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コジキジゲン

「にわとり・ケイ」の「たまご・ラン」・・・同音漢字

2024-12-27 16:13:27 | 古事記字源
 前回からのツヅキ・・・
 ↓↑
 「にわとり・ケイ」の「たまご・ラン」
    景(景行天皇)  亂・乱・蘭
  高橋景保 シーボルト・阿蘭陀

 ↓↑
 12月25日、農協で
 卵パック(10ッ個入・265円)を2パック買った・・・
 ↓↑   ↓↑
 丣+𠱠=卯+𠱠=兎+𠱠
 みみづく=耳木菟・耳木兎・木菟・木兎
 ↓↑
 丣=酉(西・酒樽)
   酉(ユウ・とり)=十二支の子から数えて十番目
  十一番目は「戌=犬・狗」
   「丣」は「耳」・・・?
 丣=酉=耳+木+菟=耳付
 ↓↑

   ミミズク
  (木菟・木兎・鵩・鶹・鵂・角鴟・鴟鵂
   耳木菟・耳木兎)
   梟(🦉・フクロウ)科のうち
  「羽角(ウカク=耳)」がある種の総称
   古名は「ツク・ズク」
   フクロウには含めることと
   含めないこととがある・・・
 羽角=哺乳類の耳(耳介)のように
 突出した羽毛・俗に耳と呼ばれる
 だが
 ミミズクに限らず
 鳥類に耳介は無い
 ツク=「鳴く」の意味
 フクロウ・ミミズク類の総称
 耳のある「ツクがミミヅク(ミミズク)」
 漢名
 木菟・木兎(ボクト)は
 樹上性のウサギの意味(菟=兎)
   「羽角=ウサギの長い耳」になぞらえた
   みみづく=鵩(フク)・鶹(リュウ)・鵂(キュウ)
   角鴟(カクシ)・鴟鵂(シキュウ)の
   「鴟」=鳶(とび)・梟(ふくろう)の総称
   「耳木菟・耳木兎」は和名の「当て漢字名」
  ↓↑

 樽=木+「尊=みこと=命」=見事
     観語譯・診語訳
       =巳語訳=蛇語訳
 医学のシンボル「へび」
 ヒポクラテス(ヒッポクラテース)
 比保句等手爲?
 Hippocrates
 紀元前460年頃~紀元前370年頃
 古代ギリシアの医者
   「人生は短く、医術は長い」
   「アスクレーピオス」
 明日呉れ亜日押忍?
 古代ギリシアの医神
 ヒポクラテスの祖
 ↓↑

