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コジキジゲン

TPP→足柄山→金太郎→岡山→アベ←早良

2013-06-17 20:13:16 | 古事記字源
 足柄山の金太郎・・・「金太郎」は江戸時代の出版業界の「カネのナル木」だったらしい・・・岡山県勝央町が「金太郎」が亡くなった場所らしいのだが・・・金塊、小判が外国流出・・・「日米修好通商条約(Treaty of Amity and Commerce)」は、「安政五年六月十九日(1858年7月29日・日本と亜米利加合衆国の間で締結された通商条約・日米通商条約」・・・「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」・・・不平等条約だろう・・・関わっていた、いるのはイズレも「アベ」・・・
ーー

 「足柄山」は「足軽山」が語源?

 「新編相模風土記」に記されているそうだが、では、「足軽山の語源」は何か?・・・「足柄」は「芦柄」との記載もある。「柄」なら「家紋」とか「着物の柄」で「芦の柄」である。芦名氏の家紋は、三浦で「丸に三引き両(○の中に≡)」である。「≡」→「合同」の数学記号である・・・「銅矛」のような形の「芦」そのものの図柄の家紋をブログで調べたら「人間は考える葦だ」のフランスの哲学・数学者の「パスカル」の記載と共に「家紋は武田氏支流の新見氏(一つ葦の葉・違い芦の葉)」、「小笠原氏支流の飯塚氏(葦丸)」、「清和源氏流の石川氏(違い芦の葉)」などがある、とあった。

 「よし・あし・ヨシ・アシ・蘆・葭・葦・芦」は英語では「reed」で、「パピルス(Papyrus)」は、「カヤツリグサ」科の植物の一種とあった。「萱・茅」は「ウガヤ葺きあえずのミコト」の「萱」である。

 ヒコナギサタケウガヤフキアエズ

 日子波限建鵜草葺不合命

 彦波瀲武盧茲草葺不合尊

 「天孫邇邇芸(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)」の

  子

 「ヒコホホデミ

 天津日高日子穂穂手見命

 彦火火出見尊(山幸彦)」

 と、

 海神の娘である

 豊玉姫の子

 「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(古事記)」

 「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(日本書紀)」

 である

 「瓊々杵尊→彦火火出見尊→彦波瀲武盧茲草葺不合尊」の

  三代は

  日向三代

 ・・・エジプト(埃及)の「パピルス」は万葉仮名では「葉比留素・八ヒ婁州」だろう・・・?・・・

 「婁」=ひく・ずるずるとひっぱる・ひき寄せる・

     虚しい・から・中空

     鞴(ふいご・蹈鞴・踏鞴)

     アコーデオン形、蛇腹形の火力を強める送風器

 「婁絡(ルラク)」=纏わりつく・まとわりつくこと

 「巻婁(ケンル)」=手や足の引き攣り・甚大な疲労

 「離婁之明(リロウノメイ)」= 視力・眼力のすぐれていること

 「婁」=宿曜経、二十八宿の一の婁宿・西方の第二宿

     牡羊(おひつじ)座の頭部分の三星・たたら星

 「瘻」=ロ(ro)首に出来る腫瘍・ハレもの

 「芦=あし・よし・ロ」

ーー↓

 ・・・芦名氏は本姓桓武平氏で、三浦族佐原氏流。相模国の豪族三浦義明の子佐原義連がその祖であSるらしいが・・・石橋山の合戦で源頼朝を助け、平家追討で軍功、奥州藤原攻めに参陣し、「会津・河沼・耶麻」の諸郡を与えられ「佐原(さわら・さはら)」氏の惣領となったのは「光盛」で、彼は相模の芦名にちなんで、芦名氏を名乗った。足柄(あしがら、あしがり)とも訓むらしい・・・「足軽」は「豊臣秀吉」と「伊藤博文」だが・・・

 「触(さわ)らぬ神に祟りナシ」・・・

ーー↓

 「早良親王(さわらしんのう)」

 天平勝宝二年(750年)?

   ~

 延暦四年九月二十八日(785年11月8日)

 光仁天皇の皇子

 生母は

 高野新笠

 第五十代

 桓武天皇の弟・皇太子

 能登内親王の同母弟

 延暦四年(785年)

 造

 長岡宮使

  藤原種継暗殺事件に連座

 乙訓寺に幽閉

 冤罪を訴え絶食し、

 淡路国に配流の途中、

 河内国

 高瀬橋付近で憤死

 その後、

 桓武天皇の

 第一皇子

 安殿(あたか)親王(平城天皇)の発病

 桓武天皇妃

 藤原旅子

 藤原乙牟漏

 坂上又子が病死

 生母

 高野新笠の病死

 疫病、洪水などが早良親王の祟りとされた

 延暦十九年(800年)

 崇道天皇と追称

 ・・・このハナシは「崇神天皇」の「崇神天皇七年二月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣。十一月、大田田根子(種子?)を大物主神を祭る神主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣」と重なる・・・それに追号の「崇道天皇」は、「舎人親王」も諡号は「崇道尽敬皇帝(スウドウジンケイこうてい)」だった・・・「舎人親王」も憤死したのかも・・・?

