僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

日本国の監督星野

2007-01-31 | Weblog

星野さんが北京オリンピックでの日本野球チームの監督に就任した。
阪神ファンはもちろん、球界を超えたところから見ても、今この人の右にでる名監督は
おらんやろうから、日本野球界にとってはついに伝家の宝刀を抜いた、というところか。

そして、コーチ陣がまたいい。田淵さんに山本浩二さん、それに大野さん。どの人も現
役時代は星野さんのライバルとして活躍した一流選手で、指導者としても優れている。

加えて皆星野さんに負けず劣らず人間性が素晴らしい人ばかり。特に星野さんは、田
淵さんと山本浩二さんとは親友でもあるということやけど、こういう素晴らしい人たちがす
ぐに集まるところも星野さんの魅力やろう。

ところで、その星野さんはどうしてそこまで魅力的な監督であり人間なのか?
それはなんといっても「男前」やから。これに尽きると思う。もちろん顔もやけど、この場
合は当然人間性、という意味で。

男前を語るエピソードは数多い。
広島からFAで阪神にきてくれ、今や阪神の顔となった金本選手が言うてたけど、当時
阪神の監督やった星野さんの誘い方といえば、それはもうストーカーと同じやったらしく、
金本が「甲子園独特の浜風は左打者の自分にとっては不利なので行けない」、と断っ
た時には、「今は気象条件が変わってここのところ毎日ホームからセンターに向かって風
が吹いてる」なんて大嘘を平気で言うてたらしい。それを金本に指摘された星野さん、
「俺を日本一にしてくれた男には何を言われてもええ」と笑ってたけど。

選手の頃から熱い人やったけど、監督になってからも、あの世界の王さんにも殴りかか
らんばかりに文句を言うわ、選手をどなりつけるわ、ベンチは蹴飛ばすわ、暴れたい放
題。

でも、この無茶苦茶とも思える強引さの裏に選手への思いやりと野球への情熱が詰ま
っているのがこの人の魅力。阪神のフロントを動かして球団の体制を変え、選手にとっ
てできるだけ働きやすい場を作ることにも監督業以上に尽力したのもまたこの人。

今回の日本代表の監督として、「球界に恩返しがしたい、少年に夢を与えたいという
選手に参加してほしい。出たくないという人は出てもらわなくて結構!」という啖呵を
切ったとニュースにあったけど、まさしくこの一言が星野さんの人間性と野球に賭ける情
熱全てを物語っているように思う。

最近、あまりにバカバカしいことが多くて、俺は怒ることに疲れ、もう少々のことでは文
句を言わんようになった。降りかかる火の粉は振り払うけど、火元のことまではもうどう
でもええ、と。それじゃあかんと分かってても、やっぱりまぁええか、で終われせることが
ほとんど。

星野さんは60歳、それでもこれだけの啖呵が切れる。俺をはじめ、一人でも星野さん
を見習おうとする人が増えれば、野球どころか、日本が変わるやろう。
彼は野球日本チームの監督だけではなく、日本という国の監督にもふさわしい人なの
かも知れない。


職場選び

2007-01-29 | Weblog
サッカーの話。ドイツのブンデスリーガでプレーしている高原選手が、今年ゴールを量産している。なんでもあの中田のゴール数を抜いたらしい。まぁ中田はフォワードやなかったから単純に比較してもあかんとは思うけど、とりあえず日本人として海外のクラブで一番ゴールをあげた選手になったということは間違いない。

でもこの高原、昨年までは鳴かず飛ばずで1軍と2軍の間を行ったりきたり、日本代表でプレーしてもそう冴えたところもなく、いわゆる一流半の選手やったのに、何が彼をこうも変身させたのか?

