僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

森森デュエット復活!!

2006-11-29 | Weblog

ネットでニュースを見ていたら、NHKの紅白歌合戦に森昌子がでると書いて
あったね。まぁ、紅白にも森昌子にも何の興味もないし、紅白出場が歌手に
とってどれだけの価値があり、どういう基準で選出されるのかも知らんけど、こ
の人選にはさすがにちょっとあきれてしまうねぇ。

だってこの森さんってついこないだまで主婦やったんやろ?そら昔は一世を風
靡したんか知らんけど、何十年も歌手を辞めてて、その間はNHKにも歌謡
界にも何の貢献もしてないはずやし、単に“昔はすごかった”だけで出るような
もんやんか。
しかもこのお方、ちらっとテレビで見た時にさんまのまんまに出てたんやけどまぁ、
たいがいにせえいうくらいおもんない人やしね。
バラエティー、しかもさんまの番組やから番組側は笑いを引き出そうとするのが
当然やし、出演者は笑いを提供するのが当然やのに、離婚の話に突っ込ま
れたら、ボケることもようせんと、話をはぐらかそうとばかりしてたもんね。誰もこ
の人が離婚したことなんか何の興味もないし、いきさつもどうでもええねんけど、
そこに面白い話があるかも知れんから、ちょっとは興味を持って見てる訳やのに、
バカにするなと言いたいよね。
私は歌手ですから笑いなんか取れんでもいいんですという考えなんやったらバ
ラエティーなんか絶対出たらあかんのに、なんとか復帰したことを世間に知らし
めようという薄汚い意図がミエミエ。俺はこういう自分の求められているのが何
なのかが分からないプロ根性のない人っていうのはどうしようもなく許せんねん
なぁ。


そら、NHKも歌での貢献度も(最近の)ヒット曲もない、まったくオモロクもない、
見た目もよくない、なんて人を出してたもんにゃあ、視聴率なんかようなるわけ
ないわな。


そこでNHKさんにひとつ提案や。どうも旦那の進一さんも出るみたいやから、
昌子の方を出すんならもうここは旦那と「デュエット」をさせてみたらどないやろ。
でもニコニコしながら顔を見合わせてなんてのは、演技でなんとでもできるから
逆にものすごくつっけんどんな雰囲気で歌わす。で、途中になんで離婚に至っ
たのかを掛け合いのセリフで語らせるねん。当然その中には笑いのネタも仕組
んで。そうでもせな昌子を出す意味も、二人揃える意味もないやんか。

こういう時にこそNHKさんにはその権力を見せつけて欲しいな。オモロイこと
のためなら何でもさせるというね。できん言うねやったらお前ら二人共出さんし、
これからもNHKから締め出すぞ!俺達は視聴率を稼ぐためには何でもするし、
お前らもプロならそのくらいせんかい!と言うたったらええねん。
テレビで視聴率を取るということ“だけ”を考えるのなら血も涙もないこういうプロ
デュースをせなあかんと思うな。

笑いを取るためには、笑ってる間なんかないし、泣かせたいのなら泣いたりして
る間なんかない。未払いでくだらん裁判起こしてる間があったら、ちょっとはオモ
ロイことのひとつも考えて見せろって。


プロ並の苦悩

2006-11-28 | Weblog

最近、宿題が多い。

内容的には、忘年会の予約とかメルアドの連絡とかのささいなことから、
歌詞やコードの書き起こしといったちょっと手間のかかるもの、年賀状作
りのように結構手間のかかるもの、それから、レコーディングに備えての機
械の扱いのマスターというようなかなりの時間を要するものがあって、今、
一番難儀なものに作曲というのが残っている。

なぜ、難儀かというと、他のことは時間さえなんとか作れば解決するんや
けど、作曲については“ひらめき”がこないとどうにもならんもんやから。
もちろん、プロの作曲家ならそんなもんがこんでも理論と経験で作れるん
やろうけど、俺たち素人にとっての作曲というのはひらめきが全てとも言え
るわけでね。また、このひらめきという奴は呼んでも来てくれんし、来るとき
は突然やってくるので、まったくもって時間をかければなんとかなるという
性質のものやないし、でもやっぱりそこそこ時間をかけなあかん、というや
やこしい奴なんで大いに困ってしまうのよ。

それに加えてひらめいたからといってそれがいいという訳じゃないところもま
た悩みの種。学生時代のようにそれに全てを注ぎ込んでいる時は感性
が研ぎ澄まされていて、次々に浮かんでは消えという繰り返しがある中か
ら取捨選択できたんやけど、今は浮かぶ気配さえない中で、浮かんだ奴
を逃さず捕らえて不味そうでもうまく調理せんとあかん訳やから。

そもそもなんで作曲をせなあかんかというと、例のCDの製作の一環で、
新しい曲も入れようよ、という話になったからやねんけど、かといってこんな
風に追い込まれた状況で作曲なんかしていい曲ができる訳がないとも思
うし、なんや状況はどんどん蟻地獄に落ちていっているような気がする。