 天武四年四月十七日(675年5月19日)
 「肉食禁止令」
 ウシ、ウマ、イヌ、ニホンザル、ニワトリ
 を食べることが禁じられた
 ↓↑
 Chicken・cock・rooster
 chook=全てのニワトリの総称
 chick=雛
 Rooster=雄鶏
 hen  =雌鶏
 「capon」=去勢された雄鶏
 「cook」は調理人・・・膳部・・・高橋虫麻呂
 ↓↑
 丣=酉(とり・ユウ・西・酒樽)
  =登利=止利(鞍作止利・止利仏師)
  =禽(キン)
  =とり=鶏・🐓・鷄・雞・🐔・𨿸
  =禽獣・猛禽類・鷲・鷹・鳶
   はやぶさ=隼=鶻=鸇
   ニワトリ(鶏・庭鳥・Gallus gallus domesticus)
   雉(キジ)科に属する鳥類の1種
   代表的な家禽
   世界中で飼育され、養鶏されている
  =鶏・🐓=鷄=雞=𨿸
   鶏=爫+夫+鳥
  爫+二+人+鳥
  爫+一+人+鳥
  ニワトリは古くは「カケ(鶏)」と呼ばれた
 「軍鶏(しゃも)・闘鶏(しゃも)
  鶤鶏(とうまる)・鶏(ちゃぼ)
  小鶏(ちゃぼ)・水鶏=秧鶏(くいな)
  黄鶏(かしわ)・花鶏(あとり)
  珠鶏(ほろほろちょう)
  吐綬鶏=白露鶏(しちめんちょう)
  食火鶏(ひくいどり」
 ↓↑
 雄鶏の鳴き声
 日本語圏
 「コケコッコー」
 英語圏
 「Cock-a-doodle-doo」
(クックドゥードゥルドゥー)
 仏語圏
 「ココリコ」
 独語圏
 「キケリキー」
 伊語圏
 「キッキリキー」
 国語圏
 「咯咯噠(クークーダ)」
 「喔喔喔」
 雌鶏
 産卵直後に
 「コッコ、コーコー」
 と鳴く
 ↓↑
 鳥居(鳥居耀蔵)・・・「蛮社の獄」
 ↓↑
 「名字」
 鶏内 =かいち・とりうち
 鶏冠井=かいで・かえで・かえでい・とさかい
 水鶏口=くいなぐち
 鶏足=けいそく・とりたり
 鶏知 =けち
 洞鶏=どうけい
 「地名」
 鶏冠井 町(かいで ちょう)
 金鶏 町(きんけい ちょう)
 磯鶏(そけい)
 磯鶏石崎(そけい いしざき)
 磯鶏沖(そけい おき)
 磯鶏西(そけい にし)
 ↓↑
 伊佐木・鶏魚(いさき)
 一番鶏(いちばんどり)
 烏骨鶏(ウコッケイ)
 尾長鶏(おながどり)
 雄鶏(おんどり)
 水鶏(くいな)・・・鳴き声で「たたく(叩く・敲く)」
 鶏冠(ケイカン。とさか)
 鶏姦(ケイカン)・・・男色
 鶏群(ケイグン)
 甕裡醯鶏(オウリケイケイ)
 嫁鶏随鶏(カケイズイケイ)
 家鶏野雉(カケイヤチ)
 家鶏野鶩(カケイヤボク)
 割鶏牛刀(カッケイギュウトウ)
 群鶏一鶴(グンケイノイッカク)
 鶏群一鶴(ケイグンノイッカク)
 鶏犬不寧(ケイケンフネイ)
 鶏口牛後(ケイコウギュウゴ)
 群鶏の一鶴(グンケイノイッカク)
 鶏群の一鶴(ケイグンノイッカク)
 鶏口となるも牛後となるなかれ
 鶏冠(とさか)に来る
 どこの鶏も裸足(はだし)
 鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん
 牝鶏晨(ひんけいあした)す
 雌鶏歌えば家滅ぶ
 雌鶏歌えば家亡ぶ
 雌鶏の晨(あした)する
 ↓↑   ↓↑
 2019-02-07
 古事記字源・・・再考
 ↓↑
 冕=ベン・かんむり・・・カン無理・姦無理
  古代、位の高い人がつけた礼装用のかぶりもの
  軒冕( ケンベン)・麻冕(マベン)
  冕(かんむり)・冕冠(ベンカン)・冕服( ベンプク)
 ↓↑
 冕=日+免
  =冃+免
  =冖+二+免
  =冂+二+免
   冂(けいがまえ・まきがまえ・どうがまえ)
   異体字「𣈳=日+免+力」
   冕冠(ベンカン)
   漢字文化圏諸国で
   皇帝、天皇、国王などが着用した冠(かんむり)
   篠冕(しのはら)は苗字
 ↓↑
 冕(冃+免)・冒(冃+目)・最(冃+取)・𦐇(冃+羽)
   冃=頭巾・ボウ
   冕・冖・冤・・・冤罪・免罪・・・
 ↓↑
 冐・冑・冒・冓・冔・冕・冖・冗・冘
 写・冚・军・农・冝・冞・冟・冠・冡
 冢・冣・冤・冥・冦・冧・冨・冩・冪
ーーーーー
 助動詞機能
 have・to=する必要がある
 ・・・・・義務がある・・・・戯夢?
  ・確信度の高い推理・推量
  ・に違いない
  ・であるだろう   
  ・ねば なら ない
   ・・・音葉 名等 内
   音把 名等 名意?
 ・・・・・ねば なら ない
  ・・・「黏・粘・根場」
  「奈良・楢・伉・仿」-名意
     ↓↑   ↓↑
     🍎🍏🍎=奈=柰
   =林檎=来禽=りんご
  平安時代中頃の
  『和名類聚抄』
  「林檎=利宇古宇(和名の説明音)
  (りうこう・りうごう・りんごう)」
  中世以降
  「林檎=りんき、りんきん、りんご」
の読み
 ↓↑  ↓↑
  中国
  西洋林檎=「苹果・蘋果・柰」と表記
     奈良=飛鳥
    =明日香
   来禽=ライキン=阿須賀=安宿
 ↓↑  ↓↑
  カザフスタン(哈薩克斯坦)國の都市の名
  「アルマトイ=リンゴの里」の意味
  「哈薩克斯坦」
  カザフ人 の自称民族名
   Қазақ (Qazaq; カザク)
  と
  ペルシア語
  「~の国、~の多いところ」
  を意味する
  「-stān・-estān=スタン」
  の合成語
  「スタン」は
  モンゴル語 の「部族」を意味する
  「ястан (ヤスタン)」
  に由来する・・・説
  カザクは
  テュルク語で
  「独立不羈の者・放浪の民」を意味
  ペルシア語「りんご=スィーブ」
  ヘブライ語「りんご=タプアフ」
 ↓↑  ↓↑
  日本
  明治~昭和前半
  「苹果(ヘイカ)」と表記・呼称
  青森県りんご試験場(りんご研究所)
  1950年までは
  「青森県-苹果試験場」だった
  ↓↑
  リンゴ
  界 植物界 Plantae
   階級なし 被子植物 angiosperms
   階級なし 真正双子葉類 eudicots
   階級なし バラ類(薔薇) rosids
   目 バラ目 Rosales
   科 バラ科 Rosaceae
   亜科   サクラ亜科(櫻・桜・🌸)
    Amygdaloideae
   属 リンゴ属 Malus
   種 セイヨウリンゴ(西洋林檎)
    M. domestica
 ↓↑   ↓↑
   林檎(りんご・リンゴ)
   英 アップル apple
   英 アプル  apple
   英 エプル  apple
   独 アップフェル Apfel
   仏 ラポーム la pomme
   仏 ポム   pomme
   仏 ポミエ  pommier(リンゴの木)
   伊 メーラ  mela
   ・・・伊太利亜
   イ
   +
   尹=聖職者・神意をただすもの
   ただす(質す・糺す)
   神意によってことを治める
   おさめる・そのことを職掌とする
   つかさどる・つかさ
   尹=左右京職の長官・律令制の官名
   尹=手(ヨ)で
     丨印を持ったさまをあらわす会意文字
   天地の間を調和するさま
   伊尹負鼎(イインフテイ)=殷の宰相
 ↓↑  ↓↑
   西 マンサーナmanzana
   西 マンサナ manzana
   羅 マールム malum
   希 メーロン μηλον
   露 ヤーブラカяблоко
   中(北京)  ピングォ 蘋果
   マレーシア語 エパル  epal
   阿蘭陀語   アップル APPEL
   タミル語   アープル
   ルーマニア語 マル măr
   ルーマニア語 メーレ mere(複数)
   リトアニア語 オーブオリース obuolys
   アイスランド語 エプリ epl
   リトアニア語  オーブオリース obuolys
   波斯   語  スィーブ سیب
   ヒンディー語  セーブ सेब
   デンマーク語  エペル æble
   ノルウェー語  エプレ aple
   スウェーデン語 エプレ aple
   フィンランド語 オメナ omena
   チェコ語 ヤブルコ jablko
   ヘブライ語   タプアフ תפוח
   スロヴァキア語 ヤブルコ jablko
   ポーランド語  ヤブウコ jabłko
   ネパール語   シャウ स्याउ 
   ブルガリア語  ヤーブルカー ябълка
   ハンガリー語  アル
   エスペラント語 ポーモ pomo
   ディヴェヒ語(モルディブ) アーファル އާފަލު
   ↓↑
   英  語 Apple アポゥ
   中国 語 苹果 ピングォァ
   朝鮮 語 サグァ
   西班牙語 manzana マンツァーナ
   仏蘭西語 Pomme ポンム
  亜剌比亜語  トゥッファーハ
   露西亜語 ヤーブラカ
   葡萄牙語 maçã マセ
   独逸 語 Apfel アプフェ
   伊太利語 Mela メェラ
   拉典 語 Malum マァルム
   ↓↑
 have to
 波浮・通
 ハヴ・ツウ=葉部(葉分) 通(恫・樋・董・鶇)
   ・鶫(つぐみ)=鶇に似せて作った国字
   ・つぐみ=ヒタキ科の鳥の名
   「鶫=柬+鳥」・「鶇=東+鳥」
    栴檀=センダン・おうち=楝・樗
 木+雩
 庭漆(にわうるし?)
 苦木(にがき?)科の落葉高木
 樗(楝)=おうち(あふち)
 ・・・高山樗牛
   ダンの古名
   ・・・柬=雩(あまひき)
     =雨+一+丂・・・?
   雩=雨乞い・ウ・ユ
   雩=雨+亏
   異体字「𩁹・𩆾・𦏻・𦏴」
 ↓↑
   丂・亏・亐・於・・・与=與
   ・・・・壱與・臺與・壹與
   亏=一+丂
   亐=丂+一
   丂=異体字「于・考」
   曲がった釘・曲がる
   妨(さまたげ)られる・コウ
   丂+α
   号(法号)・考(思考)・朽
   巧(巧妙)・㱙・攷
   拷(拷問)・號(呼號・呼号・叫號)
  樗=楝・・・?
  雩=柬・・・?
    雨乞い=えらぶ・えりわける
  手紙・名札・短冊
   えらび出す=揀
  てがみ・ふみ=簡・書簡
     名札・札=簡
   ↓↑
   「柬(レン)」の字は・唐代楷書から
  「東(トウ)」に略されて記録されてきた
   ↓↑
   地獄⇔煉獄⇔天国
   煉瓦・精錬・諫死・練習・試練
   ねる=煉る・錬る・練る
 こねる=捏ねる=捏造
   ↓↑
   柬・揀・瑓・煉・楝・練・諫・闌・鍊・蘭
   鰊・鶫・瀾・瓓・攔・爛・斕・欄・襴・籣
   躝・讕・襽・鑭・糷・䪍・钄・韊・襕・囒
   幱・㼑・暕・灡・谏・镧・孄・㪝・斓・湅
   堜・㘓・徚・䃹・朄・爤・萰・谰・阑・孏
   㱫・澜・媡・㦨・䑌・欗
ーー↓↑ーー
 偏旁冠脚・垂構繞
 ↓↑
 偏(へん  ・ヘン) 左位置
 旁(つくり ・ボウ) 右位置
 冠(かんむり・カン) 上部位置
 脚(あし  ・キャク)下部位置
 垂(たれ  ・スイ) 上部から下部に
  垂れ下がる位置
 繞(にょう ・ニョウ)左から下部に沿う位置
 構(かまえ ・コウ) 全体を包む位置
 ↓↑
 変 貌 観 客   出 如 烏交・・・?
 ヘンボウカンキャク スイニョウコウ
 ↓↑
 漢字構成で上部と下部に分かれるα+β
 漢字構成で上部と下部に挟まれる中央部の+α
 漢字構成で上部開く箱(凵)の中の+α
 漢字構成で下部開く箱(冂)の中の+α
 漢字構成で右部開く箱(匚・匸)の中の+α
 漢字構成で門(モン)の中の+α
 漢字構成で几(キ)の中の+α
 漢字構成で右肩の弋(ヨク・イキ)の下の+α
 漢字構成で左右に分かれるα+β
 漢字構成で左右に挟まれる中央部の+α
 ↓↑
 対象事物の存在と様態(有様)
 部首=一般名詞+α=α+一般名詞・・・α+β+θ
      α=品詞の個別性
    特殊性を象形・形象表示
    鯛=魚(さかな)+周(まわる)
    =「タイ」は魚類の個別種的本質概念
   本質=範疇=カテゴリー
   =語彙規定=規範
   =概念・・・概ねの言語規定観念
   =英語・category
 独逸語・Kategorie
 区分・種類・ジャンル・範疇・部類
 業務分野・部門
  ↓↑
 「霊=靈=雨+口口口+巫」
 「霊=靈=雨乞い」
 「霊魂・幽霊」
 「靈≠霝」
 「雨」+「𠱠=吅+口=レイ・リョウ
    多くの鳥や人の声
 「□□□=口口口=ロロロ
   =○○○
   =滴・雫・しずく」・・・?
 ・・・ならば「雨=丅+冂+⺀+⺀
   (冫=にてん=冫=二水)
 ・・・ならば「雨=丅+冂+:+:」の
   「:+:」
   は既に「水滴」である
   「⺀+⺀」=四点=囗+儿+占+
  「𠱠=ロロロ」は
  「三口(兎口・兎唇)の巫女の呪文」だろう・・・
   ウサギは鳴かない、喋らない・・・
   耳介(ジカイ・pinna)、耳殻(ジカク)を澄ませて
   無言で祈る
   天敵はキツネ(狐)、狼、小型肉食獣、猛禽類
   時速60-80kmで走る
   ウサギは声帯を持たないので鳴く事はない
   因幡の白兎=稻羽之素菟
   ・・・白兎ではなく、素菟である(古事記・乞う自棄)
  「・・・汝者隨其族在悉率來・・・」・・・
  「汝者(汝らは)隨(隋王朝)の其族、在悉率來」
  「・・・卽伏最端和邇、捕我悉剥我衣服。因此泣患者・・・」
  「素菟=新羅」の天敵は
  「和邇=王仁」=「隋王朝の秦族」・「鬼(鬼室福信)」
  「鰐(わに)=鯱(しゃち)・鮫(さめ)」
   ・・・「海豚=いるか=入鹿」?
  「口唇口蓋裂」は先天的遺伝性の障害だが
   外科手術で正常に直る・・・有名人も多い・・・
   白ウサギ(英:White Rabbit)は
   ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する
  ↓↑
 「需=雨+而」・・・
形而上(観念・思惟)
形而下(事物・事象)
 「需要&供給」
 「濡=氵+需=ぬれる」
 「需=雨+而」
   而=一+ノ+冂+丨+丨
  しこうして・しかして・しかもしこうして
  かつ・また・すなわち・しかれども・けれども
  汝(なんじ・あなた=you)
  ひげ(鬚)・口ひげ(髭)・あごひげ(髯)
 「頰毛なり。毛の形に象る(説文解字)」
  頬毛が原義で、その象形
  ジ
  順接、逆接・・・接続詞
  而立・形而下・形而上
  追而(おって)・而後(しかるのち)・而已(のみ)
 「而=日照り?卑下照り?」・・・面=而+=+一
 「耑=山+而
 異体字「專・端・𦓝・専」・・・
       先端・後端・末端・川端
    端緒(緒方)
瑞皐(高野)
       玄瑞(久坂)
       瑞山(武市)
 はし・タン・セン
 而(ジ・ひげ・しこうして)」
 頭髪を切って、結髪しない人間の正面形
 雨乞いをする巫祝の姿
 「耑(タン・セン・ただしい・はし)」
 「山」は髪飾りの姿「而」の頭部に
 髪飾りをつけて(または長髪を)なびかせて
 「雩=ウ=雨乞い」する形
  ↓↑
 『論語(先進編)』
 孔子の弟子、曾晳(ソウセキ)の言
 「莫春(暮春)には
  春服既に成り
  冠者(成人)五六人、
  童子(子供)六七人を得て
  沂(川)に浴し、
  舞雩(ブウ)に風して・・・「舞雩」=「雨ごいの踊り」
  詠じて帰らん」
 ・・・「舞雩」=「雨乞いを行う高台」?
  ↓↑   ↓↑
 「雩=盛んに音楽を演奏『礼記(月令編)』
   =少年少女八人ずつが踊る『春秋公羊伝』」
 「雨ごいの祭り=鉦や太鼓を打ち鳴らし
 舞台で子どもたちが舞い踊る
 ・・・灌漑水田で織り成す
「銅鐸」の謎の舞台状況・・・
 ・・・水害、豪雨、洪水と
干害(旱害)、飢餓、飢饉・・・
 ↓↑
 地名
 ↓↑
 雩時郡(ウシぐん)
 朝鮮
 主義(?)
 人民共和国(?)慈江道の郡の西端
 北朝鮮建国後に新設
 1952年
 平安北道碧潼郡の東部にあった
 雩時面・加別面・吾北面が分割
 雩時郡として編成された(1邑21里)
 1954年
 新設された慈江道に所属する郡
 鴨緑江を堰き止めた
 水豊ダムのダム湖(水豊湖)に面する郡
 対岸は中華人民共和国(?)遼寧省
  雩=雨+亏
   亏・丂・亐・於・・・与=與
   ・・・・壱與・臺與・壹與
   亏=一+丂
   亐=丂+一
   丂=異体字「于・考」
   曲がった釘・曲がる
   さまたげられる・コウ
   丂+α
   号(法号)・考(思考)・朽(くちる)
   巧(巧妙)・㱙・攷
   拷(拷問)・號(呼號・呼号・叫號)
     「柬(レン)」の字は・唐代楷書から
    「東(トウ)」に略されて記録されてきた
 have to
 外的な条件により~しなければならないと感じる
 ~する必要がある
 ~すべきである
 ↓↑
 must
 (mʌ́st・マストゥ)
 助動詞
 義務・確信・禁止・命令・推奨
 Must be now
 否定短縮形 must・n't
 …ねばならない
 否定には
 need not
 do not have to
 ↓↑
 should
 シュッヅ・・・守(趣・取)通事・・・?
ーーーーー
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Christmas・Xmas・クリスマス・・・が終わった・・・

2024-12-26 22:09:46 | 古事記字源
 Christmas・Xmas・クリスマス・・・が終わった・・・
 二階の窓のカーテンの裾に「クマん蜂」がミイラになって
 しがみ付いていた・・・
 夏に家の中に侵入して外に出られずにそのまま成仏したらしい
 同じようなことが名古屋のボクの事務所でもあったナッと
 思い出し、何か、「ムシ」さんとは縁が深いかな・・・
 で、昨日の午前中
 2024年12月25日17時水曜日
 雪道に橇を曳きながら滑らないようにヨチヨチと
 食料買い溜めに農協とスーパーマーケットに行ってきた
 野菜がメタメタ高価な価格表示・・・Vegetable・・・
 ベジタブル・・・部字他部留?・・・
 ネギ一本、白菜半玉、モヤシ・・・
 富豪が口にするらしいキャベツはヤメた・・・
 6枚切りの食パン・・・108円だった?・・・
 ↓↑
 2024 年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年
 ↓↑
 12  月 干支13 丙子(壬・ ・癸)月
 ↓↑
 24  日 干支59 壬戌(辛・丁・戊)日
 00 時 干支 庚子(壬・ ・癸)時
 ↓↑
 25  日 干支60 癸亥(戊・甲・壬)日
 00 時 干支 壬子(壬・ ・癸)時