色々なスポーツニュース関係のニュースによると、どうも所属クラブを変わったということが最大の理由らしい。つまり、今まで所属していたクラブでは彼のプレースタイルが活きなかったけど、今度のクラブは彼のプレースタイルが活きるチームだったということ。

このことは、サッカーのような団体競技では、個人の力はもちろん大切やけど、それを活かしてくれる周りの力が不可欠やということをとても分かりやすく教えてくれている。そして、それは周りに求めるんじゃなくて、自分自身でその環境を作る、もしくは、作ることができなければ、できている環境を探さなあかんということを。

もちろんこれは普通のサラリーマンにも当てはまる話で、力はあるのに発揮できていない、という人はかなりいると思う。そういう時はがむしゃらにそこで頑張ることも必要やけど、もっと自分に合った環境を探す(転職)ということも考えてみる必要があるんやないかなぁ。

実力には「自分を活かす場を見つける力」というのが含まれている。
何度も転職を繰り返す人を、あながち辛抱が足りない人というふうに評価してしまうのもどうなのかと考えさせられてしまう話題でありました。

素人はだし

2007-01-28 | Weblog

K-1ファイター、山本KIDが五輪を目指すということで話題になっていた
レスリングの試合が今日あり、山本選手は2回戦でフォール負けを喫した
とあった。

俺はK-1というのはほとんど見ないし、この山本という人も名前を聞いた
ことあるな、というくらいのもんやけど、聞き及んだところによると、昔はレス
リングをやっていて、プロの格闘家になったということらしい。


でもこのプロの格闘家が開始16秒であっさり負けてしまった。相手はアテ
ネ五輪銅メダリストとはいえ、アマチュアの井上という選手。

この結果から思うことは、レスリングにおけるアマチュアのものすごさ。
レスリングとは違うとはいえ、毎日戦うためのトレーニングを積んできたプロ
の格闘家でさえ、まるで歯が立たないほどこの井上という選手は強かった。

レスリングというスポーツの特殊性もあるやろけど、ひたすらそれをやり続け
てきた人の実力はアマチュアとかプロとかいうレベルで語れないほど、もの
すごい。

玄人はだし、という言葉があるけど、ことレスリングにおいては素人はだし
という言葉のほうがぴったりくるね。


無理をするな、というのが無理

2007-01-27 | Weblog
多くの人がよく、身近な落ち込んでいる人や困っている人に相談を受けたら、「あんまり
無理すんなよ」と言葉をかける。これは、俺も例外やないし、いわばあちこちで見かける
激励の定番スタイル。

でもこれってどうなんやろね。こう言われて無理をやめる人なんて俺は今までひとりも見た
ことないし、そこでホンマに無理をやめられたら、逆にもっと頑張ったほうがええんとちゃう?
と言いたくなるような気がするねんな。

ようするに無理難題が山積み状態になっているから逆境に立たされ困ることになる訳で
無理難題はその名の通り無理をせな解決せえへん訳やから、無理をやめたらよけいに
しんどいことになってしまう。だから「無理するな」だけで終わるとそれは効果がなくて、
皆、「誰かに助けてもらえ」という具体的なところまで言ってあげてる人が多い。

でも、このように声をかけられる人は元々頑張り過ぎる人で、誰かに助けてもらう、という
こともようせんから、こういう人にとって、何が一番しんどい問題になるかというと、それは単
に無理難題が山積み、ということよりも“無理しないということが無理”という場合がほとん
ど。

もうこうなると、何がなんでも無理をするしかなくなるから、こういう人には逆に「そうかそう
か、それならもっともっと無理しろ、何なら倒れてしまえ」くらいのことを言うたったほうがむし
ろ休む方向に効果があったりする。それにこういう人は今までさんざん無理してきてるので、
もしホンマにもっと無理しかからといって倒れたりなんかせんもんやし、だめもとでこう言うて
みるのも一案やと思うけどね。