まぁ、できる曲はともかく、苦悩だけはプロ並みではあるなぁ。


女性の顔は特別

2006-11-27 | Weblog

このあいだ、長女が自転車で転んだと言って帰ってきた。
見ると大きな外傷もなく、笑っていたので大したことなかったんやと思って
いたら、その転び方は、誰もが一度は経験してる前輪のスポークの間に
なにかしらが挟まって前へ吹っ飛ぶという最も危険で派手な転び方やった
らしく、地面であごを強打したらしい。でも、もう一度よく見ても幸い内出
血はしてるものの裂傷はなく、顔に傷が残るという女性にとって最悪の事
態になることは免れてそう。あと、足にかなりの内出血があるけど、たぶん
これ以外の後遺症がでるような心配もまずなさそうや。ただ、頬骨の辺り
が痛いらしいので、念のため整形外科にかかっておくように言って、ひとま
ず胸をなで下ろした。

こういう「顔に怪我をする」という事態が起こった時、女の子の場合と男の
子の場合では間違いなく対応が違うと思う。男の子やったらビジュアル系
の職業にでも就かん限りは、少々顔に傷があったって何の問題もない。
だから今回自分の子供が男やったら俺はたぶん「ふーん」の一言で済ませ
たと思うねんな。ところが女の子の場合はやっぱり、顔は命と言ってもいい
部分が間違いなくあり、それが人生を左右しかねん問題になる場合もあ
るので、簡単にふーんでは済ませられへん。
例えばウチの長女の場合はある程度の器量が要求される職種への内定
が決まっているので、もし顔に傷がつくようなことになっていたらそっちへの影
響も十分考えられた訳やから。

男女均等雇用がどうだの、差別がどうだの、やれセクハラだパワハラだの、
いくらガタガタ騒いだところで、男らしさを生かした男に向いた仕事があり、
女らしさを生かした女に向いた仕事があることに変わりなんかない。その
女らしさを生かすということの中には当然、見た目の美しさを生かすという
ことがあり、女優を始めとして、テレビ
局の女性アナウンサーにあまりいただ
けない顔をした人を起用する局がないように、女性の顔というのは必要
な場所では必ず必要になるものであることは、周知の事実。

それを、女性を顔で判断するなんて何事か、というおバカがいるけど、顔
の美しさが必要でない仕事はもちろんいくらでもある訳で、そういう人は、
顔の判断というのは、単に適正の判断であって女性の魅力や価値を決
めるものやなく、差別ではなく区別やということを全く理解できない人なん
やろね。

また、こういう人に心が貧しいですね、なんて言おうもんなら貧しいは差
別用語だとかなんとか堰を切ったように言うてくるんやろう。

まぁ、何にしても娘の大切な顔に傷が残るようなことにならなかったのは
何よりよかったけど、男の俺からしたら、もしこんなバカバカしい会話の事
故に合うくらいなら、まだ自転車で転んで怪我するほうがましやと思うの
であります。


電話1本で絆が一生。

2006-11-26 | Weblog

今日は長女の友達が家に泊まりに来てるんやけど、その友達のご両親から
「今日はウチの娘が泊めてもらうそうで、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願
いします」という電話がかかってきた。

まぁ、俺達50歳近い者の親はそういうことをちゃんとしていたので、至極当た
り前の行為やけど、最近はそういうことをできる親が減っているので、なんとち
ゃんとした親かと痛く感動してしまった。

ウチの娘もたまに友達の家に泊めてもらうことがあんねんけど、手みあげは持
たせこそすれ、わざわざ電話する、ということを最近してなかったので、これに
はなんか目を覚まされた気がする。

この相手の親に電話をする、というのは単にお世話になるお礼をいう、という
こと以外にもいくつかの効果(目的)がある。

まず、相手の親に電話をすることで双方の子供に嘘をつかせない、という効
果。
それに今日気がついたんやけど、親の思いを子供に客観的に伝える効果。
これだけだとちょっと分かりにくいので今日の話で説明すると、「わざわざ電話
をしてこられるなんて、礼儀もきちんとされてるし、何より子供思いのご両親
やね」と泊まりにきた子に話をすることで、その子は普段は分からない自分の
親の“しっかり度”を認識できるということ。親には当然甘えるので普段はなか
なか親のことを理解しようとしない子供でも、第3者に自分の親はきっちりし
てるということを言われると、それなりに受け入れて、親の気持ちを再認識し、
感謝なり、尊敬なりの念を抱くようになると思う。

「今日はウチの娘がお世話になります」という電話だけで、これだけの効果が
ある(期待できる)訳で、親子関係が大きく崩壊している現代で、大げさにい
えばこの電話1本で親子の絆が一生つながるということだって考えられる訳や。