ーーーーー
 ウサギのナゾ・・・菟・兎・兔・莵・🐰・🐇・・・
             御免には「丶」が無い・・・
              免罪事件・・・多すぎる・・・
  戦前、「拷問」での「自白」は当たり前の時代だったが
  戦後も・・・
  ウクラナ・・・休戦、停戦、終戦に期待しないことを・・・
  「プーチン」は「マッカーサー」とは異なるのだ・・・
 ↓↑
 兎(うさぎ)=イ+口+尢(オウ・ユウ)+丶
        イ+口+儿+丶
        あしなえ・くぐせ
        足や背中が曲がって不自由
        尢=尣=ハ+儿
          尣=ハ+儿=𡯁=ナ+㇊
        「㇀+l+口+儿+丶」
   ト・・・同音漢字の「ト」は「訳=と=譯」でもアルけれど・・・
   うさぎ目哺乳動物の総称
   月の別名
   兎跳び(うさぎとび)
   兎の毛(うのけ)
   占め子の兎(しめこのうさぎ)
   とにかく・兎に角(とにかく)
   ともかく・兎も角(ともかく)
   とやかく・兎や角(とやかく)
   とやこう・兎や角(とやこう)
   二兎(にと)
   𠓗=䞯
     フ
     急いで行く、駆(か)けて行く=赴
                ・・・赴任
     非常に速いさま
     瞬時に駆け抜けて行くさま=𣬚

   烏兎匆匆(ウトソウソウ)
   鳶目兎耳(エンモクトジ)
   亀毛兎角(キモウトカク)
   金烏玉兎(キンウギョクト)
   玉蟾金兎(ギョクセンキント)
   玉兎銀蟾(ギョクトギンセン)
   後如脱兎(コウジョダット)
   狡兎三窟(コウトサンクツ)
   狡兎良狗(コウトリョウク)

   兎の罠に狐がかかる
   兎も七日なぶれば噛みつく
   兎を見て犬を呼ぶ
   兎の毛で突いたほど
   株を守りて兎を待つ
   
   犬兎の争い(ケントのあらそい)
   狡兎(コウト)死して走狗(ソウク)烹(に)らる
   獅子は兎を撃つに全力を用う
   しめこの兎(しめこのうさぎ)
 兔(うさぎ)=⺈(⺕)+尢+丶
 莵(うさぎ)=艹+冖+尢+丶
 菟(うさぎ)=艹+兔
 罘(うさぎあみ)=罒+不
 馿(うさぎうま)=馬+戸(厂+コ)
 驢(うさぎうま)=馬+盧

 丣=発音 ユウ・yǒu mǎo
   異体字
   「酉 𫝁 酒」・・・𪕚=鼠+丣
            竹鼠也・如犬
            後世所謂竹鼠也
            莊子作畱・又作鼠
            从鼠・丣聲
       guinea pig=モルモット
       ギニー ピッグ
       ギニー(金貨・英国の旧貨幣単位)
       ギニア共和国
       République de 「Guinée+pig」
       Guinea=幾内亜
        首都=コナクリ
        部族=プル・マリンケ・スースー等
           20あまり
        共通言語=フランス語
        宗教=イスラム教・キリスト教・各部族宗教
        国花=イネ(稲・稻・禾)

       モルモット=Marmot=阿蘭陀語
       a kind of big rat
       living in the bamboo grove
「竹林・竹藪」を棲家にするネズミ
      「天竺(テンジク)ネズミ」
       に属する齧歯類の1種
       点字句?音図観?・・・天体星座?
      齧=㓞+齒
        丰+刀+止+凵+从+一
        丯+刀+止+凵+从+一
        三+丨+刀+止+凵+人+一
        彡+丨+刀+止+凵+人+一
        異体字
       「囓・𪘂」
        ケツ・ゲツ
        かける・かじる
        かむ・かみつく・歯でかむ
        かける・かく・かけている
      齧(かじ)り付く
      齧(かじ)る
      齧(かじ)り付き・嚙り付き・かぶりつき
      齧り付く・嚙り付く・かぶりつく
      聞きかじる・聞き齧る(ききかじる)
      臑齧り(すねかじり)
      生噛り・生齧り(なまかじり)
      丸かじり・丸齧り(まるかじり)
      食いかじる・食齧る(くいかじる)
      齧指痛心(ゲッシツウシン)
      獣窮則齧(ジュウキュウソクゲツ)
      石に齧(かじ)りついても
      親の脛を齧(かじ)る

      1843年
      長崎にモルモット伝来
      オランダ語の
     「マルモット(マーモット=Marmot) 」
       ・・・丸(九+丶)物訳(譯)?
      ↓↑    ↑ ↓
            九 天(二+人)
            天の方角を九つに区分
            中央を鈞天 (きんてん)
            東方を蒼天 (そうてん)
            西方を昊天 (こうてん)
            南方を炎天
            北方を玄天
            東北方を変天
            西北方を幽天
            西南方を朱天
            東南方を陽天
      天の最も高い所=九重の天⇔九地
      宮中=九重 (キュウチョウ)=ここのえ
      大地を中心に回転する九つの天体
      日天・月天・水星天・金星天・火星天
      木星天・土星天・恒星天・宗動天
      ↓↑    ↑ ↓
     「マルモット(マーモット=Marmot) 」
      が訛って
     「モルモット」となった
     「モルモット=実験材料・実験台」
      英語のguinea pig=実験材料
      I don’t like to be his guinea pig.
      ↓↑   
   声符 ↓↑   ↓
「丣(ユウ)」・you・U字+抗・U字溝・U形側溝
              有事考・防災・防衛
              情報網・情報機関
   「Intelligence Agency
   (インテリジェンス・エージェンシー)」
   「secret service
   (シークレット サーヴィス)
    ↓↑
   「𡘣 𨦰 𦯄 𦊿 畱 桺 駵 𪕚 𨌡 𥥹 𤥗 䱖」
    ↓↑
   畱=丣+田
     リュウ・ル
     とまる・とどまる
     じっと動かない・とどこおる
     とめる・どめる
     動かないようにする・引き止める
     ルーブル・ロシアの通貨単位
     すばる=昂・昴・星座の名
     異体字
     「留・畄・㽞」・・・珂瑠皇子=文武天皇
                    =孝徳天皇
 ↓↑     ↓↑
        音子
 大根(大鑑・大鏡)・牛蒡(ごぼう・牛房・御坊)
 の
根っ子・根子・根古
 なのか
 根来(ねごろ忍者=鉄砲衆)
 なのか?
 猫(ねこ)・(=^・^=)・🐱・😸・😹・😾・😻・🙀・😼
 なのか?
 ↓↑     ↓↑
 ネコ(根子)の漢字を有する天皇
 ↓↑   ↓↑
 七代   孝霊天皇
      大日本「根子(ねこ)」彦太瓊天
 ↓↑   ↓↑
 八代   孝元天皇
      大日本「根子(ねこ)」彦国牽天皇
 ↓↑   ↓↑
 九代   開化天皇
      稚日本「根子(ねこ)」彦大日日天皇
 ↓↑   ↓↑
 二十二代 清寧天皇
      白髪武広国押稚日本「根子(ねこ)」天皇
 ↓↑   ↓↑
 漢風諡号 皇極天皇(第35代)
      斉明天皇(第37代)
 和風諡号 天「豊財重日足」姫天皇
 諱    寶(宝・財)
 ↓↑   ↓↑
 漢風諡号 孝徳天皇
 和風諡号 天「万豊日」天皇
 諱    軽・珂瑠・かる
 ↓↑   ↓↑
 漢風諡号 天智天皇
 和風諡号 天「命開別」天皇
 諱    葛城
 ↓↑   ↓↑
 四十代  天武天皇
 和風諡号 天渟中原「瀛」
          「真人」
           天皇
  ↓↑   ↓↑
 四十ー代 持統天皇
 和風諡号 大倭「根子(ねこ)」天之廣野日女尊
      高天(公転)
      原廣(原稿・言行)
      野(の・や・哉)
      姫(秘め・キ=記・紀・聴・企)
      天皇(転向)
 諱    鸕(ロ・う)野
      讚良(纂漁)
 ↓↑   ↓↑
 四十二代 文武天皇
 和風諡号 倭「根子(ねこ)」豊祖父天皇
      天之「眞宗(真相)」
        「豊祖父(法蘇附)」
        「天皇(転向)」
 諱   珂瑠・軽
 ↓↑   ↓↑
 四十三代 元明天皇
      日本「根子(ねこ)」
        「天津(テンシン)」
        「御代(音戴)」
        「豊国成」
        「姫」天皇・・・典納?
      元明金命
 諱   阿閇
 ↓↑   ↓↑
 四十四代 元正天皇
      日本「根子(ねこ)」
        「高瑞浄」
        「足(拾・十)」
        「姫(秘め)」天皇
 諱   氷高
 ↓↑   ↓↑
 四十五代 聖武天皇
     「天璽」国押開
     「豊桜=豊櫻(法要・訪欧)」
     「彦(諺)」天皇
      勝宝感神聖武
     「皇帝(校訂・考綴)」
 諱   首
 ↓↑   ↓↑
 四十五代 孝謙天皇
     「宝字」
      称徳孝謙
     「皇帝(校訂・考綴)」
      高野天皇
 諱    阿倍
 ↓↑   ↓↑
 五十代  桓武天皇
      日本「根子(ねこ)」
        「皇統(口頭)」
        「弥照
        (弥=彌=弓+爾・镾=镸+爾)
         +
         照(章・背負う・てらす=寺諏)」
        「尊(見事)」
      延暦帝(圓歴綴)
      柏原帝(歌詞葉等綴)
 諱    山部(纂分)
 ↓↑   ↓↑
 五十ー代 平城天皇
      日本「根子(ねこ)」
        「天推国(海水語句)」
        「高彦(多寡諺)」
        「尊」
      奈良帝
 諱    安殿
 ↓↑   ↓↑
 五十二代 嵯峨天皇・・・ねこ問答
      弘仁帝皇
 諱   神野
 ↓↑   ↓↑
     「子子子子子子子子子子子子
     (ねこここねこ ししここじし)」
     「猫の子仔猫、獅子の子仔獅子」
      考案した「嵯峨天皇」
      解いたのは「小野篁」
      内裏に
     「無悪善」と書いた立て札が立てられた
      天皇が篁に読み方を尋ねたところ
     「さが(悪)なくてよからん
     (嵯峨天皇がいなければよいのに)」
      と読んだ
      読めたのは篁が書いたために違いない
      と怒った天皇は
      篁は、自分は何でも読めるのだと弁明
      嵯峨天皇は
      篁に
     「子」の字を12個連ねたものを差し出し
     「ならば、これが読めるか」
      と問うたところ
     「ねこここねこ、ししここじし」
      と読んだため(合計12文字)
      天皇の怒りが解けた
 ↓↑   ↓↑
     「子=ね・こ・シ・ジ・ス」
      宇治拾遺物語
     (建暦三年(1213年)
      ~
      承久三年(1221年)頃成立)
      の巻
      第三の
      十七「小野篁広才の事」
      「無悪善」は平安時代後期の
      「江談抄」の
      第三(康和六年=長治元年(1104年)
      ~
      嘉承三年=天仁元年(1108年)ごろ成立)
      「十訓抄(建長四年(1252年)成立)
      第七などにも出てくる
      話は
      「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」
      (月夜には来ぬ人 待たるかきくもり
       雨も降りなん 恋いつつも寝ん)
 ↓↑   ↓↑
 五十三代 淳和天皇
      日本「根子(ねこ)」天高譲弥遠尊
      西院帝
 諱    大伴
 ↓↑   ↓↑
 五十ー代 仁明天皇
      日本「根子(ねこ)」天璽豊聡慧尊
      深草帝
 諱    正良
 ↓↑   ↓↑
 第六十六代 一條天皇・・・ネコ天皇
       980年7月15日
      〈天元三年六月一日〉
       ~
       1011年7月25日
      〈寛弘八年六月二十二日〉
      在位
       986年8月1日
      〈寛和二年六月二十三日〉
       ~
       1011年7月16日
      〈寛弘八年六月十三日〉
 諱     懐仁(やすひと)
 ↓↑   ↓↑
 命婦の御許
 (みょうぶのおとど
  みょうぶのおもと)
 一条天皇の飼い猫
 「命婦=従五位下以上の位階」を有する女性
 「御許」は高貴な女性の敬称
 ↓↑   ↓↑
 仏教の経典をネズミから守るため
 大陸から連れてこられた
 「唐猫(からねこ・トウビョウ)」
     加羅音胡?闘病・痘苗・投錨・当描?
 が宮中で飼われていた
 光孝天皇の時代が
 猫飼いの最初
 宇多天皇の
 日記『寛平御記』寛平元年(889年)二月六日条
 黒々とした毛並みの麗しい猫が
 太宰
 大弐
 「源 精」
 によって
 光孝天皇に献上され
 数日後に
 宇多天皇へ下賜された
 ネコは
 牛乳の粥(かゆ)を好んで飲み
 ネズミ(鼠・鼠・鼡・🐭・🐀・🐁)
 をよく捕まえた・・・
 『夫木和歌抄』に
 花山天皇が
 太皇太后昌子内親王のために
 唐猫を探し出して献上し
 その際に和歌を詠んだ
 ↓↑   ↓↑
 藤原実資の日記
 『小右記』
 長保元年(999年)九月十九日条の記述
 内裏で
 「産養」と呼ばれる儀式が執り行われ
 人間の赤子が生まれてから
 3・5・7・9日
 を経過したことを祝うものであった
 この日に行われたのは
 内裏で生まれたばかりの
 ネコのためであった・・・
 儀式には
 一条天皇の母・東三条院
 藤原詮子
 や
 左大臣
 藤原道長
 右大臣
 藤原顕光
 も参列
 実資は
 ネコのためにこのような儀式が行われるのは
 奇怪なことで、先例もなく
 世の人が笑っているとしている
 さらに
 「馬の命婦」
 と呼ばれる官女が
 このネコの乳母に任命
 ↓↑ ↓↑
 当時、中宮
 藤原定子
 が出産を控え
 一方で
 道長の娘
 彰子
 が女御として入内する直前であり
 顕光の娘で女御の
 元子
 が後宮に帰参したばかり
 という情勢・・・
 ↓↑    ↓↑
 上にさぶらふ御猫は
 定子
 に仕えていた
 清少納言の
 『枕草子』第七段
 「上にさぶらふ御猫は」
 には
 「馬の命婦」
 を乳母とする
 「命婦の御許」
 というネコが登場
 これは
 「産養」
 で誕生を祝われた
 「同一のネコ」で
 「かうぶり給いて」と言及され
 叙爵
 (無位あるいは正六位未満の者が
  従五位下以上に叙せられること)
 を指す
 「いみじうをかし(とても可愛らしい)」
 く天皇に可愛がられていた
 ↓↑
 ある日
 「命婦の御許=ねこ」
 は縁側の簀の子の上で寝ていた
 「馬の命婦」は
 屋内に入るように猫に言うが
 「命婦の御許」
 は
 日当たりのいい場所に
 うつって入ろうとはしなかった
 「馬の命婦」
 は業を煮やし
 「翁丸」
 という犬に噛みつけと命令
 「命婦の御許」
 は慌てて逃げ出し
 朝餉の間にいた
 「天皇の懐」
 に飛び込んでしまった
 天皇は激怒し
 蔵人の
 「源 忠隆」
 と
 「なりなか」
 に犬の
 「翁丸」
 を打ちすえた上で
 「犬島へつかはせ」
 と言い
 乳母も交代させようと言い出し
 「馬の命婦」
 は恐れて御前に出ることもできず
 「翁丸」
 も滝口武者によって追放されてしまった
 「翁丸」
 はその後内裏に戻り
 蔵人たちにひどく打擲されて追い払われた
 翌日
 「翁丸」は
 「清少納言」
 によって発見され
 「定子」
 のもとで保護され
 その後
 天皇は翁丸を許した
 ↓↑ ↓↑
 犬島=淀川の中洲にある小島
    当時宮廷内で捕獲された野犬は
    この島に送られていた
 長保二年(1000年)三月の出来事・・・
ー↓↑ーーーgoo
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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第三「図南丸」は「花魁船」と言われた・・・?

