僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

WINNER

2009-02-26 | Weblog

元横綱の曙が東京マラソンに挑戦するという。
ちょっとテレビで見たところによると、何でも自分が横綱として頑張っていた頃は
子供達が小さくて、頑張っていた父親の姿を知らないので、それを見せたいから、
というのが理由らしいけど。

俺はどうもこういうのを聞くと考えが浅はかやなぁ、と思ってしまう。
だってそうやん。彼の場合は相撲をやめた一番の理由はひざのけが。ただ歩くの
でさえ250キロからあるあの体重を支えてたら、ひざは持たない。それをフルマラ
ソンなんかできっこないがな。制限時間のないマラソンなら歩いて完走っていうテ
もなくはないけど、それじゃあタダの散歩と変わりない。
ネットニュースで見たら、トレーナーをつけ、食事制限をしながら2泊3日の合宿を
してるらしいけど、そんな付け焼き刃でどうにかなるわけないし。まぁテレビ局の
策略以外なんでもないわな。

ようするに、俺が言いたいのは、本当に子供達に頑張る姿を見せたいのなら、何
でダイエットをして見せないのか、ていうことや。合宿も含めてわずか数日(数ヶ月
だとしても)トレーニングをしてたった1日のマラソンで苦しい目をしてそれで終わり
なんて、ようするに楽して子供に頑張ってると言いたいだけに見える。ちょっと違う
例えやけど、手に負えん子供をどこかの施設に預けて再生を期待するようなもん
で、自分から逃避にすぎんのよ。
それなら、明らかに太り過ぎでひざにも体にも負担がかかってるのであれば、マラ
ソンなんかより、はるかに辛く長い間苦労するであろうダイエットをして健康体にな
ってみせるほうが、よっぽど自分にも子供にもええっちゅうねん。

ホンマにしんどいことっていうのは日々の生活に一番密着したところにしかない。
尊敬するさんま兄さんがあるテレビ番組で、苦労をしたいから座禅を組みたい、て
言った女子高生にこう言ってた。

「人生や!そんなもん行かんでも、毎日生きるのが一番の苦労や!どれだけ辛い
か!なあ、(中村)玉緒はん」

一見してしんどそうとか、感動モノ、みたいな構造には中身がないことが多い。
逆に地道なことをずっと続けて、毎日を生きている人の苦労の構造は、表にでない
が、豊かで柔軟性に富んでいる。

少し愚痴って、少し笑って、少しため息をついて、時につまずき、ちょっといい
ことの後にとっても悲しいことがあったけど、また明日歩いている人。

人生の勝者はそういう人だと思います。


娘の部屋 その2

2009-02-16 | Weblog

先日、嫁と2人で沖縄に住む長女の家に行ってきました。
ちょうど娘がCAとして搭乗する飛行機があり、往路はその飛行機に
乗っていったんやけど、ええ年してまるで授業参観みたいやね。
まぁ、仕事ぶりは、やりたいと言ってた仕事だけに生き生きとしてて、
ちょっとまぶしく感じるくらいやった。肉体的にも精神的にもハードな
仕事やけど、健康と安全にだけは気をつけて頑張ってくれたら、と
思う。

で、宿泊は娘の家に俺は一泊、嫁は三泊して帰ってきたんやけど、
その部屋を見て今までにはなかった感情が湧いてきた。
娘がいなくなった実家の部屋を見たとき猛烈な淋しさがあったんや
けど、それとちょっと近い感情というのかな。
環境もいいし、利便もいい。部屋は明るくきれいで、仕事場には近い。
そういう意味では今までにない安心感も得られたわけなんやけど、
同時にこんな遠い所でひとりで頑張ってるんや、と思うと、なんだか
とても淋しい気持ちも生まれてきたのよ。

子供が親に頼らずしっかり独り立ちしてくれることこそが親の幸せ
やとずっと思ってきたし、今もその気持ちに変わりはないんやけど、
このあたりの感情っちゅうのはどうにも「娘の父親」のややこしさな
んかなぁ。

まぁ、50歳も過ぎると「初めての経験」ということがどんどん少なく
なってきて、心を動かされる機会も減っていく。そんな中でも二人の
娘達はいくら独り立ちしても心配や喜びをいつも与えてくれる。

どこにいても家族はやっぱりいいもんやねぇ。