なんやかやと言うたけど、何よりおせっかいが嫌いな俺のこと、あくまでも相談を受けたら
仕方がないからそう言う、という話やけど、いかがなものでしょうかねぇ。

這い上がる人

2007-01-24 | Weblog

宮崎県知事に元お笑い芸人のそのまんま東さんが当選したね。
なんでもお笑い芸人が知事になるのはあの横山ノックさん以来らしい。
彼のことは、たまにテレビで見かけるくらいでよくは知らんかったけど、芸能界にいた頃は
なんやかやとやんちゃをしてたみたいやね。まぁ、“少々の”
やんちゃなんてことは逆にない
ほうが気持ち悪いし、驚くことでもないと思うねんけど、彼が責められる原因となった、風
俗店での未成年うんぬんっていうのは、男からみると「あーあー可愛そうについてないな」
くらいのことやねんけど、世間(たぶん女性層)的にはかなり悪質なものと捉えられたみた
いで、長い間謹慎もしてたみたいや。

でも、相手が分裂ばかりしてる頼りない候補やったということを差し引いても、そんな逆
風を乗り越え、晴れて当選を果たした訳やから俺は大したもんやと思う。ただし、ここま
では、やけど。

なんといってもこれから心配なのは、前長野県知事の田中康夫さんのような族議員と
の対立。いくら正しい理念を掲げて、市民に理解をしてもらっても、知事一人では何も
できない訳で、今までしがらみの中で生きてきた議員さん達にも自分の理念を理解し
てもらい、協力してもらわないことには何もできなくなってしまう。
そういう面では、亡くなった青島幸男さんも田中康夫さんも、正しい理念を押し通した
立派な知事やったと思うけど、最後はやっぱり議会に負けてしまった。

あとは、過去も含めてスキャンダル攻撃への「対応」。ノックさんが辞める原因になった
のは女の子へのちょっかいやったらしいけど(仕組まれてたいう話もあるけど一応そういう
ことにして)、あそこでの対応のまずさが彼の人生を大きく狂わせてしまったと思う。

俺が思うにあの時の対応は、ノックさんやねんから、「すんまへん、わいはする気なんか
おまへんでしてんけど、この手の奴がね、あ、右手ちゃいまっせ!わしゃ左手のほうが器
用でっさいかいね。そうそうそやからこの左手の奴がやね、やってまいよったんですわ~コ
ラ!左手!何さらしとんねん!」くらいのギャグをかましといたら、そこは大阪人、あわよ
くば、ほんましゃあないやっちゃなー、今回はしゃあないから許したるけど次はあかんでぇ、
くらいのことで済んだかも分からんがな。
まぁそれは言いすぎやとしても、最近のパロマや不二家の対応のように、危機突破力
とでもいうのか、窮地に立たされた時の対応がまずいとそこで全てが終わってしまう。
逆に松下のようにそこでの対応が完璧であれば、その窮地を乗り越え、さらに前より
高いレベルまで登っていける。
窮地をどう乗り切るか、これも新知事の力が問われるところやと思う。


まぁ、そういうことでかなり前途多難やとは思うけど、つまりはとにかく、俺はこのそんま
んまさんのように、どんな人でも失敗を取り返して、どん底から這い上がってくる人を認
めたいし、応援したいねん。それは、人を認めるということよりつまりは自分を認めるとい
うことになるから。

俺も、最近ではほとんどないものの(まだあるんかい!)、過去には人に言えない恥ずか
しいことや情けないことをいっぱいしてきたし、未だにそのことで俺を軽蔑してる人だって
いる。でもそれは自分で撒いた種やし甘んじてその責めを受けるしかないし、俺にはそ
の時の自分を分析して自らを戒め、二度と同じ失敗を繰り返さない人間になること以
外できることはない。それでもさすがに軽蔑されるような失敗はしていないものの、失笑
されるような失敗は未だしょっちゅう。
だから、毎日1歩だけでも前へいけばそれでいいと思って努力を重ねるしか自分には生
きる方法がないわけで、大きな失敗を取り返そうとしている人
を認めないと自分も認め
られないわけよ。