ーー↓

 足柄峠

 箱根

 外輪山から北に伸びた

 尾根上に位置し

 駿河国と

 相模国の国境の峠

 昔

 足柄坂(あしがらさか)と呼び、

 ここより東を

 坂東と称して足柄峠はその入り口

 富士山の

 延暦噴火(800年~802年)で

 交通不通になり

 箱根峠を通る箱根路が整備

 899年に関所設置

 1336年(建武二年・1335年)

 南北朝時代の

 「箱根・竹ノ下の戦い」

 足柄峠に陣取った

 足利尊氏の軍勢が

 新田義貞の分隊を指揮して

 西側から攻め寄せた

 脇屋義助を

 峠下の

 竹ノ下(竹之下)で破った

ーー↓金太郎

 江戸時代には浮世絵において金太郎図が数多く描かれ、新年には干支に添えた形で出版。美人画・役者絵を得意とする

 鳥居清長・・・鳥居耀蔵

 1752年(宝暦二年)~1815年(文化十二年)は

 天明・文化年間に数多くの金太郎図を描き、

 美人画の

 喜多川歌麿

 ?~1806年(文化三年)も

 山姥と組み合せの金太郎図を描いた

 歌川国芳

 1797年(寛政九年)~1861年(文久元年)も

 多くの金太郎図を描いた

ーー↓

 童謡の「金太郎」は、

 1900年(明治三十三年)に発表

 「幼年唱歌」に掲載

 作詞・石原和三郎

 作曲・田村虎蔵

ーーーーー↑↓ウイッキペデアからスベテ参照抜粋、少々改作添付

 静岡県

 駿東郡

 小山町

 金時神社

 天暦十年(956年)五月誕生

 彫物師

 十兵衛の娘、

 八重桐と

 坂田蔵人の子供

 金太郎は足柄山で育った

 天延四年三月二十一日(976年4月28日)

 源頼光の家来(随身)となる

 坂田金時(坂田公時)と改名

 渡辺綱、

 卜部季武、

 碓井貞光等と共に

 頼光の随身四天王の一人となる

 永祚二年三月二十六日(990年4月28日)

 丹波の国、大江山(福知山市)の酒呑童子を退治

 神変奇特酒(睡眠薬混合酒)で退治

 寛弘八年十二月十五日(1012年1月11日)

 作州路

 美作(みまさか)

 勝田壮(岡山県勝央町)で

 熱病で死去

 享年55歳

 勝田の人々は公時を慕い、

 倶利加(栗柄)羅神社を建てて葬った。

 倶利加羅(くりがら=剛勇の意)?

 第六天社は金太郎親子が深く信仰しており、

 母の八重桐が

 赤いごはんや

 魚を捧げたりするのを

 真似て、

 金太郎は

 メダカを捕らえ

 生きたまま器に入れ、

 社前に捧げた・・・らしい・・・

 山口県下関市北部、萩市、島根県西部県境の海では、

 「金太郎(ヒメジ)」という名称の魚が獲れる・・・らしい・・・

 宇治金時

 金太郎飴

 金時豆

 金平ゴボウ(牛蒡)は息子の「坂田金平」から

ーー

 鉞(まさかり、大斧)

 担いで

 熊の背に乗り、

 菱形の腹掛けを着けた金太郎

 乳幼児に着用させた

 菱形の腹掛けも

 また

 「金太郎」と呼ぶ

ーー

 藤原道長の日記

 「御堂関白記」には

 下毛野公時という

 近衛兵(随身)が

 道長に仕えていた

 この公時が脚色され、後に成立した

 「今昔物語集」で、

 公時の名の郎党が、頼光の家来として登場

 金太郎伝説が完成したのは江戸期

 浄瑠璃や歌舞伎を通して

 頼光

 四天王の怪力童子が定着

ーーーーー↓

 枕草子

 (五六段)・・・五拾六段・五十六段・伍足陸段

         5+6=11=十一=壱拾壱=壱足壱

         5×6=30=三十=参拾=参足

 男

 (おのこ)

 は

 また

 隨身・・・・・・隋視・隋審→隋書・随所・随処

ーーーーーーーーー↓

         随身=近衛兵

         ↓

        「隋書」

         二十四史の一

         第十三番目

ーーーーーーーーー↓

         266年

        「晋書」の

         安帝

         倭国関係記事

         413年(東晋・義熙九年)に

         倭国貢献の記録

ーーーーーーーーー↓

         隋王朝

         三十八年間の歴史書

         636年(貞観十)完成

         「五代史」の一

         唐初の

         魏徴が編集総裁

         南朝の

         梁・陳

         北朝の

         北斉・北周

         隋

         の各王朝の正史

ーーーーーーーーー↓

        「隋書・倭国伝」の記事

         倭國、在

         百濟、

         新羅

         東南、

         水陸三千里、

         於

         大海之中

         依

         山島

         而居。

         魏時、

         譯通中國、三十餘國、皆自稱王。

         夷人

         不知里數、

         但計

         以日。

         其

         國境

         東西

         五月行、

         南北

         三月行、

         各至於海。

         其

         地勢

         東高

         西下。

         都於

         邪靡堆、

         則

         魏志

         所謂

         邪馬臺

         者也。

         ↑↓

         「隋書・卷八十一・列傳第四十六・東夷傳・倭國」

         使者

         曰

         聞

         海西菩薩天子

         重

         興(与)

