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コジキジゲン

枕草子→「聖書・清書・誓書・盛暑」に有る納言←古事記

2013-05-21 23:47:06 | 古事記字源
 5月21日・・・語解通、二重位置似知・・・「兼好法師」→兼好(兼ねて好く)、法の師→「健康奉仕」・・・建(たける)を交(まじえる)、邦(くに)の史(し)・・・「枕辞典」・・・
 「英和対訳袖珍辞書」は

 1862年

 文久二年に

 幕府の「洋書調所」で発行出版・・・

    要所を調べる

 「叙(述)」は叙(のべ)る

 「序(文)」は序(つい)でに

 「如(何)」は如(ごと)し

 「除(外)」は除(のぞ)く

 「助(言)」は助(たす)ける

 「(寛)恕」は恕(ゆる)す

     ↓

 「恕(ジョ・ショ・ゆるす)=女+口+心」は「清少納言→斉唱名言・聖書有納言・誓書有名言・清書有納言」の「枕草子」・・・?・・・

ーーー↓

 「天文台蛮書和解御用掛」を拡充し、1855年(安政二年)に「洋学所」を開設

 開設直後の

 安政の大地震で全壊焼失

 1856年3月17日

 (安政三年二月十一日)

 「蕃書調所」と改称

 古賀謹一郎を頭取、

 箕作阮甫

 杉田成卿らを教授として、

 安政四年一月に開講

 幕臣子弟を対象にしたが

 1858年(安政五年)以降は

 藩士の入学も認めた

 翻訳事業や欧米諸国との外交折衝も担当

 1862年(文久二年)

 学問所奉行および林大学頭の管轄下に入り

 「昌平黌」と同格の幕府官立学校となった

 同年6月15日(5月18日)

 「洋書調所」と改称

 翌

 1863年(文久三年八月二十九日)

 10月

 11日

 「開成所」と改称

ーー

 昌平坂=昌平坂学問所、

 1790年(寛政二年)、神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関・施設。「昌平黌」とも

ーー

 ・・・「英和対訳袖珍辞書・(えいわたいやくしゅうちんじしょ・ A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language」・・・ポケット(補懸通徒?)・・・は、堀達之助が編纂した日本初の本格的刊本英和辞典。953(九百五拾参)ページ。刊行部数は約200(弐百)部・・・

 堀を筆頭に「西周、千村五郎、竹原勇四郎、箕作麟祥」などが編纂に参加・・・その形状から「枕辞書」とも呼ばれた・・・辞書を枕に寝たんだろう・・・

 「枕草子」は蘭学者の「古事記読解」辞典・・・?カモ・・・

ーーーーー

 枕草子

 (三〇段)・・・参拾段・三十段・30段・・參足段

        「參=ム+ム+ム+∧+彡」を拾う段

ーー

         3+0=3=參・・・三横島の∧の彡

         「∧」は「山・屋根」であるが、

         「∧=論理積記号」であり

      安堵←「アンド=and」=と・そして

   異聞・遺文←「イヴン=even」

 捨てる・棄てる←「ステル= still」

         「イエット= yet」等で

          さらに・尚且つ・且(かつ)の意味

         「P ∧ Q」は

         「命題 P」と「命題 Q」 がともに真

ーー

         3×0=0=零・・・雨の令

ーー↓枕草子

 すぎ・・・椙(まさき)・杉(サン)

 にし・・・爾詞・西・爾志・邁志・似史

 かたの・・掛他之

 こひ・・・故意・請い・乞い・濃い・恋・鯉

 しきもの・敷物・織物・四季物・色物・死期者

      「士気・指揮・職・識・私記」物

      「史記・始期・志紀・磯城・子規」物

 枯れ・・・掛例・化例・華例

      借れ・刈れ・嗄れ・狩れ・涸れ

      彼(he)

 たる・・・多留

 葵。・・・亜於意→徳川家

 雛・・・・比名・鄙・比奈・啚名=惜しむ名

 あそびの・阿蘇美野・亜(阿・蛙)措備埜

 調度。・・丁度・兆度・帳土・長土(長州土佐)

 二藍、・・・児藍(藍城)・爾覧・似乱・爾蘭

 葡萄染・・・「武道・無道・分如何・部同」初め

 などの・・・等之・名度廼

 さいでの、・差異出埜・歳出之

 おしへ・・・教え・訓え・押し得

 されて、・・作例出・差例出

 草紙の・・・「双紙・相思・創始・総史・宗氏」之

 中に・・・・名掛似

 あり・・・・亜理・蟻・蛙理・鴉理・在・有・Y理

 けるを・・・懸留・化留

 見つけ

 たる。・・・多留

 また・・・・・・・・・亦・又・俣・股・復

 折から・・・・・・・・下理掛等

 あはれ・・・・・・・・亜葉例

 なりし・・・・・・・・名理視

 人の文、・・・・・・・訊(仁・壬・妊)の文

 雨などの・・・・・・・亜目等(名度)之

 降りて・・・・・・「振り・付利・不利・不離」氐

 徒然(つれづれ)・・・釣(連・吊・攣)れズレ

ーー↓徒然草作者?

 鎌倉時代末期(1330年代前半)

 吉田兼好=兼好法師

 本名、卜部兼好(うらべかねよし)

 弘安六年(1283年)頃

   ~

 文和元年/正平七年(1352年)以後

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての

 官人・遁世者・歌人・随筆家

 治部少輔

 卜部兼顕の子

 卜部氏の嫡流は後の時代に

 吉田家、平野家などに分かれ、

 兼好は吉田家の系統で

 江戸時代以降は

 吉田兼好と通称

 ウィキペディア

 死没1350年?

ーー↓徒然草

 1330年8月~1331年9月頃に

 まとめられた随筆

 数多くの説があり定説無

 序段を含めて

 244段

 文体は和漢混淆文と、

 仮名文字が中心の和文が混在

 兼好が

 仁和寺がある

 双が丘(ならびがおか)に居を構えた 

ーーーーーーーー↓

        徒然草=兼

        徒歩(徒・かち→可知・加地)

        つれづれ

        ↓

        通例事例(図例)

ーーー↓枕草子

 なる日・・・・・・・・名留比

 さがし・・・・・・・・作臥詞・佐賀視

 出で・・・・・・・・・意出

 たる。・・・・・・・・多留・他留・太留

 去年の・・・・・「虚年・拠念・申年」埜(乃)