ということで宮崎県民の皆様、どうぞ俺を救うと思って、そのまんま知事を応援してあげ
てくださいませんでしょうかね。お笑い芸人時代は大阪人が育てたようなもんですし。

とまぁ、かくいう俺は相変わらずこのような自分勝手は全く直る気配なし・・・やっぱり俺
は死ぬまで失敗と反省を繰り返すねやろなぁ。


オフィス街で飛び蹴り目撃

2007-01-23 | Weblog

昨日夕方、仕事で車を運転している時、青信号で俺が直進していたら、いき
なり血相を変えたひとりの男性が信号を無視し、全力で走って横断してきた。
幸い、俺からは少し距離があったし、他の車もたまたま少なかったので事故には
ならずに済んだけど、単に横断といっても道路は大阪市内の堺筋。4車線で
交通量も多いので、時間帯にもよるけど、信号が変わらないうちにいきなり飛び
出して渡るなんていうのは自殺行為と言われても仕方がない愚行や


でも、この一見自殺志願の男のこのあとの行為がもっと異常やった。
なんと、全力で走った勢いそのままに、道の反対側にいた別の男性にいきなり
飛び蹴りをくらわしよったのよ。くらった男性は倒れて数メートルは飛ばされてい
たように見えたな。俺はそのとび蹴りをした男性と、被害にあった男性との間に
何があったのかも当然知らないし、車は流れに乗って走っているので止めること
も出来なかったから、あとがどうなったかも分からんけど、血相を変え、走ってくる
車なんかには目もくれず国道に飛び出してきたのは、その相手にとび蹴りをくら
わすつもりやったことは間違いなさそう。

このシーン、自分ではこの49年間の中でもかなり異常やったので、ニュースにで
もなっているのかと思ったら特にそんな様子もない。単なるありきたりの傷害事
件で怪我の度合いが少なかったのかも分からんし、飛び蹴りを食らった人には
食らうだけの理由があって、事件にもなってないのかも分からんけど、あきらかに
異常やと思えることが「この程度のこと」として日常になっていく時代なんやなと
思うと、ほんまに背筋が寒くなる。

子供を安心して学校へ通わせることはおろか、オフィス街のど真ん中で仕事に
勤しんむこともできん世の中がくるのは、北極の氷が溶けるといわれている40
年後よりもっと早いかも知れんねぇ。


草野アナ

2007-01-21 | Weblog

今日テレビで、飲酒運転をしていたトラックに追突され、2人の幼い子供さんを
亡くされた夫婦の特集をしていた。それはもう悲惨な事故で、この事故のことも、
ご夫婦のことも知らない人はおらんと思う。

このご夫婦は子供さんを亡くされたその後も地道に署名活動などを根気よく続
け、ついに飲酒運転をして人身事故を起こした場合の懲罰について、司法を
動かし、現在の(以前に比べての)厳罰化の礎を築いた。

その道程の険しさは想像に難くない。きっと、バカバカしいほどにくだらない人たち
に対しても、投げずにずっと理解を求め続け、説得を続けて、何年もかかって、
自分たちの意見を少しづつ認めてもらえるようにしてきたんやろう。
俺みたいに相手のことをちょっとでも、くだらん、とか、めんどくさい、とか思った瞬間
にもう全く話すらする気にならん人からすると、もうそれは神業にも思える。

そして、この番組の司会をしていたのが、ご存知草野仁さんやねんけど、この人の
司会が実によかったねぇ。

本人に聞くべく事はちゃんと聞くのはもちろん、みのもんたみたいにものすごく大げさ
な表現で大げさな顔をつくらず、感情表現を抑えてとても淡々と、このご夫婦の
訴えを伝えていた。そうすることで、逆にご夫婦の悲しみや悔しさが伝わってくるし、
視聴者にじっくり考えさせる時間を与えてくれていたように思う。もちろん、このご夫
婦の感情の抑え方も見事やからやとは思うけど。


