僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

井上康生選手に思う

2008-04-30 | Weblog
昨日、柔道の井上康生選手の引退が決まった。
シドニーで金メダルを取り、“最強の柔道家”と呼ばれた井上選手。
最後の試合でもその最強の得意技で勝負を賭けた。
敗れはしたが、「得意技で負けたら仕方ない」と、今の自分の実力と
限界を悟り、悔いなく畳を降りたようだ。
引退はしても、今後も語り継がれるであろう日本の柔道を支えた
名選手のひとりであることは間違いなく、とにかくお疲れさまでした、
と言いたい。

ところで、断片的に言葉だけを拾って申し訳ないのだが、俺はこの
「仕方ない」という言葉がとても好きで、大阪では「しゃあない」という。
俺のブログでもたぶん何度となく出てくるであろうこの「しゃあない」と
いう言葉には、現代人が見失いつつある「潔さ」があると思う。

科学やITの発展で、実現可能なことがどんどん増えてるし、今や旅行
もインターネットでバーチャル体験しただけで満足する人も増えてきて
るという。そんな世の中やから、明らかな「自分の身の丈の範疇外」の
ことでも簡単に諦めようとしない。そこから無茶苦茶な発想が湧いて
きて、結果ロクでもないことをしでかす奴らが異常に増えている。

そんな中で、自分に「できること、得意なこと、一番輝くこと」だけを
ひたすら追究し、それで人に負けたら仕方ない、と諦めた井上選手の
姿勢は本当に美しく立派だった。

昨日いきつけの中華料理店で飯を食べてたら、このニュースを見てた
店のママが言った。

「ええがな、きれいな奥さんもろたんやし」

一生懸命店を守っているママもまたやはり、「しゃあない」ということを
よく知っているんやねぇ。

山口母子殺害事件に思う

2008-04-23 | Weblog

ようやく判決が出た。被害遺族が求めていた判決だった。

裁判所と被害者の本村さんの論は全てまっとうであり、一切の口をはさむ余地はなく、
日本の司法もだてじゃないということを示してくれたような気がする。

同時に弁護人とは何なのか、ということも深く考えさせられた。被告の権利・主張を
守るためにありとあらゆる手段を使うことに異論はない。それが仕事なんやから。

ところが今回の被告弁護団の話は世の中の誰が聞いても荒唐無稽と思わざるを得な
いものばかり。作り話にすらならないあまりにバカバカしい主張を20数名の弁護士が
塊でしているのを見ていると、一体弁護士ってなんなん?と思うし、もし俺が何かの
理由で弁護士を頼まないといけない状況になったとしても、絶対にこの弁護士団に
だけは弁護してほしくないと思うもんね。

まぁいずれにしてもこの事件には何の関係もない第三者の俺が、判決を巡ってこんな
に疲れ果ててしまっている訳で、被害者遺族の方々に於かれては想像を絶する苦悩
があったのだと思う。

犠牲者の方々のご冥福と、被害者家族の方々の苦しみが少しでもなくなることを
心からお祈りいたします。


子供の成る木

2008-04-17 | Weblog

今週の月曜日から水曜日まで茨城県に出張に行ってきました。

茨城県は農地占有面積が日本一というなんとものどかな田園地帯。
平野がほとんどで同じような風景が続き、目印になりそうなものもほとんどないの
で、初めてこの地を訪れた人が目的地に辿り着くにはかなり苦労するらしい。

そんな茨城県の、取手という駅から県庁所在地である水戸へJRで移動中のこと。
何気なく車窓から外を見ていたら、ものすごく大きな木が見えた。
最初は大きい木やなぁ、と思ってただけやったんやけど、よく見るとその枝(といっ
ても直径30センチくらいはありそう)は上下に大きく揺れていて、その先に何か大
きな実がなっているように見える。うん?と思ってなお目を凝らしていると、なんと
それは二人の小学生くらいの子供たちだった。枝が大きく揺れていたのは、この
子たちが、その太い枝の先に登り、枝のしなりを利用してシーソーを楽しんでいた
からだったのだ。でもいくら太い枝とはいえ、枝のある位置はおよそ地上3メート
ルくらいはありそう。下は草地やけど、もし折れて落ちたらかなりの怪我はする
やろう。
それでも、何の根拠もないんやけど、この子たちとこの大きな木を見ていたその
時の俺には、この木の枝は「絶対折れない」という確信のようなものがあった。

それは、この時はなんというんやろう、「木の思いやり」があるような気がしたんや
ね。大自然に抱かれてこんなに元気に遊ぶ子供たちを"俺は"絶対に怪我させたり
しない、というなんか木の意志のようなものがあるような気がしたのよ。

昨今はとにかく訳の分からない事件があちこちで起こって、安心して子供を外で
遊ばせることもできないという時代。子供たちもそんな背景の中、暗くなるまで
外で遊ぶ子供はほとんどいないと聞く。
そんな殺伐とした時代に見かけた巨木と子供たちの大いなる自然に、なんか涙が
でるほど感動してしまった。

科学以外のものは99%信じない俺やけど、逆にいえば科学以外のものも、1%は
信じることがあるということ。

茨城には木の神様がいるんだね。


慰安旅行も慰安にならず

2008-04-07 | Weblog

4月3日~5日にかけて北海道へ慰安旅行に行ってきました。
1日目は登別、2日目は札幌と旭山動物園組に分かれて自由行動、そして最終日は
小樽で自由行動の後、帰
阪という行程。
ほとんどの移動はバスで、旭山動物園コースを選んだ人に至っては往復4時間、
登別からの移動を入れると実に1日の8時間をバスの中で過ごしたということになる。

俺はというと、旭山動物園には興味はあったけど、この"8時間がバスの中"というシュ
チュエーションに耐えられないことが分かっていたので、札幌で下車する自由行動
コースを選んだ。

とはいえ、性格上前もってどこへ行こうとか何を見ようとかいう計画を一切していなか
ったので、朝10時~夕方までの自由時間をどう過ごすかということを考えることから
始めることに。でもまたとはいえ、じっとして考えるのが苦手なのでホテルにあった
観光案内を手にとにかく歩きはじめた。

けど、観光案内を見てても興味のあるものはそうない。赤レンガだの、時計台だのに
は興味ないし、考えながらうろうろとしてるうちにあっと言う間にお昼。札幌なのでラー
メン横丁でラーメンを食べるも大してうまくもない。また歩き出してうろうろしていると
さすがに疲れてスタバでコーヒーを飲む。またあてもなく歩き出すと、今度は楽器屋
さんがあって、わざわざ北海道で入る必要もないのにそこに入って店内をウロウロ。
てなことを繰り返して、結局夕方まで1日中ほとんど歩いていた。

計画時の旅行会社のミスで海外が国内になった今回の旅行。帰りは預けた荷物を
誰かに取られるというトラブルに見舞われ、トラブルに始まりトラブルに終わるという
なんか最後までケチがついた3日間。

「旅は行く前から始まっています」というコピーがあったけど、その通りやね。
細かい所までは必要ないにしても、ちーとは計画しておかないとさすがに楽しむのが
難しいということが分かったのことが唯一の収穫であった慰安旅行でありました。