・・・重い雪・・・入口、玄関、表道、横道、裏道を塞いでいるユキ・・・雪投げが「しんどい」・・・「塵労(ジンロウ)」ではなく、肉体的な「労働の辛さ」である・・・「炭鉱ガス爆発」は「炭塵爆発」でもあった・・・「1912年4月29日 - 夕張炭鉱で爆発事故(死亡276名)」、「夕張炭鉱(第二斜坑ほか)にて4月と12月に爆発事故。それぞれ死者276人、216人」、「12月23日 - 夕張炭鉱で爆発事故」・・・1912年・・・埃及(エジプト・Egypt)・・・「チリ」が及ぶ・・・地理・治理・智利(República de Chile・Republic of Chile=智加⇒チイカ=西川如見『増補華夷通商考(1708年,宝永五年)』・・・
「夕張炭鉱は開山当時からガス爆発事故が続出。多数の死者及び死者数に劣らない規模の一酸化炭素中毒患者を出してきた。特に、第二次世界大戦以前の過酷な環境下で発生した事故の記録は散逸・風化しており、詳細な事故の状況や死者数は把握できない」・・・風塵化・・・
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「労」=苦労して働く・骨を折る・骨を折らせる・働かせる・ねぎらう。なぐさめる」
「いたわる=労る」・・・
「弱い立場にある人などに同情の気持ちをもって親切に接する。気を配って大切に世話をする」
「労をねぎらう・慰労する・手当てを加える・養生する」
「犬馬の労」
「労の概念」は中国漢代にまで遡ることが知られ、居延漢簡の中にも登場している。積労(労の積み重ね)・年労は官人の勤務評価の材料として考慮された。日本の律令制にも導入され、
「勤務年数の意味」を指していた。
「労」が持つ漢字的な意味は
「手柄・功労」でもある
・・・中国語の「労使」は「扱(こ)き使う」である・・・
↓
「労(ろう)」とは
律令制の官人が
官職に勤務すること
及びその
勤務期間を指す。労効(ろうこう)ともいう
特定の官職における勤務期間を
年労(ねんろう)とも称した。
積労(労の積み重ね)・年労は
官人の勤務評価の材料として考慮された
日本の律令制にも導入され、勤務年数の意味
↓
功労
征夷・造営・造寺・献納などの
功績によって叙位・昇進が行われる
ーーーーー
↓
「塵労」って調べると、
「世の中・俗世間における煩わしい苦労」、
「仏語。煩悩(ぼんのう)・塵労は心を疲れさせるものの意。 煩悩(ぼんのう)の異名」って、説明されてあった・・・「仏語」は「仏蘭西語=フランス語」じゃぁないよなッ・・・いずれも「ぽち・プチ・ブツ」だが・・・
「塵=鹿+土」の「労」・・・「鹿」は「王」の比喩なら「塵・ちり・ジン」は「鹿土=王土」・・・「鹿」=「しか・か・ロク」・・・
「鹿」=「广」+「コ‖(角)」+「比」
マダレの コジ(ツノ)を 比べる
比=上の牝
トの一の匙、七、匕(首)=短刀
「广(ゲン・ゴン)」
广部(げんぶ・まだれ)=高い屋根の形象
「麻」の 垂 ( たれ )・・・?
广=「|(丿・丶)
+
厂(カン・ガン・がけ・がんだれ)」
广=「広・廣」の略字
準備する、用意する
治める、管理する
房屋=母家の両わきの小部屋・寝屋・厨房
房=糸を束ねて、先端を散らし垂らしたもの
花や実が群がり生じて垂れているもの
二十八宿の一・東方の第四宿
蠍座の頭部にある四星
そいぼし・房宿
↓
塵(ちり)は、一般に、
ホコリや目に見えない微小な砂などの
粒子(リュウシ)
龍氏→龍の子→芥川龍之介?
↓
塵(ごみ) - 価値のない邪魔なもの →ゴミ · 塵(ちり) - 細かいくず、粒子、ほこり。細かなゴミ
↓
ごみ(塵=芥)・・・「芥」は芥川の「アクタ」
利用価値のないこまごました汚いもの
ちり。あくた。塵芥(ジンカイ→塵灰)。
↓
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
塵の用語解説
仏教用語
六境
すなわち・・・・・・?・・・砂(素名)の和知
感覚器官の対象である
色,声,香,味,触,法のことで,
真実の心性を
けがすことから
塵と呼ばれている
・・・
↓
塵も積もれば山となる
塵
「塵埃(じんあい)」
ちり。ほこり。 汚れ。また、汚れたもの。
特に俗世間的なもの
「塵芥(じんかい・ちりあくた)」
ごみ。 つまらないもの、軽いもののたとえ
「塵界(じんかい)」
ちりのような汚れた世界
俗世間
↓
「塵外(じんがい)」=俗世間から離れた所
↓
「和光同塵(わこうどうじん)」
非常にすぐれた者が
市井の塵と同じ塵になって生きていくという
老子の境地は
「宗謙」にあっては逆で、
そのことが
くやしい(口惜しい・悔しい)という意味
↓
「宗謙」って、ダレ・・・?