結論からいうと、やっぱり野々村誠君のお相手はやっぱりこの人にしかできんやろ、
ということなんやけど。


一日遅れの1.17

2007-01-18 | Weblog

あの日、俺達夫婦は36歳で子供達は9歳と8歳。俺達は二人の寝室で、子供達は子
供部屋の2段ベッドで寝てたんやけど、揺れを感じると同時に子供達のベッドがつぶれて
いないかと心配になって、子供部屋へ飛んでいったことを覚えている。
幸いベッドはなんともなく、子供達もただ泣いているだけでけがもなにもなかった。ただ、俺
は暗闇の中、子供部屋へ走っていったので、地震で開いたクローゼットの扉でしこたま足を
打ちつけたけどね。まぁ、それもすぐ普通に歩ける程度の軽症やったしたいしたことはなかっ
たから、ウチの場合はあの地震による被害というのは家の壁に少しヒビが入ったこと以外な
く、被害に合われた方々には申し訳ないけど、ホントによかったなと思う。

あの地震からもう13年が経った。
それから、同じような被害に合う人を出さない為にも、その地震の怖さを後世に伝え、さま
ざまな対策を立てることはとても大切なことだと思うし、現にマスコミ等でも1月17日になる
と、さまざまな媒体を使って、あの日を追悼し、現状や今後の対策について議論をし、あの
地震の恐ろしさを風化させないよう、社会に訴えている。

もちろん、それはそれでいい。でも俺は、震災で亡くなった方々の命を特別なもののように
報道するのはいかがなものかと思うねんな。確かに、悲惨さや、亡くなられた方の人数から
言えば特別やとは思うけど、どうも「重さ」を特別扱いしてるような報道が多いような気が
するし、身近な人たちにもそういう考えの人が結構いるように思うねん。

つまり、「人の命の大切さは、どんな条件・状況下であっても変わらない」ということが忘れ
られている。交通事故で亡くなる人、病気でなくなる人、みんな命の重さは同じはず。
それは、命を落とすことが日常になっている飢餓が進んだ国の人や、ある意味命を落とす
ことが仕事である軍人であっても変わることはない。彼らが命を落とした人を大して動揺も
せずに眺めているのは、単に死に慣れているからだけであって、そこでも決して死が軽いも
のではないし、重すぎることもないはずや。

なのに、どうも震災で命を失った方とその遺族の方は特別気の毒な人のように考えるのは
どうなんやろうか。その方々を気の毒だと思うのなら、日々交通事故で亡くなられてる方も、
病気で亡くなられてる方も同じように気の毒に思うべきではないのか。それができないのな
ら、そういう(特別な)考え方は捨てるべきやと思う。
ただ、“あの悲惨な地震で被害に遭われたのを知ってるから”というだけで、中途半端な感
傷に浸るのでは、それは逆に被害者の方に失礼なことや。

「感情の起伏」ほど、ものごとを見る目を狂わせるものはない。「淡々」とか「冷静」というと
なにか冷たい言葉のように思う人が多いけど、それは物事の真理を見極めるのに絶対必
要な心の状態やと思う。

ハード面のケアと被害者の心のケアという話があるけど、せめてそのケアを考える側の人は
絶対に淡々としていているべきやないのかね。
じゃないと、それこそ考え方の地盤が揺らいでしまうやんか。


?

2007-01-17 | Weblog

この間、うちのおふくろが電子辞書を欲しがっている、ということを書いた。
それは、自分の母親ながら、まだまだ若いとこあるなぁ、という話でもあった訳やけど、
俺よりひとつ年下の後輩のお母さんにも似たような話があったので今日はそれを。

で、俺がそのお母さんも若いなぁ、と思うのは、なんでも、ひんぱんに携帯のメールで
後輩に連絡をしてくるらしく、携帯をそこそこ使いこなしてる、というところ。うちのお
ふくろと同じくそのお母さんも70台の後半になる年齢で、もちろん文字は見えにくい
やろし、使い方を覚えるのも大変やったやろに、それはすごい、と思った。

