城郭探訪

yamaziro

甲賀:近江の国にはどれ位のお城があったのか?(全国に4万以上あったらしい?)

2016年09月10日 | INDEX

甲賀郡 石部町 4

甲賀郡 甲西町 14

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甲賀郡 水口町 65

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甲賀郡 土山町 24

音羽野城 音羽野城頓宮城頓宮舘頓宮池ノ谷城・頓宮支城・大野山本城大野城山本神社遺構土山城山中城大河原氏城黒川砦大宮神社遺構黒川氏城 黒川氏城鮎河館 鮎河館鮎河山城(仮称)中ノ尾城鷹尾山城平子館今宿堀田陣屋今宿城

甲賀郡 甲賀町 91

滝川城滝川西城滝川支城瀧川城(五反田城)西ノ口城櫟野大原城奥殿城(奥殿屋敷)大原上田城大宝寺遺跡南殿屋敷(南城)・大窪城・垂井城(甲斐屋敷)・大宝寺城・大鳥神社遺構篠山城(殿藪)鳥居城大原忠道屋敷・笹山陣屋・竹林(たけばやし)城市場陣山城(じんやまじょう)補陀楽寺(ほだらくじ)城木内城・別府城・堀田陣屋・油日館 油日館油日(あぶらひ)城前山城(油日支城・山ノ鼻城)中山城岡崎城油日冨田(あぶらひとみだ)城上野城冨田城五反田口城北上野城A北上野城B冨田山城観音堂城(勘四郎山城)北上野城・大原城・梅垣城青木城東城館青木城西城館多喜城(元・多喜北城)・多喜支城・多喜北城多喜城南・獅子ケ谷城・山岡城 山岡道阿弥・毛牧北城・殿山城公方屋敷公方屋敷城・公方屋敷支城・和田館和田城群和田支城Ⅰ和田支城Ⅱ和田支城Ⅲ公方屋敷支城・・棚田山城高嶺北城(高峯氏本城)高嶺中城繋ぎ城高嶺南城高嶺東谷城伊賀見城栢ノ木(かやのき)城佐治城佐治城二の丸佐治城三の丸・佐治屋敷・神保(じんぼう)城打越城隠岐城隠岐支城Ⅰ隠岐支城Ⅱ隠岐支城Ⅲ砂坂城岩室城龍泉寺城市原Ⅱ城仮称)梅垣奥ノ城高野城高野東城

甲賀郡 甲南町 52

望月村嶋城(村島城・望月城)望月村嶋出城(櫻神社遺構)・柑子村城・柑子村支城(2)・馬杉本城馬杉城馬杉支城馬杉中城馬杉北城岡之下城染谷砦野川城野尻城野尻支城寺庄城葛木(かつらぎ)館葛木城(葛城城)深川城(片山城)・野田城・饗庭(あいば)城(合羽城)望月屋敷倉治城新宮城・村雨城・池田東城池田西城村嶋支城・市原城・磯尾城上磯尾城井口氏城谷出城小池城竜法師城坊谷城中屋敷青木城小谷城小出城中野城(池田城)中野城詰め城 Ⅰ中野城詰め城ー2塩野城と詰め城塩野陣屋竹中城(竹永城)佐々木神社遺構(杉谷館)服部城杉谷城(杉谷屋敷)杉谷砦杉谷屋敷カ

甲賀郡 信楽町 17

宮町城(鵜飼城)・蒲生城・岩倉城・長野城・牧城・小川城(小川鶴見城)小川西ノ城小川中ノ城・朝宮城・朝宮城山城(赤松城)多羅尾古城多羅尾城山城多羅尾砦多羅尾代官陣屋跡(設楽(しがらき)陣屋)近衛政家邸(大興寺)山口陣屋(山口館)神山(こうやま)城谷氏館
=家康最大のピンチ救った功労者=

 

 

 

西阿閉城  近江国(高月)

2016年09月10日 | 平城

遺跡ウォーカーの比定地(竹蓮寺の北の個人宅)

 

お城のデータ

所在地:長浜市(旧東浅井郡)高月町西阿閉 map:http://yahoo.jp/pLmSVC

区 分:平城

現 状:宅地

築城期:室町期

築城者:阿閉新兵衛

目標地:竹蓮寺

駐車場:竹蓮寺前に路上駐車

訪城日:2016.9.9

 

お城の概要

西阿閉集落の竹連寺の北側に、門構えの個人宅が、遺跡ウォーカーの比定地となっている。

 西阿閉城は山本山城の東麓に築かれていたという。現在の西阿閉集落で「新兵衛屋敷」「蟻屋敷頭」などの地名が残されているものの遺構はない。

西阿閉集落の西 山本山城の山腹(210m)に阿閉城http://www.isekiwalker.com/iseki/102149/(高月町西阿閉阿閉山)に遺構あるようだ

