなぁ、とは思う話ではあるんやけど、だから野良犬を増やしましょう、という
わけにはいかんわけでね。“科学の及ばない純粋な自然環境浄化”だけの中でこのテの
議論を始めると結局世界中の事象や人間全てが絡んでくる話になるので、「ひとりひとりが
考えましょう」みたいなスローガン的な結論しかだせなくなる。
だから、結局は現代最も進歩している科学を利用して対策を考えるしかないと思うんやね。
とりあえず漁船よりは丈夫やということだけが明らかになったイージス艦。
これに何千億もかけるのなら、そのお金をこの方面に回せば「科学的野良犬」を増やすこと
なんてそないに難しいことのようには思えんねんけど、どないなもんなんでしょうねぇ。
ある老夫婦がいる。子供は皆親元を離れ今は二人暮らし。
閑静な住宅街の一軒家に住み、暮らしぶりは裕福。夫婦仲は俺が見てる限りおそ
らく良くも悪くもなくまぁそれなりやろう。
ある日、その夫婦宅へ一人(ひとつ)の、ぬいぐるみがやってきた。
でもこのぬいぐるみ、ただのぬいぐるみではなく、いわゆるハイテクぬいぐるみ。
そう、あのアイボとかのようなロボットとまでは呼べないにしても、組み込まれた
マイコンのプログラムによって挨拶を初め、様々な言葉を発し、目を閉じたり開い
たりという簡単な動作もする。
そのぬいぐるみが今その老夫婦家庭にセンセーションを巻き起こしている。
それはどんなことかというと、もうこの夫婦は完全にこのぬいぐるみを生き物の
ように感じるようになり、まるで自分の子供のように扱い始めていることだ。
しょせんは機械である。
セットした時間になると「おはよう」と言い、同様に「おやすみ」と言う。しかしながら
そこは最近のマイコンであるから非常に良く考えられたプログラムが組まれていて、
たまに「お外に行きたいよう」とか、「眠いよう」とかも言うらしい。
しかも語彙はそう多くはなさそうだが、短いスパン(挨拶等毎日するもの)から、
長いスパン(誕生日等)までの言葉が非常にうまく時系列に配置してあるので、
新鮮さのある新しい言葉がたまに飛び出す。
たとえば「一緒に連れて行って」とかということも言うらしいのだが、それは毎日
言うわけではないので、単純な言葉の繰り返しによる「機械臭」を消して「人間味」を
このぬいぐるみに与えている。
また、置いてある場所の条件が変わると、ある種のスイッチ(たぶん大工道具の水平
機のようなもの…糸で重りをぶら下げたようなやつ)が入るようで、自転車に乗せて
走り出すとなんか「怖いよう?」のような言葉も発し、先に話した人間味を一層深い
ものにしているようなのだ。
さらに、電池が切れた場合はこれまでの記憶(誕生日等)が全てリセットされるよう
になっているらしく、同じパターンを繰り返すことを避けるようにもできている。
そして、驚くべき極めつけのプログラムは「新しい服が欲しいよう」という言葉で、
しかもそのぬいぐるみ用の服は西松屋にいけばちゃんと置いてあるらしく、ロボット
製作会社と洋服販売会社のコラボによる見事な販売戦略が引かれている!