↓
尾形宗謙
江戸前期の書画家・商人
京都生
尾形宗伯の子、光琳・乾山の父
初名は主馬、
字は子伯、
号は浩斎
屋号は
「雁金屋」
尾形家四代宗甫の末弟でその跡継ぎ
東門院の呉服御用
↓
石井宗謙
寛政八年(1796)~文久元年(1861)
江戸時代後期の蘭方医
長崎で
P.F.シーボルトに学び
天保三年
美作(みまさか・岡山県)
勝山藩医となる
岡山で開業し
シーボルトの娘
「楠本いね」に
産科をおしえ
「いね」との間に娘
「たか」をもうけた
のち江戸詰めの勝山藩医
安政二年
箱館奉行所通詞
安政三年
蕃書調所に出仕
文久元年5月23日死去
66歳
↓
笠松宗謙・・・?・・・笠松謙吾
鶏肋集(ケイロクシュウ)
刊行年月
明治42年
1911年12月18日
丸山新十郎の編輯
西園寺公望への岡千仭の評あり
1839~1872
幕末の尊攘運動家
天保九年十二月生まれ
生家は越後(えちご・新潟県)
頸城郡
小猿屋村の庄屋
江戸で
安積艮斎(あさか-ごんさい)に、また
昌平黌(しょうへいこう)で
藤森弘庵らに学ぶ
文久元年(1861)帰郷して塾をひらき
尊攘派とまじわり
長谷川鉄之進らをかくまう
戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍に協力
明治四年
川浦郷学を創立
明治五年2月18日死去
35歳
名はのち宗謙
字は士恭
号は蜂嶺
↓
「塵離垢(おんじんりく)」
「鏤塵吹影(ろうじんすいえい)」
↓
「一塵法界」
「塵一つの中にも、
物事の真理が含まれていること」
「法界」は、「全宇宙」
↓
「後塵を拝する」
車馬が通り過ぎた後に
土誇り(埃)を浴びて見送る意味から、
人に先を越されて遅れをとることをいう
すぐれた権力者に追従すること、
人にこびへつらうことのたとえとしてもいう
↓
「浅草公園」
著者、「芥川竜之介」
「遠眼鏡《えんがんきょう》、双眼鏡《そうがんきょう》、廓大鏡《かくだいきょう》、顕微鏡《けんびきょう》、塵除《ちりよ》け目金《めがね》などの並んだ中に西洋人の人形《にんぎょう》の首が一つ、目金をかけて頬笑・・・」
・・・「目金(モクキン・モクコン)」って、「夏目漱石」の「金之助」の「キン」ちゃんの「目」・・・?
ーーーーー
↓
夏目漱石(金之助)の
長編小説『行人』は、
「友達」
「兄」
「帰ってから」
「塵労」
の4つの編から成り立っている
ーーーーー
↓
しんどい・・・
「しんど」の形容詞化・主に関西地方で用いる
骨が折れる。つらい。くたびれる
↓
「しんどい」とは、
心の疲れた様子を表す「心労(しんろう)」という言葉が変化したもの
「心労」が変化したという説以外に、
ひどい苦労という意味の
「辛労(しんろう)」が変化したという説
↓
くたびれた様子、疲れた様
「しんろう・・・しんろ・・・しんど」
・・・「しんどい」は「心度意(心の程度)」、「震度畏(地震の揺れ怖さ、恐怖)」、あるいは「辛土肥」かも・・・
「草臥れる(くたびれる)」・・・草に臥す
悄気る(しょげる), しんどい.