2024-12-24 02:27:00 | 古事記字源
 前回からのツヅキ
 ↓↑
 惨(むご)いイクサ・・・

 馬子は皇太后
 「炊屋姫」
 を
 「推古天皇」
 とし即位させ
 「厩戸皇子(聖徳太子)」
 を皇太子とし
 摂政とした

 推古天皇四年(596年)
 馬子は
 蘇我氏の氏寺
 「飛鳥寺」を建立
ー↓↑ーー↓↑
  ・・・明日香=あすか
        =飛鳥(ヒチョウ)
        =安宿(アンシュク)
        =阿須賀(アスカ)
         阿=阝+可(口+丁)
         須=彡+頁(丆+目+八=捌)
         賀=加+貝(目+八=捌)
        =阿諏化?
  「寺(ジ・てら)=土+寸=十+一+寸」
            寸=ー+亅+丶
    寺院=ジイン=字音(韻)
       字印
        イン=陰・寅  ・尹 ・殷
        吉田松陰・寅次郎・監督・咆哮
   ↓↑
   而(ジ)=丆+⺵・・・形而上・形而下
             観念・実存在
   而=丆(丆)+⺵
    「而」は
    「刷毛(はけ)」
     or
     髪を梳(と)く
    「櫛(くし)・笄(こうがい)」
     の形象だろう・・・
     ↓↑
     丆=面(丆+)の略字・・・?
       面=丆+囬(回・囘)
         一+丿+囗+丨+ = + l
         回帰=囬帰=囘(冂+巳)帰
         回船=廻船・・・海戦・改選
            菱垣廻船
            樽廻船
            西廻り航路 (北前船)
            東廻り航路
            北国廻船
            尾州廻船
       顔面の上は
       頭の「髪の毛」だが
      「丆」は
       結(ゆ)った
      「丁髷(ちょんまげ)」だろう・・・
   ↓↑
   而=一+ノ+冂+‖(l+l)
     ジ
     しかして
     しこうして
     そして
     すなわち
    「・・・である・・・」
     順接助字
     ↓↑
     しかも
     しかるに・しかれども
    「・・・ではない・・・」
     逆接助字
     ↓↑
     なんじ(汝)
     あなた(貴方)・あんた
     きさま(貴様)
     てめい(弖名)
     お前・おぬし
     自分=関西弁
     相手をさすことば
     二人称(you=ユウ)
         ・・・有・結・邑・猷
          ・・・ヨウ=要・用
   ↓↑
   而=ひげ(髯=髟+冉
        鬚=髟+須
        鬍=髟+胡
        髭=髟+此
        須=彡+頁)
     あごひげ(顎鬚)
     口 ひげ(口髭)
     ↓↑
     丆→䂖=丆+ヽ+口=石(セキ・いし)
     丆→不=丆+ト(ボク・うらない)
     丆→呑=丆+大+口
   ↓↑
   名字
   而摩=しかま・しま・じま・・・揣摩
   ↓↑
   追而書き・追って書き(おってがき)
   しかも・然も・而も(しかも)
   而して(しこうして)
   而立(ジリツ)
   形而下(ケイジカ)
   形而上(ケイジジョウ)
   然して・而して(しかして)
   然り而して(しかりこうして)
   ↓↑
   引而不発(インジフハツ)
   温潤而沢(オンジュンジタク)
   渇而穿井(カツジセンセイ)
   群而不党(グンジフトウ)
   激而行之(ゲキジコウシ)
   三十而立(サンジュウジリツ)
   秀而不実(シュウジフジツ)
   而今以後(ジコンイゴ)
   而今而後(ジコンジゴ)
ー↓↑ー
 「白村江海戦の敗北前夜」
   
 推古天皇十八年(610年)
 新羅使が
 小墾田宮で拝謁の儀を行った際に
 庭中において

 大伴 咋 (くう・くらう)・・・サク
    咋=口+乍(ながら)
 蘇我 蝦夷(えみし・えぞ)・・・カイ
    蝦=虫+
 坂本 糠手(ぬかで)・・・・・・コウシュ
 阿倍 鳥 (とり)・・・・・・・チョウ

 という
 「四の大夫」
 が使の旨を聞いて
 馬子に啓上しており
 有力氏族から代表を1人出すという
 マヘツキミ制の原則を破り
 蘇我氏は
 大臣と大夫を各1人出すという、
 他の氏族とは異なる地位を獲得した
 馬子はこのとき政庁の前に立ち
 啓上を聴き
 新羅使に物を下賜し
 馬子が外交を掌握していた
 ↓↑
 推古天皇二十年(612年)
 堅塩媛を
 欽明天皇陵に合葬
 安閑・宣化と欽明の勢力を統一した
 「石姫皇女」
 ではなく
 「堅塩媛」
 が欽明陵に合葬されたのは
 倭王権の正統性を
 蘇我氏と欽明との結合に求め
 推古及び馬子の認識を
 象徴的かつ可視的に大規模にしめした
 堅塩媛は
 「皇太夫人」
 と尊称され
 諸皇子、群臣が誄したが
 その順番は
 推古→諸皇子→馬子→蘇我系諸氏族で
 あり
「欽明」天皇
 と
「蘇我稲目」
 に始まる王権の再確認を行った
 ↓↑
 推古天皇二十八年(620年)
 聖徳太子と共に
 「天皇記」
 「国記」
 「臣連伴造
  国造百八十部
  并
  公民等本記」
 を記す
 ↓↑
 推古天皇三十年(622年)
 聖徳太子死去
 馬子は聖徳太子と協調したが
 聖徳太子の天皇権力の強化を警戒
 ↓↑
 推古天皇三十一年(623年)
 新羅からの調を催促するため
 馬子は
 境部雄摩侶
 を大将軍とする数万の軍を派遣
 新羅は戦わずに朝貢
 ↓↑
 推古天皇三十二年(624年)
 馬子は
 元は蘇我氏の本居で
 皇室の領地となっていた
 葛城県
 円大臣が
 雄略天皇に滅ぼされた際に献上した
 「葛城の五村」
 「葛城の宅七区」
 蘇我稲目の代に
 その経営権、管理権は
 蘇我氏が掌握していた
 の割譲を
 推古天皇に要求したが
 推古天皇に拒否された
 ↓↑
 推古天皇三十四年(626年)
 馬子死去
 桃原墓に葬られた
 奈良県
 明日香村
 島之庄
 石舞台古墳・・・
 同古墳の西数百mの位置の
 「島庄」遺跡
 は邸宅の一部・・・説
 ↓↑
 推古天皇時代の
 冠位十二階制度
 十七条憲法
 遣隋使派遣
 を主導した
 馬子の功績を
 厩戸皇子(聖徳太子)
 が行った・・・
 「聖徳太子=蘇我馬子」・・・説
 ↓↑

