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コジキジゲン

ゲにサクラのハルは、クル・・・

2013-04-15 22:22:52 | 古事記字源
 ・・・「おもてなし」って?・・・「表無し」、「主出無し」、「面無し」・・・「表裏」の「裏」しか無いってコト・・・?・・・「枕草子」はナニを云っているんだろ・・・か、「いと、をかし」・・・
 ブログの古語辞典を調べれば「をかしの意味」は・・・

 「興味深い・心が引かれる・おもしろい(枕草子)」

 「趣がある・風情がある・かわいい・美しい・おもしろい・優れている」

 「美しい。優美だ。愛らしい(源氏物語 若紫)」

 「罪を犯すこと・また、罪(源氏物語 明石)」

 「こっけいだ・おかしい・変だ(今昔物語集)」、 「すぐれている・見事だ・すばらしい(更級日記 大納言殿の姫君)」

 更に

 ・・・「あはれ」とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。

 「あはれ」のように

 「対象に入り込む」のではなく、

 「対象を知的・批評的に観察し」、

 「鋭い感覚で対象をとらえること」によって起こる情趣・・・であるらしい。「対象に入り込む・鋭い感覚で対象をとらえること」って、なんだ?・・・この説明、コレってボクにとっては「理解不能」である・・・「げに、おかし(土佐日記)」・・・「なるほどその通り・いかにも・本当に・実に」可笑しい、変だ、なのである・・・

 「ゲ・ニ」は漢和辞典では「解・気・化・仮・懸・夏・卦・外・毛・偈」と「似・爾」の合体だろう・・・

 古語の「げ」の意味は動詞の連用形、形容詞および形容動詞の語幹に付いて「…のようすだ・…らしく見える」、形容動詞の「語幹をつくる」・・・とある・・・「枕草子」→すさまじきもの「人のもとに、わざと清げに書きてやりつる文の返り事」の「清げ」の「げ」・・・

ーー

 「ゲ(偈)」=イ+曷(どうして・いつ

            なんぞ・いずくんぞ

            カツ・カチ)→

     丱(サ)+曷=葛(くず)=裏見草

                (うらみぐさ)

              (秋の七草の一つ)

               (Arrow root)

 「曷」=「何にぞ」、「如何ぞ」で「疑ひて、問ひただす辭」。「曷」は「なんとして」と譯す、輕く詰る意あり。「胡」は「曷」に同じ。「胡禁不 ㆑止、曷令不 ㆑行」の如し・「盍は何不の合字」で「何ぞ何何せざる」と、かへり訓む。

ーー

 末宗瑞曷

 1535~1609

 天文四年生まれ

 臨済(りんざい)宗

 甲斐(かい・山梨県)

 恵林寺の

 快川紹喜(かいせん-じょうき)の法をつぐ

 天正十年

 恵林寺が織田勢の焼き討ちをうけ脱出

 十四年徳川家康の命で寺の再建

 京都

 妙心寺住持

 慶長十四年七月十七日死

 75歳

 三河(愛知県)出身

 通称は木挽翁

ーー

 蘇那曷叱知

 「任那」から日本へ朝貢のために渡来した人物

 「崇神六十五年に来日

  垂仁二年に帰国

  帰国の際に賜った品物を途中で

  新羅に奪奪われた(日本書紀)」

ーー

 曷薩那可汗(?~619年)

 (ガチサチナカガン・呉音)

 (カツサカダカカン・漢音

 (拼音=Hésànàkĕhàn→ヘサナケハン?)