粗末(そまつ), 箍が緩む(たががゆるむ)
、「だるい」「しんどい」
「えらい」「きつい」
「こわい」・・・北海道弁?・・・
体が疲れた、体が辛い、息が苦しい
「怖い・おそろしい」は
「おっかない」・・・
「おっかな‐びっくり」
「こわがって、びくびくしながら
事をするさま」
「おそるおそる・こわごわ」・・・
蝦夷地
古代の呼称は「渡嶋(わたりのしま)」
音威子府(おといねっぷむら)村
から中川町方面に
「松浦武四郎 北海道命名の地」
入り口の看板
松浦武四郎(1818~1888年)
6度、蝦夷地を調査
1857(安政四)年に
天塩川の流域を調査
「音威子府(おといねっぷむら)」村で
アイヌ語の「カイ」が
「この土地で生まれた者」であるコトを知り、
1869年に
「北加伊道」と命名提案し
武四郎の案をもとに
「北海道」と改称
「おといねっぷ」は・・・多分、
音 威子 府
音問い音(子・根・値)
通符・・・だろう・・・
↓
「蝦夷人のみ、そぎな、し、たる
天塩川(てしおがわ・テンエンセン)
今宵ぞ 夏(なつ・カ)の
とまり、をば、しる」・・・?
歌碑の「文の区切り」は、ボクの妄想?
↓
1869年1月(明治元年12月)
旧幕府軍が五稜郭を占拠し
榎本武揚を首班とする
「蝦夷共和国」が成立、
翌年にかけて新政府軍との間で
戊辰戦争の一
箱館戦争が戦われた
↓
be tired
be exhausted〈つらい〉
hard
exhausting
しんどい仕事
a tough job
tired
frazzled
tiresome
worrisome
bothersome
ーーーーー
・・・数字の単位・・・
「零、一(壱・壹)、十(拾)、百(佰・陌)、千(仟・阡)、万(萬)、億、兆、京、垓、(禾+予)、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数」・・・
一より小さい数・・・
0.1から十分の一ごとに、
「分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄」
「0.000000001」=一塵」、「0.0000000001=一埃」・・・「ダスト(dust)」・・・出すト・・・拿素賭・・5×3、15(位置拾語)・・・
↓
一塵不染 (いちじんふせん)=物欲のゴミに塗れず
一塵法界 (いちじんほっかい)=一塵からも悟り
遠塵離垢 (おんじんりく)=煩悩の迷いを断ち切る
客塵煩悩 (きゃくじんぼんのう)=欲は客の塵から
校書掃塵 (こうしょそうじん)=終わることは無い
木端微塵 (こっぱみじん)
恒沙塵数 (ごうしゃじんじゅ)=ガンジス河の無数の砂
塵羹土飯 (じんこうとはん)
=子供の遊びにおける塵の飯や泥の吸い物の意
実際には役に立たない物、
とるに足らないもののこと(韓非子)
塵垢粃糠 (じんこうひこう)=ふけ
塵思埃念 (じんしあいねん)
塵飯塗羹 (じんぱんとこう)
吹影鏤塵 (すいえいろうじん)=無駄な努力
滄海揚塵 (そうかいようじん)
甑塵釜魚 (そうじんふぎょ)=極貧で食うものが無い
超軼絶塵 (ちょういつぜつじん)=非常にすぐれていること
超塵出俗 (ちょうじんしゅつぞく)
軟紅車塵 (なんこうしゃじん)=にぎやかな都会
風塵外物 (ふうじんがいぶつ)
風塵之会 (ふうじんのかい)
風塵表物 (ふうじんひょうぶつ)
風塵僕僕 (ふうじんぼくぼく)
風塵碌碌 (ふうじんろくろく)
奔逸絶塵 (ほんいつぜつじん)
望塵之拝 (ぼうじんのはい)
六塵不染 (ろくじんふせん)
・・・「塵芥集(じんかいしゅう)とは、陸奥国の戦国大名、伊達氏が制定した分国法。天文五年(1536年)に、伊達稙宗によって制定された。条文はおよそ170条に及び、分国法中最大の規模。体裁に御成敗式目の影響が見える他、殺人・強盗など刑事に相当する部分に詳細な規定があること、また地頭の支配権が広く認められている」・・・
生口という特殊な制度があり、伊達家が犯罪捜査をしない為、被害者が自ら捕まえなければならなかった。冤罪の場合は50日以内に真犯人(むかい生口)を生きたまま連れて来なければならなかった。
蔵方乃掟(くらかたのおきて)は、塵芥集に先立って
天文二年三月十三日(1534年)に出された
質屋関係の
法令13条であり、
塵芥集が出された後も補助法として存続した。
期限計算や質物の損壊、
利子計算、
質物が盗品であった場合の
規定などが定められている。
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・・・伊達藩・・・宮城(みやぎ・キュウジョウ)、岩手(いわて・ガンシュ)・・・球状の癌痘・・・九条の願主・・・