僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

天職

2011-07-21 | Weblog
私はいつも、自分が天から与えられたもの全てを仕事にしながら生活したい、と考えている。それはまさしく天職であるはずだから。以下は、それに向けた私の、数々の涙ぐましいばかりの取組みである。

①ハゲているので、カツラのモデルを目指したら、ハゲがあまりに似合い過ぎているのでカツラの意味がない、と断られた。
②声がいい、とよく言われるので、ナレーターはどうだ、と思って放送局に電話したら、そんな年からは無理です、と言われた。
③耳の形がいい、と言われた時は、その道の人(有名タレントのスタイリスト)に、耳のモデルなんてないのかな、と聞いたら、仏像の耳みたいなのでね、と言われ話が終わった。

そんな不遇な人生を過ごしてきた私だが、やはり人間諦めてはいけなでしこ。先日、また自分の天性を生かすチャンスがやってきたのだ!
ご存知IT部のI氏に「Sさん、絶対着物が似合います!是非着てください!」と言われたのである。これまでの私の生き方からして、これすなわち「着物モデル」になるのは必然だろう。I氏だけではなく、過去に何度も(といっても4~5回だが)着物を着るたび「ホントに良く似合いますねぇ」と言われてきたし。

ということで、早速着物モデルへの道をシュミレーションしてみた。
着物を着て颯爽と呉服店等に行き、自分を売り込む私。

私:「いかがですか、とても似合っているでしょう?どうですか、私をモデルに」
呉服屋さん:「ええ、とっても良くお似合いです。でも髪の毛ないし、耳が仏像みたいだし・・・」

ああ、私の天職が見つかるのはいつの日か・・・

0.01㎜の差

2011-07-21 | Weblog
今、アコースティックギターを5台、ガットギターを1台持っている。
そのアコースティックギターの内、ピックアップと言って、ステージでマイクを立てなくても直接スピーカーに出力できる機能を備えたギターが4本。内、1台は友人に預け、1台は先輩の形見として預かっていてあまり乱暴には扱えないので、実質ステージで多く使うのは残り2本だ。この2本、それぞれに音色が全く違い、1本(Martin)はオールマイティーに使え、もう1本(Taylor)は「ここ」と言う場面で活躍する。
そういう状況下だから、必然的にTaylorは弾く機会が減ってくるのは当たり前で、それに加え、音に少し飽きてきたこともあったので、売ってもいいかな、などと思っていた。

でも、5年以上愛用してきたギター、愛着はあるし、飽きたとはいえ弾き込んできただけに素晴らしい音がするので、手放す前にはやはり惜しい。そこで、飽きたところがどこで、そこだけなんとか修正できないないか、ともう一度よく考えてみると、特に1弦(一番細い弦)の柔らかく女性的な音に飽きていることに気がついた。
ならば1弦を太く男性的な音にするにはどうするか?今まではライトゲージというごく一般的な太さ・硬さの弦を使っていたのだが、全体的にもっと太い“ミディアムゲージ”という太く硬い弦に替えてみるのはどうかな、と思い、交換してみたらこれがビックリ。
1~2弦はコシがあり力強い音へと大変身して、何人もの音楽仲間から「いい音するねぇ!」と言われるギターに生まれ変わったのだ。
太さで言うと0.01㎜~0.03㎜程度しか変わらない弦なのにこんなに音が違うなんて正直考えてもみなかった。しかも弦代はわずか1,500円。これでギターが全く別物になるのだから、ずっとライトゲージを使い続けたままギターを売っていたら、と考えるとゾッとするくらいだ。

0.01㎜の差でこれだけ変わるギターの音。
ところで、髪の毛の太さは平均0.07㎜。
私に髪があったらどれだけ人生が変わったのだろうか、と考えるとこれもまた違った意味でゾッとする。

朝ごはん食べたんか

2011-07-19 | Weblog
私の先祖は、高槻城主高山右近に仕える武士だったらしい。太刀持ちだったというからかなり重要なポジションである。
その子孫は、高槻が村だった頃の村長で、村が立ててくれたという、寺で一番大きな墓がある。そして、脈々と歴史は続き、今は私の代。

母にはずっとこう言われてきた。
「先祖のおかげで今がある。いつも仏様に手を合わせなさい。お墓参りは絶対に欠かしたらあかん。」
こうも言われてきた。
「昔、先祖は人を斬ってきた。あんたが怪我ばっかりするのはそのバチや」
「おじいちゃん(竹箒の!)が無茶な投資をしたことがある。あんたはその血を引いてるから何をするか分からん」
「○○のおっちゃん(父の兄弟)は女遊びが激しい。あんたはあのおっちゃんに一番顔が似てるからアブナイ」
最初の話以外は、無茶苦茶な理屈だが、いずれの場合も「あんなご先祖様のようになりなさい」、とか逆に「あんなふうになってはいけません」とは一度も言われたことがなかった。ようするに、判断は自分でしなさい、ということだったのだろう。
私はそれを、「肩書きより生き様」と理解し、今に至っている。「職業を会社名で語る奴には、負けない」という名コピーがあったが、まさしくその心境である。

母は、家の系譜に加え、姑、子姑、もろもろの人間関係が渦巻く中で、自分の強い意志と判断で私を育ててくれた。でも最近は、寄る年波に勝てず、勘違いや物忘れが激しくなり、家族が困ってしまうこともしばしばだ。

今朝、母に、「行ってきます」と言ったら、「朝ごはん食べたんか?」というとんちんかんな言葉が返ってきた。
まったく会話にならないが、どんな状況下にあっても私を気遣うことを忘れないその一言は、家の歴史を刻み続ける、ということは、いかなる時も家族を気遣い続けるということだ、と教えてくれた気がする。