         佛法

         故

         遣

         朝拜

         兼

         沙門數十人

         來學佛法

         其

         國書

         曰

         日出處天子

         致書

         日没處天子

         無恙云云

         帝

         覧之

         不悦

         謂

         鴻臚卿

         曰

         蠻夷書

         有

         無禮者

         勿

         復

         以

         聞

ーー↓枕草子

 こそ

 あめれ。・・・・アメ例

 いみ

 じく

 美々しく

 をかしき

 公達

 (きんだち)も、

 隨身・・・・・・隋臣

 なきは

 いと

 しらじらし。・・・・白々しい・白地らしい

ーー

           しら=詞等・新羅・史等

           じらし=字等詞

ーー

 辨・・・・・・・・・わきまえる・和記真重留

           話記・和気・捌・分け・訳

ーー

 など・・・・・・・・等

 をかしく・・・・・・可変詞句

ーーーーーーーーーーー↓

           などを

           かしく→傾ぐ・炊ぐ→推古天皇

ーー

 よき

 官(つかさ)と

 思ひ

 たれ

 ども、

 下襲・・・・・・・解集

 (したがさね)の

 しり・・・・・・・私利・支離・後・尻

 短くて、・・・・・身字掛句出

 隨身・・・・・・・隋臣→輩

 なき・・・・・・・名紀

 ぞ

 いと

 わろ・・・・・・・話賂・倭賂→割賂

 きや。・・・・・・記也・記埜・紀哉

ーーーーー

 ・・・

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チチの比・・・実父・舅・義父→岐阜←織田信長←たわけ←多訳

2013-06-16 19:13:18 | 古事記字源
 チチのヒ・・・ですか・・・オトウさんタチ・・・ゴクロウサンです・・・金曜日朝6時は河川敷の「町内会のゴミ拾い日」、本日日曜日は朝8時は町のコミュニティ会館の「町内会の清掃とゴミ拾い日」・・・任意参加で集まったのはご老人ばかり・・・いずれもお茶を貰って帰ってきた・・・「お茶の文化」と言えば「織田信長」である・・・
ーーー

 以下は「織田信長」に言及したボクの「家頁」デス・・・オヒマならゴ渡来してみる?・・・

 http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/tenmon60/tenmon1.html

ーーー

 ま・・・・馬

 く・・・・句

 ら・・・・等

 の・・・・之

 そうし・・総詞・相思・宗氏・創始・壮士・双子・総史・薮氏

      嫂詞・湊示・箱覗・騒子・蚤子・箒詞・瀧糸・爪詞

      相思相愛→総詞躁合

ーーーーー

 枕草子

 (五五段)・・・五拾五・五十五・伍足伍

         5+5=10=十=壱拾=壱足

         5×5=25=二十五=弐拾五=弐足伍=念伍

 主殿司・・・・・取伝史・種伝史・趣伝詞・守伝氏(示)

    (との もり   づかさ)

        ↓

     途之「森=模理」事掛作

        ↓

        森蘭丸・・・→森鴎外(林太郎)

        森成利(もり なりとし)

        森 乱(もり らん)

        森 乱成利(もり らんなりとし)

        森 長定(もり ながさだ)

        森 蘭丸(もり らんまる)

        諱は「成利(なりとし・セイリ)」

        生年月日

        永禄八年

        1565年(乙丑年)

         ~

        天正十年

        1582年

        6月

        21日

        同年の甲斐武田氏滅亡後

        兄の

        長可が

        信濃国川中島に領地替えに伴なって

        美濃国金山城の城主

       (或いは美濃国岩村城の城主?)

        五万石を与えられた

        本能寺の変で

        明智光秀配下の

        安田国継に討ち取られた

        享年十八

        尾張国

        葉栗郡

        蓮台生まれ

        金山城主の

        森三左衛門可成の

        三男として

        金山城で出生

        「玉のごとき男子なり(金山記全集大成)」

        記述があるらしい

ーーーーーーーーー↓

        永禄八年

        1565年(乙丑年)

        一月一日

        宣教師

        ルイス・フロイスらが

        将軍・足利義輝に謁見

        三月二十七日

        石山本願寺の

        宗主

        顕如

        武田信玄が同盟

        三月某日

        徳川家康

        三河を統一

        五月十九日

        松永久秀

        三好三人衆

        三好長逸・三好政康・岩成友通

        二条館において室町幕府

        第十三代将軍

        足利義輝を襲撃

        義輝、自刃

        享年三十歳

        六月二十五日

        上杉輝虎、

        上野国

        小泉城主の

        富岡重朝らに長野業盛を支援

        武田軍を牽制

ーーーーーーーーー↓

         主・・・主(おも)なる

         殿・・・伝(つたえ)・館・屋形・城

         司・・・つかさ・宰・官・典・長

             シ=詞・史・示・氏・死・覗

ーー↓枕草子

 こそ・・・・・・拠措・呼措・故素

 なほ・・・・・・名補・名保

 をかしき・・・・可笑史記・可変史記

         岡示記・崗示記・犯示己(よこしま)

         陸示記・阜示記=岐阜示

         岡山の史記?