 かは・・・・・・掛葉

 ぼり。・・・・・補理

 月の・・・・・・解通之

 あかき・・・・・亜掛記

 夜。・・・・世留

      「拠・因・選・縁・依・撚・由」留

ーーーーー

 いと、文明、解掛は・・・おかし・・・

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はしもとシチョウ

2013-05-20 15:41:53 | 古事記字源
 「ハシモト」さんは「エライ、ッ」・・・「政治家!?」では、ある、ナ、ッ・・・
 「本質」から逸脱して「国家枠」、「国家枠外」の論理に於いても「マスコミ知識人のタジタジのダメ論理」と「知識人らしい超党派の国会ご婦人達」の物言い、難癖、イチャモンは「大阪市長」に負けているなッ。
 意外や以外の「人権論理」を矮小化する「国会バッチを憑(つ)けた井戸端偽善会議」では「女性」の「解放」は無いだろう・・・
 インタヴューされていた「沖縄風俗嬢さん」の「コトバ」には「ヒケメ」もあったが、「本質」をスベテ語っていたなッ。
 「沖縄風俗嬢さん」のコトバは「ハシモ」氏のサラに「わかりやすい翻訳」でもあった・・・
 低レベルな「政治屋たち」、「貴婦人たち?」と「言揚げ」の「レベル」が断トツに異っているのは歴然である・・・
 それに、まったく、「政治屋」の「文化」が違っていてヨカッタね、ッ・・・レベルが「ワタナベみんなの党」→「視無名之(廼)答(等)」だから、ナ、ッ・・・
 前回もチョッと触れたが、
 「榎本武揚=釜次郎=号は梁川」
    ↓
 「榎=木(き・ボク・モク・十+八)」+「夏=頁(ケツ・おおがい・ページ・一ノ目八)」+「夂(チ・おくれる・ノ又)」の「本=木+一=十+八+一」、「武」+「揚」・・・
 釜次郎=かまじろう→「掛、真字、賂、得」・・・あの時、勝っていたら「北海道(蝦夷)共和国」はどう、なっていたんだろ・・・
ーーー榎本↓記紀の頁の夂(チ・おくれる)の本
                   遅・遅れる
                   知・贈れる→海事国際法→黒田キヨイタカ

ーーー↓号は梁川(リョウセン・梁=はり・川=かわ)

 ・・・梁+川→川の梁なら「橋」である・・・

 梁=「氵(みず・サンズイ→纂隋・纂蕊・纂蘂・纂髄)」

 +

 刀(かたな・トウ→等・当・唐・問う・討・答・訪・樋・橙・棟)

 +

 ハ(はち・やっつ・は→葉・場・羽・馬・罵)

 +

 十(壱拾・足→足軽→徒歩・歩行町=おかちまち)

 +

 八(ハチ・やっつ・捌→裁く・砂漠・沙漠・佐幕)」

 の

 記紀(古事記・日本書紀)の頁(ページ・ケツ・おおがい=鴎外)の夂(チ・おくれる)の本・・・

 「梁(リョウ)」を「漁る」・・・「真名仮名」・・・

   ↓文明開化の「梁」とは「南梁」の事績である

梁 (南朝) - Wikipedia

   ↓文明開化の「梁」

 梁(502年~557年)