なんでもネットやメールで片付けてしまう昨今、声を交わす会話の大切さを
改めて教えられた気がする。

お礼をいうのは俺のほうかも知れない。


勝っておごらず、負けていさぎよく

2006-11-24 | Weblog

最近は何かとよろしくないことで話題にのぼるボクシング。
でも、本来「殴り合う」というスタイルは「戦う」というスポーツ精神の究極の
姿やから、勝負がついたあとは、ほんとにお互いを認めて称えあえるという
気持ちが一番強くでるスポーツやと思うねんな。

このあいだテレビでそれを裏付けるような話があった。
話をしていたのは元世界チャンピォンの薬師寺さん。
ボクシングをちょっとでも興味を持って見た人なら薬師寺といえばあの死闘、
というくらい、辰吉との名勝負が記憶に新しいとこやと思う。

その薬師寺が
あの死闘を終えたあと、
「辰吉は今まで戦った相手の中で一番強かった」といえば、
辰吉は、
「試合前に色々(悪口を)言ったことを謝りたい」といったらしい。

やっぱり、スポーツはこれでしょ!?勝っておごらず負けて潔く。もっともスポ
ーツやだけやなく、殺伐とした競争社会での人間関係をうまく保つためにも
この心構えは最も大切なもののひとつやと思うし。

社会生活を営む上では、外向きか内向きかだけの差でありとあらゆることに
戦いがある。自分に負けることもあれば他人に負けることもある。
その時、いかにいさぎよく負けを認められるか、また勝った時にいかに奢らず
にいられるかは、自分の心とどれだけ真剣に殴り合ったかで決まってくるもん
やと思う。体の戦いは心の戦いであって、逆もまた同じ。

まだまだボクシングから学ぶことは多い。


1年後の目標

2006-11-23 | Weblog
まぁ何でも目標がないとやる気にもならんもので。

今日、バンドの練習をしてたら、前から言うてたCDを作る話を具体化
しようということになり、毎月1曲づつ録音し、1年で12曲入りのCDを
一枚完成させることにした。

1年といえばすぐのように感じるけど、CDを一枚作るのにかかる時間と
したらかなり長い気がするよなぁ。

だって1ヶ月に1曲づつ録音と一口にいっても、録音日までにその1曲
をアレンジも含めて完全に完成させなあかんわけで。そうすると、録音
日を除く他の週の休日はほとんどその練習に充てなあかんから、他の
ことをする時間が相当に圧縮されることになる。それでなくても一日50
時間欲しいと思ってるのに、これでは一日100時間くらいいる計算や。

そうなると、いくら大好きな音楽とはいえ、それ以外に何もないということ
になり、余裕なく時間に追われて、音楽を楽しめなくなる可能性だって
ある。それでは本末転倒な訳でね。

でもとにかくやってみないとできっこないから、とりあえず目標に向かって
スタートを切ろうと思う。

まずは、完成までにみんなボケずに健康でいることをCD完成の前の目
標とせんと。出来上がった時、みんなしてこれって誰のCDでっか?みた
いなことも逆の意味で夢やないからね。

おばあちゃんの形見

2006-11-22 | Weblog

俺のおばあちゃんは“そういえば”全盲やった。“そういえば”と思うのは、
それくらい目が見えないということを意識させない人やったということ。

俺が23歳の時に亡くなったおばあちゃんは、とにかく俺を可愛がって
くれていた。それはまず、俺が初めての男の孫で、しかも内孫やった
ということがある。

ウチは旧武家でいわゆる「跡取り」が必要な状況にあった。麦飯し
か食べられなかった貧乏家族やったけど状況だけはまるで皇族や。
皇室典範みたいなもんがあったんかどうかは知らんけど、やっぱり跡
取りは男でないと、みたいなもんはあったらしい。

そこへ俺が誕生した。
その頃ならさしずめエイトマンか月光仮面のように颯爽と、よだれを
垂らして泣きわめきながら
。でもそれはそれは待ち望んだ男の子やっ
た訳や。

俺の名前もおばあちゃんが命名してくれた。といっても、とても偉かっ
た先祖の名前を漢字もそっくりそのままつけただけやけど。

物心がつくまでのことはほとんど覚えてないけど、俺が生まれた時か
らおばあちゃんが亡くなるまで本当に
可愛がってもらった。

よく覚えているのは、俺の顔を触っては、「あっちゃんはほんに男前や
なぁ・・・」といってくれたこと。俺は、おばあちゃんそれ間違ってるで、と
も言えず、おばあちゃんはいつもずっと俺の顔を触ってた。

よくおかきを焼いてくれた。練炭やないとうまく焼けんといって必ず練
炭で焼いて食べさせてくれた。
目が見えんのに。やけどするかも分からんのに。
第一焼け具合がどうして分かったのか分からんけど、いつもちょうどい
い焼け具合のおかきを食べさせてくれた。

