僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

慢心は滅びの元

2009-08-31 | Weblog

最近のこと、会社で使っている車のことでトラブルがあった。
ウチの会社の使用形態はリース契約で、メンテナンスもその契約に含まれている
のだが、今回、そのメンテナンス契約をしている業者との間でそれは起こった。

メンテナンスについては色々ある。スケジュール点検という簡単な点検から、12
ヶ月点検といった、そこそこ時間のかかる点検まで。スケジュール点検というのは
現地でもできる始業前点検のようなものなので、いつもそのメンテナンス会社か
ら一人のサービスマンがきて、ウチの会社で作業を済ませていた。
ところが、この間、そのメンテナンス会社から点検の連絡があり、12ヶ月点検も出
張(会社にきて)するという。元自動車会社にいた俺は、12ヶ月点検は整備工場に
持って帰って下回りを点検する等の作業が必要になるので、現地でできるはずが
ないと思い、「そんなのこっちでできるんですか?」と尋ねた所、大丈夫だという。
おいおい、嘘つくな、と思いながら俺も忙しかったしめんどくさかったので、ハイハ
イ、じゃあそれで頼みます、ということで電話を切り、その数日後にはその「12ヶ
月点検」とやらも現地作業で一応は終わってしまった。

それから1ヶ月後くらいかな、その整備工場からアンケート用紙が届いた。内容は
普段問題のある対応をしていないか、等お客様満足度に関するもの。
わざわざ送ってくるくらいやから、当然俺もこの件を含めて、今までの対応もあまり
よろしくない旨書いて返信したわけよ。

そしたらしばらくして、その整備の責任者だという人から電話があって、「確かに
12ヶ月点検はそちらではできません。ついてはこんど持って帰って(20日以上後)、
点検させていただきますので、ご容赦ください」とのこと。
今度持って帰ってやったらOKの問題かどうか分からんなんて、まったくバカかこい
つは、と思いながらもバカを相手にするのはまためんどくさいしうっとうしいので、
この場もハイハイ分かりました、でまた済ませた。

それから20日くらい後、電話があって、今回の点検は1日かかるので、1日車の空
く日を教えてほしいという。こちらからいついつがいいので、じゃあその日に、という
ことで日程を決めてその電話は終わり。

そして点検の日。一日空けて欲しいというから車を朝から空けておいたのに、一向
に車を引き取りにこない。バタバタしててこっちも忘れた昼過ぎ、思い出して、「一
体いつになったら来てくれるの?」と電話すると当たり前みたいに「2時過ぎには行
けると思います」という。
ここでまず俺は一回キレた。「あのね、一日空けてくれ、っていうから使う予定を抑
えて朝から車を空けて待ってたのこっちは。昼からでいいなら最初からそう言って
もらわないとまずいでしょ?」と。まぁ答えはまた普通に「すいません」だけなのは
この期に及んだらもう必然やわな。

ほんで最後の最後、今度は2時過ぎに車を取りにきて、3時過ぎにはもう持ってき
よった。往復引き取りの時間を考えるとたぶん整備にかかった時間は30分ほどの
計算になり、それこそ今回も持って帰っただけで何もしてないんちゃうん?と思わ
せるほどのええかげんさ。しかもそれで1日空けておいてくれ、などとよくも言えた
もんやな、と俺は完全にキレてしまった。

すぐさまリース会社にこの件を報告して、メンテ会社をしっかり指導して、場合に
よってはメンテ会社を変えるつもりがある旨伝えておいてくれ、と依頼。
そしたらメンテ会社からまた電話があったわいな。もう思い出すのもめんどくさくて
うっとうしいから途中は省くけど、最後に今後のメンテも今まできてたサービスマン
に担当させるようなことを言いよったワケ。

まったく危機感がないというのか、理解力がないというのか、こんな詐欺をしておい
て、責任者が謝りにくるのでもなく、担当者の電話だけでしかも、不始末をしてた
担当サービスマンに今後もメンテをさせるという。もうあきれてモノが言えん、ちゅう
のを久しぶりにまた体験させてもらったわ。

今回の選挙の結果を受けて思うけど、自民党にしてもこの業者にしても同じ。おか
しなことをしてても何とかバレずにコトは
流れててメシが食える、という状況がきっと
何年、何十年と続いてきたんやろう。でもそんなことはきっといつか露呈してその不
正で得てきた利益(金銭だけではなく)の何十倍、何百倍の損失を出すことになる、
ということが今回あらわになったんやと思う。

昨日、親戚の結婚式に出席させていただいた。新郎・新婦はホントに真面目で、懸
命に働いて、今回結婚するにまでなった。それを見てるとこういう人たちこそがニッ
ポンを支えていく人たちなんだ、とつくづく思った。

ということで、ワケのわからんこんなメンテ会社はさっさと潰れて、彼らのように真面
目にひたすら頑張る人たちに陽が当たるという「まともな」世の中が一刻も早く来る
ように、民主党さんには是非お願いしたいと思う次第なのである。