でも、そのメール、たまに流行の絵文字や記号を使おうとしているらしいんやけど、
どうもそのあたりまではさすがに使いこなせてないらしく、ここで結構面白いことにな
っているらしい。

それは、「?」の使い方。なんかなんでもこの「?」をつけるといいと思っているフシが
あり、たとえば、「了解?」とか、「今日は晩御飯あるからね?」とか「明日は雨らし
いよ?」とか、いつも「?」がくっついてきて、断言しているのか、悩んでいるのか、訳
がわからんとのこと。

何人かでその話を聞いてたんやけど、皆大うけやったね。それでもやっぱり「?」と思
いながら「?」を使おうとしているところがなんとも意地らしくて、応援したくなるお母
さんやわ。

「?」は疑問符やけど、実は一番人間性をはっきり表してくれる記号なのかも知れ
んねぇ。


忙しいと言っていると人も仕事も寄り付かない

2007-01-15 | Weblog
今日電車に乗っていると、上司と部下やろか、まだ若い男性2人が俺の横に
座り、上司らしい方が部下に仕事とはどういうものかを指導していた。

その中に、とても印象深い一言があったんやど、それは、「どんなに忙しくても、
忙しい、とだけは何があっても言うな。それを言うと人も仕事も寄り付かなくな
るぞ。」という言葉。

聞いててその通りやなと思った。俺もそれは心がけているつもりで、自分から
忙しい、ということはまずないようにしてるつもりやけど、どうしても時間が足り
ない時に、何かを頼まれると、やっぱり忙しいと言ってしまうので、まるで自分
に言われてるかのように、俺よりたぶん20歳以上は若いであろう、その上司
の言葉に聞きいってしまった。

ある会社の部長が、社員の質というのはどれだけ人の無理を聞けるかどうか
で決まる、と言っていたけど、電車の中でもそういう話を耳にし、社会人には
「忙しい」などという言葉は禁句であり、どんな無理も涼しい顔をしてサラリと
こなしてこそ一人前なのだということを改めて感じた次第。

ほな明日から俺は忙しい時に仕事を頼まれたらどない対応したらええねや
ろか。「一人前じゃないので」、とか「ヒマと言えたらいいのですが」、とか、婉
曲的な言い回しをしたらええねやろか?

と、やっぱり断ることを先に考えてる。こんなんじゃあ、電車の中の二人に抜
かれる日もそう遠くないかも知れんねぇ。

捨てるカニあれば

2007-01-14 | Weblog

昨日の夜はひさしぶりにおふくろも一緒にかにを食べにいった。

俺は、食べ物でキライなものはないに等しいんやけど、実はそのほとんどない
苦手な部類に入る食べ物がこのかにで。

なぜかというとまず味はとてもおいしいと思うねんけど、とにかく「めんどくさい」
から。あの甲羅から身をはがす作業をしている間に何度もう何回食べるのを
やめようと思ったことか。おまけに食べるのにものすごい時間がかかる。昨日は
結局3時間を要してしまい、一人で飯を食べるときはほとんど3分以内に食
べる俺としては、もう耐えがたく無駄な時間が多いし。

まぁ、高級食材に対しては贅沢な文句やとは思うねんけど、とにかくそんな
不平の念を抱きながら食べていると、すぐ横に座っていたおふくろが、「ああ、
めんどくさい、おいしいけどもうこんなんいらん。」などと言い出した。
それを聞いて、「へぇ、やっぱり血は争えんなぁ」などと笑ってたら、今度は
長女が、「ああ、めんどくさ」と言い出し、身のとれにくい部分はそのまま残し
てガラ入れに捨てている。それを見て、「うーん、DNA恐るべし」とつくづく思
ったんやけど、そこで「もったいない」という気持ちが全くないことに気がついた。

俺は子供の頃から両親にごはんは一粒残らず食べなさい、という教育を
受けてきたし、子供にもそう教えてきたから、俺も子供も普段食事を残すと
いうことはまずないし、残したりするともったいない、という気になるんやけど、
なんでこのかにはそういう気持ちにならんのか?