とにかく、ご飯をたくさん食べろと言われた。俺がどんぶりに5杯ほど
食べたら、大事な米をなんぼほど食べてるねん、と叱られた。

そんな調子で大きくなるまで俺を大切にしてくれたおばあちゃんは、
家の中では手探りで自由に動き回り、身の回りのこともほとんど自分
でやってた。盲人の会に入り、送り迎えは要ったけど積極的にでかけ
民謡なんかを唄ってたな。

だからホンマにおばあちゃんが目が見えない人やってことをそんなに意
識することがなかった。でもそれって今考えるとものすごいことで、おば
あちゃん本人のたくましさもあるけど、親父やおふくろのおばあちゃんと
俺への接し方も半端やなかったんやなと思う。
苦労も半端なもんやなかったはずやのに、両親からおばあちゃんのこ
とでただの一度も愚痴を聞いたことなんかなかったし、俺に何の苦労
も感じさせることなく、おばあちゃんの世話をして、俺たちにはホンマに
「普通のおばあちゃん」としか思わせなかったんやもんな。
我が親ながらものすごい人たちやなぁと感心するわ。

両親には改めて感謝すると同時に、俺は
おばあちゃんに謝らなあか
んことがある。

子供の頃は、目が見えへんのをええことに、近くまで言ってびっくりさせ
たりした。嘘もついた。それだけでも最低や。

でももっと最低なのは、家を改築したこと。
俺が結婚することになって、平屋の武家屋敷を二階建ての二世帯
住宅に改装したんやけど、その時おばあちゃんのことをちゃんと考えて
なかった。

おばあちゃんは小さい頃から目が見えなくなったけど、何十年も住ん
でいる家やからこそ、その中では俺達が盲人と意識することがないくら
い自由に動き回ることができてた。

それを俺は、いとも簡単に改築して、二人の生活を優先して取り上
げてしまった。
でもおばあちゃんはそんなひどい仕打ちにも何ひとつ文
句を言わずに80歳を過ぎてから、しかも盲目で全く新しくなった家の
間取りを手探りで覚えてくれたんや。

そんな最低の俺が、俺がおばあちゃんにとんでもない苦労をかけてい
ることに気が付いたのは、おばあちゃんが不安そうに家の中を歩いて
いるのと見た時。この時になって俺はようやく、おばあちゃんが“ホンマに”
盲人やったということが分かった。

俺はその時、おばあちゃんの手を引きながら、自分の愚かさと情けな
さとおばあちゃんへの申し訳なさで号泣していた。

そして、おばあちゃんはようやく新居の間取りに慣れた頃、この世を去
った。

人は過ちを犯し、気づいた時にはそれを取り返そうとする。でも時す
でに遅しということがある。おばあちゃんがいない今、その過ちを取り返
すことはもう出来ない。そういう意味では俺はこの「
犯罪」を生涯背
負って生きなければいけない。

今までさんざん苦労をかけてきたけど、俺はまだ元気にしてくれている
おふくろ、それに嫁に子供たち、俺の周りにいてくれる全ての人たちに
おばあちゃんがくれた「形見」を分けていく、それしかこの罪の滅ぼし方
はないと思う。

恐ろしいまでに歪み始めている日本。その根本は教育の歪みにあり、
教育の原点は家族の歪みにあると思う。
厳しく育てるのがいいとか、優しく育てるほうがいいとか、色々議論は
あるやろうけど、俺がおばあちゃんや両親から学んだ親(家族)の教育
とは、

「子供に愚痴を聞かせない、子供に苦労を見せない」こと。

子供は間違いなく親の背中を見ている。これだけで教育は十分だと
思うのだ。

おばあちゃんの形見が少しでもこの世のどこかで役に立ちますように。


痩せると不健康?

2006-11-21 | Weblog

東京在住のバンドメンバーで、先輩でもあるM氏が最近えらい痩せて
きたと、同じくバンドメンバーのM女史が言っていたと、これまた同じく
バンドメンバーのN氏から聞いた。

M氏は仕事でちょこちょこと大阪へ来られるのでたまに顔を合わすこと
もあり、その時から確かに痩せてきたなと思ってたんやけど、ここ2ヶ月
くらいは顔を合わすことがなかったので、近況は知らなかった。それが
最近はどうもえらい勢いで痩せてるらしいのよね。

特に太り過ぎでもなく、少しふっくらという感じのM氏やから、俺はそう
無理にダイエットする必要もないと思ってたんやけど、やはり最近流行
?のメタボリック症候群等の予防等の意味合いもあり、もう少し痩せ
る必要があったらしい、主に食事制限で体重を落としているとのこと。

つまり健康のために痩せる努力をしてホントに痩せて健康体に近づ
いていってる訳やけど、俺が2ヶ月前に見たときも、この話を聞いた時
もなんか逆に不健康になってるように思えるから不思議。