そうだ、医者になろう

2011-07-15 | Weblog
我が社の若手Y君の弟さんが、今年から医者になった。
まだインターンだが、将来的には外科医を目指しているとのこと。

その彼が医者になろうと思ったきっかけが面白かった。
彼は文系の学生だったが、ある日ドラマにもなった「医龍」を読んでいて、ふと医者になろう、と思ったらしい。
Y君は、なろうと思ってなれるところがすごい、と言っていたが、私はそれに加えて、なろうと思える人だからなれたんだな、と思った。
私の例で恐縮だが、好きなギタリストのフレーズコピーで説明すると、「コピーしたい」と思ったものは少々難しくても大概コピーできるが、コピーできないものは、難しそうだな、と思うより先にコピーしようとする気にすらならない、ということと同じだと思う。

人は、自分に出来もしないことをしようとは思わないのだ。

「そうだ、京都行こう」は佐々木宏氏の傑作キャンペーンとされる。
「そうだ、医者になろう」で、お医者さんがわんさか増える・・・わけないか。

高楊枝

2011-07-13 | Weblog
パクリ疑惑、というか間違いなくパクリである中国版新幹線。
早速故障したらしいが、中国鉄道省の幹部はそんなことは全く意に介さず、日本の新幹線を支援するため「関連技術を提供したい」とまで言っているそうな。
日本人から見ると、盗人猛々しいなんて言葉では全く及びもつかないあつかましさも、中国の人にとっては当たり前のことで彼らの文化なので、二者の言い分だけでカタがつく話ではないが。

中国は、今や経済的に日本にはなくてはならない国になってしまい、何かというと日本は足元を見られている。故意に船をぶつけられても、やれレアアースだ人質だと言われても、経済のことを考えるとどうにも従わざるを得ない状況だ。

だから、考えるべきはプライドなんだと思う。
技術は売ってもいい。盗まれてしまってもそれはもっと高い技術を開発することで取り返せる。でもプライドは一度売ったら取り返すことは限りなく難しい。

「武士は食わねど高楊枝」
武士は、たとえ貧しさで物が食えなくても、満腹を装って楊枝を使った。生活に窮しても不義を行わない気位の高さを誇った。

日本のトップの方々にこう申し上げたい。
「楊枝を咥えて欲しいとは言いません。でもせめて白旗を咥えるのだけはやめていただきたい」と。

竹箒

2011-07-11 | Weblog
「怖い」
おじいちゃんの記憶はそれしかない、と言っても過言ではない。
何かと言えば竹箒の「柄」の部分で「こらっ!厚!」と脳天を叩かれる時の恐怖と痛みはすさまじく、今これを書いていてもそれを思い出すほどだ。亡くなったのは私が小学生の時だが、今だから言えるけれど、その時は「ああ、これで殴られずに済む」とホッとしたくらいなのである。

でも、ただでさえ、はちゃめちゃな私、おじいちゃんがいつも叱ってくれていなければ、きちんと社会人になれてたかどうかさえ疑問で、もちろん、今はただ感謝しかない。

「おじいちゃん、脳天を叩き続けてくれたおかげで、髪の毛がありません。でも笑いがとれます、ありがとう」

たぶん今、もう一回竹箒が振り下ろされた。

ごっこ

2011-07-08 | Weblog
「ごっこ」が大好きだ。
もし誰かが○○だったら、もし空を飛べたら、などと想像しているととても楽しい。

この間、我が社のN取締役が、「前に提案してたエプロン採用になったよ、ほらこれ」とミニスカートのようなエプロンをして見せてくれた。
その瞬間、「エプロン→裸」が条件反射になっている私の想像力は、不本意にも瞬時にN部長の服を脱がせ、「裸にエプロンのN取締役」を作り上げていた。

黒い体にぽこっと膨らんだお腹、そしてミニのエプロン。

ごっこがそれから楽しくない。

知恵

2011-07-06 | Weblog
「知恵を出さないやつは助けない」

聞いた瞬間、知恵がない人だって分かった。

少し考えると、
「全力を尽くして復興対策を推進しますので、皆さんもお知恵をお貸しください」
になる。

「辞表を出さないやつは助けない」
てな、風を読む知恵くらいはお持ちだったのがせめてもの救いです。

※能力があったのか否かは不明なのでホントに辞めるべきだったかどうかは分かりません。

その時にしか出来ないことを

2011-07-01 | Weblog
「おるやん、クラスで一番難儀な子って。ウチの子それ。」とは我が娘。幼稚園に通う孫がどうもかなりややこしいらしい。
私が、「ほう、クレヨンしんちゃんみたいなんか?それやったらオモロイがな」と聞いたら、残念ながらそうではなくクラス一の泣き虫だとのこと。たまに泣いていないと、他のお母さん方が「あれ、今日もっくん泣いてないやん、どうしたん?」と言うほどらしいから、確かにハンパな泣き虫じゃなさそうだ。

でも私は思う。泣き虫大いに結構、ハンパじゃなければますます結構だと。
人はその時にしかできないことを全力でするべきだ。大人になってから一日中泣いてるなんて絶対にできない。そんなことができるのは幼少時代しかないのだ。
そうすると、幼稚園でクラスの誰よりも泣けるなんて、とんでもなく素晴らしいことではないか。

孫にはこう話しかけた。
「もっくん、クラス一の泣き虫らしいやん、すごいやんか。俺は誰よりも泣けんねんぞって自慢したらええねんで。」
孫が最高の笑顔でいわく。
「じいじ、あんなー、今日は幼稚園行かへん、って泣いてん!ほんでなー、お弁当の時間にお弁当食べへんって泣いてん!でも帰りは泣かへんかってんで!」

ふと口から出そうになって止まった言葉。
「どっちも自慢かい!」