 もの・・・・・・模之→模擬・摸索・摸作→模埜

 は・・・・・・・葉

 あれ。・・・・・亜例

 下女の・・・・・解序・解所

 きは・・・・・・記葉・紀和・岐波

 は・・・・・・・葉

 さば・・・・・・作葉・作場・佐波・鯖(魚+有)

 かり・・・・・・掛理・仮・借り

 羨しき・・・・・裏埜真史記・・・羨望→潜謀

 もの・・・・・・模之

 は・・・・・・・葉

 なし。・・・・・名示・名氏・名至

 よき・・・・・・与記

 人・・・・・・・比賭・訊・壬

 に・・・・・・・爾

 せさせ・・・・・施作背

 まほしき・・・・真補史記

 わざ・・・・・・話作

 なり。・・・・・名理

 若くて・・・・・和歌句出(氐・弖)

 容貌・・・・・・要望

 よく、・・・・・与句

 容體・・・・・・様態・容態

ーー↓

  體(からだ・タイ・テイ)=骨+豊

      骨(ほね・コツ)は豊(とよ・ホウ)

      豊後(ぶんご)・豊前(ぶぜん)

ーー↓  

 など・・・・・・等・名土(度)

 常に・・・・・・通音爾

 よく

 て

 あ・・・・・・亜・阿・蛙・鴉

 らんは、・・・「蘭・乱・藍・欄・濫・覧」者

 まして・・・・増して・益して・況して

        真詞出

 よか・・・・・与掛

 らん・・・・・等務・等武

 かし。・・・・化詞・掛史

 年・・・・・・念・音務

 老いて・・・・負い出・甥出

 物の

 例

 など

 知りて、

 おも・・・・・面=顔→首

 なき・・・・・無き・啼き・泣き・鳴き・亡き

 さま

 した

 る

 も

 いと

 つき

 づき

 しう

 め・・・・・・メ・女・目・眼・芽

 やす・・・・・安・夜須・野洲

        靖→靖国

        康→家康

 し。・・・・・「シ」の音のスベテ

 主殿司の

 顏、・・・掛尾・臥ム・眼・元・癌・鴈・雁

 愛敬・・・・・愛嬌・愛郷・相今日

 づき・・・・・事記

 た

 らん

 を

 も

 たり

 て、

 裝束・・・・・消息

 時に・・・・・字爾

 したがひて、・史違い(互い)比出

 唐衣・・・・・等位・当為・東夷・当意

 など

 今・・・・・・意真・異真

 めかしうて・・粧(めか)しうて

        粧=米+广(ゲン・ゴン)+十+一

            广=まだれ

          米魔誰(垂・足・拿例)壱拾壱

         亜米利加       

        めかす(粧す)→化粧

        身なりを飾りたてる・おしゃれをする

        外見をつくろう

        ほのめかす(仄めかす)

        それとなく言葉や態度で示す・におわせる

        めかす

        めかし込む・しゃれ込む・おしゃれする

        おめかしする・着飾る・身を飾る

        装う・盛装する・ カッコよく見せる

        ↓    

        め・メ・目・眼・芽・痲・牝・女

        かしうて、・・掛史得出

 あり・・・・・亜理・蟻・有

        存(亠イ子)・在(亠イ土)

          子=一了・土=十一→1~10

 かせ・・・・・貸せ・掛施・枷

 ばや・・・・「葉・場・羽・馬・歯・婆」也

 と・・・・・・渡・図・都・戸・徒・賭

 こそ・・・・・コソ

 覺・・・・・・於簿・於模・嗚慕・尾模

 ゆれ。・・・・喩例・諭例・由例

ーーーーー

 ・・・いと、自覚、ゆれ・・・

 ・・・意図、字書句、喩例(揺れ・揺籃→用蘭→振れ→仮名振り・るび振り→振幅)・・・留比振り・・・珠付利・・・「瑠璃・琉璃」降り・不離・・・ガラス・ギャマン・・・偽也万(萬)・・・「コジキ・ニホンショキ」・・・