理由は、まぁ極端な太り過ぎは別として、ちょっとふっくらくらいは健康
的に見えるし、痩せていく→病気みたいなイメージがあるせいなんや
ろうけど、なんかそれだけやない。ふっくらした人が痩せていく過程には
なんか悲壮感が漂ってしまう。それはつまり痩せる過程での不健康さ
が表に出てしまうということなんやと思うねんな。

つまり、今まで好き放題飲み食いしていたもんが食べられなくなるとい
うストレスから覇気がなくなってしまう。食事は人間の基本。その食事
の時間をニコニコと裕福に過ごせていたものが、しかめっ面をして、もっ
と食べたいのに・・・という気持ちばかりが先に立つ不幸な時間に変わ
ってしまうんやから覇気がなくなるのも無理はない。

ただ、体のデータだけでいえばたとえ少しでも太っていていいことなんか
何一つなく、痩せていってる今のほうが間違いなくデータはいいはず。
ここで、不健康そうに見えるとか元気がない、と言われたくらいで、ほな
ダイエットやめた、という訳にもいかんから、その決意までが悲壮感とな
ってさらに悲壮感を倍増させるのだ。

ということで、痩せることは簡単(でもないけど)やけど、健康的に痩せ
るというのは恐ろしく難しい。
それでも俺はなんと言われようが、理想体重になるまで頑張り続ける
ぞー!

以上、先輩M氏の話はどこへやら。

PS:衣替えの季節、ブログのデザインも変更しました。


東京タワー

2006-11-20 | Weblog

こないだドラマで東京タワーをやってたね。
まぁこれはご存知リリーフランキーさんのベストセラーをドラマ化したもので、
原作はこれでもかというくらい何度も読み返した俺やけど、このドラマは
最初から見る気もあまりなかったし、途中をチラっと見たものの、やっぱり
面白くなくて結局見なかった。

理由は、つまるところドラマには「行間がない」ことに尽きると思う。
原作は当然「文」やから、視点やレトリックの面白さで「想像」を呼び起
こすおかしさや悲しさがあるんやけど、ドラマでそれをいちいち見せられた
もんにゃあ、一気にそれが冷めてしまうねんな。

たとえばちょうど俺が見ていた時にこんなシーンがあった。
大泉洋演じるリリーが、田舎へ帰ると言い出した同居している後輩に
「もっと頑張れ」という。それに応えて後輩が「何を頑張るん!」という。
ここで原作ではリリーの思いとして「正論であった」という言葉がでてくる
んやけど、ドラマではもうひとりの後輩が「正論だよ」と言ってしまった。
こういうふうに本来、リリーの思いであるはずのものが、第3者の口から
いとも簡単に出てくることで、この「正論」に対して、本では感じること
のできる本来、リリーの頭の中で駆け巡るべき葛藤、つまり読者の中で
駆け巡る(リリーへの)想像が、ブチっとThe Endを告げられてしまうのだ。

全ての原作とドラマの関係がこうやとは言わんけど、これは百数十万
部も売れ、まだ売れ続けている大ベストセラー、ほとんどの人は原作
を読んでからこのドラマを見ているはずなので、見てから、もしくは見る
前から俺と同じように「想像の芽を摘まれた」と感じた人はかなり多か
った
んとちゃうやろか。
かといって、想像まかせにして肝心の台詞を省いてしまったら何のこと
か分からなくなるから、ただでさえ難しいドラマ作りやのに、今回は厳
しい条件が揃い過ぎていたような気がするな。

でも、なんやかやと書いている間も、俺はずっと東京タワーを想像して
いる。見上げている俺、俯瞰している俺、横から、斜めからもあり、中
にいる人や、その周りの風景や産業までもが走馬灯のように自分の
頭の中を駆け巡っている。
リリーさんが、憧れや絶望、全てを詰め込んだ日本の渦の中心と言っ
ていたけど、その中心へ引き込まれるように。

このドラマは俺の中では、はずれやったけど、結果的に東京タワーへの
想像は膨らんでる訳で、東京タワーに目をつけ、「東京タワーそのもの
の持つ力」を母親を媒体として表現したリリーさんの視点、表現力は
やはり素晴らしいということなんやろうね。

そういえば江国香織さんの東京タワーも読んだけど、これもドラマにな
ってたんかな?まぁ、そっちのことは知らんけど、一流作家がこぞって題
材にする東京タワーってすごいもんやねんな。

大阪人には悔しいけれど、東京タワーの取り壊しにはとりあえず反対
の立場を表明し、今回は終わります。


続けざまの当たり

2006-11-19 | Weblog

家のテレビの限られたチャンネルだけが映らなくなって、電気屋さんに
きてもらうことになった。
自分のブログにも何度か書いたけど、最近は電気製品とか工事とか
でロクな目にあってないので、なんかまた嫌な目にあうんちゃうか、とド
キドキしながら。