 中国南北朝時代の江南に存在した王朝

 斉の始祖

 蕭道成の

 族弟

 蕭順之の子

 蕭衍は、

 斉の皇帝

 東昏侯の暴政で

 兄、

 蕭懿が殺害

 501年に

 荊州襄陽において

 藩鎮や豪族・土豪を結集して挙兵

 建康に進撃

 東昏侯や側近を粛清した

 蕭衍は

 新帝に東昏侯の弟

 和帝を擁立

 502年に

 和帝から禅譲

 梁を建国

ーー

 武帝

 疲弊した民政の回復を図り、

 積極的な政治改革を行なった

 創業当初の

 天監年間

 九品中正法の改定

 梁律の頒布

 租税の軽減等の政策

 治世は安定

 旧来の貴族の子弟が入る

 国子学以外に、

 寒門の子弟を対象とした

 教育施設として

 五館を設置

 武帝の長男である皇太子

 蕭統(昭明太子)の

 『文選』、

 蕭統の死後皇太子となった

 蕭綱(簡文帝)らによる

 宮体詩を収録した

 『玉台新詠』の編纂

 「捨身」の教えである過度の

 仏教保護や経済政策の失敗

 貴族層の実務忌避

 台頭した寒門側近による専権

 官吏の綱紀弛緩

 繁栄の影で社会不安が深刻化

 548年

 北朝の東魏の降将

 侯景が河南

 十三州を手土産にして

 武帝に帰順

 武帝は侯景の帰順を受け入れたが、

 東魏軍は侯景・梁軍を破って河南を奪還した

 東魏は梁との和睦を図り、

 武帝もそれに乗ったため、

 東魏に破れて

 寿春に逃れていた

 侯景は窮地に立たされ、

 臨賀王

 蕭正徳と内通して

 1000名の軍を率いて

 548年

 十月

 二十二日

 首都

 建康を包囲

 各地に分封されていた

 諸王や宗室たちは

 互いの利を見て牽制し

 武帝の救援に積極的に動かなかった

 その上、梁軍で唯一の

 名将だった

 羊侃が急死

 549年二月に

 偽りの和議を

 侯景と結んだ

 挙句に

 三月十二日には

 和議を破棄されて

 建康は攻撃されて落城

 武帝は

 侯景に捕縛されて幽閉

 首都陥落後

 二ヵ月後に

 八十六歳で崩御

 侯景は武帝に代わる新しい皇帝として皇太子の

 簡文帝を擁立したが、

 侯景の厳重な監視下に置かれた傀儡であった

 各地の藩鎮はこれに従わず、

 侯景は自ら軍を率いて

 物資確保のために

 三呉地域の平定に乗り出した

 武帝の

 七男

 蕭繹は建康から逃れてくる梁の残党や避難民を吸収して勢力を拡大し、江陵を中心にして侯景と対峙し、

 対する

 侯景も

 巴陵で激突し、

 蕭繹軍の

 名将

 王僧弁の活躍で

 侯景軍は大敗し、

 王僧弁や

 陳覇先により

 建康に追い詰められた

 侯景は

 簡文帝を殺害し、

 新たに擁立した

 蕭棟も廃して

 自ら皇帝に即位し

 陳覇先や王僧弁を迎撃したが敗北

 逃走中に部下に裏切られて

 552年四月に殺害

 侯景の乱は平定

 梁の新たな皇帝には

 蕭繹が元帝として即位

 梁国内では

 武陵王

 蕭紀が元帝に従わずに争ったが

 この戦いで

 元帝が勝利

 この一連の混乱の間に

 勢力を拡大した

 西魏が

 襄陽にいた

 蕭詧(武帝の孫、昭明太子の子)を後梁の皇帝、

 宣帝として擁立し、江陵に迫る

 江陵は

 554年

 十一月に

 西魏軍

 五万により陥落

 元帝は戦死

 旧都

 建康を守備していた

 王僧弁と陳霸先は、

 元帝の九男である

 蕭方智を擁立

 王僧弁は梁再興のために

 北斉と同盟を結ぶ事を説く

 徐陵の提言を受け、

 武帝の甥

 蕭淵明(蕭懿の五男)を北斉から迎え皇帝に擁立

 蕭方智を皇太子とした

 この即位に陳覇先が

 非正統性と

 北斉の介入に反対したため、

 王僧弁と陳覇先の対立

 555年九月

 陳覇先は王僧弁を建康で殺害し、

 再び

 蕭方智を皇帝とし、

 二年後の

 557年十月に

 敬帝から禅譲

 陳を建国

 梁は滅亡

 後梁は

 西魏とそれに代わった北周・隋の傀儡政権として、

 後主・

 蕭まで三代続いたが、

 587年に

 隋の

 文帝によって廃された

 梁の経済

 南朝では宋、斉の時代から

 貨幣経済が急速に発展して

 基軸通貨であった

 銅銭の銅の不足と私鋳による

 悪質貨幣の蔓延で

 正常な経済発展が損なわれていたため、

 武帝は

 良質な貨幣の発行、通貨不安を取り除いた

 ところが武帝は

 523年から

 銅銭に代わる

 新たな基軸通貨として

 鉄銭を鋳造する命令を発し

 貨幣不足は解消されたが

 偽銭が大量に出回り、貨幣の信用は無くなって

 530年代に貨幣の価値は急速に下落

 それが梁の衰退につながった

 皇族・官僚

 武帝の治世が長期化し

 皇族や官僚に私財を蓄え不正が横行

 武帝の実弟

 蕭宏は武帝の治世で

 三億に及ぶ不正蓄財を行なってた

 官僚も日夜酒宴や女色に溺れて実務を省みなくなり風俗が乱れ奢侈が横行

 民衆からは厳しい租税を収奪

 治安も乱れ、中央では賄賂が横行

 冤罪で処罰される者も増大

 白昼殺人。強盗が起こるが、それを捕縛すべき官吏は金銭の授受次第で見逃すという事態

 武帝は

 貴族の子弟が入る

 国子学と、

 五館という学校を設置

 五館とは儒教の経典五経に通じた博士の官が学生の教育に当たる学校で、単なる教育機関ではなく、試験を行なって

 官吏を登用する

 官吏養成所の性格を持っていた

 後に隋で開始される

 科挙の源流

 武帝は身分の上下に関わらずに

 才能次第で官吏を登用

 奈良時代や平安時代の日本文学に影響を与えた

 武帝は貴族の中でも下級の貴族を選抜して側近に登用し、法制や礼制の整備に努めた

 曹魏時代からの

 九品中正法を改めて

 品から班に改め、

 従来の基準を大幅に改編し

 皇帝権力を強化するために

 官僚制への移行を積極的に推進した

ーー

 武帝は仏教に傾倒

 梁の衰退を招いた

 武帝は在位中に

 四回も「捨身」を行なう

 武帝は仏教に基づいて儀礼、政事を行なった

 大赦と

 改元を伴って行なった

 異常ともいえる仏教傾倒は

 仏教隆盛をもたらした反面で、

 皇帝や皇族の放恣や側近による専権、貴族層の実務忌避や寺院の建立による

 財政悪化

 民衆の窮乏と社会不安の増大

 国勢の衰退を助長

 

 高祖武帝(蕭衍、在位:502年 - 549年)

 太宗簡文帝(蕭綱、在位:549年 - 551年)

 廃帝豫章王(蕭棟、在位:551年)

 世祖元帝(蕭繹、在位:552年 - 554年)

 閔帝・貞陽侯(蕭淵明、在位:555年)

 敬帝(蕭方智、在位:554年 - 557年)

 蕭荘(在位:557年 - 560年)

    王琳ら・北斉によって擁立(南梁)

 後梁

 中宗宣帝(蕭詧、在位:554年 - 562年)

 世祖明帝(蕭巋、在位:562年 - 585年)

   後主(蕭、在位:585年 - 587年)

ーーーーー↓梁(はり)

