僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

2015-01-28 | Weblog
この世で、最も素晴らしい出来事はと問われれば悩まずに「命の誕生」と応える。

横浜に住む長女が4月の出産を控え、2月末からしばらく里帰りしてくるらしい。

男女どちらも揃わないと命は生まれないが、この世に送り出す役目は女性にしかできない。

自分の子供が女の子でよかった。そう思える何よりもの瞬間がもうすぐやってくる。

父親にしかできないこと

2015-01-26 | Weblog
「お父さんも一緒に写ります」

なんかこれに近いコピーを見た覚えがある。
商品は確かカメラ(スチルかビデオか不明)だった。

今流行の自分撮りに近い機能があるんだろう。
でも、私はこういうのがとても嫌いである。
「その行為の大切さ」が何も分かっていない、単なるおせっかいだと思うからだ。

昔の家族写真には必ずと言っていいほど、父親が写っていなかった。
でも、被写体である私たちはそれを見て、「写ってはいないが撮ってくれている父親」を考えることができたのだ。

カメラを持つ父を見る。お父さんは写りたくないのかなぁと考える。
その目はその思いを宿し、レンズを通して写り込む。
カメラを自分に変わろうとすると、お父さんは笑いながら断る。
またその表情がカメラに写る。
写真に写っていないもの、ひいては、そこに現れていないものを想像して思いを馳せること。それがどれだけ豊かで素晴らしいことか。

父親とは決して写真の中にいる人ではなく、写真の外にいる人。
写真の中にいる人を守り幸せにしてあげる人。

写真は、父親の仕事・役割とはどういうものかを黙って教えてくれていた。
父親も一緒に写ることができたら、そんな大切なものが全てなくなってしまうのである。

私も父親だが、私以外の家族を撮るのが自分の仕事だと思っているし、どうしても全員で写る必要があるときには、三脚とタイマーを使う。なければ人に頼む。

「成長戦略」は便利なものをどんどん生み出していく。そして大切なものをどんどん忘れさせていく。

私ならこんなコピーの付いたカメラが欲しい。

「お父さんにしか撮れない写真が撮れます」



生きてるだけで

2015-01-26 | Weblog
音楽仲間が続いてこの世を去っている。
その中にはほぼ同年代の人もいる。

お一人は、なんども共演していただいた、素晴らしい個性と技術を持たれた夫婦バンドのご主人。
ほぼ同世代である。胃がんだったそうだ。
つい2か月前に共演させていただいた時には、ごく普通に元気で演奏していらしたのに、全く信じられない。
葬儀に参列した方に聞いたところによると、今までの中で一番の参列者数だったとのこと。
亡くなられたご本人にはもうどうにもなるものではないが、それはやはり残された家族の勲章であろうし、
友・知人の方々にしてもお付き合いをさせてもらっていたことが、なにものにも代えがたい感謝になったことだろう。

もうお一人は、お世話になっている、ライブハウスの通称「おかあさん」。
かなりのお年であったようだから、大往生だとは思うが、曲がった腰で甲斐甲斐しくおいしい料理を作ってくださった姿が忘れられない。

さらにもうお一人は、昔組んでいたバンドの応援団長。
この方は全くの同い年。急性白血病だったらしい。
バンドの旅行には一緒に来てくれ、ライブと言えば人を集めて応援に掛けつけてくれ、男前で男らしく人柄が良く…
しばらくお会いしてはいなかったが、きっと元気だと思っていたし、どう考えてもこんなに早く命を落とされる方だとは予想もできなかった。

皆さんのことは、ただただ残念でご冥福を祈ることしかできないが、せめて、これは故人が命を賭して残してくれた財産であると思わねば。

「生きてるだけで丸儲け」とはさんま師匠の名言だ。

納得できないことがあまりに多すぎるがこれもまた人生なんだろう。
とにかく今日も一日なんとか生きる。生きられたら感謝する。
しばらくはそれだけを考えて生きたい。

「死」はあまりにもむごくて正しい。
オチない文はとっても嫌いだが、たまにはそんなことがあってもいいだろう。

友よ

2015-01-19 | Weblog
60歳を前にして、新しい伴侶を得て、人生の再スタートを切った友達が二人もいる。
二人とも一度目の結婚が上手くいかずに離婚している。今度二人の奥さんになった人もまた全く同じ状況だった。

一人の友達は、結婚の条件として、彼の娘たちとは生涯会わないという約束をした。
奥さんのお母さんの強い希望だったらしい。我が娘には二度目の結婚こそなんとかうまくやってほしい、
旦那さんの気持ちが我が娘以外に動いてしまう要因は極力減らせたいという思いだったそうだ。


もう一人の友達は、年老いたお母さんの面倒をみるために、大阪での仕事を捨て、子供たちや友達と別れて故郷へ帰った。
奥さんと一緒に、一から農業を習得し、暮らしていこうとしている。

どちらの友達も「覚悟」ができている。
言葉にするのは簡単だが、これには死を決意するほどとんでもない気概と気迫が必要だ。

「困難に向かい合った時、もうだめだと思った時、想像してみるといい。
3時間後の君、涙は止まっている。24時間後の君、涙は乾いている。
2日後の君、顔を上げている。3日後の君、歩き出している。」

60年近く生きていると、おおよそ将来が予想できたりする。
ほとんどのことを経験し、自分にとって新しい出来事はあまりないのに、苦しいことだけはどんどん増えてくる毎日。
それでも、顔を上げ、前を向き、歩き始めた彼らに、幸せがこないはずがない。

「愛せよ、人生において良きことはそれだけである。」

愛する友よ、生涯妻を愛し、故郷を愛し、親を愛し、友を愛し、どうか私なんぞが予想できる人生なんかをはるかに覆す、大いなる人生を歩んでください。

禍転じて

2015-01-05 | Weblog
あけましておめでとうございます。

ウチは昨年嫁のお母さんが亡くなり喪中だったので、あまりこの言葉は使えないけど、
やはり新年はこういう気分で迎えたいと思う。

またしばらくブログを書いていなかった。
色々理由はあるが、昼休みの45分を読書に使うか、ブログに使うかを悩んで、結果
しばらくは読書に時間を使おうと決めたからで。
ただ、やはりホンのわずかでも読み続けてくれている人がいるので、今年は何としても
週に一度は更新しようと決意したところであります。
少数読者の皆さま、勝手を申しますがまたよろしくお願いいたします。

ところで、我が家の昨年末から今年の正月にかけてはインフルエンザとの戦いであった。
というか今も戦いの最中である。
年末に嫁のお父さんが発症、続いて私の娘と次男の孫、そして昨晩、嫁と長男の孫が
発症してしまった。なんとか無事に残っているのは、私と義息、それと一番下の孫だけ
という、悲惨な状態なのだ。

発症した人はもちろん大変だし、無事な人もこれから移らないように用心にも用心が
必要なわけだが、でも正月早々大変だ、ということよりも、正月で皆が家にいる時の
発症で良かったとも考えられる。

「禍転じて福となす」

今年は、病気からのスタート。それでよかったと言える一年にしたいと思う。
皆さま本年もどうぞよろしくお願いいたします。