 大化の改新(645年・乙亥の変~)
       ムシゴロシ=虫・殺し・蒸殺し
       🐞・🐜・🐛・🐝
       夢詞語呂乨(始)
       無視・無死・無私
       無史
 馬子の子と孫の
 蘇我蝦夷
 蘇我入鹿
 親子は
 律令体制への移行を推し進め
 外交面では
 朝鮮半島への
 派兵計画に反対・・・?
 ↓↑
 天皇即位を目論んでいた・・・?
 「軽皇子=孝徳天皇」
  は
 「乙巳の変(645年)」
 ↓↑
  ・・・皇極天皇四年(645年)六月十二日
     飛鳥
     板蓋宮でのクーデター
     蘇我入鹿の暗殺
     に始まる
     大化年間(645年~650年)の改革
     ~
     大宝元年(701年)の大宝律令完成まで
     の一連の改革・・・

     663年は
    「白村江(白馬・白口)の海戦」
     敗北

     天智天皇六年
     667年
     近江大津宮遷都
     近江国滋賀郡
     天智天皇はこの宮で正式即位

     天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
    (ユリウス暦)
     672年 7月24日~8月21日
    (グレゴリオ暦)
     672年 7月27日~8月24日
     壬申の乱
 ↓↑
 「乙巳の変(645年)」
 で
 入鹿を殺害
 蝦夷を自殺させ
 直後に天皇に即位し
 その後
 百済支援を名目とし
 朝鮮半島への武力介入を強行
 「白村江の戦い(663年)」
 に大敗
 後
 「天智天皇=中大兄皇子」
 が
 唐との外交関係の修復
 太宰府の強化
 近江大津宮への遷都
 天皇死後
 「壬申の乱
  天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
 (ユリウス暦 672年 7月24日~8月21日)」
 ・・・
 「蘇我入鹿」の
 「上の宮門(みかど)」
 「谷の宮門」
 からは武器庫や武器が発見され
 軍事要塞化
 入鹿が
 唐の侵略を警戒
 外交による解決を図るとともに
 有事の際に
 皇室を護る備えをしていた・・・仮説?
 「改新の詔」
 の内容について
 藤原京から出土した木簡により
 (古事記・日本書紀の)
 文書が
 奈良時代に
 書き換えられたものと決着・・・
 蘇我氏専横は無かった・・・
 ↓↑
 兵庫県
 相生市
 小河
 宇麻志神社(うましジンジャ)
 があり
 祭神は
 「宇摩志・・・
  うまし=旨し=甘し=美味し
     =巧し=上手し
  阿斯・・・
  あし=足・脚 ・肢 ・疋 ・趺
     拾・脚本・肢体・疋引・蹉跌
     葦・蘆・葭・芦
       ・・・・芦別
  訶備・・・
  かび=黴・霉・醭・華美
     黴る
     麴(こうじ)
    =麹=麦+匊
    =麥+匊
     來+夂+勹+米
     木+从(従・随)+夂+勹+米
     人+木+人+夂+勹+米
     人+十+八+人+夂+勹+米
   麯=麥+曲
   粬=米+曲
   糀=米+花
     米や麦などに
     カビを繁殖させたものや
     酒や醤油などの原料
     キク・こうじ・さけ(酒)
  比古遅・・・比較する振る意の字?
  ヒコジ
   神」
   ↓↑
   かみ=加味・加見
    紙=帋=氏+巾
      シ・かみ
    植物繊維を材料とした紙
    日本語
   「新聞紙」の略称
    シ
    髪=镸+彡+ナ+又
    嚙=噛
    咬み合わせ
 ↓↑
 であるが
 明治維新以前は
 「馬子宮」と呼ばれ
 「蘇我馬子」を祀っていた
 蘇我馬子が
 相生(あおい)で死亡
 ↓↑ ↓↑
   相生(あおい)
   兵庫県の
   島嶼部を除いた地域の
   南西部に位置
   明治終期
   船の建造・修繕の
  「船渠(ドック)」が完成
   ここで
   沈没から引き揚げられた
   修理造船された
  「図南丸」は
   1970年まで日本の捕鯨を支えた
   第三「図南丸」
   太平洋戦争中
   1943年7月24日
   米軍
   ティノサ(USS Tinosa, SS-283)
   の合計15本の魚雷を受け
   12本が命中したが
   信管不良で爆発したのは
   2本で残りは全て不発だったが
   自力航行が出来ず
   トラック島まで曳航
   第三「図南丸」は
   油槽船(タンカー)ではなく
   海に浮かぶ重油タンクとして
   トラック島にとどまった
   この時
   船体に
   魚雷が
   突き刺さったままの姿が
   髪に簪(かんざし
     鈿・兂・笄・釵・楴・篸)
   を差した花魁(おいらん)
   のようであった事から
  「花魁船」と言われた・・・

   トラック島で
   工作艦
   明石が修理を実施し
   1943年11月
   再び「船」として復帰し
   輸送任務に就いた
   1944年(昭和19年)2月17日
   アメリカ軍による
   トラック島空襲に遭遇し
   被弾炎上
   19日2時10分沈没
 ↓↑
 蘇我馬子が
 相生(あおい)で死亡
  ↓↑
  従者の
  将監光庵
  はその地名により
  小河を姓名とし
  馬子の為に菩提を弔い
  剃髪して
  庵を結び
 「光庵禅師」
  を名乗り
  子孫代々光庵を名乗った・・・
 ↓↑
 馬子の
 父  蘇我稲目
 姉妹 蘇我堅塩媛(欽明天皇妃)
  蘇我小姉君(欽明天皇妃
  『古事記』では
  「小兄比売」は・・・小姉君
  「堅塩媛」のおば

 妻  物部弓 削大連(物部守屋)の妹
 『紀氏家牒』
 『石上振神宮略抄』
  神主布留宿禰系譜料では
  物部守屋の妹の
 「太媛」
 『先代旧事本紀』天孫本紀では
 「物部 鎌足 姫
  大刀自
  父は
  物部守屋の異母弟
  石上贄古大連
  母は
  物部守屋の同母妹の
 「布都(ふつ・ふと)姫」
     ・・・布訳(譯)秘?
 「物部 鎌足姫 大刀自(おおとじ)」
  は
  崇峻天皇が殺害された後に生まれ
  蘇我馬子の妻となることは
  世代的に無理・・・
  妻は「太媛」・・・

 子 「蘇我 善徳」・・・善徳女帝は新羅王
   「蘇我 倉麻呂」
   「蘇我 蝦夷」
 孫 「蘇我入鹿」
   「蘇我 倉山田 石川麻呂」
 娘 「河上娘(崇峻天皇妃)」
   「法提郎女(田村皇子妃)」
   「刀自古郎女(聖徳太子妃)」
ーーーーー
 「島大臣=牡丹(ぼたん)」
      赤紫の八重咲き種
  ↓↑
 「牡丹=島大臣」
  1953年
  大根島(だいこんしま)
  島根県の東部の中海にある島の1つ
  東西に3.3 km
  南北に2.2 km程度

 「牡丹(ぼたん)名=島大臣」は
  島の生産者より
  改良作出された品種
  牡丹の生産量は日本一
  枝が湾曲
  紫色=牡丹色

  立てば芍薬
  座れば牡丹
  歩く姿が百合の花

  島大臣の枝変わり(突然変異)品種
  紫禁城・春の粧=越の舞姫
  翠嵐=紫禁城を通じて枝変わり
ーーーーー
 ↓↑
 成=万+戈
  =異体字
  「𢦩=戊+午(馬)
   𧶔=貝+呈(口+王・呈示)」
   勹=包の変形?・・・
 ↓↑
 姫=女+臣
  =姬
  =女+𦣞
     𦣞=匚+口+¦
       頤=おとがい
         あご=頤・顋・顎
            下あご=下顎
     𦣝=匚+l+コ+¦
     𦣞=叵+¦=イ・アイ
    =乳房の象形
   康煕字典
    煕=巸+灬
      𦣝+巳+灬
      𦣝+己+灬
      𦣞+己+灬
      𦣞+巳+灬
      キ
      ああ
      たのしむ
      ひかる
      ひろい
      やわらぐ
      よろこぶ
      楽しむ・喜ぶ
      光る・輝く・光が行き渡る
      広い・広まる・広く行き渡る
      やわらぐ
      ああ・感嘆の声・なげく声
   異体字
   「熙・熈・焈・㷩・凞・凞」
   類字
   「巸・媐・熙・㜯」
   恬熙・恬煕(テンキ)
    =世の中の安泰・平穏・平和
   ↓↑
   懿徳天皇
   懿=壹+恣
     士+冖+豆+次+心
     士+冖+豆+冫+欠+心
     士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
     イ
     よい・うるわしい・立派
     美徳・道理にかなった行い
   異体字
   「㦤・㦉・㱅」
   懿懿(イイ)
   懿戒(イカイ)
   懿軌(イキ)
   懿筐(イキョウ)
   懿業(イギョウ)
   懿訓(イクン)
   懿行(イコウ)
   懿旨(シイ)=皇后・皇太后の命令
      いし=石・磐・磐余・岩・嵒・巖
   懿親(イシン)
   懿公喜鶴(イコウキカク)
   懿公好鶴(イコウコウカク)
ー↓↑ーーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3


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「蘇我馬子=嶋(山+鳥)大臣」の勝利・・・纂調?