 建物の水平短径方向に架けられる横木

 床や屋根などの荷重を柱に伝える材のことであり、

 主に

 曲げ応力を担う。

 梁はおもに鉛直荷重を伝えるが、

 地震などに際しては

 水平方向の荷重を支えることにもなる

 梁に荷重がかかると、内部には、圧縮・引張・曲げ・剪断応力がはたらく。

  鉛直荷重がはたらいた場合、たいてい梁は

 下に凸となるような形に

 たわみを生じ、

 上部はわずかに

 縮み、

 逆に

 下部は

 伸びるように変形。

 断面のおよそ

 上下半分近辺には

 伸びも縮みもせず、

 圧縮応力も

 引張応力も

 生じない面があり、

 そこは

 「中立軸」と定義される。

ーーーー↓「倭建(ヤマトタケル)」は建築技師、匠の守

 枕草子

 (二九段)・・・弐拾九段・二十九段・弐九段・念玖

         2+9=11=壱拾壱=一足一

         2×9=18=壱拾八=一足捌

 心

 ときめき

 するもの

 雀の子。

 兒

 あそばする所の

 前

 わたりたる。

 よき

 薫物

 たきて

 一人

 臥したる。

 唐鏡の

 少し

 くらき

 見たる。

 よき男の

 車

 とどめて

 物いひ

 案内せさせたる。

 頭洗ひ

 化粧じて、

 香に

 しみたる

 衣著たる。

 殊に

 見る

 人なき

 所

 にても、

 心の

 うちは

 なほ

 をかし。

 待つ人

 など

 ある夜、

 雨の

 脚、

 風の

 吹き

 ゆるがす

 も、

 ふとぞ

 おどろかるる。

ーーーーー

 ・・・いと、おかし・・・

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請う字記・・・考字記・交字記・効字記・公事奇

2013-05-18 23:27:45 | 古事記字源
 「五W・一H」を吹っ飛ばすドウショウモないヤカラ・・・「Outrageous(アウトレイジャス)」、「きわめて侮辱的な」とか「非道な」という意味らしいが・・・「大誤報」ではなく、意図的な「大曲解の報道」だろう・・・「言語道断で不快だ」、「亜米利加サキ報道官」は「日本語」が出来ない女性なんだろう。「サキ」と言う名前もイト、オモシロシ・・・それとも、「日本マスコミ」連中、「日本政治屋」連中の「日本人」も「日本語」が「英語、米語」に「翻訳」されなければ「正確に日本語」が理解されないシロモノらしい?・・・
 「売春→春を売るお花屋さん」、「買春→春を買うお客さん」、「売笑婦→お笑い芸人の婦人」、「娼婦→ 歌舞を演じて客を楽しませる女性・康煕字典には、娼は倡の俗字」であるらしい。「娼」の漢字分解は「女+昌(日+日→曰?=いわく)」である。
 日本語の意味は「さかん・あきらか・盛ん・栄える・美しい」で、漢字の熟語は「昌運・昌盛・繁昌・隆昌」である。「郭(廓)の花魁」は歴史的な枠内での「男性社会」でも技芸、学問、教養を有する人物として「尊敬?」された。
 歌唱は「歌+口+昌」である。「唱(とな)える」、「暗唱=暗誦」である。
 日が三つ重なる「晶」は「水晶・結晶・氷晶・塩晶=共晶塩」、「原子が規則正しい配置をとった鉱物の形」。「仮晶」は「鉱物の結晶形が保たれたまま、中身が別の鉱物によって置き換わることで、本来はありえない外形をとる現象。 鉱物の外形が他の鉱物の仮晶である旨を表記する場合には、元の鉱物名に仮晶とつける」とある。日=太陽が三つもあると暑い、熱いであるが、「晶晶」は「キラキラ輝くこと」とは冷たい、涼しい感じの「夜空の星」であるカナ。
 ・・・、隣国では「妓生(きしょう、기생、キーセン)」と云う職業があるが、「諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性。妓生の起源は、新羅や高麗に遡るとされ、新羅時代においては天官女がそれに相当」とある。
 「天官」、古代中国では「周の六官の一つで、国政を総轄し、宮中事務をつかさどった役人、官吏」である。「天官賜福之図解説」の「天官賜福 紫微鑾駕(テンカンシフクシビランカ)」は「天の統治者が福を授け、北極星の神が馬車に乗って降りてくるの意味」らしいが、「紫微鑾」は星占いの「紫薇苑の紫薇斗数術」である。「鑾(ラン・すず)=銮」とは「天子の車・天子・神の乗り物、居場所、神社、山車、神輿(御輿)」で、新旧漢字は「金」の上の「糸言糸」が「亦」に変わっている。類字は「親鸞」の「鸞(ラン)」で、「支配階級的人間」が決めた「法律上の人間」である「善人=インロウー」も「悪人=アウトロー」も「いっしょくた(一緒くた)」にした坊主である、なッ・・・

ーー↓以下の漢字の共通音はスベテ「ラン」

 巒=ラン・嶺(みね)

 彎=ワン・エン・引(ひく)

 變=ヘン・変(かわる)

 戀=レン・恋(こい・こう)

 攣=レン・吊(つる)・痙攣=痙癴

 曫=ラン・黄昏(たそがれ)

 孌=レン・慕(したう)・素直・見目好(みめよい)

 孿=レン・双子(ふたご)・双生児

 蠻=バン・メン・夷(えびす)

         胡・戎・蛭子・恵比寿・恵比須

 欒=ラン・御家(おうち)→一家団欒

      鹿尾菜=羊栖菜(ひじき)は海藻

      円(まどか)・丸(まるい)

 臠=レン・味噌縄(みそなわ)

      味噌を縄に擂りこんだ兵糧

      す→肉の細切れ

      膾炙(カイシャ)

      膾(なます)

      魚介類や野菜類、果物類を細く(薄く)

      切ったものを、酢で和えた料理

      「炙」はあぶり肉の意、薫製

 矕=バン・見(みる)・見そなわす=御覧になる

ーー

 である。

 「糸言糸」は「言葉を糸で繋いだ」と云う意味だろう・・・

 「台詞(せりふ・ダイシ)」は、「演劇や創作物の劇中で登場人物が発する言葉」とあるが・・・「台史」なら」「邪馬台国」、「第詞」と「代視」は「第一代目」の順番で、「題詞」は「タイトル」である。タイトルとは「高橋虫麿」の「浦島太郎」の「龍宮城の咽喉、顎に釣り針が刺さった鯛」である。「他意を取れ」とは「太取」の「太安萬(万)侶」の「古事記」で、「大師」は「弘法大師」の「大日如来」の「密教」の「いろはにほへと」である。「古事記・日本書紀」の「碓を採れ」とは双子の兄弟「大碓、小碓」の「小碓命」、「倭建命」、「倭男具那」である・・・「科白(せりふ・カハク)」は、日常会話や文章などにおいての「決まり文句」、会話や言葉そのもので英語は「lines」と云うらしいが「罪科=咎=罪の告白」である。そして「科学、学科」の「科」、「動植物系統分類」の「科目」である・・以下、ウイッキペデアから参考、参照、少々改作し、抜粋添付・・・

ーーー

 江戸時代

 苦情や言い訳、交渉などの意味で用いられていた

 遊郭での遊女と客の駆け引き

 支払いのこと

 「せりふ」は江戸時代のはじめ頃から使われている語

 「世流布(せるふ)」が変化したもの

 「競り言ふ(せりいう)」が詰まったもの

 ・・・らしいが、「セルフ」は「self」だろう・・・

 明治以降

 漢字表記は

 「科白」

 「台詞」の二通り

ーー

 対話(ダイアローグ)

 舞台上の複数の登場人物が互いに話し合う際のせりふ。

ーー

 独白(モノローグ)

 舞台上にただ一人いる登場人物が独り言として発するせりふ。

ーー

 傍白(アサイド)

 舞台上の登場人物には聞こえないという決まりのもとで、観客に向けて本心などを述べる際のせりふ。

ーー

 歌舞伎における科白

ーー

 捨て科白

 舞台上で役者が即興ではさむせりふ。転じて一般に広まり、別れ際の挨拶や、相手に浴びせる侮蔑、罵倒の意味で使用されている。

ーー

 つらね

 主に荒事の主役が述べる長せりふ。音楽的要素が強く、掛詞などが使われる。これが発展し、割り科白、渡り科白などとなる。

ーー

 割り科白

 二人の登場人物がそれぞれ交互に思いを述べ、最後に結論を双方が同時に同じせりふで発する手法。

ーー

 渡り科白

 一連のせりふを複数の登場人物が順番に受け渡しながら発する手法。

ーー

 名乗り科白

 主に主役が登場し、名乗りを上げる際のせりふ

 ・・・らしい・・

ーー

 「ト書き」の言葉の由来は歌舞伎の台本の「〜と立ち上がりながら」等の「と」から来ている。文体は「〜であった」などの過去形ではなく「〜である」などの現在進行形で書くのが一般的。

 ・・・「ト」は「うらない(占い)」だろう・・「ト」を「調べれ」って・・・「ト調」とは,「音階のソ」から始まって「ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ#(・ソ)」の並びは,「ト長調」と呼ぶ・・・