親心

2009-08-26 | Weblog

10日ほど前、沖縄に住む長女が40度を越える高熱を出し、グロッキーしてしまった。
この時期に、しかも沖縄ということで新型インフルエンザが心配やったけど、そうで
はなく、どうも扁桃炎やったみたいで、昨日ようやく熱が引いて話せるようになった
らしい。久しぶりにテレビ電話で見た顔は痩せていて、ゴホゴホせきはしてるし、食
べ物もまだちゃんと食べられないということやったけど、とにかくほとんど寝たきりで
過ごしていたことを考えるとそれでも元気になったんやろう。
明日からは仕事に復帰せなあかんということで、大丈夫かいな、とは思うけど、それは
本人が決めることやし、親としては見守るのみや。

このことで、俺達親の気持ちについて少し書きたい。
まず最初、嫁にその旨の電話があり、嫁から俺に行ってやったほうがいいのかな?
という相談があったんやけど、その時俺は「行かなくていい」と答えた。
その理由は「一人暮らしの厳しさは病気の時に一番痛感することができる」から。
もちろん親として、40度以上の熱を出してる娘が心配じゃないわけがない。できること
ならすぐに飛んでいってやりたいし、辛そうにしている娘の声を聞いた嫁にしてみれば
いても立ってもおられへんかった気持ちもよく分かる。

でも何度も言うけど、親というのは「子供を成長させること」を何より第一義に考えなけ
ればいけない。今回のことは「遠い所で一人で暮らす苦しさを知る」という貴重な経験
をするには、ある意味「絶好の機会」でもあるわけやから、親が簡単に助けに行ったら
その貴重な経験をさせてやれないことになる。

メールは打てるし、病院にもなんとか一人で行ける。友達が見舞いに来てくれて、なん
やかやと身の回りの世話をしてくれる。冷静に判断すれば必ずしも安心、ということで
はないにしても、およそ命に別状があるほどの病状・環境ではなさそうなことが分かる。
ならば、苦しい経験と共に、病気が移ることも恐れず見舞いに来てくれる友達のありが
たさを知る上でも、親が行くべきではないと思ったのだ。

幸い、病状は回復に向かってはいるものの、CAという仕事上、マスクをして仕事をする
訳にはいかないらしい。だから今後も新型インフル感染等の心配は消えないが、なん
とか病気にならず頑張って欲しい。

昨日のテレビ電話では「頑張ったな」としか言ってやれなかったが、この一言には、こ
れだけの思いが詰まっている。このことをいつか親になった時に理解して子育てに生
かせてくれたら親冥利につきる。

いくつになっても、成長した子供の姿を見るのが親としての最高の喜びなんやから。


「許せる」のは人間だけ

2009-08-19 | Weblog

先日、山城新吾さんが亡くなり、報道によると、なんでもその葬儀に元奥さんも実の
娘さんも顔をださなかったということで、その遺族の方々はひどい人達だみたいなこ
とを言っていた。

まぁ、基本的に芸能人がどうしたこうした、なんてことには興味はないけど、例によっ
てこの報道もちょっとひどい気がするなぁ。
世間一般での意見は、過去に何があってももう亡くなってしまった人のことやねんか
ら、家族なら許してあげようよ、ということやろうし、たぶんこのご遺族の方もそんな
ことは理解しているに決まってると思うねんな。「それでも許せない何か」があったか
ら出席しはらへんかった訳で、「ホントの他人」に分かってたまるか、というのがこの
人達の本音やと思うねんな。
それを葬儀に出なかったから血も涙もない、みたいな一方的な報道をするのはひど
いし、それこそ血も涙もない行動やと思う。

動物は一度危害を加えられた相手はたとえ家族といえども絶対に許さない。それは
弱肉強食の世界で生きていくために必要不可欠なことだから。
でも、人間は「許す」ことができる。それは逆に人間の家族は許さなければ生きてい
けないからでもある。

どんなひどいことがあってバラバラになったとしても、一度は家族になった人たち。
きっと心のどこかで少し何かを許しておられるに決まっている。

葬儀にでたからいい、なんてそんな単純バカな考えをしている人たちには自分達の
葬儀でもしたらどうだ、と言いたくなる。


「プロ」だということ

2009-08-11 | Weblog

去る8月8日(土)、淀川花火大会を見に行ってきました。
過去に何度か見に行ったことはあったんやけど、今回は関係筋から
弁当付の観覧席を用意してもらって、そこで見させていただくことが
できました。まぁそれはそれはええ席で、今までのように堤防の狭
い座りにくいスペースにギュウギュウに座るんじゃなく、椅子とテー
ブルがあり、適当に人と人の隙間があって、また河面がすぐで風の
通りがいいので、昼間の暑さが嘘のように涼しく感じられるという、
とても贅沢な席。もちろん花火は目の前で迫力満点やし、水面に映
る花火もまた美しいという人生最高の花火を堪能させてもらったわけ
なのよ。