2024-12-22 17:17:15 | 古事記字源
 前回からのツヅキ・・・
ーーーーー

 蘇我馬子の
 邸宅の池に
 「嶋」
 を浮かべた池があったことから
 「嶋大臣」とも呼ばれた・・・?
  ・・・「嶋(善信尼)」
  を敬愛していたからだろう?
 敏達天皇元年(572年)
 ・・・敏(さと)さに達する天皇?
 敏=毎+攵=敏=勄
   每+攵
   𠂉+毋+攵
   𠂉+母+攵
   ビン・さとい・とし
   はやい・動きが素早い
   さとい・かしこい
   頭のは働きがよい
   敏捷・敏感・鋭敏・過敏・機敏
   恭敏・恭敏・才敏
   聡い・敏い(さとい)
   俊敏(シュンビン)
   敏速(ビンソク)
   不敏(フビン)
   心間手敏(シンカンシュビン)
   訥言敏行(トツゲンビンコウ)
   機を見るに敏(きをみるにびん)
 ↓↑
 大臣就任
 敏達天皇十三年(584年)・・・13歳
 百済から渡来の
 「鹿深(ロクシン・かふか)」臣
      ・・・「カフカの変身」だろう?
  『日本書紀』
  敏達天皇十三年(584年)九月条
  鹿深臣が
  百済から
  弥勒の石像一躯を持ち帰った
 「鹿深(ロクシン・かふか)
   =甲賀(コウガ
    きのえのよろこび
    きのえの言祝ぎ=ことほぎ)」
    賀=加+貝
    力+口+目+ハ
    カ・ガ
    よろこぶ・祝う
    労(ねぎら)う・誉(ほめ)る
    になう・負う・かつぐ
 ↓↑
 「百済より来ける=鹿深臣を渡来人」・・・説
          録審?
 「百済へ赴任した後に倭へ帰還した倭人」・・・説
 ↓↑
 蘇我氏が進めた
 仏教興隆政策や
 外交交渉で重要な役割を担った
 鹿深臣が持ち帰った
 弥勒石像は・・・弥勒菩薩=未来救済の仏(佛)
 蘇我馬子の仏殿に安置された後
 排仏派の
 物部氏によって
 難波の堀江に捨てられた・・・
 ↓↑
 天平勝宝三年(751年)七月二十七日
 『甲可郡司解(近江国蔵部庄券)』に
 甲賀郡の
 擬大領(長官)として
 外正七位上
 甲可臣
 乙麻呂が・・・音万呂?
 同「少領」として
 甲可臣男
 ・・・甲賀臣 男(ダン・おとこ=音故)
 甲賀郡の郡司を
 世襲してきた郡領氏族
 『続日本紀』
 天平二十年(748年)二月二十二日条
 外従六位下
 甲可臣
 真束
 が銭一千貫を寄進
 甲賀氏が
 甲賀寺で始まった
 大仏造立に・・・聖武天皇⇔声鵡転向?
 積極的に協力
 ↓↑
 10世紀半ば
 太政官から
 近江国司に宛てた太政官符に
 武芸に優れた人物として
 甲賀郡の
 「甲可 公 是茂」
  ・・・効果記診是模?
 が挙げられ
 近江国の
 追捕使
 佐々貴山 公 興恒・・・篠記纂 乞う 後項
 大友 兼平    ・・・大友皇子 建平(憲兵・兼併)?
 らの後任として
 「甲可 是茂」
 を推薦
  ↓↑
  平安時代末
  誓蓮寺(甲南町上馬杉)
  に寄進された
 『大般若経』に
 「城貞延甲賀氏」
 の願主名が記録
  ↓↑

  鹿深(かふか・ロクシン)臣の石像一体
     カフカ=賂句詞ム
  ↓↑   ↓↑
  フランツ・カフカ(Franz Kafka
           チェコ語
           František Kafka)
   1883年7月3日
   ~
   1924年6月3日
          大運1922年6月(38歳)甲寅・偏官
 年柱 ┏癸┏未(丁乙己)正財・劫財 衰⇔甲子・偏官
    干支合・丙
 月柱 ┗戊┗午(丙 丁)比肩・印綬帝旺⇔己巳・劫財
 日柱 ┏戊 申(戊壬庚)  ・食神 病⇔癸丑・正財
 時柱 ┗癸┗丑(癸辛己) 正財・劫財 養⇔癸丑・正財
        寅卯空亡
  ↓↑   ↓↑
  オーストリア=ハンガリー帝国領(チェコ)
  プラハ
  で高級小間物商を営む
  ユダヤ人の両親 
  ヘルマン・カフカ(1852年~1931年)
  とその妻
  ユーリエ(1856年~1934年)
  との間に生まれた
  小説家
  法律を学んだ後
  保険局に勤めながら作品を執筆
  生前は
 『変身』などの著書
  死後中絶された
  長編『審判』『城』『失踪者』
  などの
  遺稿が友人
  マックス・ブロートによって発表された
  ↓↑   ↓↑
  20歳の時
  オーストリア軍に徴兵
  2年間の兵役後
  都市プラハに移り
  1882年
  醸造業者の娘
  ユーリエ・レーヴィ
  と結婚
  彼女の財産を元手に小間物商を始めた
  晩年に病にかかってからは
  妹三女の
  オティリー(愛称オットラ)
       ・・・乙 虎(寅・彪・禽・図羅・🐅)
  と親しくした
  カフカ家
  料理女や乳母が出入りし
  カフカは主に
 「乳母」を通じて
  ・・・乳=孚+乚
       爫+子+乚
       フ・かえす(孵化)
       はぐくむ(育む)
       まこと(真実)
       卵をかえす
       大切に育てる
       真心・真実・誠意
     母=㇗+𠃌+一+⸌+⸜
       女+ー+丶+丶
       乚+𠃌+一+⸌+⸜
       ボ・ボウ・モ
       はは・女親
       ばば・親族の女性年長者
       うば・めのと
       もと・物を生み出す元
       物事の始原・元
       異体字
      「毋 毌 姆 ⺟ 娒」
    母乳=母親の乳
  ↓↑   ↓↑
  カフカは
  乳母によって
  チェコ(捷克)語を覚えた
      ↓↑       ↓↑
   ・・・捷=扌+疌=㨗
       =掶=扌+庚
            庚=广+彐+人
            コウ・かのえ
            とし(歳・年齢)
            十干の七番目
            かのえ=金兄
            五行は金
            方位は西
            よわい
            とし=年齢   
      捷=ショウ・かつ・はやい
        戦いに勝つ・争いに勝つ
        疌=ショウ・はやい・すばやい
         =捷
        快捷(カイショウ)
        簡捷(カンショウ)
        軽捷(ケイショウ)
        才捷(サイショウ)
        祝勝・祝捷(シュクショウ)
        捷径(ショウケイ)
        勝報・捷報(ショウホウ)
        戎捷(ジュウショウ)
        戦勝・戦捷(センショウ)
        資弁捷疾(シベンショウシツ)
        終南捷径(シュウナンショウケイ)
      ↓↑
      克=古+儿
        十+兄
        十+口+儿
        コク
        かつ
        困難にうちかつ・争いに勝つ
        よく・十分に。
        物事の上手に行う能力
  ↓↑  ↓↑
    カフカの死亡
    1924年6月3日
    ↓↑        ↓↑
    日本(月日は一致)
    大正       13年
    皇紀2584年
    ↓↑
    中国(月日は一致)
    中華民国     13年
    ↓↑
    朝鮮(月日は一致)
    檀紀4257年
    主体       13年
    ↓↑
    モンゴル国
    共戴       13年11月25日
    ~
    共戴       14年06月08日
  ↓↑
  詞化は「ふか=付加・不可・負荷」意?
  ↓↑ ↓↑
  鹿=广+コ+‖+比(上+匕)=𢈘
  覇王
  帝位、王位など権力のある位のたとえ
  四角い米倉・穀物倉
  ふもと。山のふもと=山麓
  海驢=葦鹿(あしか)
  薄馬鹿・薄ばか(うすばか)
  鹿毛(かげ)
  鹿島立ち(かしまだち)
  河鹿(かじか)
  河鹿蛙(かじかがえる)
  鹿の子(かのこ)
  鹿の子絞り(かのこしぼり)
  京鹿の子(きょうがのこ)
  蕉鹿之夢(ショウロクのゆめ)
  指鹿為馬(シロクイバ)
  中原逐鹿(チュウゲンチクロク)
  中原之鹿(チュウゲンのしか)
  馬鹿慇懃(バカインギン)
  馬鹿果報(バカカホウ)
  馬鹿丁寧(バカテイネイ)
  麋鹿之姿(ビロクのすがた)
  鹿苹之歓(ロクヘイのよろこび)
  秋の鹿は笛に寄る
  一番風呂は馬鹿が入る
  馬を鹿
  親馬鹿子馬鹿
  火事場の馬鹿力
  金があれば馬鹿も旦那
  空世辞は馬鹿を嬉しがらせる
  下種の一寸、のろまの三寸、
   馬鹿の開けっ放し
  桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿か)
  桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿か)
  ↓↑
  佐伯(さえき・サハク )連の仏像一体
  たすける人は白=斯蘆=新羅?
  佐伯=弘法大師=空海=眞魚
  を
  蘇我 馬子(そが の うまこ)が
   姐我 宇摩胡?
  もらい受けたが
  廃仏波の
  物部 守屋(もののべ の もりや)
   物述べ 杜 耶?・・・杜撰哉
  が難波の堀江に捨てた・・・
  ↓↑
 「司馬達等」
 (しば だっと・しば たちと
  しば の たちと・しめ たちと)
 「鞍部 堅貴」・・・鞍作=「カント」の親父?
  の一族
  522年(継体天皇十六年)二月
  渡来
  大和国
  高市郡坂田原に草堂を結び
  本尊を安置し帰依礼拝
  584年(敏達天皇十三年)
  播磨国で
  高麗からの
  渡来僧で還俗していた
 「恵便」に
  娘の
 「嶋(善信尼)」
  とその弟子2人を出家させた
  崇仏派の
  蘇我馬子が邸宅内に仏殿を建立
  請来した弥勒仏を安置
 「仏舎利」を献上し
  法会を開催した
  585年
  排仏派の
  物部守屋は
  達等を面罵し
 「嶋=善信尼」
  ら3人の法衣を剥奪して監禁された
  仏師
 「鞍作止利(くらつくりのとり=鞍作 鳥)
  は
 「司馬達等」の孫
  氏姓
 「鞍部村主
 (くらつくりのすぐり)
  鞍師首」
  ↓↑
 「鞍作止利(鳥)」
  と
 「池邊氷田」
 (帰化系の雄族
  東漢(やまとのあや)氏の一族
  溝辺とも
  姓(かばね)は直(あたい))
  を派遣して修行者を探させ
  播磨国(一説に赤穂郡矢野庄)で
  高句麗の
 「恵便」
  という還俗者を見つけ出し
  馬子はこれを師として
 「司馬達等」
  の娘の
 「嶋」
  を得度させて尼とし
 「善信尼」
  となし
  導師として
 「禅蔵尼」
 「恵善尼」
  を得度させた
 「蘇我馬子」
  は仏法に帰依し
  三人の尼を敬った
 「馬子」
  は
  石川宅に仏殿を造り++++
  仏法を広めた
  ↓↑
  用明天皇二年(587年)
  四月二日
  用明天皇は病
  三宝(仏法)を信奉したいと欲し
  群臣に議するよう詔した
  物部守屋
  中臣勝海
  は反対
 「蘇我馬子」は
 「穴穂部皇子」に
  僧の
  豊国を連れて来させたが
  守屋は睨みつけ怒った
  史(書記)の
 「毛屎」が
  守屋に群臣たちが
  帰路を断とうとしていると告げ
  守屋は朝廷を去り
  別宮の
 「阿都(河内国)」・・・阿の都・・・阿毎の都?
  へ退き、味方を募った
  排仏派の
  中臣勝海は
  馬子派の
 「彦人皇子」
 「竹田皇子」・・・「竹田・武田・他家だ?」
  の像を作り呪詛
  彦人皇子の邸へ行き帰服を誓った
  その帰路
  舎人
 「迹見 赤檮(とみ    の いちい)」
        登美・冨美  位置射?
  ・・・登美彦=蛇行(ダコウ)剣・盾形銅鏡
     富雄丸山古墳の「六曲蛇行剣」
    「鼉⿓(ダリュウ)鏡」
  が
 「中臣 勝海」・・・勝海舟?
  を斬った
  ↓↑
 「守屋」は
 「穴穂部皇子」を
 皇位に就けようと画策したが
 「馬子」が先手を打って
 「穴穂部皇子」を殺した

 用明天皇二年(587年)七月
 馬子は群臣と諮って
 物部討伐を決定
 守屋の本拠河内国渋川郡・・・阿都?
 へ向かった
 物部氏の兵は精強で
 稲城を築き頑強に抵抗し
 守屋は
 朴の枝に登って雨のように矢を射かけ
 馬子の討伐軍は3度撃退された
 従軍の
 「厩戸皇子=聖徳太子」は
 四天王像を刻んで戦勝を祈り
 討伐軍は奮い立って攻め立て
 赤檮は守屋のいる大木の下に忍び寄り
 守屋を射落とした・・・
 『伝暦』では
 厩戸皇子が四天王の祈願を込めた矢を
 「赤檮(いちい)」に与えた・・・
 物部氏の軍勢は敗退
 殊勲者の
 赤檮(いちい)は
 物部氏の遺領から一万田を賜与