 「ソラシドレミファソ」の音階がト長調で、「ファにシャープ(♯)」が付き 「ドイツ音名」の「ゲー(G)」・・・英語なら「G」は「ジィ」だろう・・・「ト長調」は、西洋音楽の「調の一」で、「ト (G) 音」を「主音」とする「長調」である。「調号」は「シャープ一箇所 (F)」 である・・・

 「和音」とは「倭音」の「日本語の訓読み」と思っていたが・・・「高さの違う二つ以上の音が重なりあって響く音のこと」であるらしい・・・

 「和音」とは、「3つ以上」の高さの音が同時に響くこと・・・実際には二つの場合があり、「本来、三つだが、そのうち一つが省略されている音」・・・

 ・・・「一定の周波数をもった自然音は、その整数倍の周波数を持った倍音を成分として無限に含んでいる。こうした倍音の高さの音は、元の音(基音)の一部でもあるため同時に鳴らすと協和して聞こえる。それらの倍音を何オクターヴか下げて基音と同程度の音域に調整したものも、やはり周波数の最大公約数が大きく、同じように協和して感じられる」・・・

 「古代ギリシャにおいて、ピュタゴラスが周波数の比率の単純な音は協和することを発見した」・・・「十七世紀に倍音が発見されると、十九世紀にはヘルムホルツが、共通の倍音を含む音は人間の耳に協和して感じられることを発見した。周波数の比率の単純な音はそれだけ共通した倍音も多く、ピュタゴラスの主張を科学的に裏付けた」・・・「例えば、純正な音程の場合、周波数の比率は、オクターヴが 1:2、完全5度は 2:3、完全4度は 3:4、長3度は 4:5、短3度は 5:6となり、長3和音は 4:5:6、短3和音は10:12:15となる」・・・

ーーーーー

 枕草子

 (二八段)・・・弐拾八段・二十八段・弐八段・念捌段

         2+8=10=壱拾=足

         2×8=16=壱拾六=足陸

 暁に

 帰らむ人は、

 装束なと

 いみじう

 うるはしう、

 鳥帽子の緒、・・・重墓誌・重母子・重星・重干

 元結

 かためずとも・・・形目・形女・片目

 ありなむとこそ、

 おぼゆれ。

 いみじく・・・・意味字句・忌字句

         井美字句・伊美字句

 しどけなく、・・四度懸名句

 かたく・・・・・過多句・片句・加太句

 なしく、・・・・名詞句・拿史句

 直衣、・・・・・直意

 狩衣など・・・・仮意

 ゆがめ・・・・・歪め・喩臥目

 たりとも、・・・他理・多理・汰理・太理

 誰か

 見知りて

 笑ひ

 そしりもせむ。

 人は・・・・・・訊葉

 なほ、・・・・・拿補

 暁の・・・・・・行

 有様こそ、・・・

 をかしうも・・・冒し有模・可笑詞得模

 あるべけれ。

 わりなく・・・・倭理名句

 しぶしぶに、・・市部・支部・四部・史分

 起き

 がたげ・・・・・臥多解

 なるを、・・・・名留緒

 強ひて・・・・・詞比出

 そそのかし、

 「明け過ぎむ。

  あな見苦し」など

 言はれて、

 うち

 嘆く

 けしきも、・・・懸史(詞)記模

 げに・・・・・・解爾

 飽かずもの

 憂くも・・・・・得句模

 あら

 むかし、

 と見ゆ。

 指貫なども、

 居ながら

 着もやらず、

 まづ

 さし寄りて、

 夜言ひ

 つる

 ことの

 名残、

 女の耳に

 言ひ

 入れて、

 なに

 わざす

 とも

 なきやう

 なれど、

 帯など

 結ふやう

 なり。

 格子

 押し上げ、

 妻戸

 ある

 所は、

 やがて

 もろともに

 率て

 行きて、

 昼のほどの

 おぼつか

 なからむこと

 なども

 言ひ出でに

 すべり出で

 なむは、

 見送られて、

 名残も

 をかし

 かり

 なむ。

 思ひいで

 所

 ありて、

 いと

 き

 はやかに

 起きて、

 ひろめき

 たちて、

 指貫の

 腰

 こそこそ

 とか

 はは

 結ひ、

 直衣、

 袍、

 狩衣も、

 袖かい

 まくりて、

 よろづ・・・・与賂事・世(夜)賂事

 さし入れ、

 帯・・・・・・おび・タイ

 いと

 したたかに

 結ひ

 果てて、

 つい居て、

 鳥帽子の緒、

 きと

 強げに

 結ひ入れて、

 かい

 す

 ふる音して、

 扇、

 畳紙など、

 昨夜

 枕上に

 置きしかど、

 おのづから

 引かれ

 散りにけるを

 求むるに、

 暗ければ、

 いかでかは

 見えむ、

 「いづら、いづら」と

 叩き

 わたし、

 見いでて、

 扇

 ふたふたと

 使ひ、

 懐紙さし入れて、

 「まかりなむ」と

 ばかり

 こそ

 言ふらめ。

ーーーーー↓日本書紀

 「云何

  天

  鈿女・・・宇受女(渦目)・猿女(猿目)

  命

  樂

  如此

  者乎、

  乃以

  御手、

  細開

  磐戸

  窺(うかがえる・そっと覗いて見る

    推定し知る・察知する

    窺い知る=推測して

    大凡=オオヨソ、大体のことを知る)

  之(日本書紀)」

 いと、おもしろし、いと、あやし・・・・「宝鈿玉釵(ホウデンギョクサイ)」・・・「鈿(デン)」、「釵(サイ)」はいずれも簪(かんざし・髪飾り・髪挿し=かみさし=「ノ-」→毎の上の字、毋OR母を省いた字)・・・「伝=デン=傳」、「歳=サイ=差異」・・・