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仁心の乱

2013-06-15 14:08:15 | 古事記字源
 「仁」の「TBS・2011年四月十七日(日)夜九時~放送TVドラマ」の再放送・・・「大政奉還」・・・「体制・体性・対生・体勢・態勢・大勢・胎生・退勢・大成・耐性・頽勢・泰正・大聖・泰西・タイ製・大政・大声」・・・「幇間・宝鑑」、「砲艦サンパブロ」・・・「砲艦サンパブロ(ほうかんサンパブロ・The Sand Pebbles)」は、1966年公開のアメリカ映画だけれど・・・時代は1920年代の中国・・・アメリカ海軍の「砲艦サンパブロ(USS San Pablo)」の水兵・・・そして、「ヴェトナム戦争」・・・1900年から1901年・・・中国に対し強制条約とし、当時の「西欧列強?」と「日本国民?」の「財産」を守るために、中国の主要河川での列強の砲艦配置許可・・・尖閣列島を軸に内外で同じことをしようとしているのは?・・・「野風」さん、コドモが「ユメ」なのに・・・ナケ、ッ・・・「野風・友永未来」にホレタ・・・・素晴らしい演技の「中谷美紀」さん・・原作「村上もとか(村上 紀香・1951年6月3日・漫画家)」・・・字ム・児夢・・・次夢・・・あれから三年・・・
ーーーーー

 枕草子

 (五四段)・・・五拾四段・五十四段・伍足肆段

         5+4=9=九=玖

         5×4=20=弐拾=念

 月夜・・・・・・・月扁=解通・臥通・通記

          ↓

          肉扁=字句・二句・似句・宍

          舟扁=附音・付音・譜音・普音

             負子・腑子・鮒音・風音

             斑子(班固・判子)

 に・・・・・・・・爾

 空車(むなぐるま)・・・ム名繰るマ・唐句留真

       あきぐるま=「安芸・安岐」具留真

             「秋・飽き」グルメ

             「亜紀・厭き」愚留磨

 ありき・・・・・・亜理記(紀)

 たる。・・・・・・足・垂・多留・他留・太留

 清げ・・・・・・・紀与解

 なる・・・・・・・名留

 男の・・・・・・・音故之

 にく・・・・・・・字句

 げ・・・・・・・・解・化・懸・仮・気

 なる

 妻・・・・・・・・通真・津磨・都間

 もち・・・・・・・模地・摸知・持治(持統天皇)

 たる。・・・・・・他留・多留・汰留・太留

ーー↓タル・・・樽=木・尊→記紀の足・ダリウス

  19世紀まで西ヨーロッパ人々は

  タルタリー

  モンゴル系、テュルク系遊牧民たちを

  タルタル人、 タルタリー人と呼んだ

  17世紀に中国で

  清を立てたのは満州人ツングース

  ‎タタールのくびき・‎タタール人・‎タタールスタン共和国

   ‎タタール語タルタルステーキ

  「タタール人」に由来

  タルタル人

  東ヨーロッパ人が

  モンゴル帝国の遊牧民たちを指した

  西ヨーロッパでは

  ギリシア語のタルタロスの訛ったもの

  ギリシャ神話の「タルタロス(奈落の底)」

  タタール

  キプチャク・ハン国支配期の

  ロシア人によって東方・南方の

  草原地帯のモンゴル帝国の

  モンゴル系・テュルク系の人々を指す名称

  後にロシア帝国の支配下

ーーー↓

  「ダリウス(ダレイオス)」=よきものを保持する者

  ペルシア(波斯)人の名

  ラテン語でDarius(ダリウス)・・・拿理得素→垂有珠・足臼・誰碓

  ギリシア語でΔαρειος(Dareios ダレイオス)

  ダレイオス1世

  アケメネス朝ペルシアの三代目の王・ダレイオス大王

  紀元前558年頃~紀元前486年

  アケメネス朝ペルシア

  第三代の王(在位紀元前552年~紀元前486年)

  通称、ダレイオス大王

  ペルシア語ではダーラヤワウ(Dārayavau)

  この名は

 「ワウ(よきもの)を保持する者」という意味

 紀元前521年

 パンジャーブ・シンド征服

 紀元前520年

 ペルセポリスの建設開始

 紀元前518年

 ガンダーラ征服

 スキタイ征伐失敗

 ペルシア戦争

 イオニア植民市の反乱

 ギリシアと約50年間

 ペルシア(波斯)戦争を開始

 戦争中、ダレイオスは死去

 戦いは息子のクセルクセス1世が引き継ぐ

 ベヒストゥーン碑文

 碑文は

 古代ペルシア語

 エラム語

 アッカド語(後期バビロニア語)によって書かれている

 イギリス人のヘンリー・ローリンソンが解読

 ベヒストゥーン碑文に記された

 楔形文字はペルシアで制定された

 表音文字であった

ーー

  ダレイオス2世

  アケメネス朝ペルシアの王

  紀元前404年、在位、紀元前422年~紀元前404年)

  アルタクセルクセス1世の子

  即位前の名前は

  オコス

  息子

  アルタクセルクセス2世(兄)

  反乱を起こした

  小キュロス(弟)