お城の歴史

山本山城主阿閉貞征(長之)の家臣阿閉新兵衛の居城

『江州佐々木南北諸氏帳』には、「伊香郡 西阿閉城主 佐々木末隋兵 阿閉五郎・同 阿閉三河守・佐々木浅井旗頭 阿閉淡路守」の名を記す。


\\\信長公記 巻六 元亀四年 11、決壊  阿閉謀叛の事\\\

 8月8日になり、江北の土豪阿閉淡路守貞征信長公へ内通してきた。すると信長公は夜中にもかかわらず岐阜を出陣し、そのまま敵城月ヶ瀬城(現滋賀県虎姫町月ヶ瀬)へ攻め寄せ、翌晩までに開城させてしまった。そして10日には旗下の諸勢を大嶽北方の山田山(現浅井町・湖北町間)に集結させ、越前への主通路を遮断した。このため越前から出陣してきた朝倉義景の二万の援軍は小谷に近付くことができず、余呉・木之本・田部山(現余呉町~木之本町)方面に布陣しなければならなかった。

 また近年になって浅井久政は大嶽山麓の焼尾という地に砦を築いて浅見対馬に守らせていたが、この浅見も阿閉貞征にならって信長公へ通じた。

\\\信長公記 巻六 元亀四年 12、追撃  大筒・丁野攻破らるるの事\\\\

 信長公に通じた浅見対馬は、8月12日みずからが守る大嶽下の焼尾へ信長公の人数を引き入れた。その夜はことのほか風雨が激しかったが、信長公は虎御前山の本陣に嫡男信忠殿を残し、みずから馬廻を率いて大雨の中をずぶ濡れになりながら大嶽へ攻め上がった。大嶽には斎藤・小林・西方院らの越前衆五百ばかりが番手として籠っていたが、信長公直々の攻撃の前にたまらず降伏した。

 降伏した越前兵は、すべて討ち果たされて当然のところであった。しかし夜の闇に加えて折からの風雨が敵方の視界をさえぎり、当の朝倉義景がこの大嶽陥落を気付いていないおそれがあった。そこで信長公は降兵たちの命を助けて朝倉本陣へ向かわせ、彼らに大嶽が落去してもはや戦勢を支えがたくなった事実を知らせさせた。このとき信長公は、このまま一挙に朝倉義景の陣所を抜く考えを固めていた。

 信長公は大嶽に塚本小大膳・不破光治・同直光・丸毛長照・同兼利らを置くと、すぐさま丁野山の攻撃にかかった。ここには越前平泉寺の玉泉坊が籠っていたが、これもまたたく間に降伏して退散した。

 大嶽・丁野の要害が落ちた今、信長公は朝倉勢が今夜のうちにも越前へ退却を始めると読んだ。そして先手の諸将へその旨を伝え、敵勢退却のときを逃さぬよう覚悟せよと再三にわたって命じた。しかしそれでも信長公は焦りと苛立ちを抑えきれず、13日夜ついにみずから先駈けをして越前衆陣所へ攻め入った。

 このとき先手として越前勢に近く布陣していたのは、佐久間信盛・柴田勝家・滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・氏家直通・安藤守就・稲葉一鉄・稲葉貞通・稲葉典通・蒲生賢秀・蒲生氏郷・永原筑前・進藤山城守・永田刑部少輔・多賀新左衛門・弓徳左近・阿閉貞征・阿閉孫五郎・山岡景隆・山岡景宗・山岡景猶ら歴々の諸将であったが、信長公よりの度々の下命にもかかわらず油断しきっていた。そこへ信長公先駈けの報が伝わってきたため、彼らはあわててその後を追った。そして地蔵山(現滋賀県木之本町内)でようやく信長公に追いつき、神妙な顔で御前に並んだ。信長公は「数度も申し含めたにもかかわらず懈怠するとは、なんたる曲事か。この比興者どもめが」と彼らを激しく叱責した。

参考資料:遺跡ウォーカー、信長公記、滋賀県中世城郭分布調査1、『日本城郭大系』11

本日の訪問ありがとうございす!!

 


西物部城 近江国(高月)

2016年09月10日 | 平城

 

お城のデータ

所在地:長浜市(旧:伊香郡)高月町西物部  map:http://yahoo.jp/1wSBFp
区 分:平城

現 状:個人宅
築城期;― 
築城者:―

遺 構:郭・土塁・堀
目標地:雙林寺(そうりんじ)

駐車場:雙林寺前に駐車

訪城日:2016.9.9

お城の概要

西物部集落の北側に雑木林が見える、ここが西物部城で、雙林寺の東側の宅地(現・布施家屋敷)一帯が居館跡。

現・布施家(個人宅)の裏手の雑木林に二重の土塁が巡っていまるが、草木が多くてわかりにくい、個人宅の表門側にも低い土塁と堀跡なのか水路がある。個人宅なので、城館の回りから覗くことしか出来ない。

お城の歴史

詳細不明。


雙林寺 西物部城館の門=現・個人宅

門前の堀と駐車スペース 現・屋形(門から覗く)

土塁


南東部に、屋敷への通用道(低土塁も残るのようだが)


北側・東側から覗くと「二重土塁」=写真では、わかりにくいが!

叟林寺

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査(伊香郡・東浅井郡の城)、

本日の訪問ありがとうございす!!