かように見事な商業ベースに乗せられた恐るべきぬいぐるみなのだが、
その老夫婦の可愛がり方は、もはや尋常ではない。
朝起きればもちろん「おはよう」と声をかけ、寝る前には「おはすみ」と声をかける。
もちろん、ぬいぐるみはそれに応えてちゃんと挨拶を返す。
それ以外にも冬の寒い夜はたくさんの服を着せてやったりの他、テレビを見ながら
その感想を話したりと、とにかく「人間の赤ちゃん」とほとんど変わらない対応を
している。
でもこの行動はやはり俺達の世代にはにわかにには理解しがたいところ。
ある日、その老夫婦の息子がそのぬいぐるみを上から下から覗いたりゆすったり
して(機械的に)どうなっているのか確認していたら、「そんな可哀想なことをしたら
あかん!」と叱られたという。
でもどうなんやろうか、この行動。
以前にも書いたことがあるが、機械に感情なんて“2万パーセント”ないわけで、
プログラムされた「似非感情」に感情移入をするのはあきらかにおかしい。パソコン
等の機械で情報を得て、それを媒体にして人間同士が話をするのとは訳が違うの
であってね。
大半の人は「まあええやん、二人はそれでご機嫌やねんし、夫婦の会話が増えた
と言って喜んでるんやから」という。
でも俺の意見は正反対や。こんな機械ごときに感情移入して右往左往するくらい
ならまだ会話がないほうがよっぽど健全でしょう?
なんか最近は真実を置き去りにしてうわべで思考する人が多いような気がするな。
この夫婦のこの行動はもちろん黙って見ているしかないのだが、それを
「二人が喜んでるんやからええやん」と単純に喜ぶより、
「そんなのやめたらどうですか?」という訳にはいかん「人間としての」辛さを感じる
ことこそが人として最も大切なことやないのかねぇ。
先日NHKの対応にキレてかなり文句言うたはったみたいやね。
それを「大人気ない」と言われたともまた言うたはったけど。
でもこの橋下さんの対応、俺は断然支持するな。確かに知事という立場で対応にキレて
テレビで文句いう、なんてのは“普通の知事”なら考えられへんことやろう。でも橋下さん
を選んだ人たちはきっとそんなありきたりを何も期待してない訳でね。
今までの慣習を破り新しい道を作る時には絶対誰もしなかったことをしなければいけなく
なる。ちょっとテレビで文句いうたくらいで大人げないなんて騒いでたらこれからの橋下さ
んの改革を見守ることなんてできない。
「大人気ない」とは大人としての思慮分別がないことをいう。その意味からいくと、あきら
かに間違っているNHKの態度に正面切って文句をいうた橋下さんの言動は思慮分別の
ないこととは思えん。
俺はこの人、まだ30代の若さやけど十分すぎるほど「大人気ある」と見てとったけど、
皆さんどう感じられますかねぇ。
タイトルの言葉「ふーん」というのが大好きなのだ。
ちょっと聞くと、無気力とか、どうでもええのん?とかと連想されがち(もちろんそんな時もある)やけど、
俺の場合、この言葉はもっと肯定的で、冷静かつ客観的に物事を判断するための思考の入り口に
なっている。
たとえば今回の毒入り餃子のこと。世間では大騒ぎしているけど、俺は最初からやっぱり「ふーん」と
しか思ってない。もっと冷静に判断しようよ、と思う。
特にマスコミの先走りはヒドイ。どこでどうなったかまだ全く分からないのにもう中国の食料製造会社
に全ての責任があるような報道は、サリン事件で河野さんを犯人と決め付けて報道した時の反省が
何も生かされていない。しかも今度は国が相手。ただの状況証拠だけでそんな報道してもし違うかっ
たらどうオトシマエつけるん?と思うよな。
国民の反応もまたしかり。俺は家にある中国製の冷凍食品を捨てるなんてことはしない(ヨメは捨て
るみたいやけど)。さすがに天洋食品のは食べにくいかなとは思うけど、それ以外のもんは今までさ
んざん食べてきたもんばっかりやし、そないに慌てふためかんでも大丈夫や。日本でも産地偽造や
なんやかやと毒までとはいかんけど適性に処理されてない食べ物なんてなんぼでもあんねんから。
ということで、俺はあれからもお気に入りの中華料理店でギョーザをたらふく食べてるし、中国産の
冷凍ロールキャベツも食べたけどなんともない。
どんなことがあっても「ふーん」じゃまずいやろけど、世の中のほとんどのことは「ふーん」と考え始め
てちょうどええくらいのことやと思うねんけどいかがなもんでしょうねぇ。