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さくら、桜が咲いたぞ、寅ちゃん、いつまで風天やってんの

2013-05-17 19:01:27 | 古事記字源
 櫻の蕾(つぼみ)、水仙の蕾、チューリップの蕾、黄色の花の蕾・・・黄色の花弁4枚なのだが名前が判らない。「山吹の花」と思ったが「花弁が五枚」で、「花弁が四枚」の「黄色花」とは異なる・・・ブログで調べてみたら、どうやらを「レンギョウ・レンギョウウツギ」と言う名前らしい。名前の由来は、漢名の「連翹」の音読みだそうだが、「中国名では黄寿丹で、日本で誤って呼んだ連翹とはトモエ草、オトギリ草のコトである」とあった。その「連翹」だが「雉(きじ)が尾羽を広げて飛ぶ様子」らしい。尾張の本居宣長の「古事記伝」のキジ(生地・記事・木地)だろう・・・「翹」とは「昆虫類のハネ」だろうと思ったが漢字は「翅」である・・・
 「トンボ(蜻蛉、とんぼ、英語=dragonfly・ damselfly・分類上は蜻蛉目、トンボ目、Odonata)という分類群」=「秋津(安芸津)」=「蜻蛉」=カゲロウ=「蜉蝣」の「翅」とは、節足動物門・昆虫綱・カゲロウ目(蜉蝣目)のEphemeropteraに属する昆虫の総称。昆虫類で最初に「翅」を獲得したらしい・・・幼虫はすべて「水生」・・・トンボ(秋津島・安芸津島・安芸対馬)の「揣摩・縞・志摩・死魔」の幼虫は「ヤゴ(隋王朝の帰化人、陽侯氏)」だろう・・・とにかく「蜻蛉・蜉蝣」は「不完全変態」で、「幼虫→亜成虫→成虫」の「半変態」で、成虫は「長い尾」を有し、寿命が短い。学名はギリシャ語の原義は「epi = on, hemera = day (その日一日)であり、カゲロウの寿命の短さに由来する・・・たった一日ぽっきりの命・・・ナニを言いたいのか?「蜻蛉日記」・・・

 「翹」の漢字名を有する「翹岐」は「百済の王族で義慈王の甥、又は子と謂われている人物」であり、「皇極天皇元年(642)に義慈王の母の死亡と同時に島流し(流刑)となったが、同年、来日し「大使として参内」し、「蘇我蝦夷」の邸宅に招かれた人物である・・・「戴として纂名(納)意」だろう・・・「戴(タイ)」は「いただく・頭の上にのせる」・・・「戴冠式・不倶戴天・うやうやしく上にささげて持つ・推戴・頂戴・奉戴」である・・・「タイ・トル」は「ナンだん」だか?・・・ねッ・・・

 兎に角、ハナバナの「蕾み」が弾(はじ)けて花が咲き出した・・・

 以前にも同じようなことを書き込んだが、

 「咼(カ・カイ・ワ・くぼむ・うずまき・渦巻く)」

 「冎(カ・わける・さく・えぐる・骨肉分離の刑罰)=剮の源字→咼の上は頭蓋骨、下は四肢の胴体の骨」・・・

 「咼(カ・カイ・よこしま・くちがゆがむ・ゆがむ)」・・・?

 「かたつむり」の殻の形、巻貝、アンモナイト・・・

 蝸牛(カギュウ)

 鍋(なべ)

 堝(カ・るつぼ=坩堝)・・・鋳鉄炉

 萵(ワ)・・・・チシャの葉. キク科の野菜

 窩(カ・ワ・むろ)・・・あな・あなぐら

             くぼみ・凹

             腋窩(エキカ・エキワ)

             眼窩(ガンカ・ガンワ)

             蜂窩(ホウカ)

             窩主(ケイズ)

   陥凹の場所(側頭下窩・犬歯窩・腋窩・卵円窩)

   中心窩(fovea, fovea centralis)は

   目の網膜の黄斑部の中心に位置する。

   中心窩は、高精細な中心視野での視覚機能に寄与

 渦(カ・うづ)

 禍(カ・わざわい)

 過(カ・すぎる)

 猧(ワ・ちん)

 撾(タ・うつ)

 媧(カ)

 檛(タ・テ・つえ)

 マイマイ・・・

 啚(ヒ・ト・おしむ・はかる)・圖(ズ・ト・はかる)=図・・・

 「咼(カ・カイ・ワ・よこしま)」の訓は「口が歪(ゆが)む・ゆがむ」ではなく、「口をツボム=つぼむ・莟む・窄む・蕾む」結果の「窪んだ部分」だろう・・・「笑窪」・・・「咼」は「つぼんだ形」の「容器」である。なぜ「よこしま・ヨコシマ・横嶋・邪」なんだか?・・・それは「窪んだ形の地形」からの他のコトバの示唆、連鎖である。「落窪物語」・・・落とし穴かも・・・そして、蕾の芽の如く「螺旋形」に重ねられた花弁の「ツボマリの形」と「溝に見える重なり」である。「鳴門海峡の渦潮、渦巻き」で、「竜巻(トルレード)、台風(タイフーン・ハリケーン)の目」である。「メ螺旋(ねじ)」の螺旋のクボミの線条である。オス螺旋を捩じ込まれた穴(孔)と、その溝アトである・・・「坩堝(るつぼ)=十+一+甘+十+一+咼(冎+口)」・・・鉄を鎔かす「熔高炉」である・・・

 ボクは「二七、八歳」の時期に二年間ほど愛知県の東海市にある「新日鉄」の溶鉱炉が凛々しく起立していた現場で仕事をした経験があるが・・・あの頃一緒に働いてくれた皆に感謝・・・コークス工場・・・台風のレンチャンだった・・・そして、「ヒデ」と・・・溶鉱炉の天辺まで登ったョ、ナッ・・・ボクも含めて全然危険な場所だなんて思っても、自覚もしていなかったのかな・・・?・・・

ーー↓

 日本における最初の近代高炉

 釜石市の

 大橋高炉

 大島高任が設計・操業

 安政四年(1857年)

 十一月

 二十六日

 火入れ、

 十二月一日初

 出銑

 大島は

 オランダ人

 ヒューゲニンの著作を

 「鉄熕鋳鑑」として翻訳し

  "hoog oven" を「高炉」と翻訳

ーー↓

 「反射炉の設置」は天保年間の長崎の高島秋帆、江川坦庵の「蘭書」研究の結果である。

 嘉永六年(1853)のペリー来航

 江川坦庵に対して、反射炉の建造を許可

 建造予定地は下田港に近い

 賀茂郡本郷村(下田市高馬)

 嘉永六年十二月

 基礎工事開始

 安政元年三月末

 ペリー艦隊の水兵が、反射炉建設地内に進入

 反射炉建設地を移転

 韮山代官所に近い

 田方郡中村(現伊豆の国市中)に決定

 反射炉は、

 連双式(溶解炉を二つ備える)の2基

 直角に配置

 四つの溶解炉を同時に稼働可能な設計

 安政二年正月

 坦庵が病死

 後継の

 江川英敏は、

 蘭学を導入し反射炉建造も行っていた

 佐賀藩に応援を求め技師の派遣を要請

 佐賀藩は、

 杉谷雍助ら

 十一名を

 韮山(にらやま)に派遣

 安政四年(1857)

 十一月

 反射炉は着工から

 三年半の歳月をかけて完成

 目的は大砲の製造

 元治元年(1864)に使用が中止

 大砲は台場の備砲として用いられた

 ・・・らしい・・・鍋も製造したのだろうか・・・

 幕府の近代産業化の出頭指揮者は

 「小栗上野介」であった・・・

ーーー↓

 小栗忠順

 文政十年六月二十三日(1827年7月16日)