ところが来てくれた電気屋さん、とても親切で当然出張基本料は取
らはったものの、その範囲内で色々な所を調べて原因を突き止めて
くれはった。その間には他の出張の約束もあったみたいで、一度そっ
ちへいってからまた帰ってくるとか、色々なパーツの不具合を確かめる
ために自分の持ってきてる新品の商品と付け替えて調べてくれたりと
か、ホンマに献身的といえるくらいの親切ぶり。
おまけにその人は、その悪い部品を交換する以外にもたとえばケー
ブルテレビに入る方法がある、とか色々な選択肢を教えてくれ、しば
らくそんな対応に触れてなかったので、いたく感動してしまった。

そのあと、その方が教えてくれた選択肢の中のひとつ、ケーブルテレビ
を検討してみるために来ていただいた営業の方がまたあたり。
この方も知識が豊富で他社との比較もキチンと説明でき、自分の
ところの長所短所をわかりやすく説明してくれた。しかも前の電気屋
さんと同じようにまた色々な選択肢を教えてくれて、こっちの検討材
料を揃えてくれた。
ケーブルテレビのチラシはしょっちゅう入っていて、一度このあたりの地
区を担当してるという新人営業マンと話をしたことがあったんやけど、
その時はもうあまりの頼りなさに、もうケーブルはいらんと思ってたし、
もし次にケーブルテレビを考えることがあれば違う営業の方に来ても
らおうと決めていたので、しっかりした営業の方をお願いします、とは
言っておいたんやけど、それにしてもまあ、いい人に当たったもんや。

それから、もうひとつの選択肢、パーツを交換するという方法があった
ので、飯を食べにいったついでに、普段はあまり行かない電気屋さん
に、その部品の在庫と価格を見に行った。
で、そこで対応してくれた店員さんがまた親切なこと。ほんとに親身
になって今までの経過を確認してくれた上で、そのパーツの取り扱い
説明書をコピーまでしてくださり、一度これを見て適応するかどうか
確認してからお買い上げください、とまで言うてくれはった。
まぁ、そこまでしてくれる大手電気店の店員さんは初めてやったね。
もう、そのパーツで間違いなければ絶対この人から買ったんやけど、
いかんせん、適応せんかったらどうにもならんので、いったん保留に
して帰ってきたけど、パーツを交換するという選択をしたら間違いな
くこの人の店で購入するね。

ここまでが、昨日の当たり。これだけでもたいがいツイてるなと思うけ
ど、最後に今朝、もうひとつ当たりが出た。
2番目に話したケーブルテレビの営業の方から、工事関係の者を
行かせて調査させてもらいます、という話を聞いてたんやけど、今
朝その工事の方がこられた。で、この方がまた丁寧で親切。まぁ専
門的な話がでてくるので細かいことは書かんけど、とにかく感じがよ
くて、この人もまた、ケーブルにするんなら必ずこの人に工事をして
もらおう、と思えるような人やった。

ということで、昨日から今朝にかけて電気関係の人との関わりでは
いいことづくめ。今日どれかに決めようと思うねんけど、きっとどれを
選んでも今回は失敗がないような気がする。

まぁ、そうそううまいことばっかりも続かんやろし、電気関係だけに、
シビレルこともありそうやけどね。

※追伸
結局パーツを買い換えるという選択をして、今日そのパーツを買い
にいつもの電気屋さんに行ったら、EO光サービスのパンフレットが
置いてあったので何気にみていたら、テレビとインターネットの光ファ
イバーそれと電話がセットで今入っているフレッツより安く充実した
内容となっている。
気になったので店員さんに細かく聞いていたらその店員さんがまた
親切。結局、EOが、内容の良さと併せてウチのニーズにピッタリや
し、店員さんの対応もとてもよかったので、パーツを買うのをやめて、
ここでEOを申し込んで、もう当たりに当たった電気人間?関係の
うれしいバタバタに終止符を打った。
でも人生チャラ論からすると、この揺り返しが必ずやってくるはず。
どんなでかい不幸がくるのか・・・今から恐ろしい。

ということで、約一ヶ月後にはEOに変更になります。


イルカ

2006-11-17 | Weblog

一度だけ、イルカと遊んだことがある。
といっても、小谷美可子さんみたいに海で一緒に泳いだわけじゃなく、
和歌山白浜のアドベンチャーワールドで。

その時は嫁さんと2人、透明の二人乗り手漕きボートに乗って、プー
ルにいるイルカ2頭に餌を与えながら飼育員さんに教えてもらった、
まぁ犬でいうお座りやお手程度の簡単な芸をさせるという感じの遊び
方をしたんやけど、ただそれだけで、俺たちはその賢さと可愛さにすっ
かりはまり込んでしまった。