  クセルクセス2世を殺害した

  ソグディアノスを殺し即位

  ダレイオス2世没後は

  息子の

  アルタクセルクセス2世が継いだ

ーー

  ダレイオス3世

  アケメネス朝ペルシアの最後の王

  紀元前380年?~紀元前330年

  在位は

  紀元前336年~紀元前330年

  バクトリアで死去(殺害)

  マケドニア王アレクサンドロスの侵攻を受け、

  紀元前333年にアレクサンドロス軍の背後の

  イッソス市近郊に進出

  ピナロス川近郊で対峙した(イッソスの戦い)

  ダリウス軍は敗北、逃走

ーー

  その他の「ダリウス」の人名

  ダレイオス (ポントス王)

  ポントス王国の国王

  ダレイオス (エリマイス王)

  エリマイス王国

  カムナスキロス朝の王

ーー↓枕草子

 髯・・・髭(ひげ)顔の下半分から顎の下にかけて生える毛

     髯、鬚

     くちひげ(髭)=シ=口ひげ(mustache・moustache)

     あごひげ(鬚)=シュ=あごひげ(beard)

     ほおひげ(髯)=ゼン=ほおひげ(whiskers)

     須(ひげ)→須佐之男=須(す・ス・シュ)

           すべからく・必要とする・「須要」

           わずかの間・しばらく「須臾(シュユ)」

           梵語音訳字「 須弥山(シュミセン)」

     「須・応」を「すべからく…べし」の

      訓読再読文字

      恵須取町(えすとるちょう)

      日本の領有下の樺太に存在した町

      サハリン州

      ウグレゴルスク

      須木村(すきそん)宮崎県西諸県郡にあった村

      須菩提(しゅぼだい・スブーティ・Subhuuti)

      釈迦十大弟子の一人

      解空第一・無諍第一・供養第一とも          

ーー

 黒に・・・語句爾(似)

 にく・・・似句・荷句・爾句→字句

 げ・・・・解

 なる・・・名留

 人の・・・比賭之

 年・・・・渡詞・念・撚

 老い・・・負い留・於意留

 たる・・・タル

 が、・・・臥・画・我

 物語

 する

 人の

 兒・・・・字

 もて・・・模出

 あそび・・阿蘇美(備・尾・毘・日・火)

 たる。

ーーーーー

 ・・・いと、弄(玩・もてあそ)ぶ・・・とは・・・オモシロシ・・・面白は「白人種」の「支配階級」である・・・カナ・・・

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壬申の乱

2013-06-14 21:46:36 | 古事記字源
 見た目が似ているボール(球)・・・野球史・・・カワサキ重工業・造船・・・三幹部解任・・・プロ野球コッミショナーは辞任せず・・・日本柔道界のトップも居座る・・・復興省参事官解任・・・都議会選挙告示(六月二十三日投票)・・・イラン大統領選挙・・・いらんデスか・・・
ーーーーー

 枕草子

 (五三段)・・・五拾参段・五十三段・伍足参段

         5+3=8=八=捌

         5×3=15=十五=壱拾伍=壱伍

 廊に・・・・・くるわに=句留葉爾

        「郭・来るは・繰るわ・刳るわ」爾

        「郭務悰」・・・則天武后の血縁?

 人と・・・・・比賭・比都・日渡(途)

 あま・・・・・・海人・尼・海女・海部・海士

       「大海人皇子=天武天皇」・・・漢皇子?

        亜麻・天・甘・雨→編め

 た・・・・・・多・他・太・タ・汰

        「太安万侶」・・・・・古事記・序文?

 ゐて、・・・・意出・異出

 ありく・・・・在り句・亜理句

 者ども・・・・模之度摸

 見、・・・・・視

        壬=みずのえ・壬申の乱

        巳=蛇・ヘビ

        未=羊→未艶=聖母マリア

        観・診・看

        美→美作

        美作国(みまさかのくに)

        令制国の一つ

        山陽道に属する

        美作市(みまさかし)

        岡山県の北東部

        兵庫県と鳥取県の境目を接する

 やすからず・・埜諏(安・野洲・夜須・康・靖)掛等事

 呼び・・・・・予備・四尾・夜備・世備

 寄せて、・・・寄席出・止せ手・与施出(弟・氐・弖)

        寄せ手=加勢の軍兵

 もの・・・・・摸之・模之

 など・・・・・等・名度

 いふに、・・・意付爾・異付爾・畏怖爾

        委付爾・移付爾・異父荷

 清げ・・・・・寄与下・紀代解・記与解→清国解

 なる・・・・・名留

 男、・・・・・音拠

 小・・・・・・唱・章・証

 舎人・・・・・とねり・賭音理

        舎人親王

ーー↓      ↓

        舎人親王

        天武天皇五年(676年)

         ~

        天平七年十一月十四日(735年12月6日)

        舎人皇子(とねりのみこ)とも

        天武天皇の皇子

        淳仁天皇の父

        諡号

        崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)