   ~

 慶応四年閏四月六日(1868年5月27日)

 改名 剛太郎、忠順

 別名 又一

 戒名 陽寿院殿法岳浄性大居士

 墓所 東善寺 雑司ヶ谷霊園 普門院

 官位

 安政六年(1859年)

 従五位下

 豊後守に叙任

 文久三年(1863年)

 上野介に遷任、以後

 小栗上野介

 江戸幕府要職

 西の丸書院番→使番→目付→外国奉行→寄合席→小姓組番頭→勘定奉行→南町奉行→歩兵奉行→講武所御用取扱→寄合席→陸軍奉行並→勤仕並寄合→軍艦奉行→寄合→海軍奉行並→陸軍奉行並→勤仕並寄合

 主君 徳川家慶→家定→家茂→慶喜

 氏族 三河小栗氏

 父 小栗忠高

 母 小栗くに子(小栗忠清の娘)

 正室 建部政醇の娘・道子

 子 国子(小栗貞雄妻)

 養子 鉞子、忠道

ーー↓

 鍋(なべ)・・・菜を煮る瓮(へ)

 播磨の方言。尻。転じて女根の義。

 女の陰部のこと

 尻のことを「かま(釜)」、前尻を「なべ」

ーーーーー↓

 枕草子

 (二七段)・・・弐拾七段・二十七段・弐七段・念漆段

         2+7=9=九=玖

         2×7=14=十四=壱拾四=壱足肆

 ふみ

 ことば

 なめき

 人こそ、

 いと

 ど

 にくけれ。

 世を

 なのめに

 書き

 なしたる、

 詞の

 にくきこそ。

 さる・・・・・申・猿・沙流・去る・然る・作留

 まじき・・・・真字記(漢字の記録)・交字記・混字記

        馬路記

 人の・・・・・訊埜

 もとに、・・・本爾

 あまり・・・・海部理・海士里・亜真理

 かし・・・・・瑕疵・菓子・歌詞・下肢・掛詞・可視

 こまり

 たるも、・・・多留模

 實に

 わろき事ぞ。

 されど

 我

 えたらんは

 理、

 人のもと

 なる

 さへ

 にくく

 こそあれ。

 大かた

 さし

 向ひても、

 なめきは、

 など

 かく

 言ふらんと

 かたはら

 いたし。

 まして

 よき人

 などを

 さ

 申す者は、

 さる

 はを

 こにて

 いとにくし。

 男

 しうなど

 わろくいふ、

 いとわろし。

 わが

 使ふものなど、

 おはする、

 のたまふ

 など

 いひたる、

 いと

 にくし。

 ここ

 もとに

 侍る

 といふ

 文字を

 あらせばやと

 聞くこと

 こそ

 多かめれ。

 「愛敬なくと、

  詞しなめき」

 などいへば、

 いはるる人も

 聞く人も笑ふ。

 かく

 覺ゆればにや、

 「あまり

  嘲哢する」など

 いはるるまで

 ある人も、

 わろきなるべし。

 殿上人

 宰相などを、

 ただ

 なのる名を、

 聊

 つつましげ

 ならず

 いふは、

 いと

 かたは

 なるを、

 げに

 よくさいはず、

 女房の

 局なる人をさへ、

 あのおもと

 君などいへば、

 めづらかに

 嬉しと

 思ひて、

 譽むる事ぞ

 いみじき。

 殿上人公達を、

 御前より

 外にては

 官をいふ。

 また

 御前にて

 物をいふとも、

 きこしめさんには、

 などてかは、

 まろがなど

 いはん。

 さいは

 ざらん

 にくし。

 かく

 いはんに、

 わろかる

 べき事かは。

ーーーーー

 ・・・「コジキ」への批判であったとしても「セイショウナゴン」の「イト」とは、いとど、おかし、あやし・・・明治、文明の開花のサクラ仮名・・・

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奇妙奇天烈・名符→妙婦・馬婦・命婦・乳母

2013-05-17 00:16:03 | 古事記字源
 「命婦(みょうふ)」・・・「乳母(めのと・うば)」・・・「代理母」・・・適齢の妊娠出産がずれてきている女性の結婚・・・ママハハ(継母)の継子イジメの物語は「三浦 綾子(1922年四月二十五日~1999年十月十二日」の「氷点」だが、最近は実母が実子を・・・水はヒャッコイし、寒(さぶい)いなぁ~、蝦夷地、渡嶋・・・ハルは未だキタラズ、北海道、と残雪の山を観ながら・・・朝は思っていたが、午後2時頃から少し晴れ、夕方には青空と西に傾きかけていたが太陽、それに田圃に水が張られていた・・・お袋の病院から帰って庭のサクラの木を見上げると桜花が2、3輪咲いていた・・・
ーーーーー

 枕草子

 (二六段)・・・弐拾六段・二十六段・弐拾六段・弐六・弐足陸段

         2+6=8(八)=捌(ハツ・ハチ・ベツ・さばく)

         2×6=12(壱拾弐)=壱足弐

 にくき

 もの、

 乳母(めのと)の・・・実母に代わって、その子女を養育する女性

            古代の貴族・豪族の風習

            「日本書紀・神代巻」には

            「ちおも」、また「ちぬし」と称する

            目のと・眼差し・

            女の都(めのと)・・・「馬(め)の都(と)」

            長崎県長崎市

            女の都一丁目から女の都四丁目

ーーー↓

 命婦(みょうぶ)

 律令制下の日本において

 従五位下以上の

 位階を有する女性

 官人の

 妻の地位を示す称号

 稲荷狐の異名

 王命婦(おうみょうぶ)とは、

 源氏物語に登場する人物

 古代における身分のある女性の称

 後宮職員令の五位以上の位を有する

 女性を

 内命婦

 五位以上の

 男官の妻を

 外命婦と称した

 平安中期以降、

 中級の女官や

 中(ちゅうろう・中臈)の女房の称

 稲荷信仰・命婦・命婦社・白狐・祐徳稲荷神社

 花山院内大臣自ら御前において

 「命婦」の

 二字を書いて下賜

 宮中や後宮(こうきゆう)の女官の一つ

 稲荷(いなり)の神

 謡曲の「鉄輪(かなわ)」の

 「縁切りの井戸」

 しかし、

 「縁切り」は宜しく無いと言うことで、

 寛文八年(1669)五月、

 稲荷大明神を祀り「縁結び」とした

 元冶元年(1864)、火災で社殿は焼失

 命婦稲荷社の主祭神は

 正一位命婦稲荷大明神

 寛文八(1668)に

 伏見の稲荷本宮に勧請し祀った

 鍛冶屋町の守護神として

 家庭円満、商売繁昌を加護

ーーー↓

 「馬郎婦観音」

 三十三観音の

 一観音

 美女に姿を化して現世に登場した観音

 唐時代、

 憲宗元和四年(809年)