まず、誰が指示しても(飼育員さんじゃなくても)教えた芸がすぐでき
る。まぁ、その程度は犬でも金欲にくらんだ政治家でもするし、そん
なに驚くことやないやろうけど、まいったのがボートのオールに自分の
体を乗っけて漕げないようにして、自分達は泳がずにちゃっかり餌だ
けもらおうとするところ。その時は自分の頭をボートの上に乗せ、俺た
ちのすぐ目の前まで顔を持ってきて、あの独特の鳴き声で鳴きなが
ら一番可愛い表情を作って見せる。それは、俺が思わず可愛さあ
まって「どあつかましいんじゃい、ボケ!」と言って頭をはたいてしまっ
たくらいやった。その時イルカはさすがにボケはしてくれんかったけど、
怒るでもなく平然としとったね。そのあたりもなんか心を見透かされて
るような気がしたな。
他にも感心するのは、ボートの底を頭でつ
ついてボートを揺らして遊
びよるとこ。小さい手漕ぎのボートで安全上絶対にひっくり返らない
ように設計されてるボートやったけど、ちょうど俺たちが「おおっ
」と驚く
くらいの力加減で船底をつついて驚かせよる。
ホンマに賢いなぁと思ったね。

そしてお互いがそうやって触れ合ってるうちに何ともいえんくらい自分
達が穏やかな気持ちになっていることに気づく。こんな小さなプール
にいるイルカ達にさえ、こんなに癒されるんやから、大きくきれいな海
で、イルカと触れ合うことができたらどんなに癒されるんやろうと思った。
イルカセラピーというのがある理由がよく分かったわ。

まぁいづれにしても後にも先にもイルカに吉本ばりのツッコミをしたの
は俺くらいのもんやろうと思うな。もっとも飼育員さんも俺に、何すん
ねん、とツッコミたかったやろなぁ。


狂気の沙汰

2006-11-16 | Weblog

この間友達から聞いた話によると、今幼稚園とか小学校の学芸会で、
劇をやる時は、皆が主役をするらしいね。

たとえば、桃太郎をする場合は、桃を割ったら桃太郎が何人もでてく
るし、かぐや姫をする場合は竹の中からかぐや姫がうじゃうじゃ出てるく
る、といった具合。

これってホンマに何なのかね。
劇には、もちろんひいては人生ではそれぞれに“適役”というのがあり、
主役に向いている人もいれば、脇役に向いている人もいる。どちらにも
向いていなければ大道具に向いていたり、脚本家に向いていたり、ス
タイリストや音声に向いている人だっているやろう。
それを、主役以外は目立たなくて可愛そうと、全員に主役をやらせて、
それぞれの個性を発揮する場を奪ってしまい、下手すると将来の適正
まで見誤らせてしまうような教育はもう狂気の沙汰としか言いようがな
い。
大体、劇のストーリーそのものも無茶苦茶になって、何をどう表現した
いかという劇に一番大切な部分が全部抜け落ちてしまうことになるし


まぁ、これも聞くところによると「何で自分の子供が主役じゃないんです
か!」と食ってかかる親が増えたかららしいね。そんな親は、往々にして、
公園で子供が怪我しそうな遊具があったら外して欲しいとか、最近の
バカ親10点セットみたいなのを全て持っておられるので、まぁ正気を
持ってかかっていってももうどうしようもない訳で、ここはホンマに難しい
とこではあるやろけど。

そんなバカ親たちに贈りたい目の覚めるような話がひとつある。
友達の娘が通っているバレエ教室でのこと。
ひとり、えらいお金持ちのお嬢さんが習いに来てて、その子の親は家に
バレエスタジオまで作って、将来娘を一流のバレリーナに育てるつもりで
いたらしい。そしてある時、その娘の将来についてバレエ教室の先生に
こう相談をした。

「私はこの子を一流のバレリーナにしたいのですが、才能的にはいかが
でしょうか?」
先生曰く、「まず顔を直さなければ無理です。それに足も伸ばしていた
だかないと」

俺はこの話を聞いてなんと素晴らしい教育方針や、と感動したね。
バレエなんて自分の姿を見せる芸術やねんから、その先生の言うように
まず器量ありきは地球が丸いことより明白。それは何をどうやったって生
まれてきた時に決まってしまうもので、バレリーナに向いた器量を持って
いなければ、それを諦めて他の道を探すより方法はない訳よ。もちろん、
バレエが好きで一流になれなくても純粋に踊りたいだけ、というのであれ
ば続けるのもありやけど。

ダメなものはダメ。能力や魅力が人によってそれぞれ違うからこそ、人は
一緒に生きていけるし、一人では生きていけない。
この先生のひとことにはそんな意味が全部詰まってる気がしたね。

金子みすずの詩に、「鈴と小鳥とそれからわたしみんな違ってみんない
い」というフレーズがあるけど、何かがダメになった時には必ず何かが息づ
いているはずで、それを見つけ出して育ててやることこそが教育というもん
やと思うのよ。
自分達の子供はもう成人したけど、子供達の子供がそんな教育環境
の中で育つのかと思うともう身の毛がよだつ思いがするわ。