 西突厥の可汗

 泥利可汗と

 向氏との子

 曷薩那可汗は称号

 姓は

 阿史那氏・・・・→あしな氏

 名は

 達漫(ダルマン)

 初期の号

 泥撅処羅可汗(でいけつしょらかがん)

ーー 

 「ゲ(偈)」

 名詞

 詩句の形式をとって、仏の徳をたたえたり仏の教えを述べたりしたもの。

 四句からなるものが多い。

 仏教語。

 (梵)gāthāの音写。偈佗(げだ)・伽陀(かだ)とも音写。句・頌( じゅ)・諷頌(ふじゅ)などと訳す仏語。

 経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩(ぼさつ)をほめたたえた言葉。

 音訳「偈陀(げだ)」の略

 経文で、仏徳をたたえ、または教理を説く詩。多く四句からなる。

 「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」 の類。偈頌(げじゆ)。伽陀。頌文。

ーー

 「偈陀(げだ)」は「下駄(げた・げだ)」の同音である・・・「下駄」は日本人の独自な「履物」らしい・・・

 木をくりぬき、歯を作りつけにし、台部に三つの穴をあけて鼻緒をすげた履物。歯はふつう二本で、別の材を差し込むものもある

 活字印刷の校正刷りで、必要な活字がないときに活字を裏返して入れる伏せ字。下駄の歯のような形「〓」をしている。伏せ字。

 ・・・「〓」は「八卦の陽陽」である・・・

 足駄(あしだ)

 ぽっくり

ーー

 底をくり抜き

 爪先を前のめり

 表面を楕円形

 歯のない下駄

 台部を

 漆塗りにしたり

 表面に

 畳をつけたりする

 晴着姿の少女や京都祇園の舞妓などが用いる

 関東では

 ポックリ

 パッカなどと冒頭の音をp音

 関西では

 コッポリ

 コボコボ

 カッポなどと多くはk音

 青森県では

 ガッパ

 長野県では

 ポンポン

 はいて歩くときの音から

 江戸時代の

 「短華蘂葉・(1786)」に

 「やきすぎ(焼杉)のコッポリ」とあるらしい・・・

 「ポックリ」とは

 物や木がもろく折れるさま

 人が突然に死ぬさま

 柔らかくふくらんでいるさま

 馬がゆっくり歩く音や、そのさまを表す語

 「お馬の親子はポックリ、ポックリ歩く」

ーー

 東(あずま)下駄・駒(こま)下駄・差し下駄・薩摩(さつま)下駄・高下駄・田下駄・堂島(どうじま)下駄・庭下駄・塗り下駄・のめり下駄・引き摺(ず)り下駄・日和(ひより)下駄・雪下駄・露地下駄

 男物の場合は角形で台は桐(糸柾目が高級品)、長さ七寸二~三分(女物は五分ほど短い)。歯は二寸二分程度がふつうで大差という。

 ぽっくり下駄・下駄記号・寿司下駄

 木製のはきもの

 下面に歯をくりぬいた

 台に三つの穴をあけて

 鼻緒をすげ、

 足指をかけてはく

 歯は多くは

 二枚で、

 差し込む方式のもの

ーー

 下駄を預ける、自分に関する物事の決定や責任の一切を相手に任せること

 他人に下駄を預けてしまうと、その場から自由に動けなくなる

ーー

 下駄を履かせる、価格を高くいつわる。また、数量・点数などを水増しして、実際よりも多く見せる

ーー

 日和下駄

 もとは

 平足駄(ひらあしだ)と呼び

 足駄の低いもので、

 歯は

 差歯であった

 晴天に使用されたためこの名があるが,

 現在は

 雨天に爪皮(つまかわ)をつけて用いられることが多い

ーー

 ・・・下駄(げた)は、日本の伝統的な履物。足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。

 足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く

 高いのを足駄といい、低いのを下駄

 馬台国があったと言われる

 三世紀より一世紀前の二世紀あたりから田下駄が発見されているらしい・・・

 古代時代、下駄の使用は一般に普及していなかった・・・

 田下駄は水田か深田の耕作に使用

 当時の物として左右の区別された下駄も発見され、祭儀用か、階層の高い人物が用い・・・下駄は日常の履物としては使用しなかった・・・とブログの研究記事にあるが、ボクにはそうとは思えない・・・身分を問わず、一般人も履いたのではないのか・・・