少し考えて分かった。この場合の、かにを残すという行為は、面白くない映
画を見に行ってしまった時のことに例えるとよく分かる。

ようするに、面白くない映画でもお金を払ったんやから最後まで見ないともっ
たいない、と思うか、お金を払ったからといって、時間のほうがもっともったいな
いからすぐに出ようと思うか。

俺達親子の血は後者なのよね。良い悪いは別として、いくらうまくて高い食
材やからといっても、もったいないということより、めんどくさい、という時間のロ
スのほうがもっともったいない、と考える血。

で、おふくろの血が流れていない嫁はどうか。そんな俺達が残したカニをうち
の嫁は、実にきれいにほおばり、丁寧に身をほぐして雑炊の鍋に入れてくれ
ていた。家族というのはほんとになんとうまくできていることかと思うねぇ。

捨てるカニあれば、拾うカニあり、なんてオチで、おあとがよろしいようで。


好奇心は年をとらない

2007-01-11 | Weblog

このあいだ、おふくろが「電子辞書が欲しい」と言い出した。
そら、今までおふくろが使ってた分厚い広辞苑等の辞書に比べたら、小さいし、持
ち運びにも便利やし、何より字を大きくして見れるし、おふくろが欲しいというなら持
つことには何も反対する理由はないねんけど、おふくろほど年をとった人が、このあた
りの最新の電子機器を
使いこなせるかどうかというところに大きな問題がある訳で。
だから今は、とりあえず俺が持ってる電子辞書を渡して基本的な使い方を教え、
しばらく使ってみて使えそうなら買うことにしたら?ということにして、様子を見ること
にした。

まぁ、趣味が短歌を書くことで、その昔は宮内庁主催の年始の歌会始めに入選
したこともあるようなお方なので、辞書を引く機会がかなり多く、好奇心が旺盛な
こともいやぁあたり前のことやから、びっくりするようなことでもないのかも分からんけど、
80歳近くになって、電子辞書が欲しいと言い出したおふくろには驚いたし、我が母
ながら感心してしもた。なんかパソコンにも興味があるみたいやし、なんでもやって
みたいと思う姿勢は若い頃から変わることがない。

で、電子辞書を渡してから何日か経った訳やけど、基本的な使い方で何度か俺
に質問をしてきて以来、もう何も聞いてこない。まさかもう使い方をマスターしたとは
思えないので、どっかで挫折してるような気もするんやけどね。
いづれにしても、あの年になれば、失敗して失うものなんか何もないと思うし、何か
にチャレンジするというだけで、それは素晴らしいこと。

もし、何も質問のない間、実はおふくろが密かに俺を驚かすつもりで使い方をマス
ターしてるなんてことがあればこんなうれしいことはないんやけど・・・いくらなんでもそ
らないわなぁ。


安心が心配。親って不思議。

2007-01-08 | Weblog

親はこんなだったのに、子供は全然違うなぁ、と思いを二人の娘に同時に抱いた。

まず、長女。内定した仕事のことについて色々と話をしていると、その仕事(会社)
を選んだ理由は、好きで得意な英語を生かせるから、というとことと同時にとても
厳しい仕事やからということを言っていた。前者の話は以前から聞いて知ってはい
たものの、後者の話は全く聞いたことがない話やったので、正直びっくりしたね。

次に次女。この連休でまたスノーボードに行ってきたらしいねんけど、この爆弾低
気圧で猛吹雪となり、せっかく行ったものの滑るのを諦めて帰ってきたと言っていた。
なんでも恐れずに挑戦する次女からしたらえらく慎重で、これもびっくりしたな。