ということで、花火は文句なく最高やったんやけど、ここではもうひと
つとても素晴らしいものを見ることができた。それは、「ライブ」。

招待席という関係上、整理の都合もあり、花火の始まる2時間以上
も前に会場に入らないといけない、ということを聞いていたので、暑さ
対策グッズに加えて、本等、夕方から花火開始時間までを無駄なく
過ごすための準備をなんやかやと整えていったわけやけど、いざ席
に座ると本を読むにはなんや雰囲気にそぐわないし、かと言って他に
やることないし、てな具合でどないしよかな、てなことになってしまっ
たわけやねんね。

そんな時、聞こえてきたのが俺達の隣の区画で催されていた音楽
ライブ。最初は演歌やなんやわけ分からん音楽ばっかり聞こえてき
て、退屈してるのに加えて、音楽好きという、そのライブを聞くには
最も条件が整ってるように思う俺でも聞く気になれず、わざわざ見に
行くこともせんかったんやけど、そのライブの終盤、ちょうど花火の
始まる1時間ほど前に、なんか今までとは全く違うとても美しいハー
モニーが聞こえてきたんやね。これはちょっとええんちゃうん?てな
感じで、今度は急にそれを見たくなって隣の区画まで行くと、そこに
は二人の女性デュオが。楽器はキーボード1台だけで、その腕も大
したものやねんけど、とにかく二人共ホントに歌が
うまくて、俺はち
ょっと聞いただけで涙が溢れてくるくらい感動してしまった。

一体このデュオは誰なんやろ?まさかアマチュアやないわなぁ、
てなことを思いながら見てたら、司会者から「花花」さんありがとう
ございました。という声が聞こえて、ああ、この人たちがそうなんや、
ということでグループ名を知り、やっぱりプロやったんや、というこ
とから、涙がでるほど感動したことに念押しをされた形になった。

そのあと、「さよなら大好きな人」や「ああ、よかったな」というヒット
曲を歌わはったので、より鮮明に思い出したんやけど、最近はそう
いうヒット曲もなくテレビに出ることもなかったから、ほとんど忘れか
けてたのに、やっぱりさすがに一度でも大ヒットを飛ばした「プロ」は
とにかく違う。

声楽的にうまい…例えば何オクターブ出る、とか、音がブレない、と
か声量がある、とかそういうこととは全く違う何か(もちろんその要素
も含んではいるけど)があり、とにかく心に染み入ってくる。

それが何なのかよく分からないけど、とにかく間違いないのは、
「人を酔わせる人は自分に酔っていない」ということ。

ちょっとええギターフレーズを思いついたらそればっか弾いて、ええ
んちゃうん、みたいなことを繰り返している俺には、人を酔わせること
より花火に酔うくらいがちょうどよかったようでございまする。


視覚障害者の方々

2009-08-07 | Weblog

ふとしたことから、個人的に視覚障害者協会の会長と話をする機会ができた。
たまたま、俺の祖母が全盲で、生前はよくその協会にお世話になっていて、
俺もよくそこまで送り迎えしたことがあり、会長は「あ~、あのSさんのお孫さん
か?」ということから、実に丁寧に色々な話を聞かせてくださった。

その中でこれはすごいな、感じたことがいくつかある。
まず第一に、記憶能力。
視覚障害、特に全盲(会長もそうである)の方は当然のことながらメモを取る、
ということができないので、よほど大切なことは録音するが、ほとんどのことは
記憶に頼る。この会長とは、2回話をさせてもらったんやけど、1回目にお会い
してから2週間近い時間が経過していた2回目では、以前の話をほとんど記
憶されていてびっくりしてしまった。たぶん年齢も80歳近いと思われるだけに
これは驚異的である。

それから聴覚。
会長の前で携帯電話で確認せなあかんことがあり、1mほど離れた向かい合
わせで電話をしてたんやけど、俺がその内容を伝える前にほとんどそれを
聞き取っておられた。当然視覚のない世界では嗅覚、触覚に至るまで、それ
こそ第6感以上のものを使わないといけないわけで、その中の聴覚が優れて
いるのは当たり前と言えば当たり前なんやろうけど。

そのような会長に出会って今、この視覚障害の方々の特殊能力を生かすこと
が何かできないか、と考え始めている。もちろん、あくまでも「仕事として成り
立つ」ことで。
悪く言えばそういう人を利用する、ということになるかも分からんけど、前にも
書いたように、俺にはボランテェア精神はないし、俺がそんなことをしても続か
ないし、人の役に立てないのは目に見えている。あくまでもGIVE&TAKE、
WIN&WINのこそが最も健全な関係であるというのが俺の信条であり、自分
ができることだと思うので。

視覚障害の方々は、たとえ目が見えなくとも、自分の人生を見据える「目」は
俺達健常な視力を持つものの比ではない。
この方たちとコラボできれば、自分自身の幅も広がり、社会貢献もできると
思うのだが…

それは自分を見る目がない、と言われるのかなぁ…