        官位は一品

        知太政官事・贈太政大臣

        長屋王とともに権勢を振るう

        「日本書紀」の編集総裁

        子孫の

        清原氏は

        高市皇子系列の

        高階氏と共に

        天武系後裔氏族

ーー↓      ↓

        舎→厩・馬屋・宿舎

        人→比賭(渡)

 童・・・・・・倭等部(邊・辺)

 など・・・・・名度・等

 の、・・・・・之・乃・廼・野・埜・能

 よき・・・・・予期・与記・世記・夜記

 裏袋・・・・・利他異・利他意

        裏→得等

        袋→他意・対・太・碓・鯛

          多意・体・泰・態・帯

          代・戴・態・替・腿・貸

          胎・体

 に・・・・・・似

 衣ども・・・・意度摸・意図模・異賭模

 つつみて、・・通都視出

 指貫・・・・・さしぬき

        公家の衣服の一種

        裾口に通した緒(お)でくくり,

        しぼるようにした袴(はかま)

        奴袴(ぬばかま)

        形式は

        685年(天武十四)に定められた

        括緒褌(くくりおのはかま)に始まる

        横開式で前後に腰(ひも)がつけられ

        前腰を後ろで,後腰を前で諸羂(もろわな)に結ぶ

        私服の直衣(のうし)や宿直(とのい)装束の

        衣冠に用いられた

        

        幅がたっぷりと広く裾に括(くく)り緒のある袴(はかま)

        直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)・衣冠に用いた

        古くは布製であったので布袴(ほうこ)ともよばれたが、

        のちには

        絹・綾織物で作られた。指貫の袴。奴袴

ーー

     指貫(ゆびぬき)

        裁縫に使用する道具

        布を縫う際に指にはめて使用

        洋裁用の釣鐘型の指貫と、

        和裁用の指輪型の指貫とがある

        日本には、中国から

        釣鐘型の指貫が伝えられ、

        和裁の発達に従って変化した

        錔・鞜・鞢・指・指韜・指怐などと書いて

        「およびぬき(於与比沼岐)=ゆびぬき」

        指の語は早「説文」に見え

        「於与比沼岐」の語は「和名抄」に記され,

        指(ゆび・さす・シ)を

        「於与比」と称していた

ーー↓

 の・・・・・・之

 腰・・・・・・古史・輿・越・濃・虎視・拠史

 など・・・・・名度・等

 うち・・・・・得知

 見え

 たる。

 袋に・・・・・付句賂爾

 入り・・・・・意理

 たる・・・・・多留・他留

 弓、・・・・・喩視・諭見・由視

 矢、・・・・・埜・耶・家・ヤ・弥・也

 楯、・・・・・ジュン・たて

 鉾、・・・・・ボウ・ム・ほこ

 劍・・・・・・ケン・つるぎ

 など・・・・・等

 もて・・・・・模出

 ありくを・・・亜理句嗚

 「誰・・・・・タレ・他例・多例

  が・・・・・臥

  ぞ」と・・・素・措・曾・蘇

 問ふに、・・・トウ爾

 つい・・・・・対

 ゐて・・・・・意出

 某殿の・・・・房伝之・妄伝之

 とい・・・・・問い・土肥・訪い

 ひて・・・・・比出

 行くは・・・・意(異)句葉

 いと・・・・・意図

 よし。・・・・与史

 氣色・・・・・景色・懸史(詞)記・懸史記

 ばみ・・・・・葉視

 やさし・・・・埜差史

 がりて、・・・借り手

 「知らず」

 とも・・・・・賭模

 いひ、・・・・意比・異比

 聞き・・・・・記紀

 も・・・・・・模

 入れ・・・・・意例・異例

 で・・・・・・出

 いぬる・・・・鋳ぬ留

 者は、・・・・葉葉・模埜葉

 いみじう・・・意味字得(滋雨・慈雨)

 ぞ・・・・・・蘇・曾・措・鼠・素・祖

 にく・・・・・爾句

 き・・・・・・記・紀・危・機・

        訊き・利き・効き・聴き

 かし。・・・・掛史・掛詞・歌詞・瑕疵

        河岸・下肢・菓子・可視

        下賜・仮死・華氏

ーーーーー

 ・・・にくき、借金、金貸し・・・

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たま・たま・たま・・・勾玉・あかだま・曲がタマ

2013-06-13 22:17:41 | 古事記字源
 タマの変化、交換・・・まがたま、勾玉、曲が玉は御玉杓子でカエルの子、天の周回、周極は柄杓の小熊座の尻尾、妊婦の妊娠、子宮の胎児の初期段階・・・モジ霊はボクの説だが、音符のオタマじゃない・・・飛ばない打球で引退したのは「小久保 裕紀(1971年10月8日)」選手・・・

ーーーーー

 枕草子

 (五二段)・・・五拾弐・五十二・五弐・伍足弐

         5+2=7=七=漆

         5×2=10=十=壱拾=拾

ーーー

 にげなきもの=似つかわしくないもの?