 ・・・古墳時代から奈良時代に

 中国の影響を受けた「沓(くつ)」が宮廷を中心とした人たちに履かれるようになった・・・

 当時の「沓」とは、動物の毛皮や布などを縫い合わせて作った物から、鳥皮や藁で作った物まで、身分に応じて履かれたらしい

 平安時代

 履物も多様化し日本化した・・・

 ・・・「扶桑略記」に「天智天皇は山科に出かけて帰らず、捜索の結果、履いていた靴を発見されたが行方が知れなかった」とあり、「日本書紀」の「天智紀」と「天武即位前紀」では死亡年月日が異なっている・・・

ー↓

 「天智紀十年(671年)九月、天皇、寝疾不豫したまひき。或る本曰く、八月に天皇疾病したまう」

 「天智紀十年十二月三日、天皇、近江の宮に崩りたまひき」

 「天智四年十月十七日、天皇は臥病したまいて痛みたまふこと甚だし」

 「天智四年十二月に天皇崩りたまひき」

ー↓

「天智天皇」の「沓(靴)」が発見・・・「藤ノ木古墳」では「宝石装飾の沓(金銅製靴・靴)」が発見された・・・「試料写真を見れば装飾、形態が異なった二足」である・・・「靴は足(たり)のモノ」だろう。「騎馬民族(中国北方・高麗古墳)」の絵には「乗馬靴」を履いているのがある・・・

 「前方後円墳」の側面は「靴」のようにみえるのだが・・・「沓(靴)の謎」は漢字が示唆している・・・「沓=水+日」、「靴=革+化」・・・そして「履(くつ・はく・リ)=尸+復」である・・・

ーー↓

 ・・・草鞋(わらじ)は、稲藁で作られる日本の伝統的な履物の一つである。

 同様に稲藁で作られる藁草履(わらぞうり)と混同され易いが、

 形状が

 若干

 異なる。

 草履(ぞうり)が現在のビーチサンダルに近い形状であるのに対し、

 草鞋(わらじ)は前部から

 長い「緒(お)」が出ており、

 これを側面の

 「乳(ち)」と呼ばれる

 小さな輪、および

 踵(かかと)から出る

 「かえし」と呼ばれる

 長い輪に通して

 足首に巻き、

 足の後部(アキレス腱)

 若しくは

 外側で縛るものである。

ーー

 「ゲ (夏)・カ・なつ」

 名詞

 陰暦四月十六日からの九十日間。

 「げあんご」に同じ。

 「しばらくは滝に籠(こも)るや夏(げ)の初め(芭蕉・奥の細道・日光)」

ーー

 清少納言の「枕草子(まくらのそうし)」は「をかしの文学」の代表・・・

 との説明がある・・・「いと、をかし?」である・・・「伊都(伊戸)のお菓子」は「大変、甘(あま・カン)い、旨(うまい・シ)い、美味(おい・ビミ)しい」である・・・「甘いお菓子」は「砂糖菓子」で、「金平糖」。甘い食べ物は「蜂蜜」であるな・・・甘すぎるモノを一口食べると一瞬、頭が痛くなる時がある。この痛みは「カキ氷菓子」を口にした時に似ている感覚である・・・

ーー

 「解(ゲ・わかる・カイ)」であるが・・・ 音読みでは「カイ(漢音) ゲ(呉音)」で、訓読みでは「とく・とかす・とける・ほどく」、「もつれ・ごたごたを解きほぐす」、「説明・解釈・数学で〔solution〕方程式を成り立たせる未知数の値(根)・不等式を成立させる未知数の値、またそのような値全体の集合・または、微分方程式などを満足する関数・与えられた問題の答え

 漢文の文体の一・・・「疑惑や非難にこたえることを目的としたもの」であるらしい・・・

ーー

 「げ=解」

 悟ること・わかること・また、説明すること

 「無礙の見をおこし

    無礙・・・ゆうずうむげ(融通無礙)