 守屋は一族の
 「物部八坂」
 「大市造小坂」
 「漆部造兄」
 を馬子のもとへ遣わし
 「群臣が我を殺そうと謀っているので
  阿都へ退いた」
 と伝えた
 六月七日
 馬子は
 炊屋姫の詔を得て
 穴穂部皇子の宮を包囲して誅殺し
 翌日
 「宅部皇子」を誅殺
ーーー
 伝物部守屋墓
 大阪府八尾市
 大聖勝軍寺付近
 七月
 馬子は群臣にはかり
 守屋を滅ぼすことを決め
 馬子は
 泊瀬部皇子
 竹田皇子
 厩戸皇子=聖徳太子
 などと
 諸豪族の軍兵を率いて
 河内国
 渋川郡(大阪府東大阪市衣摺)
 の守屋の館へ侵攻
 守屋は一族を集めて
 稲城を築き守りを固め
 守屋は朴の木の枝間によじ登り
 矢を射かけ
 皇子らの軍兵は恐怖し、退却
 厩戸皇子は
 仏法の加護を得ようと
 白膠の木を切り
 四天王の像をつくり
 戦勝を祈願して
 勝利すれば
 仏塔を作り
 仏法の弘通に努める
 「今若使我勝敵
  必当奉為護世四王
  起立寺塔」
 と誓った
 馬子は再攻撃させた

 「迹見赤檮」・・・登美比古
       ・・・十三の壹與の古代?
 が大木に登っている
 守屋を射殺し
 守屋の一族は尽く殺害された

 厩戸皇子
 摂津国(大阪府大阪市天王寺区)に
 四天王寺建立
 物部氏の領地
 『本願縁起』
 河内国の
 弓削・鞍作・祖父間・衣摺・虵屮
 足代・御立・葦原
 と
 摂津国の
 於勢・模江・鶏田・熊凝
 と奴隷(『本願縁起』曰く273人)は両分され
 半分は馬子のものになった
 馬子の妻が
 守屋の妹であるので
 物部氏の
 相続権があると主張したためで
 半分は四天王寺へ寄進された

 敏達天皇十四年二月(585年)
 馬子は病になり
 卜者に占わせたところ
 「父の稲目のときに
  仏像が破棄された祟りである」
 と言われ
 馬子は敏達天皇に奏上して
 仏法を祀る許可を得た
 だが
 疫病がはやり多くの死者を出し
 三月
 排仏派の
 物部守屋
 中臣勝海
 が
 「蕃神を信奉したために
 疫病が起きた」
 と奏上し
 敏達天皇は
 仏法を止めるよう詔した
 守屋は寺に向かい、
 仏殿を破壊し
 仏像を
 難波の堀江に投げ込ませ
 馬子ら仏教信者を罵倒し
 三人の尼僧を差し出すよう命じた
 馬子は尼僧を差し出し
 守屋は全裸にして縛り上げ
 尻を鞭打った・・・
 だが疫病は治まらず
 敏達天皇
 も
 守屋
 罹患
 人々は
 「仏像を焼いた罪である」
 と言った

 六月
 馬子は病気が治らず
 奏上して仏法を祀る許可を求め
 敏達天皇は
 馬子に対してのみ許可し
 三人の尼僧を返した
 馬子は三人の尼僧を拝み
 新たに寺を造り
 仏像を迎えて供養した

 八月
 敏達天皇
 崩御
 葬儀を行う殯宮で
 馬子と守屋は互いに罵倒し合った

 守屋
  長い刀を差して
  弔辞を読む小柄な馬子へ
  「まるで矢に射られた
 雀のようだ」
 馬子
  緊張で体を震わせながら
  弔辞を読む守屋へ)
 「鈴を付けたらさぞ面白かろう」

 橘豊日皇子(欽明天皇の皇子
  母は
  馬子の姉の
  堅塩媛)
 が
 用明天皇としてが即位
 用明天皇の異母弟の
 穴穂部皇子は不満を抱き
 守屋と結び
 敏達天皇の寵臣
 「三輪 逆」・・・ナゼ名前が「逆(さからう)」?
 を殺害させた

 用明天皇二年四月(587年)
 用明天皇は病
 三宝(仏法)を信仰することを
 群臣に諮った
 守屋
 と
 中臣勝海
 は反対
 馬子は詔を奉ずべきとして
 穴穂部皇子
 に僧の豊国をつれて来させたので
 守屋は怒ったが
 群臣の多くが
 馬子の味方であることを知り
 河内国へ退いた。

 程なく
 用明天皇が崩御し
 守屋は穴穂部皇子を皇位につけようとしたが
 六月
 馬子は
 炊屋姫(敏達天皇の后)を奉じ
 穴穂部皇子を殺害
 七月
 馬子は群臣に諮り
 守屋を滅ぼすことを決め
 諸皇子、諸豪族の大軍を挙兵
 馬子軍は
 河内国渋川郡の守屋の居所を攻めるが
 軍事氏族の物部氏の兵は精強で
 稲城を築いて頑強に抵抗し
 馬子軍を三度撃退
 厩戸皇子(聖徳太子)が
 四天王像を彫り戦勝祈願し
 馬子も寺塔を建立仏法を広めることを誓った
 馬子軍は攻勢をかけ
 迹見赤檮
 が
 守屋を射殺し
 馬子は勝利

 八月
 馬子は
 泊瀬部皇子・・・泊の瀬の部
 を即位させ
 崇峻天皇とし
 炊屋姫は
 皇太后となった

 崇峻天皇元年(588年)
 馬子は
 善信尼らを
 百済へ留学させた

 588年
 飛鳥寺が建立
 福岡に
 既に
 千如寺
 があった

 589年
 崇峻天皇
 東山道・東海道・北陸道
 に使者を派遣し
 蝦夷国境、海浜国境、越国境
 を監視
 中国で
 隋が中国を統一

 崇峻天皇四年(591年)
 崇峻天皇は群臣と諮り
 任那の失地回復のため
 2万の軍を筑紫へ派遣し
 使者を新羅へ送った

 崇峻天皇は
 「大伴糠手」の娘
 「大伴小手子」との間に
 「蜂子皇子」
 をもうけた・・・

 588年
 飛鳥寺建立

 589年
 崇峻が
 東山道・東海道・北陸道に使者を派遣し
 蝦夷国境、海浜国境、越国境を監視

 591年
 任那復興軍の派遣
 崇峻自らが発議し
 マヘツキミ層がそれに同意し
 「二万余」の兵が筑紫に出陣させ
 新羅を問責する使者が発遣
 
 崇峻天皇五年十月(592年)
 天皇へ猪が献上され
 崇峻は
 「いつか猪の首を切るように
  朕が憎いと思う者を
  斬りたいものだ」
 と発言し、多数の兵を召集
 馬子は
 天皇が自分を嫌っていると考え
 十一月
 馬子は東国から調があると偽って
 「東漢駒」
 に崇峻天皇を殺害させた
 その後
 「東漢駒」は
 馬子の娘の
 「河上娘」を奪って妻とした
 怒った馬子は東漢駒を殺害
ー↓↑ーーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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亜摩士書=不義、抑圧、偽善に対する「カミ」の非難?

2024-12-21 17:21:33 | 古事記字源
 ・・・前回からのツヅキ・・・
ーーー↓↑ーーー
 蘇我馬子
 ↓↑

 欽明天皇十二年?〈551年〉
 ~
 推古天皇三十四年五月二十日〈626年6月19日〉
 邸宅の池に
 「島」・・・
 渡来僧で還俗していた
 「恵便」の娘の名前
 「嶋(善信尼)」・・・?
 ↓↑ ↓↑
   高句麗の還俗者
  「恵便」
   を見つけ出し
   馬子はこれを師として
  「司馬達等」
   の娘の
  「嶋」
   を得度させて尼とし
  「善信尼」とし
   彼女を
   導師として
  「禅蔵尼」
  「恵善尼」
   を得度させ
  「蘇我馬子」
   も仏法に帰依し
   三人の尼を敬った・・・?
  ・・・「恵(惠・僡)便」の娘か?・・・

  恵=さとい=慧=彗+心
  すいせい=篲星・彗星
  ケイビン=雞斌(紊・旻)

  ・・・「司馬達等」の娘か?・・・
  聡い便り=さとい便り=『使徒行伝』
  聰・哲・慧・叡・智・敏
   使徒信条(シトシンジョウ
   拉語 Symbolum Apostolicum
   英語 Apostles' Creed)
   キリスト教のうち
   西方教会
  (カトリック教会
   聖公会
   プロテスタント)
   の基本信条
   使徒信経(シトシンキョウ)
   拉語原文の冒頭の語をとって
  「クレド(Credo) 」・・・呉土
ーーー↓↑ーー
  『亜摩士書(アモス書)』・・・アマシ書?
  「あま=海士=海女=贏
     =阿毎王朝⇔あま=贏・塰
  海部・海女・海士・海人
  あま=白水郎
  阿萬
  阿麼
  阿𡡉(アマ)=隨王 煬帝の小字
        =阿麼(嬤・嬷・嬤・𡚸・𡣥)
  ↓↑
 「アモス書」
  ・・・あまし(尼子)・・・うまし・・・馬史・・・?