教育基本法改正法案が野党欠席のまま可決されるらしいけど、その
中にはこのような問題に対する答えが入ってるんやろか?
このあたりにまったく触れられてないとしたら、北朝鮮に核ミサイルを落と
される前に日本は自滅するな。
真剣に日本を抜け出すことを考えたほうがええかも分からんね。

PS:その後バレリーナを目指していた娘はどうなったのか・・・気になる。


芯をしっかり

2006-11-15 | Weblog

最近、節制と節約を兼ねて昼ごはんにベーグル(プレーン)をふたつだけ、
という日を増やしていた。なんたってベーグルはバターを使っていないので、
カロリーが低く、しかもちょっと餅っぽいので、ゆっくりしか食べられず腹持
ちもいいから、と思っていたんやけど。

でも今日、いつも俺が昼飯にベーグルを食べているのを見ていた会社の
同僚の女性にベーグルは意外とカロリーが高いのよ、と言われ、えっ?と
なった。
だってバターも使ってないし、プレーンやし・・・などとブツブツ言ってたら、
ベーグルは小麦の密度が高いので、プレーンでもひとつ260キロカロリー
もあると教えられもう愕然。ふたつで520キロカロリーもある上にしかも栄
養のバランスが悪いとくりゃあ、なんのために朝は絶対ごはんと味噌汁の
俺がわざわざ大して好きでもないパンを毎日食べてたのか分かったもん
やない。早速彼女に今日の昼飯にと持ってきていたベーグル2個を差し
上げて、俺はいつもの仕出し屋さんの弁当に戻した。

このままずっと昼飯をベーグルにしてたら、ダイエットには逆効果やったか
もわからん訳で彼女に「手遅れにならなくて助かりました」とお礼を言っ
ておいたんやけど、言ってから、ベーグル食べるくらい大したことでもあるま
いし、最近の俺はどうもそんなことばかりに気を取られていて、なんか行
動や考え方の芯がズレてるような気がしてきた。

どうしてそうなったのかを考えると、もちろん健康体を取り戻すのは大切
なことやとは思うけど、どうもそこへ至るまでの過程には精神的に不健
康なことがたくさんありすぎるんやね。

健康な肉体と精神を取り戻すことにさえ、ストレスがついて回るのかと
思うと、思わずやけ食いでもしたくなる今日このごろでございます。






こんな人が好き〈VOL13〉

2006-11-13 | Weblog

ものごっつ久しぶりに、こんな人が好き、の題材になる人(たち)を
発見したので、今日はそれを。

「電車の中でシリトリで盛り上がるカップル」

例によって阪急電車京都線の車内。俺の座った2~3列前の
席に座ったカップルがシリトリを始めよった。おまけにまぁその内容
たるや、別にテーマがある訳でもなく、りんご→ゴリラ・・・みたいに
もう思いつくがままに言葉をつないでいくだけの小学生みたいなも
ん。
ホンマこいつらバカップルやなぁ、と思って半ばあきれながら聞いて
たんやけど、この世知辛い世の中で昔懐かしいシリトリなっていう
のがなんか微笑ましくもあり、そのままずっと聞いてたら、好き→キ
ス・・・みたいなあまーい言葉が次々にでてきて、最後は女の子が
彼氏の名前やろう、「純ちゃん!」と言ったかと思ったら、「あー!
「ん」がついてしもた~」やて。

ホンマあほらしくてやってられんような奴らやったけど、こういうバカ
バカしさはあっていいと思う。

ただ、あくまでもそういうのは他人の子供であって欲しいけどね。


押し寄せる年波

2006-11-12 | Weblog

昨日、エリッククラプトンの大阪公演に行ってきました。
相変わらずギタープレイの素晴らしさは変わらんし、声もよう出てた
んやけど、えらい腹が出てきてるのには、結構ガッカリしてしもた。
そら60歳も超えりゃあ腹もでるのはしゃあないけど、やっぱりギタリ
ストというのは外見はもちろん、生き様までがカッコよくないと、決ま
らんね。それはクラプトンといえども同じことや。

最後の日本公演と言われながらそれから3回も日本にやってきた
クラプトンやけど、今回の公演では2人いるサイドギターのギタリス
トにも結構ソロをとらせたり、アンコールが一曲だけやったりと、体
型といい、体力といい、さすがに見納めちゃうかなという気がしたわ。

あのクラプトンと言えど、寄る年波には勝てずに、客をがっかりさせ
ることがある。そやのに俺は今週の金曜日に会社関係のおよばれ
で人前で演奏することになっている。

もちろん、期待されてるわけやないし、見始めも見納めもないそ
の日限りのバンドなんで、ええようなもんやけど、俺たちみたいな
素人はなおさら人前で何かをやる以上、せめてやることに見合っ
た格好よさを保つ努力はしておかんと、見てくれはる人にホント
に申し訳ないと思う。

クラプトンを見に行ってそんなことを発見するなんて、夢にも思わ
なんだ。

年波はどこにまでも押し寄せてくるんやね。