         逃げ無き者?→逃亡しない者

         に+げ+な+き+も+の

         ニゲ=二下・二毛・丹化

            尼解・荷下・児解

          にげ      にぎ

    (古事記)邇邇芸=ににぎ=瓊瓊杵(日本書紀)
          ↓∥↑ 瓊=あか球(珠)・ケイ

          ↓∥↑ 杵=きね・ショ

          ↓∥↑ 竪杵・手杵・兎杵・千本杵   

        天邇岐志国邇岐志

        天津日高

        日子

        番能

        邇邇芸命(古事記)

          ↓∥↑

        天饒石国饒石

        天津日高

        彦

        火

        瓊瓊杵尊(日本書紀)

        ↓         

        天津日高彦

        瓊瓊杵尊

        ↓

        彦火

        瓊瓊杵

        ↓

       火瓊瓊杵=瓊瓊杵尊=瓊々杵尊

ーー

        げ=気→はっきりしないさま・不確かなさま

          気配・…の様・

        可愛「げ」も無く

        儚(はかな)「げ」な

        有り「気(げ)」な

ーー↓

 にげ・・・・・・爾解・似解・弐解・仁解

         爾(なんじ・その・ジ・ニ)

         爾=丅(カ)+ハ+冂+xxxx(メメメメ・爻爻)

           丅=したしも・ゲ・カ

           冂=まき・ケイ・キョウ

             けいがまえ・まきがまえ・どうがまえ

           爻=まじわる・コウ・ギョウ

           乄=しめして→メ=め

           乂=かる・おさめる・ガイ・ゲ

 なき・・・・・・名記

 もの・・・・・・模之

 にげなきもの=似つかわしくないもの?

 にげなきもの=爾解名記模之

      之=の(埜=木木十一=記紀の位地、拾う位置)

ーー↓

 髮・・・・・・・神・上・守・加味・可視

 あしき・・・・・亜詞記

 人の・・・・・・比途廼・訊之(埜)

 しろき・・・・・史賂記・代記

 綾の・・・・・・文之

 衣・・・・・・・意

 著・・・・・・・葉詞

 たる。・・・・・他留

 しじ・・・・・・詞字

 かみ・・・・・・加味・噛み

 たる・・・・・・多留

 髮に・・・・・・カミ似

 葵・・・・・・・亜於意

 つけ・・・・・・通懸

 たる。・・・・・他留

 あしき・・・・・亜史記・阿史記

 手を・・・・・・主於・「て=弖・氐」

ーーー

 赤き・・・・・・亜掛記

 紙に・・・・・・「かみ・シ=史・詞・示」似

 書き・・・・・・掛記

 たる。・・・・・他留

         赤紙=徴兵令状

ーーー

 下衆の・・・・・解周之

 家に・・・・・・意重爾

 雪の・・・・・・説之・由紀之・行記の・逝記の

 降り・・・・・・振理

 たる。・・・・・多(他)留

 また・・・・・・真他

 月の・・・・・・通記之・解通之

 さし・・・・・・作詞

 入り・・・・・・意理

 たる・・・・・・他留

 も・・・・・・・モ・模・摸・藻・喪・母・茂

 いと・・・・・・意図・異図

 くちをし。・・・句知於詞

 月の・・・・・・肉(にく・ジク)の→爾句・字句

 いと・・・・・・意図

 あかき・・・・・亜掛記

 に、・・・・・・似

 やかた・・・・・埜掛多(他・太・タ)・館

 なき・・・・・・名記

 車に・・・・・・句留真爾

 あひ・・・・・・亜比

 たる。・・・・・他留

 又・・・・・・・真他

 さる・・・・・・作留・然る・申・差留

 車に・・・・・・

 あめ・・・・・・編め・雨・飴・天・阿毎

 うし・・・・・・得詞・得史

         主・牛・丑・憂し・愛し

 かけ

 たる。

 老い・・・・・・於意・追い・オイ

         負い・甥・追い

 たる

 ものの

 腹

 たかくて

 喘ぎ

 あり

 く。

 また

 若き

 男

 もち

 たる、

 いと

 見

 ぐる

 しき

 に、

 他人の

 許に

 行く

 とて

 妬み

 たる。

 老い

 たる

 男の

 寢

 惑ひ

 たる。

 又

 さやうに

 髯

 がち

 なる

 男の

 椎

 つみ

 たる。

 齒も

 なき

 女の

 梅

 くひて

 酸

 がり

 たる。

 下衆の

 紅の

 袴著

 たる、

 この

 ごろは

 それ

 のみ

 こそ

 あめれ。

 靱負

 佐の

 夜行

 狩衣

 すがた

 も、

 いと

 いやし

 げ

 なり。

 また

 人に

 恐ぢ

 らるる

 うへの

 衣

 はた

 おどろ

 おどろ

 しく、

 たち

 さま

 よふも、

 人

 見つけ

 ば

 あなづら

 はし。

 「嫌疑の

  者や

  ある」と

 戲

 に

 も

 とがむ。

ーーーーー

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