  ・・・甘し=蜂蜜=養蜂・・・廿=二重=弐重=似拾
        ・・・ハチ(葉知・捌)の秘密
        蜂子皇子?
        扶餘豊章?
        扶余 豊璋
        (扶余豐璋・ふよ ほうしょう)
       百済最後の王
        義慈王
       (在位641年~660年)
        の王子
       『日本書紀』
       余豊璋=余豊=豊璋=豊章
       『三国史記』
       扶余豊=豊
       『旧唐書』
       扶余豊=余豊
       『日本書紀』
       百済の王族
       翹岐=豊璋・・・?
     ↓↑
    「百済 の
    太子余豊 (こんきしよほう)
    蜜蜂の房(す)四枚(よつ)を以って
    三輪山 に放ち、養(か)う。
    しかしうして
    終(つ)いに蕃息 (うまは)らず」
  ↓↑
  不義、抑圧、偽善
  に対する
  神の非難についての
  聖書の記録の書物
  紀元前8世紀
  北王国
  聖地ベテルで
  預言者アモス
  の預言の記録
  アモス
  エルサレムの南にある
  テコア村の
  羊飼いで
  庭師(桑の修理業者)
  彼がイスラエルを裁くと
  神が啓示された信託伝言を受け取り
  国境を越えて
  ベテルに来て神託を説いた・・・ペテロ=岩・磐
  『アモス』の著者・・・
  彼の神託情報は長い間
  口頭で伝えられきた・・・「稗田阿礼+太安万侶」?
  ヘブライ語の原文
  アモスが
  ベテルでの宣教の直後に
  この預言を記録した・・・説
  アモスの幻
  (アモス7:1-9、8:1-3、9:1-4)
  宣教のために
  北に行く前に書かれ
  神託(1-6章)は
  宣教後に記録された・・・
  この
  2冊の本の編纂は
  後の時代
  バビロン捕囚
  の最中か後に書かれ
  その一部はこの時期に編纂された
  アモスの
  「幻視、神託、メッセージ」
  幻(アモス7:1-3)
  神託(アモス5:1-7)
  預言者が
  イスラエルの民に代わって
  神に罪を求める
  つもりだった・・・「つもり」?
  後世によって挿入された
  断片がある・・・
  テキストのいくつかの
  賛辞(アモハムス4:13、5:8、9、9:5、6)
  は
  後世に追加された・・・改作か、改竄か
             記録書き写しでの
             誤謬か?
  神の民の中の
  悔悟者に対する
  神の誠実で愛情深い祝福と
  反抗的な者に対する
  非難は交差
  アモスが追放される前に
  「ダビデの堕落した幕屋」(アモス9:11)
  の記録は
  王国が
  南北に分かれて以来・・・両国が分離した理由はナニ?
  王国衰退時期の
  預言者の出現は当然・・・国家衰亡の危機感?
  ↓↑
  イスラエル(ヤコブ)・・・?
        哉、瘤(疒+留=畄・畱・㽞)
       ・・・瘤とり爺さん?
         ヤコブはカミ(天使)との
         レスリングで
         勝ったが
         足腰を傷めた・・・?
  ↓↑
  旧約聖書・創世記32 1:32
  32:25 ところが、「その人」は・・・「人」≠神≠天使
  ヤコブに勝てないのを見てとって
  ヤコブの
  もも(腿・股)の
  つがい(番)を打ったので
  その人と格闘しているうちに
  ヤコブの
  「もも」の「つがい」がはずれた
  ヤコブは腿を痛め足を引きずっていた・・・
  ↓↑
  ヤボク川の渡し(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で
  神と格闘し、勝利したことから
  神の勝者を意味する
  「イスラエル(イシャラー=勝つ者)」
  「エル(神)」の複合名詞)」
  ↓↑
   ・・・エル=水=water(ワタ)
      伊語=ale=頑張れ
      仏語=allez
      ジンジャーエール
       (ginger   ale)
       生姜  飲料水
      「ale」=ビール の 一種
          麦芽・ホップ
           水・酵母 を 原料
       ale=エール=色が薄いビール
  ↓↑
  の名を与えられ
  「イスラエル」
  の国名にされた
   ・・・「以色列」?
       七色の
       虹列(採光・彩光)を
       以=耜 (シ)が原字=耕・畊
         㠯 (シ)は以 (㠯)与巳同源
         巳(蛇・它)と同源
           邪の道は蛇
         借りて・もちいて・もって
  「神が守られる人=神が支配する人=イスラエル」
  イスラエルの国名の起源由来・・・「七」のカンジ?
  ↓↑
  レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
  という4人の妻との間に
  娘と
  12人の息子をもうけ
  息子たちが
  イスラエル十二部族の祖となった
  ↓↑
  ラバンの娘
  レアの子
   ルベン、シメオン、レビ
   ユダ、イッサカル、ゼブルン
   一人娘の
   ディナ
  ↓↑
  ラケルの下女・・・使用人・召使?
  ビルハの子
  ダン、ナフタリ
  ↓↑
  レアの下女
  ジルパの子
   ガド、アシェル
  ↓↑
  レアの妹
  ラケルの子
   ヨセフ、ベニヤミン
  ↓↑
  が分裂した原因
  『列王記』11章
  「ソロモンが
   異教の神を
   崇(あが)めるようになったので
   主から見限られた」
  「一般民衆」は
   ソロモンによる
   重税や苦役の
   緩和を聞き入れない後継王
   レハブアム
   に怒り見限った12章
   王国内在の矛盾が・・・階層階級分裂?
   ソロモンの死で
   南北の2国に分裂
   ↓↑
   ダビデ(ヘブライ語ダーウィーズ
       ギリシア語ダヴィデ=David
       アラビア語Dāʾūd)
       古代イスラエルの王
       在位 前1000年~前961年頃
       ダヴィデ、ダヴィド
       「愛された人」の意
   サウルが王国建設途上で挫折し
   後を継いだ
   デイヴィド=デイビッド=デービッド=デーヴィッド
   デビッド=デヴィッド=ディヴィッド
   ↓↑
   デイヴィッド・クロケット
   (David     crockett
   1786年 8月17日~1836年 3月6日)
     大運1833年12月(47歳)辛丑偏官
    丙午(丙 丁)傷官・傷官長生⇔丙申傷官
    丙申(戊壬庚)傷官・印綬 胎⇔庚寅正官・冲
    乙丑(癸辛己)  ・偏印 衰⇔癸卯偏印
    丁丑(癸辛己)食神・偏印 衰⇔癸丑偏印
     戌亥空亡
   アメリカ合衆国軍人・政治家
   テキサス独立を支持しアラモの戦い で 戦死
   ↓↑
   デヴィッド・ボウイ
   (David   Bowie
   1947年 1月8日~2016年 1月10日)
     大運2016年3月(69歳)戊申傷官
   ┏丙戌(辛丁戊)劫財・偏財養⇔乙未偏印
   ┗辛丑(癸辛己)偏財・偏官墓⇔己丑食神
    丁亥(戊甲壬)   ・傷官胎⇔辛卯偏財
    辛丑(癸辛己)偏財・偏官墓⇔己丑食神
     午未空亡
   イングランド出身
   ロック ミュージシャン
   シンガーソングライター
   俳優
   ↓↑
   ダビデ (ダヴィド)・「大衛・大闢・大辟」
    ペリシテ人 を撃破・軍事遠征で勝利
   近隣王国と友好同盟を結び
   イスラエルを建国
  ↓↑
  紀元前792年~740年の間
  「アモス(亜摩士)書」
  序
  ユダの王ウジヤ
  と
  イスラエルの王ヤロブアム2世
  の治世中に預言
  アモスは
  「大地震の二年前」(アモス1:1)
  に霊感を受け
  同じ大地震に
  言及しているかもしれない別の箇所は
  大地震が
  「ユダの王ウジヤの時代に」(ゼカリヤ14:5)
  起こった・・・
  考古学者は
  紀元前760年頃
  シャゾ
  で地震が起きた証拠を発見
  紀元前763年
  の日食(アモス8:9)を預言
  ウジヤ王は
  ハンセン病=癩病
  のために自ら統治することができず
  数人を摂政に任命(歴代誌下26:21)
  ウジヤ王の治世(モハマ1:1)の初期で
  アモスは
  紀元前750年以前には奉仕していなかった
  アッシリア王
  ティグラス・ピレセル3世(紀元前745-27年)
  の侵略予言
  イスラエル人が捕囚されて
  「ダマスカスを越えて」(アモス5:27)
  連れて行かれると予言したが
  アモスは東方の
  アッシリアを念頭に無く
  イスラエルの
  偶像崇拝
  欺瞞を予言
  アモスは
  羊飼いをしていたとき
  神が彼に
  「行って、わたしの民
  イスラエルに預言しなさい」(モハンマ7:15)
  と呼びかけた
  ユダの謙虚な田舎生活
  イスラエル北部の社会的環境
  預言は
  イスラエル人に向けられ
  ユダヤ人の罪を非難し
  ユダの首都
  エルサレム
  が焼かれることを預言(アモス2:4、5)
  イスラエルの首都
  サマリアの住民生活
  性的不品行が蔓延・・・
  紀元前8世紀
  イスラエルとユダヤ
  の2つの王国は
  ソロモンの時代以降
  経済的繁栄は
  宗教的堕落に瀕した
  富裕層は
  大きな利益で裕福になった
  貧困層は極度の貧困徘徊
  紀元前803年
  アッシリア王
  アダダニエラリ3世
  シリアの都市
  ダマスカスを占領
  シリアの消滅により
  イスラエルの
  ヨアシュ王の下で領土を拡大したが
  (列王記下13:25)
  当時アッシリアも攻撃的
  イスラエルとユダは
  長年の戦争からようやく回復し
  自分たちの内政に取り組んだ
  紀元前793年
  ヨアシュの息子
  ヤロブアム2世が
  イスラエルの王となり
  紀元前753年まで続いた
  紀元前792年~740年まで
  ユダの王は
  ウジヤで
  この二人の王が支配していた領土は
  ソロモン王国の領土に匹敵した
  貿易を拡大し
  家臣の
  ソゴンから税金を徴収し
  裕福になった
  ディビ市の
  印刷業
  染色業
  両国の産業の発展・・・
  サマリアから
  象牙の象眼細工
  アモスの
  「象牙の床に横たわっている」(モハムス6:4)
  サマリアには
  二重の壁があり非常に頑丈で
  市内の
  ヤロボアム王宮は堂々と立っていた
  金権政治家の
  貧困層への抑圧と
  自然災害は
  国家内部を亀裂させた
  アモスは
  富める者たちが
  貧しい者を搾取していることを非難
  (アモス5:11-13、8:4-10)
  神の律法に従わないことに対する
  神の罰から逃れることはできないと警告
  イスラエルの国は
  神の契約を背き、異教を受け入れた
  カナン人の宗教がイスラエルに浸透
  サマリア人の宮殿の宝物庫からは
  土器の破片が発掘され
  その上に記録された
  ヘブライ語の名前の多くには
  「バアル(カナン人の神)」
  という言葉が刻まれ
  異教が跋扈していた
  アモスは、人々がまだ
  「主の日」(アモス5:18)
  を待ち望んでいることを知り
  主の日の日は
  すべての罪人が試される時であると
  彼らの誤解を正そうとした
  アッシリアは
  拡張主義的な侵略政策を再開し
  ティグラス・ビレサト3世(紀元前745~727年)
  の下
  アッシリア人は世界を帝国支配
  内紛のイスラエルは
  アッシリア王
  サルマニエゼル5世
  に攻撃され
  紀元前722年
  サマリアが陥落
  アッシリア軍が
  イスラエルを掃討
  アモスの警告が現実となった
  ↓↑
  アモスの基本的な教え
  外見上は
  シャリーアの規則に従い
  内面的には
  反逆的な偽善が人類の大きな悪ということ
  アモスの時代の
  社会規範は
  富裕層に踏みにじられ
  宗教が
  罪と冒涜に堕落していた
  アモスは
  イスラエル、ユダ
  その他の国々が
  彼らの悪行のために
  神によって罰せられると指摘(アモス1:3-2:3)
  アモスによれば
  神の法の精神は国境を越え
  すべての人々を支配する力を持っている
  諸国民を統治する
  この道徳律の下では
  すべての人は神に対して責任を持ち
  すべての人が他人に対する罪に対して
  神によって罰せられる・・・
  ユダヤ人は
  自分たちの民が
  「ヤーウェの日」
  に預言者の祝福を享受すると信じていた
  アモスは
  その日とは
  すべての罪人の審判の日で
  ユダヤ人も例外ではないと指摘
  アモスは
  非難だけでなく
  ダビデ王国の回復と
  メシアの下での平和を宣言(アモス9:8-15)
  ダビデ王国と
  メシア王国との関係は
  神がダビデに与えらた約束(2サムエル7:8-16)
  国々が律法と神の裁きに従うように
  神のもとに来る国々も
  神の約束された祝福を享受する(アモス9:12)
  ・・・猶太の神の国際化宣言・・・
  アモス書
  神の
  主権と
  正義を明確に強調
  神は国々を支配し一人一人裁く(アモス1:3-2:3)
  神は
  自然界を支配し、宇宙を支配
  (アモス4:13、5:8、9:13、14)
  「阿
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 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

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 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3

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