 長安の西の鳳翔地方

 美人が現れ、街の若者達が求婚した。

 「一夜で

  観音経

  を誦えられるなら

  その方の

  妻になります」

 と女は

 若者に告げる。

 翌日、

 二十名の者が

 空で誦えることができたので

 次に

 「金剛般若経」の暗唱を課した。

 十名の者が唱えることができたので

 さらに

 「妙法蓮華経」

 全二十八品を

 三日間で

 諳じられたその人へ

 嫁ぐと約束した。

 三日後、

 「馬(バ)」という

 若者一人だけが、

 全二十八品を諳じた。

 「馬家(バケ)」では

 その女性を花嫁に迎えが、

 婚礼の夜、女が、急死

 悲嘆に暗れる

 「馬氏の息子」に、

 女の由緒を老僧が説き

 女を埋めた墓を開けさせると、

 美人(女)は、

 黄金の骨と化していた

 ・・・と言うハナシ・・・「黄金の骨」を「馬氏の息子」はどうしたんだろう?・・・ボクならカネにして「遊蕩三昧」・・・?・・・

ーーー↓

 「呼牛呼馬(カギュウカバ?・コギュウコバ?)」とは

 相手の言いなりにまかせて、逆らわないこと

 相手が自分を

 牛と呼べば自分は牛でありますとし、

 馬と呼ばれれば自分は馬だとする(思う)意

 ・・・催眠術?・・・いまや、「亜米利加」の言いなりのママに、とはイカナイ・・・「馬頭星雲」・・・プチブル国民の「罵倒世運」・・・「場等盛運」・・・

ーー↓

 「馬」=うま・ま・たけし・むま

 バ(漢音)・メ(呉音)・マ(唐音)

 馬の熟語

 馬車・馬術・馬力・愛馬・悍馬(カンバ)・騎馬

 牛馬・曲馬・軍馬・競馬・車馬・乗馬・駄馬

 調馬・天馬・白馬?=青馬?・赤馬

 龍馬・牝馬(ヒンバ)・馬鹿

 午後=十二(pm0)時以後

 「午=ノ一+十=ケ+一」、

 「牛=ノ一+十=ケ+一」

 「乳母(うば・めのと)

  母親の代わりに子供に乳を飲ませて育てる女」

 「傅(うば)

  貴人の子を守り育てる役目の男・もりやく」

 「めのとご(乳母子・傅子・平家物語六〉」

ーーー↓

ーーー↓にくきものは

 乳母(めのと)の

 男こそ・・・「夫(おっと)」なのか、「男の子(童)」

 あれ、

 女は・・・・「女の子(童)」なのか、「女(むすめ)」

 されど

 近くも

 寄らねば

 よし。

ーー

 上の文章には「女」とあり、「女子」とは書かれてはいない。上の「原文」は

 「青空の入門のホームページ・古典・宗教など入門」の

 「原文『枕草子』全巻」からの引用添付なのだが・・・これはどのように現代語に「解釈」すればイイのだろうか?・・・「男=夫」か?「男子(童男)」か?・・・「子」の字の欠落か?・「女(むすめ)」か?「女子(童女)」か?・・・「女」は「子」の字の欠落か・・・?

ーーー

 にくきものは

 乳母(めのと)の

 男こそあれ

  ↓

 乳母の

 男こそ嫌な奴である・・・男=乳母の夫か?、男の子か?

ーー

 女(おんな)は

 されど近く寄らねばよし

  ↓

 女なら、・・・女=乳母の女の子?

 そうではあっても

 近寄らないほうがよい

ーー

 男子をば 

 ただわが物にして

  ↓

 男の子こそは、

 (乳母を)自分の物として

ーー

 立ち添い 後ろ見

 いささかもこの御事に

  ↓

 寄り添って、振り返って、

 わずかでもこの大事なコトに

ーー

 たがう者をば 詰め讒(ざん)し

  ↓

 違う者を、詰め寄って

 讒(そしり)→讒=そしる・サン・ザン

          悪口を言う

ーー

 人をば人とも(にも)

 思いたらず

  ↓

 (大切な)人が人であると云う

 思いがなく

ーー

 怪しけれど

 これがとが(咎?)をば→これがと、がをば?

  ↓

 怪訝であるが・・・「怪(あや・カイ・ケ)」しく

          「訝=いぶ・ガ・ゲ」かるが

 これこそが、我(我儘)だろう

ーー

 心に

 任せて

 言ふ人も

 なければ

  ↓

 本音を言う人も

 いなければ

ーー

 處得・・・(處→虚?)

 いみじき

 面持(おももち)して

  ↓

 ここぞとばかり

 得意な顔つきをして

ーーー

 事を

 行ない

 などするよ

  ↓

 事を

 やったりするよ

ーーー↓ーーー

ーーー↓ーーー

 男子・・・檀紙・檀氏・団子・箪笥・ダンス・談士

 をば・・・伯母・叔母・小母・嗚葉

 ただ・・・多拿・他拿・太拿

 わが・・・話臥・倭賀・輪画

 物・・・・打つ・佛・仏・勿・分通

 にして、・似詞出

ーー

 立ち・・・建知

 そひ・・・措意

 領じて・・令旨氐(出)・漁字出・了字出

 うしろみ、・愛し路見・後見→ゴミ→語視

 いささかも・聊か(些か)模

 この・・・・個の

 御事に・・・音字似

 違ふ・・・・多賀得・他臥附

 ものをば・・模埜(キキド=記紀土)於葉

 讒し、・・・そしり(措詞理)

ーー

 人をば・・・訊オバ

 人とも・・・訊伴

 思ひ・・・・重比

 たらず、・・足等頭

 怪しけれど、・・・文詞懸例度

 これ

 が

 とが・・・咎・科・罪

 を

 心に

 任せて・・巻枷出

 いふ・・・意附

 人も・・・比賭模

 なければ、・・・名懸例葉

 處得・・・・・・常呂有

 いみじき・・・・意味字紀

 おももち・・・・於模母知

 して、・・・・・詞出

 事を・・・・・・言緒

 行ひなど・・・・行比等(名度)

 するよ。・・・・磨留与・諏留預

ーーーーー

 「枕草子」は「写本」が複数あるらしく、「段」も「文章」も異なっているようである・・・「古語古文」として「解釈」しても「たがうモノ」になる?・・・

 兎に角、同音異字として・・・いと、おかし、おもしろし・・・名実、名目、名誉、名言・・・名護屋・名児耶・名古屋・・・名張・・・乳母=命婦→妙附(譜・符・腑・負)・・・

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