         (名詞・形動)何ものにも

         とらわれることなく

         自由である・こと(さま)

         柔軟で―な態度

  偏空の―をなして

     偏・・・ひとえに(偏に)

         (副詞=名詞+格助詞)

         一重(ひとえ)+(に)

         ただそのことだけをするさま

         いちずに・ひたすら

 (沙石 3)」・・・「しゃせきしゅう(沙石集)とは鎌倉時代の仏教説話集。十巻。無住一円著。弘安六年(1283)成立。霊験談・高僧伝のほか、文芸談・笑話も収録。仏教思想史上だけでなく、国文学上も貴重」、「させきしゅう」とも・・・

 「げ=解」

 律令制で、

 下級官司が上級官司または太政官に差し出す

 上申文書。またはその様式。

 のちには

 個人の上申書にもいった。

 解状。解文。

 中世、訴状の別名。

ーー

 「げ=解」

 「ハルマ事典」

 江戸時代に作られた日本最初の蘭和辞典。

 「法留麻和解」とも書かれる。江戸の

 大槻玄沢の門人

 稲村三伯が

 フランソア・ハルマの蘭仏辞書を

 玄沢から借り受け,オランダ通詞出身の

 石井恒右衛門の教示、

 同門の

 安岡玄真や

 岡田甫説の助力を得て作成した。

 1796年(寛政八)完成

 集録語数

 八万語余

 三十部刊行

 蘭学界に影響を与えた。後

 H.ドゥーフ(ズーフ)の指導で作られた

 「ドゥーフ・ハルマ」を

 「長崎ハルマ」と称し、

 対して,これは

 「江戸ハルマ」と称した

ーー

 ハルマ

 波留麻=波児馬

 オランダ人

 フランソワ=ハルマ(François Halma)の

 「蘭仏辞典を基礎」にした

 「蘭和辞典」

 「波留麻和解(ハルマわげ)」

 「道富波留麻(ドウーフハルマ)」の通称。

ーー

 ハルマわげ

 「波留麻和解」

 日本最初の蘭和事典

 オランダ人

 フランソワ=ハルマ(François Halma)の

 蘭仏辞典を基礎にし

 蘭和辞典として編集

 「波留麻和解(ハルマわげ)」

 「道富波留麻(ドウーフハルマ)」の通称。

 ハルマわげ(波留麻和解)

 日本最初の蘭和辞典

 ハルマの蘭仏辞典を和訳。

 稲村三伯が

 石井庄助

 宇田川玄随らの協力を得て完成

 寛政八年(1796)刊。

ーー

 江戸ハルマ

 道富波留麻(ドウーフハルマ)

 蘭和辞典

 ドゥーフが

 通詞

 吉雄権之助らの協力により、

 オランダ人

 フランソワ=ハルマの蘭仏辞典をもとに

 文化十三年(1816)に編纂

 天保二年(1831)ごろ成立

 長崎ハルマ

 道訳法児馬

 ズーフハルマ→和蘭字彙(オランダじい) →波留麻和解(ハルマわげ)

 ドゥーフ=Hendrik Doeff

 (1777~1835)

 長崎出島のオランダ商館長

 在日中、蘭和辞典「ドゥーフハルマ」を編纂(へんさん)

 日本名は

 道富。ズーフ。ドゥーフハルマ

 道富波留麻

ーーーーー

 枕草子

(一段)

 春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。

 秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)

 冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。

(二段)

 頃(ころ)は、正月、三月、四・五月、七・八月、九・十一月、十二月。すべてをりにつけつつ。一年ながら をかし。

ーーーーー

 ・・・参考参照文献は以下の

古語 をかし 意味 - Google 検索

 ~

下駄 意味 - Google 検索

 ~

 スベてブログ記事からのモノです・・・

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