このふたつの話、長女の話については、親の俺たちもなよなよしたことも、いいかげ
んに仕事をする人も大嫌いやけど、特に厳しい仕事を選びたいとまでは思ってな
かったし、次女の話についても、俺たちは行った限りはどんな悪条件でも、危険を
顧りみず滑って帰るタイプやったんで、どっちも、へー!?誰に似たんやろ?みたい
な感じ。

まぁ、どっちの話も心配より安心する話ではあるんやけど、安心な話にはまたなん
かもの足らなさを感じてしまう。

子供を思う親の気持ちってホンマに不思議やなぁ。でもこの説明のつかん気持ち
が親を続けていける原動力のような気もするし、今回の話では、ほんとに子供は
限りなく親を育ててくれることに改めて感じ入った次第であります。


負けること

2007-01-06 | Weblog

かなり前になるけど、元ラグビー日本代表で、今もラグビー解説や時々
タレントとしても活躍している大八木さんの公演を聴きにいったことがある。

その時、一番印象深かった言葉が「柔道もそうですが、子供達にラグビー
を教える時には、まず負けることから教えます」ということやった。具体的に
は、柔道では受身から、ラグビーではタックルされて倒されることから教える
ということで、そういうふうに具体的に言われれば、そうやなと思うんやけど、
それが「負けること」やということには意外と気づいてないもので、言わてハ
ッとしたことを覚えてる。

人は負けると悔しいと思い、勝ちたいと思う。でも誰でも絶対に負けること
があり、そこでくじけてはいけない、
ということを子供時代から教えることは
本当に大切なことで、大八木さんの活動・教育方針にはいたく感銘した。

なんか正月早々残酷な方法で姉を殺めた弟がいたけど、聞くところによる
と「夢がないね」と言われて逆上し、そのような行為に及んだらしい。

その言葉が本人にどれほど強く突き刺さったのかは知らないが、この弟が
負けて倒れて起き上がった回数が常人よりも異常に少なかったのは間違
いないように思う。

高校ラグビーが盛り上がっている昨今、タックルで倒された高校生たちが
起き上がってまた倒されしている姿をみていると、この弟がもし大八木さん
の話を聞いていたならきっとこんな事件を起こさずに済んだんじゃないかと
思えてならない。

学問以外を教える優れた人材が今ほど必要な時期はない。大八木さん
には現役時代同様、あらゆる外圧を吹っ飛ばして突進して欲しいと思う。


洗濯物

2007-01-04 | Weblog

洗濯物というと、汚れたものがきれいになるわけで、悪いイメージよりはいいイメージの
する言葉やなとは思っていたけど、それ以外特に何も思うところはなかった。

でも、親(特に母親)として子供の洗濯物を見た時には少し違う感情が芽生える。

今朝、嫁がスノーボードに行って帰ってきた次女の洗濯物を前に、「いつもスノーボー
ドに行くと洗濯物の量がすごい」といいながら、いそいそと洗濯をしてたんやけど、その
言葉の中には洗濯物が多くて困るということよりも、嬉しさがこもっていたように思う。
それはきっと、洗濯物の多さと汚れ具合は子供達の心身の健康と比例していて、そ
れを洗濯する親は自分の心を洗濯しているからなんやろう。
そういえば、自分も親に洗濯物が多い、といって叱られたことなんかなかったし、もち
ろん俺達も子供達をそんなことで叱ったことなんかないもんね。

しかし、嫁が旦那の洗濯物を見る時はまた違う。
なんや、マジマジと襟元を見てみたり、匂いを嗅いでみたり、それは洗濯物が逆に少
ないほど時間をかけて行われ、洗濯物は旦那の心身の不健康さを測るもののよう
なのであーる。

同じ洗濯物でも子供と旦那ではこうも違う。
いっそ俺ごと洗濯機で洗濯してくれとも思うんやけど、そうしたところで取れる汚れで
はないことを嫁はまた知っている。

かように洗濯物はさまざまな感情を育みながらきれいになっていく。
皆さんも、これからものほし竿を見るときに、このようなものの見方をされてみるのは
いかがですか。