「お父さんも一緒に写ります」
なんかこれに近いコピーを見た覚えがある。
商品は確かカメラ(スチルかビデオか不明)だった。
今流行の自分撮りに近い機能があるんだろう。
でも、私はこういうのがとても嫌いである。
「その行為の大切さ」が何も分かっていない、単なるおせっかいだと思うからだ。
昔の家族写真には必ずと言っていいほど、父親が写っていなかった。
でも、被写体である私たちはそれを見て、「写ってはいないが撮ってくれている父親」を考えることができたのだ。
カメラを持つ父を見る。お父さんは写りたくないのかなぁと考える。
その目はその思いを宿し、レンズを通して写り込む。
カメラを自分に変わろうとすると、お父さんは笑いながら断る。
またその表情がカメラに写る。
写真に写っていないもの、ひいては、そこに現れていないものを想像して思いを馳せること。それがどれだけ豊かで素晴らしいことか。
父親とは決して写真の中にいる人ではなく、写真の外にいる人。
写真の中にいる人を守り幸せにしてあげる人。
写真は、父親の仕事・役割とはどういうものかを黙って教えてくれていた。
父親も一緒に写ることができたら、そんな大切なものが全てなくなってしまうのである。
私も父親だが、私以外の家族を撮るのが自分の仕事だと思っているし、どうしても全員で写る必要があるときには、三脚とタイマーを使う。なければ人に頼む。
「成長戦略」は便利なものをどんどん生み出していく。そして大切なものをどんどん忘れさせていく。
私ならこんなコピーの付いたカメラが欲しい。
「お父さんにしか撮れない写真が撮れます」